なかなか眠りの訪れぬなか、暗い自室に誰かの呟きが漏れ聞こえて眼を開けたのだが、それは自身の声らしく、違うと一度は否定するがやはりそうだと認めると、喘ぎのような嗚咽のようなその声に耳塞ぎつつ佐脇めとそれをしも佐脇のせいというように吐き棄て、また眼を閉じるが閉じても尚像が残り、瞼の裏側に投影されたようなぼんやりしたそれは直前まで眼にしていた自室の天井らしいがどこか違うようでもあり、何となく気になってまた眼を開けると何か微細な塵のようなものが多数浮遊しているらしくキラキラと煌めいていて、闇のなかで光るそれは妙に綺麗で見蕩れてしまうが薄気味悪くもあり、嫌な予感がするなあと警戒していたら案の定また現れたのだった佐脇め。こっちが凹んでいるのを狙ってきたのか佐脇の不在を狙ってきたのかそれは分からないが、今まで出てこなかったのは端的に向こうの都合だったらしく、グッズはどうした何してる今こそその絶大な力を灼かな霊験を発揮するときじゃないかっ佐脇め、ヤツをどうにかしてくれよ肝心なときに役に立たないんだからっ佐脇め、いやグッズは撤去したのだった、だからまた出てきたのだ、自分で誘き寄せたのだった佐脇め。そうしてモヤモヤした霧のようなものが次第に形を露わにしてゆくその過程を見たくもないのに見つめながら佐脇めと弥生は口走り、暗澹たる思いに沈んでゆく。端的に闇がそれを捉えにくくしているが像の鮮明度はさらにも増していて、霊気も充分に養ったというかに勢いがあり、その縺れ具合も一段と激しさを増してさらにも怪異な様相を呈しているから気味が悪く、佐脇めとなぜか心中でそう叫んでいるが、それが佐脇のせいじゃないのは諒解していて、それなのに佐脇めと唱えることしか念頭にない弥生はそれが魔を祓う呪だとでもいうように佐脇めを唱え、グッズを撤去してしまったことでその効果が望めぬ今それよりほかに縋るものはないというかに唱えつづけるが、当然そんなことで消えてくれるほど柔なものじゃなく、縺れあいながらジワジワとそれは接近してくるのだった佐脇め。近づけば近づくほど細部は明瞭になるが艶めいたものでも淫猥なものでもやはりなく、むしろ殺伐とした印象を懐いてしまうそれは一方が今一方の首を絞めているところで、嫌な場面だと顔を顰めつつ弥生はそれから眼を逸らすことができず、戦きつつもその一部始終を見ているほかないが、闇のなかで展開される殺害の光景はやはり直視に耐えるものではなく、それなのに見ることをやめられないのは自分の意思というよりは外部からの干渉に違いなく、そっちがその気なら受けて立つとそうした意気込みを懐いたわけじゃ全然ないが、むしろ震えがくるほどの恐怖にずっと捉えられているのだが、ここが踏ん張りどころだと生来の負けん気に奮い立ち、というか無理から奮い立たせてそれへと弥生は眼を向けるのだった。
そのうち首を絞められているほうが空気を抜かれたみたいにぐったりとなってきて相手に掴み掛かっていた両の手も力なく垂れ下がり、それでも完全に事切れるまでにはずいぶんと間があって、かなりの時間四肢を痙攣させていたが、いよいよ事切れるという段になると上から覆いかぶさっているほうがさらにも力を込めて絞めつけに掛かり、息遣いも荒く、全体に細い体躯ながらその力の込めように強烈な殺意の表われを見た弥生は心底から恐怖し、もうこれ以上見ていられぬと眼を背けようとするが視線は固定されたまま動かすことができず、ならばと瞼を閉じようとするがそれさえ意のままにならず、最後の綱と焦点を外そうとするがやはり無駄な足掻きでしかなく、眼前に展開される惨状をただじっと見ているしかないのだった。佐脇め。