陽が落ちると急に冷え込んで、この二、三日で秋が深まるとまるで示し合わせたように各局の予報士が言ってたが、そのせいか風はいくらか冷たくて、でも肌身に堪えるほどじゃない。ただ駅前の通りから外れると途端に闇が濃くなって、物の輪郭が虚ろにぼやけて周囲と溶け合い、全部が一緒くたになり、闇という一個の巨大な虚ろになって開(はだか)り、それまで同じ方向に歩いてた人たちもどこへ行ってしまったのか、急に見えなくなって、その分だけ冷たさが沁みるようだ。その中に見知った顔はひとつもないが、一塊になって、というか互いにある一定の距離を保ちつつ同じ方向へ歩いてるというただそれだけの、関係というにはあまりに稀薄な関係なのに、何となく近しいもののように感じていて、それで群れからはぐれてしまったような孤独感に浸されてしまうのか。でもなぜその人たちは消えてしまうのか、そしてなぜ自分はその人たちのように消えることもなくいつだって闇の手前に取り残されてしまうのか。消えるのが私じゃなくて私以外の人たちなのはなぜなのか。それとも消えるのは毎回私のほうなのか。私以外の人たちから見たら私のほうこそが消えているのだろうから。でも私が消えるってことは認識する主体である〈私〉も消えてしまうわけだから、そうかそれで消えゆくことを認識できないのか。つまり私の前から誰かが姿を消すってことは、その誰かの前から私が姿を消すってことでもあるのか。それでも私が闇と同化してしまうことはないらしく、闇はいつだって外部に展開するものとしてあって、妙に慎み深いっていうか、こちらの中にまでは入ってこない。入ってこようにも入ってこれないのか、こちらはすでに消えてしまってるんだから。でも消えてしまったあとの〈私〉は何なのか。消えてしまっても尚それを〈私〉と呼んでいいものだろうか。いったいどこまでが〈私〉でどこからが〈私〉じゃないものなんだろう、その境目はどこにあるんだろう、〈私〉と〈私〉じゃないものとを画然と分かつその境目は。果してそんなものがあるんだろうか、ないとすればどこまで行っても私ということになる、あれも私、これも私、あなたも私、彼も私、全部が全部私だ。まあ世界はそんな単純じゃないだろうけど。
そんな愚にもつかないことを考えながらひとり自宅への道を歩いてゆくが、気が急いているのか、それとも身体のほうについて行けないのか、遅れたのか先んじたのかそれは分からないが、二歩くらい前を歩く自身の後ろ姿を淳子は認めた。私か、それとも〈私〉か、どっちがどっちだ。抱き寄せれば届きそうな距離なのに近さをよりは遠さを、それこそ無限とも思える隔たりを感じて、さらにも孤独感を募らせる。といって完全に切り離されてしまったようでもなく、つかず離れずというのか、それに先導されるようにして歩きながら、ある種の諦念とともにつくづくと眺めやれば、月明かりによりは専(もっぱ)ら街灯に浮かび上がるいくらか前に屈んだその背に疲れは露わだが、足の運びは慎重で急ぐ様子もなく、見るかぎり転ぶ気遣いはなさそうだととりあえず安堵する。とはいえそう判断する意識のほうこそ怪しくはないか。慎重な足どりといっても慎重すぎるとリズムが狂うし、リズムが狂うとバランスを損なうし、バランスを損なうと思わぬ方向に身体が傾ぐし、思わぬ方向に身体が傾ぐと慌てるし、慌てると咄嗟に反応できないし、咄嗟に反応できないと足が縺れるし、足が縺れると転ぶ。そうしたネガティブなイメージの連鎖に捉えられ、そうするとそうなることが必然のように思い做されもして、そう思ううちにも前のめりの後ろ姿が不安定に傾いだように見え、危ない気をつけて、と息を呑むが、前をゆく私が傾ぐってことは即ちあとにつづく私も傾ぐってことで、気づけばすでに傾いでいた。鞄を提げた右肩が下がって、そちらのほうへ不自然に、重力に反した角度で傾斜している。倒れることはなかったが二歩分の遅れのためか反応は鈍く、立て直すのに手間取った。でも変なふうに捻ったらしく、といって捻挫とかじゃなくて、靴が片方、右のほうが、蹴りだすたびに軋みをあげた、歩くと音が鳴る幼児用の靴みたいに。静かなだけにそれはよく響いて、闇の深さ濃さをより一層際立たせた。
帰宅すると瀬田は寝転んでテレビを見ていた。というか居眠りしていたらしく、物音に目を醒まし、淳子を認めるとおかえりと言うが明らかに動揺していて、そのどこか寝起きドッキリめく光景にただいまの声が少し震えるが、瀬田がそれに気づいた様子はない。あるいはあからさまに指摘して笑いに転じたほうが場は和むのかもしれないが、そしてそうしたことに瀬田が腹を立てることもないだろうが、そうすることはせず、取り散らかった雑誌や新聞を、元々部屋にあったものではなく瀬田が購入したものか、片づけるその足元を掠め、疲れたふうを装って、いや実際疲れているのだが、クッションソファに倒れ込むとしばらくは何をする気にもなれず、上下も前後も揃えることなく乱雑に一纏めにした新聞雑誌類を、瀬田がテーブルの下へ押しやるのを見ていた。丸まったというか全体に丸味を帯びたその背中は淳子の知るそれとずいぶん異なり、またレンズ越しに見たそれとも違って思ったより広く、それでいてこぢんまりした印象でもあるのは先夜肩を借りた際の感触が残っているからで、そのちぐはぐな印象に自身戸惑いながら尚もその背を見つめていると、ほかに見るべきものもなかったからだが動くものに自然と目が行くということもあっただろう、その視線にというか気配に気づいたのか不意にこちらに向き直る。そして何か呟くようだが、声が遠くてよく聞きとれない。遠いといってすぐ傍にいるのに電波の悪いケータイみたいに鼓膜はそれに反応したりしなかったりと不安定で、問い返す余力もなかったからやり過ごすと、少しこちらへ半身を傾けてまた何か呟き、今度は前より聞こえるがそれでも何を言ってるのかまでは分からない。太ったせいか声が籠って、それで聞き取りにくいのか。いや声それ自体は前と変わらない。三度目でようやくその意味するところを理解するが、弥生、と瀬田は知らぬ名を呼んだのだった。私は弥生じゃないのに、誰かと間違えていると眉を顰(ひそ)めながら「何?」としかし応えていて、応えながら弥生は私だと思ったのだった。でも私じゃないのだった。その名を淳子は知らない。それを言いたいが言葉にできず、そのもどかしさに喘いでいると身体は硬直してゆき、いつか動かなくなる。こんなときにかぎって症状が出ると嘆息するも出てしまったものは仕方がない。なかば金縛り状態でクッションソファに釘づけの淳子は成り行きに任せるしかないと抗うことをやめて瀬田の声に耳を傾けるが、それはまた遠くなり、徐々に遠くなったのか一挙に遠離ったのかは分からないが一定の隔たりが生じ、とはいえ今度は何かに遮られているらしく、遮るもののほうに耳を澄ますと、いや澄ますまでもなくそれは雨音に違いない。