それでも仄青く翻るに任せて揺れるに任せてしばらくは、というのはカーテンが、薄青いカーテンが仄青く、もちろん窓が開いているからで、ほんの数センチ程度にすぎないにせよそれで充分らしく、清新なものも劣悪なものもそのいずれにも属さないものも隔てなくそこから、渾然とひとつになってそこから、そうして一晩掛けてゆっくりと舞い落ちてくるのを見ることは叶わないが、もちろん一夜明けて堆積したものを見ることも叶わないのだが、たしかにそれは堆(うずたか)く降り積って足の踏み場もないと見え、それでも臆すことなく踏みしだいてゆくが、落ち葉か何かを踏みつけるような小気味よい音を響かせて、いやもちろんそれは落ち葉にほかならず、路面を埋め尽すほどにも降り積っているのを蹴散らしながら歩く姿を後ろから、海が近いからだろう、僅かに潮の香る川風が心地よく吹き抜けるなかこめかみの辺りから一筋ほつれているのを撫であげるしなやかな手つきとともに今も尚、あちらからこちらへこちらからあちらへゆるやかに流れてゆきながらそしてそれを眺めながら届きそうで届かないこの微妙な隔たりを埋めることはもう、いや埋められ踏み固められているからこそこうして立っていられるわけだし歩いてもゆけるわけで、二本の足で、二本しかない足で、もちろん飛んだり跳ねたりも自由自在だが、といって飛んだり跳ねたりはしないが、もう若くはないのだから、それでもどこか子供めく無邪気さがその不規則なステップの内に、右左右左右とくり出される凡そ軽快とは言えない落ち着いた足の運びに見え隠れするのを左右左右左と後ろから、そうして木洩れ日の下を、晴れていればだが、巡ってゆく道すがら零れ落ちていったいくつもの泡沫を、それが織り成す艶やかな波紋とともに、そのひとつひとつを拾いあげてゆくのはもう、そんなわけでまだ上昇しているのかそれとも下降に転じているのかを見極めようとそちらのほうへ、とはいえ停止しているようにしか見えないのだが、もちろんそれが停止していないことは、今も尚動きつづけていることは、巨大なエネルギーを放出しながら燃え尽きるまで動きつづけるだろうことは知っているが、誰もが知っているが、殊更関心を寄せる者はいないので、そうした無関心に倣ってかそれともそうした無関心に抗ってか見上げるが直視することはできず、というのは眩しすぎるので、端的に目をやられるのでそこへは留まらずに通りすぎ、通りすぎてもまた戻ってきて、戻ってきてもやはり通りすぎ、だから常に残像でしか捉えられないのだが、眼前を浮遊するピンぼけの像のように常に見損ねてしまうのだが、そうとすればそれをしも見たと言えるだろうか、言えないとしたら何を見ているのか、もちろん女をだが、蹴散らしながら踏み散らしながら練り歩くのを後ろから、傅くように寄り添うように後ろから、そっと抱き寄せて後ろから、そうして縦に小さく裂開しているその隙間から顔を覗かせているのをひとつずつ、上からあるいは下から順にゆっくりと、すると隠されていたものが露わになってこれまで見えなかったものが見えるように、といって何もかもが見えるわけではなく、まだまだ襞に覆われていてその全体を視野に納めることは、だから後ろから腕を廻して腰に、というか廻そうとして腕を伸ばしたのだが、いけません、と叱声が、いつにも増して弱々しく、この予想外の反応にかかる好機を逸して次はないと意気込むも今一歩踏み込むことが、その一瞬の隙を突いて逃れ去ってゆくのを、見る間に距離を離されてしまうのを、とはいえ尚追い縋ることは思いも及ばず、というのはそうした意気をさえ挫いてゆくらしくその背を空しく眺めやることしかできず、だんだんと遠離ってゆくその背は次第に暗く翳っていつか影となり、それが目の前を浮遊する影と重なりひとつになって、いや違う、新たにひとつ影が加わって視野の内を縦横無碍に、そこに焦点を合わせることはもう、諦めてひとり佇みながら、というのは辻に、進退窮まってひとり佇む姿を辻に見出しながら、さてどこへ向かったものか向かうべきなのか、考えるというより足に問うように項垂れて四方へ伸びる道を、どこへも辿