闇のなかに茫と薄青く浮かび上がる像はそれからほとんど動きがなくなり、いや動いていないわけではないがひどく緩慢なために止まって見え、そういえばと思い返してみると現れた最初から動作は緩慢だったようで、端的にこっちの世界とは時間の進み方が異なるからなのか、それとも弥生を苦しめんがためにわざとスローにしているのかそれは定かじゃないが恐らく後者だと弥生は考え、それからどれほどの時間その場面を見せられていたかしれないが、首を絞められているほうがピクリとも動かなくなっていよいよ完全に事切れたと理解され、それでもまだ足りぬというように一方は執拗に絞めつづけ、そうしてさんざん絞めつけて気が済んだのかようやくその手を首から離すとそこには指跡も生々しく、食い込んだ爪に傷つけられた肌からは血が、赤いというより染みめいた黒ずみといった具合にふたつみっつ滲んでいた。一仕事終えたというように血のついた右手の甲で額の汗を拭うと尚緩慢な動作で億劫そうに像の一方は立ち上がり、上から見下ろすようにして自身の縊ったものをしばらく眺めていたが、徐ろに屈み込むとまた両腕を伸ばし、その手はしかし首ではなく腋へ差し込まれ、抱きかかえるようにして持ち上げると前のめりの姿勢で今にも倒れそうになりながらゆっくりと移動をはじめ、一歩一歩を着実に、狭い歩幅で踏み締めるようにして、途中テーブルの脚に道を塞がれたりカーペットの僅かな段差に往生したりするが、それらひとつひとつの障害を根気強く乗り越え、そうして長い時間掛かってそれは部屋から出ていったのだった。そこで一応幕となって舞台は暗転し、いや元より自室は闇に包まれていたがそれが去って尚一層闇が濃く深くなったように感じられ、それまで固唾を飲んで見守っていた弥生だがそこでようやく息を継ぎ、とはいえそれで終わりではないだろうと次なる展開に備え、静まり返った自室のベッドにひとり横になりながら今眼にした、というか眼にさせられた光景を束の間ふり返るが、その生々しさに嫌悪を催すということ以上に、何か眼を背けたくなる要素の潜んでいるらしいことに気づかされ、当然それは自身に関わりあることのようなのだが今ひとつ理解が及ばず、ピントが合いそうで合わないもどかしさというか、端的に斯かる嫌悪なり不快なりに理性が狂わされたと言っていいが筋道立てて考えることが困難で、もう少し時間をおいて落ち着いてから思量すべきではないか、考えるのはあとにして今は寝たほうがいいのではとそう思いはするものの眠気は消し飛んでしまっていて、何か切迫した思いに浸されて闇のなか一向に纏まらぬ思惟を巡らせるのだった。耳鳴りめいた無音の圧迫に耳を聾されたかと訝るほど静まり返った自室の闇はさらにも深まり、その不気味に伸し掛かってくるような重苦しさに息を詰まらせながら怠りなく四囲に視線を配る弥生は、これはただの嫌がらせだとその身に起きた事象に対してまずそう判断し、そしてそのこと自体を何か夢のようなもの、あり得ない出来事と見做して否定しようとするが、その直後両人ともに見知った人物だということに思い至り、一点の濁りもなくそれが分かってしまい、つまりその一方は佐脇らしく、そして今一方が自分だということに気づき、さらには首を絞められているのが佐脇ではなく自分のほうだと諒解されてそんなことってあるのだろうかと弥生はそれを認め得ず、強い否定の感情が湧出してくるが、佐脇の二本の手が自身の首を絞めつけているらしいその光景は強固に脳裡に焼きついて離れそうにもなく、いや実際離れることはなく、仕事をしていても何をしていても、いや何をしていなくても常にその像が意識の半分以上を占拠してしまい、そしてまさに殺害予告に等しいその映像に弥生は脅かされ、以前にも増して疲弊する。