もちろん呼び掛けに応じる様子はなく、それきり姿も見せなくなって気配さえ感じなくなり、ホントにもう全然感じなくなったから不気味で仕方なく、そうなるとたしかにここにいるとの確証も徐々に薄れてゆき、それが向こうの狙いだってことは承知していながらその認識自体が誤謬だったのではないかと疑いだせばキリがなく、もはや詫びることしかできないとなかば観念したかに耳の奥深くに潜んでいるはずの淳子さんに向けて深々と頭を下げてはごめんなさいごめんなさいと謝りつづけ、次いで何らか応答はないかと耳をすまし息を殺して待つが耳許を掠めるのは冷たい夜風のみで、その夜風にさらさらと髪が靡くのを掻きあげることもなく、あるいは無意識に掻きあげていたかもしれないが、詫びては待ち詫びては待ちをくり返し、それでも一向応じる気配がないので心細さが次第に募り、とはいえ、淳子さんとともにあることはむしろ歓ぶべきことのはずなのに、それなのに言い知れぬ孤独なり寂寥なりに浸されてしまうのはなぜなのか、暗い、というか仄明るい夜道の真ん中辺りで、というのも縁石のない道路だとつい路肩から離れてしまうからで、そうしてしばらく佇立したまま前へも後ろへも進めずにその所在を確かめようと内耳のどこか、三半規管の渦巻きの辺りだろうか、それとももっと奥深くか、何かの書物で見たことのある図版を思い浮かべつつ淳子さんの姿をそこに配してみたりするが確固たるものは得られず、逆に自分自身が己の耳のなかへ入り込んでしまったような感覚に襲われ、自分が今どこにいるのかという認識はありながら、アスファルトの路面に二本の足でバランスを取りながら立っているという感覚を正しく感覚しながら、それら認識なり感覚なりが自身のものではないとも認識され感覚され、身の危険というほど差し迫ったものじゃないにしろ何がなし危うさを意識せざるを得ず、そうした危うさに囲繞(いにょう)されながら尚しばらくその場に踏みとどまって何かに耳を傾けていたのだが、幸い自身が霞と消えてしまうなんてことにはならず、いや、なるはずがなく、ほどなく足を踏みだすと、右だか左だか定かじゃないが、とにかく足を踏みだすと、踏みだした足の重みが実感され、それにより何かよく分からぬ危うさからは逃れ得たらしく、本源的にということではなかろうがとりあえず難は逃れたと言ってよく、そうして次の、前のとは反対の、前のが右なら左の、左なら右の、足を踏みだし、さらに次の足を踏みだしという具合に左右の足を順繰りに前へと送りだしながら送りだした足へ重心を移し、そうすると身体は元いた位置を離れて踏みだした足の分だけ前へと移動しているのだったが、それが何とも不思議で、いや不思議でも何でもなくただ歩いているだけなのだが、ただ歩いているというそのことが驚異というか不可解窮まる現象のように思われ、はじめて自転車に乗ったときのことはもう記憶の彼方に霞んでしまったがそれに近いような感覚か、あるいは綱渡りでもしているような感覚か、綱渡りの経験はないが、とにかく何かそうした微妙な均衡によって保たれている感じでどうかするとバランスを崩して倒れそうになり、倒れはしないのだが倒れそうな気がして仕方なく、そうしてずいぶんと覚束なげな足どりながら、それでも無事に自宅アパートへ帰り着くことは着くが、アパートの外階段を打ち拉がれて上りながら、まあいつだって打ち拉がれているようなものだが、すっかり鬱モードに落ち込んでいるということに改めて思い至り、佐脇としてそれは珍しいことだがアイスを食べる気も失せ、しばらく逡巡するもやはり今はほしくないと冷凍庫へ入れると無駄金だったかもとちょっと後悔し、いやいやあとで食うんだから必ず食うんだから食わずに捨てちゃうなんてことはないんだから無駄じゃなく、無駄じゃない無駄じゃないと低く呟きながら足どりは尚重く、一歩ごと床に沈み込んでゆくような感覚に浸され、しばらく座卓の周りを行きつ戻りつして床に散乱している衣服なり反古なりを蹴散らしながら幾度か淳子さんに呼び掛けてみるがやはり反応はなく、あまりしつこいのもよくないとそれきり呼び掛けることは控えて座卓について大人しくしているもののどうにも落ち着かなくて仕事も手につかず、まあ仕事が捗ったことなど一度もないが、いや一度くらいはあったかもしれないがそういうときにかぎってとんでもないヘマをやらかしたりするから意欲的に何かをしようとすることはなかば禁忌に等しく、とはいえ今のこの無気力感が常のそれとは異なる特殊的状況に置かれたための特殊的無気力感だということは瞭然で、さしあたってそれへの対症療法は寝ることくらいだと眠りに就いたのは三時四十分だが眠れずにまた起きだしたのも三時四十分で、その間にどれくらいの時間が経過したのかは定かじゃなく、それでもけっこうな時間を寝ていたかもしれず、寝ていないかもしれず、あるいは今尚眠りのなかかもしれないが、いやそれはないが、幻聴や幻覚に見舞われることはなく、というか今までそうしたものに見舞われたことなど一度だってなく、少なくとも佐脇はそう信じているらしいが実際のところ怪しいもので、あとになってすべてが幻だったとかいうことにならぬともかぎらないから予断は許せないわけで、ただ仮にそうなったとしても誰が困るわけでもなかろうが、そう、誰も困りはしないのだが、いやひとりくらいは困るヤツがいるんじゃないだろうか、もちろん佐脇を除いてのことだが、すべてが幻と化してしまうことに否を唱える者が、そうした物好きがひとりくらいはいるんじゃないだろうかと思わぬでもなく、といってひとりくらい困るヤツがいたとしてもこちらは全然困らないしたったひとりのために配慮する気もさらさらなく、ないのだが、何となくルール違反のような気はしていて、といって殊更ルールを守るつもりはなく、いや、だからってルールは破るためにあるとかオレがルールだとか何とかそういうことを言ってるわけじゃなくて、抑もルール自体よく分かっていないのだから守るも破るもないということで、だからとやかく言われる筋合いはないとそこまで傲慢じゃないつもりだが、こちらとして自然な進み行きで行き着いたところが、といってどこにも辿り着けずに捨て去られてしまうことも考えられるが運良くどこかへ辿り着いたとして、その辿り着いた先がどうにも納まりの悪いところだったとしても、とはいえそれは自分にとってということではなく自分以外の何者かにとってということだが、いやあるいは自分にとってもそうかもしれないが、何か具合の悪いことになったとしてもそれはそれで致し方なく、そう言うと、いやそう書くと、何もかもに諦念してしまったように見えるかもしれないが、いやひょっとすると何もかもに諦念してしまっているのかもしれないが、さしあたってどこかに漂着し得たそのことを寿(ことほ)ぐべきではなかろうか、なぜといってそれ自体がほとんど奇蹟と言っていいのだからとそう佐脇は思い、そうとすれば何もかもということはないにしてもある程度は諦念してしまっているのかもしれないとさらに思い、その途端どんよりと世界が濁ってしまったような、何か浄化し得ぬ濁りに覆い尽されてしまったようなそんな気がし、まあそんなのは錯覚にすぎないのだがそうした気分も強ち侮れないもので、もう何を見ても聴いても感じても考えてもそうした濁りのなかでしか見たり聴いたり感じたり考えたりできなくなってしまうのかもしれない、というかなってしまったのかもしれない。