り着かない道を、というかどこへも辿り着けない道を、いやそれはないが、でもあるかもしれず、まあここで腐っていてもはじまらないと一歩を踏みだし、そしたら次の一歩が自然に、さらに次なる一歩がくり出され、それに押されてさらにまた次の一歩が前へ、そうして歩きだしてしまえば惰性でしばらくは、少なくとも次の辻までは、とそう思ううちにも次の辻が現れて直進するか右へ折れるか左に曲がるかの選択を迫られ、折り返すという選択もなくはないが、いや大いにあり得る話だが端的にそれは撤退を意味するだろうし、今のところ撤退するつもりはないので、いつか撤退を余儀なくされるときが来るとしても今はまだ撤退するつもりはないので、さしあたりそれは除外して直進するか右に折れるか左へ曲がるかの三択に限定し、慌ただしく直進するか右へ曲がるか左に折れるかを選択して直進するか右に曲がるか左へ折れるかするが、すぐにまた次なる辻が、これもまた同様に三択に限定してそのうちのひとつを、ひとつだけを選択し、以下同様くり返してゆけばいつかきっと、二筋の川に挟まれた限られた領域の内なのだし、すでに幾度か訪れてもいるわけだし、何より足が憶えているだろうから下手に考えたりするのは却ってよくないと下手な考えは捨てて歩くことに専念し、二本の足で、二本しかない足で、そんなわけで昨日からずっと、いやもっと前からかもしれないが、辻から辻へ、時折過る黒い影の縦に細長いシルエットを尻目に辻から辻を、そうして少しずつ近づいてゆく、忍び寄ると言ってもいい、足音を忍ばせて寝息のするほうへ、微かに胸を上下させながら水分を多く含んだ空気を外へ、代わりに酸素を多く含んだ空気を内へ、果てしなくくり返されるその寝息のほうへポケットのなかで手を蠢かしながら、そうしていつでも取りだせるように好きなだけ抜き差しできるように、いくつもの襞を掻き分けてさらなる奥へ、いけません、と言うより早く懐に、だがそんなことできるのだろうか、眠っていても隙がなく一呼吸一呼吸に警戒の念が宿っているような、そんなふうではまったくないのに紙一重で交わしてしまう手練れを相手に小手先の術が通用するだろうか、四方を壁に囲まれた箱のなかで、残る二方は床と天井だが、ある意味閉ざされた領域の内で無防備に身を晒して尚安閑としていられる者にいったい何ができるというのか、それでも諦めず寝息のほうへ、芳しくも悩ましい寝息のほうへと向かってしまうのは誰の差し金か、とにかく一歩また一歩と近づいてゆくその一歩ごとに距離を縮めてゆき、だから着実に距離は縮まっているのだが、縮まっているはずなのだが、それなのに隔たりはまだこんなにも拡がっていてその間にはいくつもの辻が襞のように折り畳まれて連なっているらしく、行けども行けども尽きることはなく、いずれは尽きるかもしれないが今のところ尽きる様子はなく、だが膝がもう、そうして頽れるように倒れ込むと鬱血した血液が上のほうへ、その急激な逆流にのぼせたように意識は朦朧となり、そしてそんな意識が捉えるのは決まって息苦しく黴臭い温気(うんき)なのだが、と同時にそれを掻き乱すものが、掻き乱して息苦しさ黴臭さを払拭せしめる、せしめないまでも包み込んで中和させるものが、というのは風が、柔らかい風が、とはいえどこからそれは吹いてくるのか、前からか後ろからか右からか左からか、もちろんどこからでもそれは吹き寄せてくるしどこへでもそれは吹き抜けてゆくが、どこからそれが吹き寄せてこようとどこへそれが吹き抜けてゆこうと翻ることに変わりはなく、というのはカーテンが、薄青いカーテンが仄青く、いやカーテンだけではなく狭い箱も仄青く染められてこの身も仄青く染まってゆき、そうして何もかもが仄青く染まっても尚昏々と眠りつづけ、その寝息が、寝息だけが静かに響くのを聴きながら、いや違う、何かのモーターの音が包み込むように、寝息を掻き消すことはないにせよ箱の内に、だから寝息と何かのモーターの音とが混ざり合った響きとしてそれは届き、それを聴きながら仄青く、海原のように仄青く、仄青く照り輝いてひとつに、互いに見分けもつかないほどに。