さしあたりそんなことは問題じゃなく、じゃ何が問題なのかというとそれもまた微妙な問題を孕んでしまうのだが、ひとつ言えるのは、待っていたのか待たされていたのか待とうとしていたのか、待ちきれなかったのか待ちくたびれたのかそれとも全然待ってなどいなかったのか、それら待つことに於いて何かを希求するというようなことはもうないと言っていいものだろうか、それともまだまだ何かしら追い求めているのだろうか、いや何であれ今はもう何も待ってなどいないのだと殊更に嘯(うそぶ)いたりはしないものの、そうしたものはもはや過去のものだということじゃないのか、ということ。まあ過去だからといって何もかも綺麗さっぱり忘れ去ってしまえるものでもないが、思いだして感情がささくれ立ったりすることはなく、いや抑も思いだすこと自体稀だからたぶんもう待ってなんかいないのだ。むしろそう見做すべきなのだ。それだってしかしたしかなことではなくて、多分に希望的観測に基づいているため、そうした考えもすぐに揺らいで元の宙ぶらりんの状態に戻ってしまう。そうした未決状態に安息してるわけでは決してないが、というかそうした自身の煮え切らなさに少なからず苛立ちを覚えないでもないが、そのある種自堕落な曖昧さに、ぬるま湯的な心地よさがあるのだろう、なかば浸っているようでもあり、私ってダメだなあと苦笑したりもする。たしかなことは何もなく、すべては混沌として曖昧で、この世界とかこの私とかその他諸々あれもこれも引っ括めて全部、それがしかし心地よく、ダメだなあといった呟きもだからそこから脱するための契機とはならないのだった。つまりはダメな自分が好きなのだ。好きというと語弊があるが少なくとも嫌いじゃなく、脱しようとの姿勢もだからただのポーズにすぎないかもしれない。ひとりビールをやりながらダメな自分のダメさをそうして噛み締めてるわけだが、やるといって大して飲めるわけじゃなく、外で美咲たちと飲んでも真っ先に潰れてしまうから介抱されたり送ってもらったりと世話の掛け通しで、だからせいぜい喉を潤す程度だが、ひとりなんだからむしろ箍が外れそうなものなのに、介抱してくれる人がいないからだろう、却って酒量はセーブされるらしい。それでもしっかり酔いは廻って程なく床に就くことになり、それが週末の夜の習慣となってもうずいぶんになるが、ずいぶんといっても半年かそこらだが、ひとりテレビにつっこみながらの晩酌にいくらか虚しさを覚えないでもなく、さらには独り寝の寂しさを実感しないでもないが、それにも馴れてしまったみたいで、というか否応なしに馴らされてしまったと言うべきか。やっぱダメだなあという呟きを、このときはしかし呑み込んだ。
そんなわけでそのうち諦めるだろうと息を潜めていたが、明かりが洩れてるだろうから不在を装うことはできず、そのせいかどうかは分からないがチャイムは間歇的に鳴らされつづけ、諦めたかと気を弛めた矢先に鳴らされるから怖いような腹立たしいような、何かそんなふうな感情の高ぶりを意識するとともに最悪警察を呼ぶしかないとケータイを手に取る。最近買い換えたヤツで型は一コくらい前のだが、それまで使ってたのがずいぶん古いのだったから、何年使ってたんだろう、いい加減買い換えなさいよって美咲に言われて、それで渋々買いに行ったわけだが、分からないからつき合ってくれと頼んでたのが急に都合が悪くなったとかで、シフトが変わったとかなんとか言ってたけど、デートじゃないかと睨んでる。妙に早口だったし、すぐに通話を切ろうとするし。で結局ひとりで行く羽目になって、店員に聞いてもほとんど理解できないし、だからほとんどその店員の言いなりに買わされたようなもので、でも執拗に勧めてくる最新型は婉曲に辞退した、というのも使いこなせないだろうから、それでもその機能の多さに驚いたし、使い方もいまだによく分からないが、それを掴んで、いつでもコールできるよう構えつつ玄関へと淳子は向かった。そうして覗き穴から差し覗こうと右足にサンダルを突っ掛けて身を乗りだし、気取られぬようゆっくりと顔を近づけてゆくが、酔ってるせいか狙いが定まらず、危うくドアに顔面を強打しそうになり、まあそれはそれで威嚇効果はあるかもしれないが相手を刺激するだけかもしれず、最近は犯罪も凶悪化してるらしいから滅多なことはしないほうがいいだろうし、それにやはりこちらが見ていることを覚られたくはないから渾身の力で踏みとどまり、両手をドアについて態勢を整え、いわゆる壁立て臥せってやつ、さらには呼吸も整えて、それからようやく穴の前に顔を持ってゆく。左瞼を閉じ、狙いを定め、右眼をそこへ宛(あてが)って覗き込むと、ドア前の通路に佇む人の姿があり、しかしそこに顔はなく、というのもこちらに背を向けていたからで、辺りの様子をでも窺ってるんだろうか、そうとすれば尚さら警戒しなければならないと気を引き締め、さらに注意深く観察する。レンズ越しだからもひとつはっきりしないが、見たところ中肉中背の、自分と同程度かそれより若干高いくらいか、がたいがいいというよりは小太りといった印象の、青年というよりは中年の部類だろう、襟刳りから覗く首筋にそれは端的に表れている。その垢染みた襟刳りの、洗い晒しの綿シャツをだらしなく羽織ってる当該人物はもちろん男だろうが、その体つきからは誰なのか見当もつかず、それでいてどこかしら見覚えがあるようでもあり、胸の内に膨らむモヤモヤを持て余しつつ男がこちらに向き直るのを待つ。というのも顔を見れば自ずと知れるだろうと直感したからだが、その直感に違わず、振り向いた男の容貌を確認してそれが誰なのかを理解した淳子は小さな吐息を洩らし、とはいえ新たにべつの疑念が兆すようでもあり、そうしてそれを小脇にしつつドアを開けると、とりあえず自室へと招じ入れた。