友方=Hの垂れ流し ホーム

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とはいえ見えるものを見ているのか見えないものを見ているのか本当のところ分からないのでありそれでも見ていることには変わりないだろう薄く光の射し込む左をゆけば回廊というか迷宮というか自然を模した小山を中心とするある種特権的な時空へ繋がり暗く沈んだ右へ向かえば寝たり起きたり食べたり排泄したり泣いたり笑ったりの生活空間へ繋がりそのどちらへも向かうことができるのだがどちらへ向かうのかは祖父の背が決めるのだから自ずとその背の向かうほうへ向かうことになるわけだがよく軋む床の上を跳ねるように歩くからだろう祖父の立てる軋みにも負けないほどの軋みを立てて得意になっていたらしくまるでそれが楽器でもあるかのように強弱をつけて踏み鳴らす姿をそっと覗き見ているような眼差しで一跳ねするたびに黒い塊が拡がったり窄まったりするのを見ているのでありつまり見られているとも知らずに床を軋ませながらどこまでも歩きつづけていくつもの部屋の前を通りすぎてゆくわけだが今通りすぎた部屋はさっきも通ったとそう思われもしてそれでも構わず歩きつづけるがしばらくするとまた同じ部屋の前に差し掛かってさっきも通ったとそう思いながら通りすぎしばらくするとまた同じところに差し掛かってやはりさっきも通ったと独り言ちながら通りすぎというようなことを幾度かくり返すうちに引き寄せられるというか吸い寄せられるというかその向こうから呼ぶ声がするというのではないにせよ閉ざされた戸のその向こう側にあるだろうものに感応するような見てはいけないものがあるとでもいうようなつまりそこにこそ行こうとしているのだとそう唆す声に唆されて手を伸ばしたというわけで見られているとも知らずにもちろん知る由もないのだがなぜといってこちらからは丸見えでもあちらからは絶対に見えないのだから例の高みから一望できる特権的な視座にも似て眼差しは一方通行なのだからそんなわけで戸の前に佇んで息を潜めて耳をすますと布が擦れ合うような音とともに話し声だろうかひとつのいやいくつかのくぐもった声が洩れ聞こえてくるが何を言っているのかまったく分からないのは重なり合う声がごっちゃになるからということもあるがひとつひとつ解(ほぐ)したところで分かりはしないだろうというのはどこか知らない国の言葉だからでつまりそこから意味を取りだすことができないのでありただの音の連なりにすぎないというのではないにせよレコードから流れる外国の歌とそれは同断で声の調子や強弱や張りや抑揚やで感情の起伏を推し測ることができるくらいで例えば機嫌がいいとか悪いとか笑っているとか怒っているとか泣いているとかその程度のことしか分からないのだろうつまり何を語っているのか何が語られているのか推測の域を出ないからそれが確固たるイメージへと結晶することもないのでありぴちゃぴちゃいう音とともに揺らめきながらたゆたっているそれは屈折の加減で見えたり見えなかったりするゼリー状のいずれ溶けて消えてしまう柔らかい塊のようなものであるいは掴んでもすり抜けてゆく敏捷な小動物めいてどうにも捉えどころがないのであり、それよりどこへ消えてしまったのかついさっきまで響いていた軋みはもう聞こえなくなっていて奥へとつづく廊下はどこまでも伸びてゆくらしいがその先は闇に沈んで音もなく暗く翳ったその闇のほうからだろうか漂い流れてくる冷気が脹ら脛に絡みつくのを感じながら丸く凹んだ部分に指を引っ掛けてそっと引き開けるというか引き開けようとすると少しく抵抗を感じてその手を引っ込めてしまいというのは外的なそれではなく内的なそれで足元から冷気が這い上ってくるような気がするからだろう尚さら息を潜めて戸の前に佇みながらまたしばらく耳をすましていたらしくそれでもそこにこそ行こうとしているのだとそう唆す声にまたもや唆されて今一度丸く凹んだ部分に指