友方=Hの垂れ流し ホーム

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こうしてるうちにもふたりとの距離は拡がって、今電柱一本分だったのが、次には電柱二本分になり、そのあいだに何人もの行き交う人たちが挟まって、脇道にでも入られたら終わりだと思うと気は焦り、今はそれどころじゃないと犬でも追うように振り払って、人波に紛れそうになってるが辛うじて見分けられる後ろ姿を追い掛けてゆき、尚も縋るように呼び掛ける声が背後から届くが、無視して歩きつづけ、でもちょっと気になって振り返ったら、というのもあまりにも哀れっぽい声で訴え掛けてくるからだが、そしたらそのほんの一瞬のあいだに、どこへ行ったのか、前に向き直ったときにはもうふたりの姿を確認できず、せっかくの好機を逸したことに苛立って、お前のせいで見失ったじゃないかと語気も荒く、いつもならそんなふうに誰かに強く当たり散らすなんてことはないのだが、このときばかりは感情の暴発を制御できなくて、叱りつけるが、詫びるように腰を屈める姿はそこにない。逃げ足だけは速い、まるで忍者だ、と独りごつが、怒りをぶつける矛先を失って、当の怒りが内に籠って凝り固まるのか、急に足が重くなり、惰性でしばらく進みはするが、そのうち歩みは止まってしまう。そうしてひとり茫然と佇んでどれくらいになるのか、まあせいぜい一分くらいだろうが、空腹に呼び覚まされて我に返り、四囲を見渡しても目当てのものは見つからず、いや見つかるはずもないが、視線はそれを探してしまうらしく、その際どんな目つきだったのか、お腹が減ってると目つきも険しくなるものなのか、それは分からないが、とにかく店へ行ってみよう、そこにいるかもしれないし、と財布を握りしめて再び歩きだす、何を食べようか、昨日は何を食べたんだっけか、定食めいたものだったか、それとも麺的なものだったか、和風だったか洋風だったか、と思い巡らしながら。店はすぐそこだった。そこへ行けば全部はっきりするはずで、いや全部は言いすぎかもしれないが大概のことははっきりするだろう、すべてはそれからだ、と先を急ぐが、どこで間違えたのか、いや間違えてはいないはずだが、店には辿り着かず、そこへ行けばはっきりするはずなのに、そこへ行くことができないなんて、ホント私ってダメだなあと嘆息し、四囲に視線を巡らせて、今いる地点をちゃんと把握していることを確認する。でも、じゃなんで辿り着けないのか。場所は分かってるし、道順も頭に入ってるし、店の名前だってちゃんと記憶してるし、つまりどこにも落ち度はないわけで、間違えることもだからないはずで、ないはずなのに、歩くうちにそうした確信が揺らいできて、落ち度はない、とそう思う根拠も徐々に怪しくなるのか、場所が覚束なくなり、道順がこんがらがり、店の名前も定かじゃなくなる。といって迷ったという実感はなくて、店には着実に近づきつつあるという認識が、一歩一歩歩いてゆくその一歩ごとに店との物理的距離は縮まってるという認識があるにはあって、だからこそ歩いてゆけるわけなのだが、どうしたわけか歩いても歩いてもそれは現れず、もうすぐだという期待とそれが先延ばしにされる苛立ちとが鬩(せめ)ぎ合い、そうした鬩ぎ合いのなかで不安が、時間までに戻れるだろうかといった不安が兆し、どうにか店へ行けたとして食べる時間があるだろうか、店との往復の時間、注文した品が調理される時間、さらにはそれが運ばれてくる時間等々を差し引いて、純粋に食べるための時間が果してどれくらい残ってるのか、食べるの遅いほうだし、いやそれ以前に席が空いてるかどうか、とそう思ったらのんびりもしてられず、気は逸るが、店は一向に現れない。あるいはどこかほかの店と勘違いしてるのかといったべつの不安が兆し、いやそれはないと斥けるものの、このまま歩いていても結局どこにも辿り着けないんじゃないかといった不安を拭い去ることは難しく、前進を阻むものとしてそれは開(はだか)るが、すぐそこなんだからといったもう根拠さえ見出せない思い込みを、それだけを頼みに弥生は歩いてゆくほかないのだった。

それまで何の予感もなかったのに、いつもなら降る直前には神経が鳥肌立つような、あるかないかのごく小さなものだが、電流が走って、来るぞってかなりの確率で分かっちゃうのに、意表を突かれたというか、いきなり左頬に飛沫を感じたので、こんなことってあるんだろうかとその思いも掛けない展開に戸惑いながら上方を振り仰ぐと、薄曇りの、狭隘な空を背に幾筋もの白っぽい線が放射状に拡がっていて、その巨大な傘の内側の中心に自分は位置している、ともちろんそれは錯覚だが、そうした錯覚に、自分が世界の中心だみたいな、といって愛とか叫んだりはしないが、なかば陥りつつ、でもある意味自分は世界の中心でもあって、というのも私にとって世界とは常に私の世界にほかならないし、私はほかの誰でもないこの私の世界をしか経験できないのだから、そしてそれは誰とも交換不可能なのだから、私だけのものなのだから、と考えたりしながらまだまだ歩き、まだまだ歩いてゆけるし、まだまだ歩いてやるぞ、と意気込みだけは充分あるようだが、空腹によるものだろう、身体のほうが弱音を吐きそうで、そこへ行ったからといって何もかもがはっきりするってわけでもないだろう、とついさっきまで堅持していた考えが、決して翻(ひるがえ)ることはないとか思ってた考えが翻って、だとしたら何もそこでなくちゃいけない理由はないわけで、店はほかにもあるのだし、時間も限られてるし。そう思ったらそれまで見えてなかったいろんな店の看板が目につきだして、徐々に差し迫ったものになってゆく空腹を刺激して已まないそれらを無視することはできそうになく、雨も降ってきたことだし、手近なところで済ませちゃったほうがよくはないかといった考えに、済し崩し的に傾斜してゆく。何を食べようか、昨日は何を食べたんだっけか、とまた思い巡らしながら、どこへゆくとも決め兼ねて、でも空腹に牽引されるように雨のなかをひとり歩きながら、この空腹が満たされるのならどこだっていいじゃないか、と自身を鼓舞したりしながら。

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