そんなわけで空になったコップを洗うのだが口をつけた部分をよく濯いでから一センチ幅くらいだろうか両端のところに一筋赤く線が引かれているというのは染めてあるのだが乾いた布で他にも緑に染めてあるのや黄に染めてあるのもあるが手にしたそれは赤に染まっていて少しく拡げ持つと重なっていた部分がズレて一筋の赤い線がくの字の形になりそれをいくつもの水滴を纏うコップに宛ってコップの丸みに沿って滑らせながらまずは内側の次いで外側の水滴を布に吸い取らせてゆくとくの字はさらに崩れてただの波打つ線となりそうして目に見える水滴がなくなるまで布とコップを擦り合わせるが完全に拭き取れているわけではないだろうなぜといってコップの底の角部分に僅かに残る水滴があるからでそれでも大体拭き取れていればいいとそれを水切り用のカゴに逆さにして置くとあとは自然に蒸発するに任せて両端の赤い筋がひとつに重なり合うように畳み直すというか一旦全部を拡げてから縦に長い帯状のそれの手前の角を両方とも摘んでもう一方の角へ重ね合わせるように半分に折り次いで折り重ねたその角を持ち上げてひっくり返し手前に来た角を奥へ重ね合わせるようにさらに半分に折りというように畳んでゆきそれを上の棚の下端部に設えてある布巾掛けに戻そうとするが戻し掛けた手を引っ込めてよく見るとつまり少しく布へ顔を近づけるといや布のほうを顔の前へ持ってくるといやそのいずれをも他方へ近づけると織り目というか布目というか縦と横に交叉する糸の起伏が枡状を成すその面には赤と白とが交互につまり赤が上に見えているときには白が下へ隠れ逆に白が上に出ているときには赤が下へ入り込みというように並んでいるらしく要するに染めてあるのは布ではなく糸というわけでいずれにせよまた丁寧に折り畳んで所定の位置へ元あった場所へ忍ばせておくいつでも取りだせるように要するに全部がそこにあるというわけだがその全部を展開し尽すことなどできるのだろうかいつでも同じところばかりを手垢に塗れ皺が寄っているからすぐに開くことのできる気に入りのページだけを開き見ているようなそんな気もしてくるが開いてみるとまったく異なる相貌を現わすのだから同じようでいて同じではないのでありそれでもやはり同じとしか言いようがないこともたしかでもちろん強く押しつけていた顔の前にもそうした布目というか織り目というか全面に拡がっていたのでありなぜといって頬にその跡がくっきり残っていて指でなぞるとその凹凸が分かるくらい深く刻まれているのだから尤も今は跡形もないがしばらく消えずに残っていたのだからそうしてその目の間からその見えない隙間から滲み出てくるのを浴びながらまたリビングのほうへやはり回廊になっているからだろう長い道のりを経てようやく辿り着くそこに腰掛けると背を凭れて微かに届く雨音を聴くともなしに聴きながら終わりつづけるというか終わらせつづけるというかつまり今日も明日もあさってもしあさってもその次の日もその次の次の日も要するにいつまでもそのうちまた少し雨足が遠退いてゆくと遠退いたその分だけ近づいてくるらしくもちろんこちらからも近づいてゆくぴちゃぴちゃと滴らせながら近づくにつれ淡い影は濃い影になりさらに近づくと光が射してもちろん上から射すのだがそれによって影の様相というか属性というかは失われて細部が露わになりもっと近づくとそこから皺寄った手が差し伸べられそしたらその手を取って握り締めるのだが何度もくり返しているからほとんど無意識と言ってよくだからいつどのようにして握り締めたのだかいずれにせよ握り締めるとその手も握り返してくるがこちらが握り締めるよりほんの少し強いくらいの力で握り返すその手に包まれながらどこへ向かうのか見上げるとその口が動いて呟くというか囁くというか誰に向けてのものなのかいまいちはっきりしない物言いでつまり真っ直ぐにこちらのほうを向きその眼差しをこちらへ向けてこちらにもその眼差しに射抜かれていることが分かるほどにしばし眼差しを固定しながら手渡すように差しだすというふうではなくどこかあらぬほうを見遣りながら誰にともなく投げ掛けるというか誰もいないほうへ投げ捨てるというかだからよく聞き取れず帰ろうと言ったのかそれとも行こうと言ったのか行くと