友方=Hの垂れ流し ホーム

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いずれにせよ狭い通路の奥のほうからこちらを見つめる視線だろうか見られていると感じてそれが何であれ視線なり気配なりを感じたら反射的に見返してしまうものでだからそちらへ目をやると上から見下ろしている眼差しがたしかにあって埃を被らないようにだろう透明なビニールの覆いが掛かっているのもあるがそれには覆いがなく剥きだしのままになっているから丸く盛り上がった両の肩にせよ分厚く広い胸板にせよいくらか埃を被って折角の白さがくすんでしまっているらしく元は大理石だろうが型を取って作られるそれは上半身しかなく上腕より下の部分も腹より下の部分もないからその先がどうなっているのかそれは分からないがなぜといって元の大理石のも全身を型取ったのも見たことはないからだがそれとも見たのだろうか実物ではないにせよ画集だか図版だかパンフレットだかの印刷されたもので目にしたのだろうかいずれにせよ被りものというか帽子というかで覆われている頭部を自身の右につまり向かって左に捻って心持ち俯いているせいか憂いに満ちた眼差しで見下ろしている鼻筋の通った細面の美青年というおよそ戦の神らしからぬ面貌に魅せられていつまでも飽かず眺め入ってしまい頭の被りもの以外何も身に纏っていないから水泳選手に見えたりもするが四角張った広い胸はのっぺりして捉えどころがないからだろう何度試みても薄っぺらで厚みのないものにしかならず描いては消し描いては消しをくり返すうちに繊維が擦れたり潰れたりして鉛筆の乗りが悪くなってそれ以上どうすることもできなくなるのでありだから一度として納得のゆく仕上がりになったことはないとそう言っていたのだろうか真っ直ぐに伸ばせるほど広くはない浴槽に半身を沈めてつまり胸から下の部分だがちょうど乳房の膨らみがはじまる辺りだろう波立ち揺れる湯の下で少しく膝を曲げ気怠げにだろうかリラックスしてだろうかそれともあまり長く浸かっているから上せたのかもしれないが背を凭れているのを垣間見るというか盗み見るというかそうして気になるとすぐ傍まで近づいて横から眺めたり背中のほうを覗き込んだり盛り上がった肩の肉に触れてみたり胸を撫で上げたり撫で下ろしたり鼻梁に沿って指を這わせたその流れで僅かに開かれた唇に触れたり首筋から鎖骨に掛けて何度も指を滑らせたり乳房に頬摺りしたりいやそれはないがとにかく向かって左側からというのは手前に大きく迫りだした右の肩越しに覗く小振りな頭のその中心にある真っ直ぐな鼻梁を正面に捉える位置からといって真正面ではなくいくらか横へずらした位置からだがそれならまだしも描きようはあるというか好んでその位置から描いていたらしく苦手意識を克服したければ正面は元より右から左からあらゆる角度からさらにはあらゆる光条件の下でも描けねばならずそれなのに同じ位置からばかり描いていたのは畢竟苦手意識を克服する気はなかったということかとにかくこちらへ注がれる眼差しと相対する位置から眺めるというか眺め返すというか見つめ合うとまでは言わないにせよ絡み合うというかぶつかり合うというかそれはどこか官能的でさえあって見ることの快楽に延いては描くことの快楽に目醒めたのはその過程に於いてに違いなく尤もそれ以前からそうした傾向にあっただろうことはたしかだがそうだとしてもそれを自覚していたわけではないからそれが花開くそのときまではそこまでのめり込むこともなかったのでありとはいえ萌芽としてあったからこそ花開きもしたのだろう今はもう枯れ果ててしまっているにせよ、いや艶やかに潤って張りのあるそれはまだまだ枯れ果ててなどいないというか揺らめきながらたゆたってあちらからこちらへぴちゃぴちゃと滴らせながらこちらからあちらへさしあたり花弁は閉じられているがいつでも開くよう準備は整っているに違いないから開けばすぐにでもぴちゃぴちゃと分け入ってゆくのでありそうして触れ合うというか擦れ合うというか滴り合うというか溶け合うというかぶつかり合うというか鬩(せめ)ぎ合うというか到底一人では為し得ない高みへとそれとも深みへとだろうか至るためのそれは欠かせない手続きなのであって求め合うというか与え合うというかこちらからあちらへあちらからこちらへあらゆるものが行き来してどちらがどちらか分からなくなるというのではないにせよ互いに食い込み侵蝕してゆくのでありそんなわけでひどく消耗するからしばらく横臥したまま微動もせずあるいは眠っているのかもしれないがもちろん眠ってはいないだろうなぜといって眠っていたら輪を廻すことはできないからでそうして右左右左右と踏みだし左右左右左と踏み込んで輪を廻しつづけなければすぐにも失速してバランスを失い横様に倒れ込んでしまうのだからもちろん傾斜していれば右左右左右と踏みだし左右左右左と踏み込む必要はなくひとりでに下ってゆくのでありつまりどこにもぶつかることなく風を切って駆け下ってゆくのは傾斜しているからにほかならずその際ブレーキを掛けなければ速度は増しつづけて流れゆく景色を捉えることさえできないというか悠長に眺めている余裕もなく目を開けていることも困難なほどで加速しつづける車体の振動は予想以上に激しくそれに合わせるように鼓動も速くなりさらには握り締めた掌に汗が滲んで滑るから舵を切るのも容易ではないが高速で廻転する車輪の音に耳を聾されながら一気に駆け抜けてゆくそれは危険と隣合わせのゲームというか駆け引きというかほんの一瞬の判断の遅れが命取りであり生死の分かれ目なのであるからしてどちらに転ぶかは分からないのだが横合いからそれが現れるまではそれはあり得ないそんなこと起こり得ないと高を括っていたところがあって何が起きたのか今以てよく分からないのでありさしあたり分かっているのは大きく傾いてから前のめりになり地面が見え次いで空が見えまた地面が見えそしてまた空が見えあるいは横様に倒れた建物が目の前を過り傾いた電柱が視野の端を掠めというような具合に推移したことくらいでいや推移したのではなくそれらはどれも断片的なものでしかないしそれら断片が断片のまま互いに連絡を欠いていてそこには時間の経過がないというか見出せないというか失われたのか抑も存在しないのかそれは分からないが時間とは切り離されているらしく推移というのはだから事後的に再構成されたその結果にしかすぎないのでありつまり別様の構成はいくらでも可能だしそれがどのような構成であっても一向に構わないわけで要するに何が起きたのだかそれを知ることは最早できないのだとそう結論づけるのは早計にすぎるかもしれないが少なくとも起きたことを時系列的にそれが起きた通りに並べ直すことはもうできないと言ってよく抑も如何なる出来事も起きたことをそれが起きた通りに記憶しているとはかぎらないだろうしそれを思いだすときの関心の矛先によってその都度構成し直されもするだろうからというのは意識によってだがそれをしも同じもの同質のものと見做すことはできないだろう要するに機械のように記録したり再生したりはできないということでそんなものまったく当てにならないというのではないにせよ過剰な期待は控えるべきでだから過剰な期待はしていないがいくらかは期待しているかもしれずいやそれはないが絶対にないとは言い切れないし期待したくなることもないではないだろうからそれを封じる意味でも期待しないとの意を明確にしておくことには意味があるだろう、とにかくぐらりと揺れ動いたのでありそれから少しずつ傾いてゆきついには棚を掠めるほどにも傾いてしまいそれでもぎりぎりで持ち堪えている様子だが肩だろうか肘だろうか袖口だろうかほんの僅か触れたようにも見えそのほんの僅かな接触がすべての元兇とでもいうように下から突き上げるような衝撃とともに揺れは一気に激しさを増して立ってられないほどに違うそうではなくただバランスを崩したのらしく引っ張られるようにして倒れ込みそのまま段状の箱とともに崩れ落ちてそれまで仕切りの中にきちんと納まっていたチューブやら絵筆やらが飛びだしてそれぞれ勝手な方向へ拡がりながら飛翔するというか落下するというか何某かの時間を経て床に着地するというか互いにぶつかり合い跳ね廻りながら散乱するのだが一歩でも前へ踏みだせばチューブを踏みつけることになるそしたらチューブが破けてしまうだろういくら軽いと言っても掌に納まるチューブの上に全体重を加えればその重さにチューブごときが耐えられるはずもないから中から絵の具が出てきてしまうだろうそれはどこか毛虫やバッタや甲虫やを踏み潰して興じる猿たちの気狂い染みたそれこそ体液の描く模様で吉凶を占う古代の呪術か何かを彷彿させもちろん一国の趨勢を見定める重要な儀式であるからして呪術は真剣そのものだろうが猿たちのそれは単なる悪ふざけというかいくらか度を越していて嫌がるのを分かっていて見ている前でやりたがるというか見せつけるように踏みつける際の恍惚とした笑みに身震いするというか虫酸が走るというかとにかくそうならないためにはチューブを避けて通らなければならないが床はチューブで埋め尽されて踏み場もないからそれは叶わずだから散乱しているそれらをひとつひとつ拾い上げて元の場所へ戻すほかないのでありその気の遠くなるような作業を思うと急に力が抜けたようなそれまで意識することもなく自然に送りだしていた手足の自由が不意に利かなくなったとでもいうような脱力感に襲われて何事かと飛んできた店員の手際良い対応を前にしてもその場に佇んで眺めていることしかできずもちろん脳裡でだが一方で少しく屈めた背中が右に左に揺れながら棚と棚の間を奥へ向かっているのを眺めもしていて振り子のようなその揺れが速やかな前進を阻むというか何か躊躇いがちに足踏みしているようにも見えるが焦らされているようでもどかしくもありなぜといって焦らされると余計昂ぶってくるというか自ずから予想される展開への期待が膨らむというかあんなことやこんなことやが浮かんでくるからで思わず知らず赤らむ頬に手の甲を添えて隠すというか冷ますというか誰も見てはいないのにいや埃塗れの美青年がいくらか憂いを含んだ眼差しで冷やかにこちらを見下ろしているから一部始終覗かれていてすべては隠しようもなく露呈してしまったとそう思い做されそうしてさらにも頬を赤らめながら棚と棚の間を奥へと進んでゆくが最も奥まった場所へ至るとそこで折り返すのではなくそこにある扉からそれはちょうどフロアの対角線上の角になるが入ってきたのとは違うその扉から出てゆくらしくもちろんどこへなりと従うつもりだからつづいて出てゆくのだがそこはもう絵の具臭くはなくなぜといって絵の具がないからでつまりそこはもう展示する場でも陳列する場でもないらしくそうして中から外へ出るがそこはまだ外ではないのでありそれでも中から出てきた以上中とは言えないのでありとはいえやはり外ではないのだからそこが中なのか外なのかよく分からないが真っ直ぐに伸びる通路ではあるらしくどこへ至るのかそれは知らないがいや知っているがとにかくここも足元を冷気が漂うらしくすうすうして仕方がなくそのうえ照明が足りないのか窓がないからか薄暗い通路というか廊下というかやはり回廊になっていてどこまで行っても果てがなくその中心に位置するところからぐるりを見廻している小山というか小岩というか苔に覆われてしっとりと濡れているからだろうぴちゃぴちゃと雫を滴らせて已まないそれはどこからでも見えるのだが裏返せばどこにいても見られているということにほかならずそれこそ世界の中心たるに相応しいが気配というか視線というか常に感じもして鬱陶しいと言うと語弊があるが何となく落ち着かないのもたしからしい。

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