それはともかく自分はまだ裏返されたままなのだろうか、それとも元通り表に返っているのだろうか、それがどうにも気掛かりで、今日の天気よりも明日の我が身よりも気になって仕方がなく、直接本人に訊けば事は済むのかもしれないが何だか訊きにくいし斯かる蟠りを抱えているせいか居心地も悪く、自分ちにいて居心地が悪いのがちょっと癪に障るが表には出さぬよう取り澄ましていて、そういった機微にはしかし聡いらしく次第に口数の減ってくる佐脇の表情もいつか強張った感じになり、気まずげな沈黙の膨らみゆくなか白けた場を放置したまま弥生は尚も沈思し、表だろうと裏だろうと自分は自分に違いないが見せられる自分と見せられぬ自分とがやはりあるわけで、そして見せても構わぬほうの自分ではなく見せてはならぬほうの自分が露わになっているとするならそれは厄介なことだしできることなら元へ戻したいが、今の佐脇にそれができるか否かは定かじゃなく、たしかに裏返したのは佐脇に違いないが佐脇は佐脇でも常の佐脇とは異なってなかば喪失状態にあったようだから常の状態に復した今それが可能とはちょっと考えにくく、そうとすれば絶望的だが裏か表かの確定ができないことにはその先へも進めないわけで、釈然とせぬまま朝食を摂った弥生は釈然とせぬまま朝食を片づけ、いや片づけたのはほとんど佐脇だが少しは弥生も手伝い、それから卓を挟んで向き合うも所在なさに居たたまれないのか早々に佐脇は帰ってしまい、それを引き留める理由も弥生にはなかった。いや理由などなくたって許可しなければいいだけのことで今までもそうしてきたはずで、少なくともふたりの間で不文律として暗黙ながら機能していたはずなのだが、それができないということひとつ取ってみてもやはりどこか違ってしまっていると言わざるを得ない。でもどこが違っているというのか、どこも違わないじゃないか。そう独り言つ弥生が窓の外を見遣ると雨が降っていた。ということは夜明け前に感じた匂いも雨音も偽のものではなかったらしく、そのとき見たもの感じたものも偽ではないということになり、そうとすればやはり裏返されてしまったのかもしれず、核心めいたものは何ひとつないが何だか裏返されてしまったような気がし、生地のほつれや糸屑に塗れた裏地の垢染みた薄汚いところが全部露わになってしまっているような気恥ずかしさに不意と浸され、誰が見ているわけでもないのに衆目に晒されているような、ありもせぬ好奇の視線を肌で感じ、ひとり身を縮こまらせながら表か裏かと尚思案するが昨日の自分と今日の自分とで目立った差異は見出せないのだからそのかぎりにおいて表と見做してよさそうで、といってそれで済ませられるほど事は単純じゃないだろうとも思い、これじゃあしかしいつまで経っても埒が開かないと雨音に耳を傾けているとそれは不意に途切れ、かと思うとまた不意に湧きあがり、さらには背後から前方へ、あるいは右から左へと絶えず移動して捉えどころがなく、そうして確かなもの確固たるものなんてあるのだろうか、あるわけがないと思いつつ雨を捉えようと尚耳を澄ましていたらひどく疲れた。
朝からずっと考え詰めていたせいだが横になったらそのまま寝入ってしまいそうで、いやべつに寝たっていいのだが無駄寝はしたくないから怺え、そうして無為に雨を眺めつつ午後を過ごしたものの退屈で、無理して起きていてもただ退屈なだけならそれこそ無駄というものだがすることはないししたいこともないから何をしても何をしなくても無駄なことに変わりはなく、いや、もうすぐ購入したグッズが届くはずだからそれを待っていると言えなくもなく、この無為な時間もそのかぎりにおいて無駄ではないとそう自身を捻じ伏せると紅茶を淹れて飲みながらそれでもやはり退屈を紛らわしようもなく、三杯目を干したところでしかしチャイムが鳴り、来たと勇んで出ると弥生宛の荷物だったがテレビ大ほどもあるバカデカい梱包で、こんなにデカいもの買ったっけかと訝りながら控えの伝票を見てみるとたしかに自身購入した会社の名があるが、何か手違いでもあってべつの商品が届けられた可能性も否定できぬと開けてみるとやはりそれは求めた商品ではなく、といってべつの商品というのでもなく、いや抑も商品でさえなく、段ボールの底のほうに蹲ってこぢんまりと蠢いているそれは例のヤツにほかならない。