を引っ掛けて引き開けると今度は引き開けることができつまりいくらか軋みはするもののほとんど音もなくそれは浅く掘られた溝の上を滑ってゆき開かれたその向こうは薄暗くてよく見えないが重たげな塊めくものが溢れ出てくるらしくずっと閉め切っていたからだろう埃臭いような黴臭いような臭いに包まれて怯んだように肩を竦めながらも覗き見るというか垣間見るというか奥のほうへ視線を向けてゆくと正面に井桁のように組まれた枠があっていくつもの枡に仕切られているそこからというかその向こうからだろう射し込む光に淡く照らしだされるらしく馴れるにつれ少しずつ像が結ばれてそうして見えてくるのは手前に一筋その奥にもう一筋合わせて二筋のいくらか太い横に引かれた線で奥に長い矩形だからだろう手前にある線は奥にある線より太く長くつまり奥にある線は手前にある線より細く短く見えるのでありそれでいて二筋の線は太さも長さも同じなのでありそれなのに太さも長さも違って見えるのでありいずれにせよその二筋の線は歪んだ矩形を三つに分割している畳の縁の一部で見たところそれよりほかには何もないが何もないそこからというか当のそこがどこを指すのかそれは分からないがどこでもないどこかから影というか気配というか滲んでいるらしくそんなものありはしないと否定しながら当の気配に戦くというか気後れして少しく躊躇していたがそこにこそ行こうとしているのだとそう唆す声にまたしても唆されてそこへ踏み入るというか踏み入ろうと浅く掘られた溝を跨いだのだが何もないそこに何かがあってその何かに触れたらしく目に見えぬ細い糸状のそれは粘着性があり顔全体に貼りついて拭っても取れず踏みだした一歩をすぐに引っ込めてそれ以後二度と足を踏み入れることはなかったがぴちゃぴちゃと冷たく響き渡る足音はいつまでも残響するらしくその音に耳を傾けながらたゆたっているのはねっとりと甘いミルクのような色をした湯気になかば覆われた姿で少しく霞んだその姿を垣間見るというか盗み見るというか手元に引き寄せてそこにある襞という襞を押し拡げてゆくと鮮やかな肉色が内側から現れてやはり粘着性のものが細い糸状に滴るというか止め処なく溢れ出るというか尤も湯の中では見えないのだがそれでも滴っているのでありすぐに混ざり溶け込んでしまうにせよぴちゃぴちゃと滴りながら肉襞の奥から湧きだしてくるのでありとはいえそのすべてを拡げることは遺漏なく展開し尽すことは不可能というかそのうちのほんの一部をどうにか覗き見ることができるだけだからそれですべてを推し測ることなどできるはずもなくもちろん推し測ろうとも思わないが底の底のさらに底のそのもっと奥深くに隠されている影というか闇というか決して見ることのできないそれは他者の領域とそう言ってよく内にあるのに外にあり外でありながら内でもあるその場所から見ているというか見られているというか少しく斜めに腰掛けていつまでも変わらぬ姿を午後の日に晒しながらどこを眺めているのかなかば苔に覆われて常に湿っている小山の辺りをだろうかそこに置いた掌を滑らせるとささくれ立った棘が柔らかな皮膚に突き刺さって血が滲みそうな色褪せくすんだ手摺りだか柵だかの辺りをだろうかそれともひとつところに留まらずあちこち彷徨いながら絶えず移動してゆくのだろうかそれを捉えようと正面からレンズが狙っているのを見越して時折動きをとめてみせたりしながら尻を浮かせては下ろし両の膝を揃えてくの字に曲げというのは左のほうへほぼ水平に伸びているのがそこでつまり膝の部分で折れ曲がって右のほうへ伸びているわけでところが見えているのは脛の辺りまででそこから先は存在しないのでありそれでいてそこに存在しているのでありそれなのに見ることは叶わないのであり、とにかく小山を挟んだその向こう側というか小山を中心にその両側つまりこちらとあちらとに向かい合わせにというか平行にというか並ぶ硝子戸の一方は開け放たれているが他方は閉ざされていて閉ざされているほうのそれに影というか写像というか虚像というか同じように斜めに腰掛けているのを見ているのだろうかそうとすればその眼差しはどこへも向かうことなく自分へと還ってくると言ってよくなぜといってその先にあるのは己の姿なのだからいずれにせよ外が内に陥入しているのか内が外に開けているのかいずれともつかないそこに坐りつづけ微笑みつづけるまだ若い母親は厚めの台紙と透明な膜との間に挟まれながら少しも窮屈そうではなく終始にこやかな笑みを湛えながら微動もせずにいつまでも同じ姿勢を保っているのでありこちらが見ていると見ていないとに拘らずサボったり休んだりは決してしないし矩形の枠の中というか向こうというかその薄い膜の表面というか厚みがないのに奥行きのあるそこに伸びやかに腰掛けていつまでも若いままなのであり同じ午後の日差しを浴びつづけながら日に焼けもせずそれでも日に焼け色褪せているのだが澄んだ眼差しを斜め上のほうへ受け流すようにしてその涼しげな目元にいくらか含ませもしながら何を見ているのか何が見えるのかいずれにせよそこは外よりも早く閉ざされるというか沈むというか外がまだ形を見分けられる明るさの中にあるのに内のほうではそれよりも早く暗さが降りてきて見分けることができなくなるのでありつまりそうして降りてきた闇にぐるりを閉ざされるとそれまで確然と分かたれていたものが曖昧にぼやけてついには形が見分けられなくなるほどにも濃く深く立ち込めるのだがそれでも歩いてゆくのはそうするほかないからで丁字路というか逆ト字路というか右に曲がってからどれほどになるだろうか残り半分のさらにその半分くらいは来ているだろうか緩やかに蛇行しながら伸びる坂道のその先は闇に閉ざされているがその闇へ向かって歩いてゆくというか歩き疲れてこれ以上は一歩たりとも進めないという地点に至るまで歩いてゆくほかないのだがそこがゴールなのだろうかそこにこそ目指すゴールがあるのだろうかもちろんあるに違いないが辛気臭い面持ちとともにオレンジの丸と線とが開るように現れてそれをやり過ごしてもすぐに次の〇と─とが現れて同様にやり過ごしてもさらに次のオレンジが控えていてそれをやり過ごしてもさらにべつのが項垂れていてそれぞれ右に傾き左に傾きしているから一様ではないのだがそれにも拘らず常に同じところへ連れ戻されるというかそう思い做される瞬間があるのでありそうした瞬間にだろうぴちゃぴちゃと滴る音が洩れ聞こえるというか下向きに曲がった管の先から落ちてくるようでもありよく響く高い天井から落ちてくるようでもあり少しく丸みを帯びた顎の先から落ちてくるようでもありもちろん疲れてはいないのだがそうした音が意識の領野に隙間風か何かのように入り込んでくるらしくどんなに狭い隙間だろうと易々と通り抜けてあちらからこちらへこちらからあちらへ吹き寄せ吹き抜けて已まずそんなわけで柵の間から狭いその隙間から闇というか翳りというかこんもりと迫りだしたそれは生温い風に揺らぐと見えぴちゃぴちゃと擦れ合う音がしているが四囲にもそれは波及するらしく至るところが揺らぐというか波立つというか縄跳びの縄のように揺れ動いているのは二筋の仄白い線だろうかよく見るとあちこちに罅割れたような切れ目が刻まれていて線を分断しているらしくそれでよく吹き飛ばされないものだと不思議だがもし吹き飛ばされてしまったら道が道であることが分からなくなるというのではないにせよそれがあることで一定の幅に納まっていたものが際限もなく伸び拡がってゆくようなそんなことになるのではないかと危惧されもしてだから吹き飛ばされないよう一歩ごと踏み締めてゆくのでありそうすることで少なくとも足元だけは固定されるというか釘づけされるというか次の一歩を踏みだすための足場となるわけで今にも崩れ去ってしまいそうな心許ない足場ではあるにせよ足場は足場なのだから。

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