友方=Hの垂れ流し ホーム

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ふとこんなことは書くべきではないといった考えが過ぎるが夜となく昼となくそうしたことに耽って飽きないふたりのことだし当のふたりのことを書く以上避けることは難しいといった事情もあれば、流れに任せて意識に浮かび上がる諸記憶諸観念は悉くこれを書きとめ書き記すというさしあたり自身に規定せしめた規定に従うよりほかなく、昼となく夜となくそうしたことに耽っているふたりのこともだから書くよりほかないが、夜となく昼となくといって四六時中ということではなく、ふたりの間合いや呼吸がピタリと合ったときにスイッチが入るということだしスイッチが入ったらそれが昼だろうと夜だろうと関係ないというわけで、それを獣じみているというならふたりは獣じみたセックスをしているということになるがふたりにとっては自然なことなのだから恥じ入ることもなく、というかそんなふうに佐脇が考えているだけで淳子さんがどう思っているかは定かじゃない。もちろん自身と同じ思いでいることを佐脇は願って已まないのだが。

ふたりのことを書く以上と今書いたが、いや、前の段落を終えたあと、次の段落、つまり「ふたりのことを書く以上」で始まるこの段落を書くまでの間には何某かの時間の経過があったのだが、そしてその時間の経過がこの段落に、プラスにかマイナスにかは知らないが、少なからず影響しているかもしれないのだが、ハッキリそうだと断言できるものではないのでそうした影響関係について云々することは差し控えるほかなく、とにかくふたりのことを書くということが佐脇に課せられた仕事なのだろうか、そうした契約だっただろうかと思い巡らしてみるが、書面によるやりとりではないために曖昧で、抑もそれが契約として成立しているかどうかさえ怪しいが、一般にこうしたものは口約束が多いと聞くしあとで催促されて知らぬでは通らないから何らか布石は投じておかねばならず、だからこうして書いているのだろうか、書きつづけねばならないのだろうか、それはそれで難儀なことだがそれよりほかにすることもできることもないとすればそうするよりほかなく、それに書いていれば憂鬱や退屈もいくらかは紛れるというもので、ただの退屈凌ぎに書いているわけではもちろんないが退屈を紛らわそうとペンを走らせている瞬間もなくはなく、いや大いにあって、趣味と実益とはよく言ったもので決して楽な作業ではないとはいえ、いやむしろ困苦すること頻りで胃痛さえ起こすが、佐脇にとっての数少ないそれは娯楽遊興と言ってよく、だからそれを奪われてしまったらその生活にも狂いが生じてしまうに違いないとそんなふうに認識しているが、そんなことはあり得ようはずもなく、なぜといってここには、いや、それは佐脇には分からないことにしておいたほうがいいだろう、そのうち書くべきときがきたら書くと今は言っておくが、いや書かないかもしれないが、というのも前以て何かを期待させるような口振りはアンフェアだと思うからだしそうした期待に応えようと義務感に浸されたりしてもそれはそれでやりにくいからで、だからむしろ何も期待してはいけないと言っておくが、というか明記しておくが、だからといってかかる期待には絶対に応えないというわけではなく、気が向けば何らか期待に応え得るものを提示できるかもしれず、できないかもしれず、いやそれ以前に書くことそれ自体に飽いてしまう可能性だってないとは言えず、そのときはご愁傷さまと言うよりほかないが変に期待せずにいてくれればこちらとしても気が楽だということで、それでも書くことに飽いてしまったらいったい何をすればいいのかといった問いが尚残り、いったい何をすればいいのかと考えてみるが、いや考えてみるまでもない、というのもそのときこそどこへか向かって歩きだせばいいのだからとそんなふうなことを熟々(つらつら)考えながらテレビの前の座卓の前に幾時間も坐り込んでいるのだったが、その結果ありもせぬものを見たり聴いたりするわけで、ただそうしたものも含めて佐脇というものを構成していると言っていいならそうした諸々を嫌忌することもないわけで、といってそうしたものを殊更選んでいるのではないし選ぶつもりもなく、ただ筆に任せて書きつづけているというにすぎないこれはまあ児戯に類することと言ってよく、そんなことを言ったら怒られるかもしれないがかかる児戯を喜ぶ向きもあるだろうと自身を納得させ、いや全然納得などしていないしむしろ納得していないからこそ今までつづけられたと言っていいが、とにかくそのようにして書くことで佐脇が佐脇として存在し得ているのだから不用意にやめるわけにはいかないしやめるつもりもなく、とはいえ本当にそれらはありもせぬものなのだろうかと思わないでもなく、なぜなら今まさに目の前にいるこの淳子さんが実体を持たぬ霞(かすみ)のようなものとはとても思えないし、訊いたら怒るに決まってるから訊かないが淳子さんだってそう言うはずで、だからありもせぬものを見たり聴いたりしているわけではなくて現にあるものを見たり聴いたりしているのに違いなく、そうであればこそ書く意味もあるというもので、いや、書くことに殊更意味を求めているつもりはなく、意味があろうと意味がなかろうとそんなことはどうでもよく、ただ書いているという事実があればそれでいいのだ。念のために言っておくと、いや書いておくと事実というのは書かれた事柄の事実ということではなく、これを書いているのが佐脇だという事実のことで、といって事柄の事実を否定するものではなく、まあ全部が全部本当だとは言い得ないかもしれないが全部が全部嘘っぱちだとも言い切れないわけで、というのも真偽のほどは佐脇にも定かじゃないからで、最終的な判断はだから佐脇が下すことはできないし下すつもりもなく、とにかく現時点で言えるのはこれを書いているのが佐脇だということだ。

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