戻る  

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19

05

薄暗い、というのは部屋を照らしてる明かりが、ちょうど部屋の真ん中にひとつ天井から吊り下がってる丸い笠の、没個性的な照明が、そのふたつある輪っかの内側の、小さいほうの、三〇ワットくらいだろうか、蛍光灯の球が切れてて、球じゃないのに球切れとは変だが、とにかくふたつあるうちのひとつが、生活するうえでこれといって支障はないにしても、でも本を読むには充分な明るさじゃないかもしれないけど、それでも本を読んでるけど、光を発してないので、なんとなく室内がどんより翳(かげ)ってるように、ふとした瞬間に気づかされるというか、というのも時どき思いだしたようにふたつとも、外側のと内側のとが両方とも点くことがあって、その明るさにそれまでの暗さを知るというか、暗かったことに気づいちゃうわけで、明るいっていいな、昼間明るいのは当たり前だけど夜明るいってのが嬉しい、電気のある生活ってステキだな、夜を昼に変えてしまう人間の叡知の結晶たる文明の力って凄いよね、とか感慨深げに呟いちゃったりして、バカみたいってリコに笑われるが、でも蔑むような感じじゃ全然なくて快活な明るい後腐れのないそれは笑いで、こっちが悄気たり腐ったりしちゃうことはだからなくて、それはともかく両方とも点くってことは球切れじゃなくて接触不良か何かだったわけで、つまり蛍光灯を取り替えるだけじゃあの明るくステキな文化的生活には戻れないってことをそれは意味し、その厳然たる事実にそれまで明るく輝いてた、ように見えた一室も急に暗く霞(かす)んでしまうのだったが、とにかくその薄暗い、といってそれほど暗いわけじゃないが、天井を眺めてると、眺めるといって焦点は合ってるようで微妙に合ってなくて、だから全体にぼんやりした視像でシャープなエッジがいい感じに柔らかくなって、なんていうか自分の殻に閉じ籠るみたいな、対象との関係が近すぎもせずそれでいて遠すぎもせず、見てるようで見てない見てないようで見てるみたいなどっちつかずな感じ、違うかもしれないが、そしたら上の階の住人だろう、面識はないけど、というか名前も知らない、いや名前くらいは知ってるかもしれない、でも記憶にない、ってことは知らないのかも、いやエントランスの郵便受けでちらっと見たような気がしないでもなくて、だからもう一度それを確かめれば、そのエントランスの郵便受けに掲げてある文字を読んでみれば、見たのか見ないのかはっきりするんだけど、そしたら知ってるか知らないかも分かるかもしれないけど、でもそんなことする気は、エントランスまで下りてって郵便受けを確かめてみる気はさらさらなくて、だからここは知らないってことにしとくけど、とにかく何かを引きずる、椅子か何かを引いてでもいるのか、音がしていて、静寂のなか微かに届く、漏れ聞こえる音を、耳は勝手に追い掛けてしまうらしく、うるさいってほどじゃないけど耳障りではあって、けっこうな時間その音がしていたように思うのも絶えず意識がそっちへ向かってしまう、というか自分の意志とは関係なくそのほうへ捩じ曲げられてしまうからで、そうしたものへの苛立ちとかもあって、それが声に口調に滲(にじ)み出ちゃうのか、否応もなしに、自分じゃ気づいてないが、いやなんとなく気づいてはいるけどいつもの調子じゃないなくらいなもので、そのままやり過ごしてしまい、それを耳敏く察知してかいくらか距離を置くような、穏やかなと言ってもいい、まあいつだってそんな口振りなんだけど、それがたまに上から目線に感じられることがあって、それはこっちのセリフだよってリコは言うけど、実際それが上から目線なのかどうかは知る由もないが、妙にそそられちゃったりするんだけど、あまり感情を乗せないような、といって突き放すような冷やかさはなくて、皮肉めいた物言いにはだから聞こえないが、ニュートラルとも言い難い、どことなく含みのある、もちろんいい意味で、掃除機でも掛けてたんじゃないのってリコは言うけど、何かを引きずるような音がしただけで機械的なモーターの音とかは聞こえなかったからそれともまた違うようで、それにこんな遅い時間に掃除機は非常識だろう、それあたしに言われても、そうだけど、でも今はしてないねと小首を傾げていくらか上目遣いにリコは耳を澄まし、そうなんだ、なぜかこっちがひとりのときを狙ってしてるみたいなのだとだいぶあとになって気づいたわけだが、そのピンととんがった耳が、もちろんリコの、向かって右の側の、つまり左のほうの耳が不意に眼にとまり、といってリコの耳は両方とも同じようにピンととんがっていて可愛らしく、だから髪を下ろして隠してるときよりもアップにして出してるときのほうが断然魅力的だし好きなんだけど、このときはたまたまこっちのほうに向けられた一方の、つまり左のほうのそれが眼にとまったってことで、その耳を凝視するうちに指先が柔らかい感触を、その擽(くすぐ)ったいような産毛の感触をさえ思いだし、そういえば最初の出会いからしてその耳に魅了されちゃってたわけで、べつに耳に惚れたわけじゃないが、手を伸ばして確かめたくなるのを怺(こら)えつつうっとりと眺め入って飽くことを知らないアツシの呆(ほう)けた視線をリコは一瞥で捻り潰してしまう、何見てんのよいやらしい、って言ったかどうかは知らないが、とにかく今はもう何の音もしない、静まり返って不気味なくらい、天井のほうへ意識を戻すと、気配がないことで却って当の気配が匂い立つみたいな、気配を殺してこっちを窺ってるんじゃないかみたいな、重苦しい圧迫を薄暗い天井の向こうに感じてしまい、いったいそこで何が、どんなことが、展開されてたんだろうかって想像せずにはいられないが、壁一枚隔てたその向こうで、他者の領域で、こっちの与り知らない未知の世界で、いったい何が巻き起こっているのだろうかといったような、そうした思いが人を盗聴なり盗撮なりへと駆り立ててしまうものなのか、そうした欲求というか欲望が否応なしに擡げてくるのを押しとどめることは難しく、というか我慢できなくて、オレもう我慢できないよ、って言ったかどうかは定かじゃないがもっともっと楽しみたいしまだまだ捕まるわけにもいかないし、を唱えつつ小暗い夜道をひとり彷徨い歩いて飽くことなく、でもそんなに頻繁に出歩いてるわけじゃなくて、というか滅多に出歩いたりはしないけど、物騒だし怖いし、ごく稀にそうした衝動に駆られちゃうことがあるってくらいで、でも誰にだってひとりになりたいときくらいある、を胸奥(きょうおう)に響かせて、足音は忍ばせて、そうして聞こえない音を聞こうとし、見えない姿を見ようとするが、そうそう聞こえない音が聞こえたりすることはないし見えない姿が見えたりすることもなくて、全然満たされることがない欲求にだから悶々となって寝苦しい夜を明かすのがオチで、そんなことだからちょっとした物音にも過敏になっちゃうのか、いやどんな物音にだって警戒しないとGメンには勝てないし、というかちょっとした油断が命取りになるわけだからいつだって臨戦態勢で、いやいつだってというのは言いすぎだけどそこそこ臨戦態勢で、臆病なだけだと言えばそうなんだけど、でもそうした臆病さも必要なんだってことで、そんなわけで部屋がどんよりと翳ってることをなんとなく疎ましく思ったり思わなかったりしながら帰りを待ち詫びてるのだった、もちろんリコの、下準備はできてるから、エビチリは炒め合わせるだけだし、玉子スープは温(あった)め直すだけだし、ごはんは冷凍したのをチンすればいいし、あとは残り物の惣菜と漬けもの、とまあそんなとこだけど、帰ってきたらすぐ用意できるし用意するわけで、おかえりなさいませお嬢さま、なんてもちろん言わないけど、それくらいの勢いで、寝転がって待機してると、そういえば冷凍のごはんまだ残ってたっけか、と急に不安が兆して、記憶を辿って思いだそうとするがあると思えばあるような気がするしないと思えばないような気もして、いったいどっちなんだか全然分からず、でもあると思って全部用意したあとで、湯気立つ熱々のおかずを皿に盛りつけたあとで、ごはんが、ごはんだけがなかったなんてことになったら大変だからと冷凍庫の扉を開けると、そこにはごはんが、カチカチに凍った米飯が、ラップに包まれた白い粒々が、たしかにあり、あるある間違いなくここにあるとひとり頷いて、ただいまと声がするのを、もちろんリコの、心待ちにしてるのだった、いやそれほど心待ちにしてるわけじゃなくて、といって全然心待ちにしてないってわけでもなくて、それなりに、というか程ほどに心待ちにしてるってことで、でもそんなふうに言うとおざなりな感じがするかもしれないけどそういうことじゃなくて、というかそれが日常ってもんだろう世間一般的に言って。

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19

戻る 上へ  


コピーライト