反射的に上体を仰け反らせたせいでちょっとよろめき、その拍子に足を滑らせて尻餅をつくが、しゃがみ込んだまま開いた段ボールの口を注視すると押し潰された菱形状に見えるそこからそいつの出てくる気配はなく、こっちから覗くのもためらわれるが立ち上がって覗き込むとやはりそいつはそこにいて、同じように蠢いているが全体覇気がなく、雨降りで日射しが弱いからといって昼間っから出てくるからだと嗤いつつ箱の内のそいつを具(つぶさ)に弥生は眺めやり、むしろこれこそが求めていた商品なのかもしれないとそんな考えがチラと過ぎるがすぐに否定し、佐脇に似ていないかどうか確かめるが今ひとつ定かではなく、どうにも捉えどころのない形状でどういった外貌をしているのかさえ分からないがそれが佐脇であれそうでないのであれ訊かねばならぬことがあり、それをハッキリさせないことにはどうにも治まらぬと一歩踏みだすと、何か警告でも発するかに箱の中が振動し、箱それ自体は少しも振動していないのに箱の中だけが振動していて、そして中から声がするのだったがそれは佐脇の声じゃなく、誰の声にも似ていないその声はバスに乗れと言っているようで、ほら来たとか言いながら段ボールの口から手だけを覗かせ、それも定かならぬ形の指差すほうへ視線を向けるともうバスが横づけされていて、今にも発車しそうだったから慌てて乗り込んだもののどこで降りたらいいのか訊く暇もなくバスは動きだしているしふり返り見たときにはもう狭暗い路地の暗がりしか見えず、仕方なく空いた座席に腰掛けた弥生はバスに揺られてゆくが、窓ガラスの外側は雨滴が流れてるし内側は結露して曇ってるから外はよく見えず、掌で拭ってみても曇りは取れない。執拗に擦ってもガラスは曇ったままなので、諦めて車内に眼を転じると床が黒く濡れていて乗客は少なく、といって皆影のようにぼんやりとしか捉えられぬからハッキリとは見定められないが自分も含めて十人程度と数え、何となく変な感じがするのだがそれら定かならぬ影のせいというよりは車体が揺れているのに吊革が揺れていないからで、とはいえ些末なことを指摘するのもどうかと見ぬ振りし、この分では窓の向こうもいい加減な作りなのだろうと外を見ることも断念すると前の座席の背凭れを眺めながらどこ行きのバスなのだろうとふと思うが、いずれどこかには着くだろうと深く考量することもなく、それよりも雨で窓が閉めきりなのだが、旧式なのか冷房もないらしく、湿気に蒸れる車内がだからひどく不快だし、背から太腿に掛けての座席に密着した部分も忽ち汗ばんできて不快窮まりなく、幾度も降りようと立ち掛けるが、その都度上から肩を押さえつけられる具合に押しとどめられ、仕方なくまた座席に尻を下ろしてベタつく肌の不快に耐えるほかないのだった。バスはいくつもの停留所を過ぎるがその間降りる客も乗る客もなく、それなのに座席に坐る人の、というか影の数は増えるようで、終着のターミナルに着くまでにほぼ満席の状態となって不快さもピークに達するが、そのターミナルでほかの乗客とともに降ろされた弥生はようやくそこで一息つき、乗客らの、いや降りたのだから降客だが、いやすでにバスと関わりを持っていない彼らはただの路傍の人で、そのただの路傍の人らの向かうほうへついてゆきながら辺りの様子を窺うと靄掛かった雨幕に遮られてやはり周囲はよく見えず、見えるのは今そこを歩いている屋根のある通路だけで、石畳の、所どころ欠けてデコボコしているそこはひどく歩きにくくて何度も転びそうになるが、前をゆくただの路傍の人らは馴れたもので道の凹凸などないかのようにスタスタと移動してゆき、真っ直ぐな通路だからはぐれることはなさそうだが彼らとの距離は徐々に開いてしまう。