帰るとではそれはもう全然違うことだからその答えを探すようにそこに答えがあるとでもいうように顔を見上げるがいくら覗き込んでも行くのか帰るのかどちらなのか察することはできないしその口がもう一度分かるようにというのは真っ直ぐにこちらのほうを向きながらその眼差しをこちらへ向けてこちらにもその眼差しに射抜かれていることが分かるほどに一定の間眼差しを固定しながら掌にそっと忍ばせるというように例えば握り締めていると金臭さが移ってしばらく消えないそれを穴の空いたのや穴のないのや茶色いのや黄色っぽいのやいろいろ種類があって大きさも区々(まちまち)の丸く平たいそれをそっと忍ばせるときのようにだがそんなふうに答えてくれることもないからゆく宛てのない道のりを歩いているようで見知った通りも見知らぬ佇まいへと変じてゆくらしいのを眺めているというか眺めながら歩いてゆくほかなく、もしかしたら行くのでも帰るのでもないかもしれず行くのでも帰るのでもないとすればそれは何なのかやはり目的もなく彷徨いつづけるということかまあ行くにせよ帰るにせよそのいずれでもないにせよその手に引かれてゆくのに変わりはないわけだからそのまま引かれてゆけばよくそれともこちらがその手を引いてゆくのかなぜといって一歩でも半歩でも前に出ているほうが引く側で少しでも後ろに位置しているほうが引かれる側ということになるからで尤も横並びにゆく場合そのかぎりではなくつまりある瞬間にあちらが前に出ていても次の瞬間にこちらが前に出ているというように前になり後ろになりして一向に定まることがないからでだからいったいどちらがどちらの手を引いているのかそれを解明する方途はさしあたりないというか抑も引く引かれるの関係ではないということもつまりそうした関係性によって捉えること自体が成り立たないということもだから引くのでもなく引かれるのでもなく横並びにゆくのだろう右左右左右と足並み揃えて意識してそうしているわけでは全然ないのに左右左右左と遅れることもなく元より歩幅が違うから揃うはずはないのに右左右左右と寸分の狂いなくそれは一致してあるいはこちらに合わせて左右左右左と小刻みに足を送りだしているのかもちろんそうに違いないが見るかぎり右左右左右といつもと変わりない足の運びで靴裏が地面を擦る音だろう左右左右左と足を前へ送りだすのに合わせて聞こえるそれはこちらの足音を掻き消すほどの大きさでそれでも完全に掻き消してしまうほどではないからよく耳をすませば自身の足音も聞こえてくるというか近づいてくるというかぴちゃぴちゃと踏み鳴らすその音が踏み締め踏み越えてゆく姿とともに何度も何度でもそうして中なのに外であり外でありながら中でもあるそこへ至るというか流れ着くというか連れ戻されると言ってもいいがもちろん嬉々として連れ戻されるのだが大きく開いた口の中へ入るというかそこを通り抜けるというかそれはもうほんの一瞬で通りすぎてしまうからだろうほとんど顧みることもなくそれに上を見上げていて躓いたりするとそこにも口を開けている穴に落ちるからそれどころじゃないというかそちらのほうにより気を配らなければならないのでありだから足元を見据えながら繋いだ手を強く握り締めながら歩みを進めてゆくのだがそこには小指の先ほどもない大きさというか小ささというかそれが一面に散り敷かれているからだろうもちろん上から舞い落ちてくるのだがひとりでにか風に吹かれてかそれは分からないが枝先から離れてひとつまたひとつと音もなく降ってくるのでありそれを避けて通ることはできないから仄かにオレンジに照り映えるS字に曲がったその道を当のそれを踏み潰しながら丸く平たい石の連なりに導かれるようにしてまず左に折れ次いで右に折れというようにその丸く平たい石の上を行ったり来たりしていたわけでそのたびに染みだす汁というか液というかが地面に擦りつけられて濃密になってゆくらしくもちろん靴裏にも付着するからどこへ行ってもついてくることになりそれでいて鼻が馴れて感じなくなることはなくいつでも鋭敏に嗅ぎ取りながらその香を纏っているというか自身がその香を発しているような気さえしてくるが折に触れ膨らんでは鼻先を掠めるそれはもちろん金木犀の匂いに違いない。
─了─