砂糖とミルクを入れたコーヒーを静かに掻き回しながら、事態の推移を見極めようとでもするかに沈思する美咲の手にした、種も仕掛けもないことを誇示するマジシャンみたいに柄の先端部分を摘むようにして持ったスプーンが、時計廻りに一定の速度で動いているのを、時折それがカップに当たってカチリと硬質な響きを立てたりするのを、その音が何かに似ていると思いながら結局何に似てるのか思いだすことができないまま、ぼんやりと淳子は見つめていたが、カップから引き上げたスプーンを銜えて嘗めとった美咲はソーサーにそれを置いて、そのときも金属製のスプーンと陶製のソーサーがぶつかり合う音がして、それはまたしても淳子にその音が何かに似ていると思わせ、でもやっぱり思いだせなくて、私ってダメだなあといつものように呟いた、もちろんここは胸の内で。でも溜息くらいは吐いたかもしれない、チラッと美咲がこちらを上目に睨んだから。その睨む目つきがまた可愛らしくてしばらく見つめていたが、淳子のそうした振る舞いには頓着せず、カップの把手を掴んで口元へ運び、ゆっくりとコーヒーを啜り込むと、瀬田の不可解な行動にはきっと何か裏があるに違いないと美咲は言う。果してそうだろうかと淳子にはそれが飲み込めず、何が不可解なのかいまいち分からないというように問い返すと、まだそんなこと言ってる、自分の置かれた状況を考えたらそんな暢気に構えてなんかいられないはずだと美咲は真剣で、でもカップがソーサーに、それともソーサーがカップにか、当たって立てる濁ったノイジーな、いかにも量産品らしい安っぽい音が途中で挟まり、そしたらそれに似てる当の対象の、形象というかイメージというか、ひどくぼんやりした像が瞼の裏側を横切った、ような気がした。そのため一瞬そちらのほうに気を取られ、でもすぐに戻ってきて、というのも何ら確固たる像を掴み得なかったからで、それはともかく暢気に構えてるわけじゃ全然ないし、でもそうだとしてもあんまり深追いするのはよくないと懸念を示すと、だからつけ込まれるんだと折角の盛り上がりに水を差すなとでも言いたげで、つけ込まれてるかどうかは知らないが、こそこそつけ回すのはやはり気が進まないとさらに言い募ると、そんなこと言ってけっこう楽しんでたくせにと声を落として薄く笑う。それはそうだけど、やっぱ、ほら、ねえ、よくないよ、もうここら当たりが潮時じゃないかと提案すると、それはつまり自分にとって都合の悪い事実が露わになるのを見たくないってだけじゃん、とまだまだ続けるつもりらしく、抑もつけ回されるような振る舞いをしてるほうが悪いんだし、疚しいことをしてないんなら逃げも隠れもしないで堂々としてればいいじゃん、それを逃げるってことは疚しいことをしてるって言ってるようなもので、そうとすれば放置しておくわけには行かないともう完全にスイッチ入ってしまったらしく、押しとどめることはだからできそうになかった。それでももう少しだけ踏ん張ってみようと思って、何もしてなくてもつけ回されたら逃げるよ普通と返すと、逃げません、少なくともあたしは逃げないと口吻荒く美咲は答える。そら美咲は逃げないかもしれないが、というか待ち伏せして逆に追跡者を捕まえかねないが、でも私はそういうのダメだから、追うのも追われるのもどっちも願い下げだから、それにいい加減疲れたよ、とここまでずっと神経を張り詰めていたための疲労を訴えると、それには同意を示して、まあ実際逃げられちゃったんだからこれ以上の追跡は無理なわけだし、今日のところは勘弁しとくかとようやく譲歩してくれた。
それから場所を変えてべつのカフェでお茶しながら、今度はスイーツと紅茶で、オリジナルブレンドってことだけどこれは案外おいしくて、おかわりしてもいいかなって思った、スイーツのほうは可もなく不可もなくって感じだが、そこで小一時間ばかり休んで、というかおしゃべりして、というか相槌打ってただけだが。そのあとちょっと買い物とかして、美咲と買い物するのはずいぶん久しぶりだったからテンション上がったが、でもその間ずっと誰かにつけられてるという気がしてならず、そう美咲に言ったら自意識過剰と笑われた、というか笑い飛ばしてくれて、それでちょっと楽になった。そういえばカフェで一回だけ瀬田のケータイに掛けてみたが、美咲が掛けてみろとしつこいから、でも何の用もないのに、何話したらいいのか、抑も電話が苦手だし、とためらう淳子に繋がったらあたしが出るからと美咲は言い、でもやっぱり繋がらなくて、ほらねとケータイを仕舞うと、何も言わずに美咲は紅茶を飲み干して、おかわりを注文し、淳子にも勧めたが、そのときおかわりしたんだっけか、しなかったんだっけか、あれは一杯目だったのか二杯目だったのか、おいしかったのはたしかだからおかわりしたかもしれないが、もう記憶が曖昧で、物忘れがひどいとかそういうことじゃないのだが、肝心なところが抜け落ちたりするのだった。おかわりしたかどうかはどうでもいいことだけど。
帰宅すると瀬田は寝転んでテレビを見ていた。というか居眠りしていた。身体の半分を卓の下に突っ込んで、卓の脚に自身の脚を絡ませて。そのとき押しやったのかそれ以前からそうだったのか、新聞雑誌類が雪崩を起こして卓の外へ食みだしている。悪いやつほどよく眠るってか、いや瀬田が悪いってわけじゃなくて、不眠の立場からすると人の眠る姿はそれだけで妬ましいってことで、しかもその寝顔が、以前の不機嫌面はどこへ行ったのか、何とも幸福そうだったので、それを目にしたら余計妬ましさが募り、散らかった新聞雑誌類で部屋は足の踏み場もないくらいだが、構わず踏みつけて、といって不用意に踏むと足を取られるからその辺は用心しながら、クッションソファに倒れ込む。勢いがついてたのか埃が舞ったらしく、それでちょっと咳き込み、どしんとかばたんとか、何かそうした物音が響きもして、その物音に目醒めたらしくおかえりと言いながら瀬田が起き上がり、ごはんはと訊かれてまだと答えると仕度はできてると微笑み掛け、キッチンへ立って何かしている様子だが、しばらくしていい匂いがしてきたと思ったら食事を載せた盆を持って戻ってきたから、事態が飲み込めなくて茫然としていると、たまにはね、と皿を並べながら呟き、捲っていたシャツの袖を下ろすと食べようと促す。柄にもないことを、とそれは口にせず、とりあえず礼を言う。