いや、そうじゃなくて、むしろそんなふうに混じり合いたくて溶け合いたくてひとつになりたくてコーヒー臭い吐息を洩らすと邪念を払い除けるように汗ばんだ肢体を匂い立つ柔肌を引き寄せて、隙間もないくらいに密着させて、ゆっくりはっきり焦らずに、大きく広げたお口に、奥まで届くように、何度も何度も、ただいまただいまって、譫言みたいに、そうよそうもっと大きくもっといいわいいわよ続けてもっと続けて、と言われるままに従って、従いつづけて、従順な下僕みたいに、ってことはやっぱ下僕なのか、そうかもしれない、そうかもしれないけど、そうとは認めたくないのか、何度も何度も首を振り声を張り上げて、というか声は出ないけど、いやちょっとは出るけど、囁くような喘ぐような、嗚咽のような嘆息のような、コーヒー臭いってリコは言うけどそれはお互いさまで、そうだけど、たまには紅茶もどう、ってことにはでもならなくて、紅茶が嫌いってわけじゃないけどコーヒーのほうが好きだから、っていうか単純、何だよせめて純粋って言ってほしいな、単純だよ、そうなのか、オレって単純なのか単純だったのかとちょっと凹み、というか大いに凹んで、純粋と単純の違いについていったいどれくらい思い巡らしてたのか、気づけば外は真っ暗で、自分がどこ歩いてるのかも分からなくなって、いや分かるけど一瞬見失ってからああそうかって思いだして、腰のほうはもう全然大丈夫、問題なのはむしろ基礎体力のほうで、つまり体力にはまったく自信がないからちょっと歩いただけで息は切れるし膝は笑うし、だから夜中に足とか攣っちゃうわけで、痛くて目が醒めちゃうわけで、どうかすると縺れそうになる棒切れみたいな足をぎこちなく踏みだし踏みだししながら階段をゆっくり慎重に上がって、彼女の待つ部屋までの道のりは果てしなく、その果てしなさといったらもう大変なもので、とにかく一段一段上がるごとに緊張は増してくし手は震えるし吐き気はするし気は遠くなるし、そうして人気のない校舎に谺(こだま)する足音に耳を澄まし、誰のかってもちろん自分のに違いないが、どんなに気配を殺してもその音が、自分の立てる足音が自分の気配を、隠そうとして隠せない存在を意志とは真逆のことを誇示しちゃうみたいな、私はここにいますよって、ホントは消えてしまいたいのにこのまま消えちゃいたいのに、でも消えることはできなくて、ここにこうして在りつづけるほかなくて、呼ばれた以上行かなきゃいけなくて、だから一歩一歩足を、右のと左のとを交互に踏みだしてくしかなくて、そうして一階から二階へ二階から三階へ三階から四階へ四階から五階へ、いや五階はなかったか、薄暗い踊り場から薄明るい次階のフロアへそしてまた薄暗い踊り場へ時計廻りに、右手を手すりに添えて、左手は固く握りしめて、死んだように静まり返った階段を踏み締めて、真っ直ぐな長い廊下の奥から三番目の手前から二番目の、前の戸も後ろの戸も開いてるけどどっちから入ったものか、どっちから入るのがこの場合正解なのか前からかそれとも後ろからか、距離的には後ろのほうが近いけどコソコソしてるみたいだし、前からのほうが潔い感じはするけどそれだけにプレッシャーも大きいし、とふたつある入口を、前のと後ろのと、暗く沈んだその向こうはよく見えないながら交互に睨み据えて、前を見て後ろを見てまた前を見てまた後ろを見て時どきどっちつかずにその間の壁面を漂って、そこには黒ずんだシミがいっぱい付いてるけど手の形だったり足の形だったり何かよく分からない筋だったり複雑な形だったり単純な形だったりといろんなものが刻印されていて、見てたらそれが何か意味あるもののように思えてきて、その意味を読みとろうとしたわけじゃないけど何か圧倒されて、そしたらそれ以上先へ進めなくなってそこで立ち往生してしまい、敷居にある溝というかレールというか内と外とを分かつ内でもなく外でもない領域というか戸がスライドするというか戸をスライドさせるというか、とにかくふたつの領域の間にあってそれを挟んでる両側の世界をいい感じに中和させるみたいな、連続しながら不連続みたいな、そこを踏み越えれば、ほんの一跨ぎで踏み越えてしまえば次のステップへとこっちの世界からあっちの世界へと自動的に、というか否応なしに移行するんだろうけど、もうこれ以上一歩だって先へ進めないこれが限界だと観念しちゃったってわけで、というか足元を冷たいものが吹き抜けて、後ろのほうから階段のほうからそれは流れてきてふたつの入口に吸い込まれてゆき、あるいはその流れに乗っていけばすんなり事は運ぶかもってだから思わないでもないけど、流れに乗るのは得意じゃないし、というか流れにはつい逆らっちゃうみたいな、みんなが右ならオレは左みんなが左ならオレは右みんなが上ならオレは下みんなが下ならオレは上みんなが賛成ならオレは反対みんなが反対ならオレは賛成みたいな、でも気配というか匂いというか、向こうへそれは運ばれて、ここにこうしてることは、待機というか尻込みというかしてるってことは、もう疾っくに知られちゃってるだろうから、何か言ってきてもよさそうだけど向こうからは何のアクションもなくて、だからこっちもリアクションできなくて、いるんだかいないんだか、呆れて帰っちゃったとか、まさかそれはないと思うけど、互いに相手の出方を窺ってるみたいな、先に動いたほうが負けみたいな、膠着状態がどれくらい続いたのか、ほんの数秒程度か長くても十秒くらいか、そのときこっちの世界とあっちの世界とを仲介するとともに隔てもしてる仕切りの溝の端っこにふと眼が止まって、そこに埃の塊があったんだけど、割と大きな塊が、何かの拍子にそれが動いたような気がして、というか動いたからこそ意識がそれを捉えたわけだしそこに眼を向けもしたわけで、つまり空気の流れが変わったらしく、ってことはあっちの世界で何かが起きたってことで、というのもこっちの世界では何も起きてないからで、ただぼんやり突っ立ってただけだからで、いやぼんやりってわけでもないけど、とにかく事態は急展開みたいな、追い詰められた犯人が断崖絶壁で全部喋るみたいな、いや喋らないけど、というか喋れないし、でもその場合どんな結末になるんだろう犯人が何も語らなかったら、動機もトラウマもなんにも、その生い立ちから犯行に至るまでの怨嗟の長科白を一言も、犯人の延いてはドラマの一番の見せ場であるところのひとり語りを一言も、十時跨ぎの濡れ場はべつとして、そしたら終わるに終われないんじゃないか、帰るに帰れないんじゃないか、死ぬに死ねないんじゃないか、そうした危惧もなくはないけどもう猶予はなくて、つまりその仕切りを踏み越えなきゃいけないらしくて、こっちからあっちへ行かなきゃいけないらしくて、そらそうだ呼ばれてるんだから、来なさいって言われたんだから、でも誰に、もちろんリコに、ねえ何してんのとかなんとか、まだ少し湿ったほつれ毛が頬に貼りついてるのを鬱陶しげに払ったりしながら、ねえ早く来てよとかなんとか、その豊かな肉の盛りあがりを惜しげもなく晒しながら、もう何してんの早くとかなんとか、言ったかどうかは知らないが、その呼び声に促されてというか導かれて入っていったんだった、狭いとこを押し分けて、中へそしてさらに奥へ、というか出たり入ったりをくり返して、息を詰めて、互いに擦れ合って、そうしてできた傷がいくつもある床を踏み締めて、ふたりだけの、ふたりしかいないそこは明かりも点いてないから視覚よりも手に触れる感触が頼りというか刺激的というか、いや見えてはいるけど見てなくて、というか見てはいるけど見えてなくて、だから彼女はそこに、目の前にいるんだけどすごく遠くて、遠いけど近くて、近いけど近寄りがたく、いやそんなことないけど、いったいどんな顔してるのかこんなとき彼女はどんな顔をするのか、筋肉は強張ってるのか弛んでるのか、見たいような見たくないような、虚ろな視線を彷徨わせながら上り詰めて、ぼんやりして影みたいに見える、というか影にしか見えない姿がそこにあるけど真っ直ぐには捉えられなくて、伏し目がちにちらっと盗み見るのが癖というか性分というか、そうした目つきが癇に障るのか激した感情を抑えようとでもするみたいに小刻みな咳払いをして、それからちょっと身じろぎすると徐ろに開いたその口をそこに覆い被せるようにして口で塞いで舌を絡めたっけ、溢れだす唾液を貪り吸いながら、激しく腰を打ちつけながら。