友方=Hの垂れ流し ホーム

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滴るまで

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昨日からずっと、いやもっと前からかもしれないが、といってそんなに前ではないだろうが、というかもしかしたらほんのついさっきのことかもしれず、いやそれはないが、でもあるかもしれず、もちろんそれは誰の差し金でもないのだが、両の手をポケットに突っ込んで、右手は右のポケットに左手は左のポケットに深々と差し入れて、以前逆を試みたことがあったが、というのは右手を左のポケットに左手を右のポケットに、でもうまく行かなかったが、なぜうまく行かなかったかについての考察は今措くとして、というのは煩雑を避けるためにだが、とにかくそうして両手をポケットに納めていると落ち着くというか時間を忘れるというか、いや忘れないが無駄に過ぎてゆく時間というか何もしない時間というか、それはどこか贅沢な感じがして、無為に過ぎ去った時間は巻き戻せないわけだし、いや無為にせよ有為にせよそれは巻き戻し得ないわけで、だからその不可能性というか掛け替えのなさによって時間というものは、だからこれまでそうやってどれだけの時間を無駄に過ごしてきたのか、を考えるとそれが本当に無駄なのか無駄ではないのかは措くとして、というのは煩雑を避けるためにだが、その無駄を、というか時間を取り戻したくならないでもないが、といって取り戻せるとは思えないが、とにかく今はポケットのなかにある手を右手も左手もポケットのなかで蠢かしながら、何かを探し求めるように、探している何かがそこにあるとでもいうように、といって指先に触れるものと言えば糸屑とか埃の塊とかレシートとか何かそういったものでしかないのだが、それに何かを探し求めているわけでももちろんないのだが、とそう言いながら実は何かを探し求めているのかもしれないが、だから本当のところはどちらなのか分からないのだが、ぼんやりした意識の内で昨日からずっと、いやもっと前からかもしれないが、朝は雲間に隠れていた、というか隠れたり現れたりしていた、ある種の気紛れさを演出しているといった趣で、もちろん気紛れでも演出でもないのだが、それが昼すぎるころに本格的に姿を現し、その下で微睡(まどろ)んでいるうちに、建物や木立の影はどうやらここまでは届かないらしいので、つまり陽差しを遮るに足る高い建物や背の高い樹木がないということだし太陽のほうも真冬のように低い位置にないからで、だから日が出ているかぎりは、また雲に遮られないかぎりはそうしていられるだろう、というのは微睡んでいられるということだが、べつにそうしていたいと強く願っているわけではないが否応なしにそうさせてしまう何かが陽差しにはあるということなのだろう、その何かが何なのかはさしあたり措くとして、というのは煩雑を避けるためにだが、そうして微睡んでいるうちにけっこうな時間がすぎたらしく、腰掛けているベンチに接している尻や背中や腿の辺りが疼(うず)いてくるのを合図のようにして寄り掛かっていた背を起こすと、意識はまだ微睡みの内にあるということか、ポケットのなかで尚も手を蠢かしながら視線は定まらず、そうして定まらぬ視線に映しだされるものはこれといって特筆すべきものもない、地方都市のさして広くもない公園だが、公園といって子供らの遊べる遊具のひとつもないただの広場にすぎないから、ただ子供にとって広場はそれ自体がひとつの遊具と言えなくもなく、その意味で言えば少なくともひとつは遊具があるということになるが、それでも子供らの遊ぶ姿はついぞ見たことがなく、だからさして広くはないといってもある一定の広さを感じはしてせせこましい印象はなく、そこにある木製の、枠や土台は金属だろうが背凭れと腰掛けるところが木でできている、だから当たりが柔らかい、とはいえ雨風に晒されて木肌のざらついているのが触ると分かる、といって指に刺さったりするほどささくれてはいない、ふたつ横並びに設置されているものが幾組かあるベンチの一組の向かって右側のそれに腰掛けて、つまり腰掛けている今それは左側ということだが、そうして陽差しを受けながら、晴れていればの話だが、午後の仕事をさぼっていると、この上なく退屈なのにも拘らずなんとなく充実した気分になれ、そんなものはしかしすぐに泡と消える一過性のものにすぎず、ただそうと分かってはいてもそうすることを思い留まらせるだけの強固な意志を持ち合わせていないとすれば足は自ずとここへ向いてしまうほかないしそれはもう仕方のないことだとでもいうように、というかそれはもう仕方のないことなのだと諦念というのでもなくそうした思いに意識は領せられゆくだろう、というか現に領せられているわけなのだが、とにかくこうしてまたここへ来ているわけで、見るかぎりベンチはどれも空いていて、つまりベンチを占拠する者の存在はなく辺りに人影もなく、いや影ならいくらでもあるがそれが人の形をとることはなく、ちょっと休憩するには、いやちょっとどころかずっと居坐りつづけてもいいかもしれないとふと思ったりもするこの場所を見つけたのがいつだったかはもう忘れてしまったが、いや忘れもしないあれはそう、そう去年のいや一昨年の、あれいつだったか、やはり忘れてしまったらしい、とにかくつい長居してしまって休憩のつもりが休憩じゃなくなって今では専らさぼるのが目的になってしまっているが、どこか異界めく静けさに惹かれて午後の幾時間をこの場所で、同じベンチの同じ位置に腰掛けて、一度べつのベンチに腰を下ろしてみたことがあり、気分を変えようとでもしたのかただなんとなく足が向いたのかそれは忘れたが、とにかく坐ってみたのだが、そこは温かくもなく冷たくもなく、つまり尻からベンチへのあるいはベンチから尻への熱の移動がほとんどないということで、ということはいつも坐るベンチとも同じ感触同じ坐り心地ということにほかならず、そことこことに、いつも坐るベンチとたまたま腰掛けたべつのベンチとに、経年劣化の度合いに若干の差異はあるにせよ認識できるほどの差異ではないのだろう、違いはまるで感じられず、自身の感覚が余ほど鈍感でなければの話だが、そうとすればそこで、いつも坐るベンチとは違うべつのベンチで微睡んでもいいはずなのに、目に映るものもほとんど同じでその決定的な違いに愕然となるなどということはないのだから、それなのにどこかしっくりこなくて微睡むどころではなく、すぐにいつものベンチへ移動してしまい、以来坐る場所はここと決まってしまったのだが、最早自分の場所と言ってもいいその同じベンチの同じ位置に腰掛けてただ微睡みながら考えるともなく考えるのはいつも同じ事柄のようで、それもまたしかし微睡みのうちに消え果ててしまうのか、何について思いを巡らせていたのかはまるで思いだせないのだが、ただ何かを思い悩む夢とでも言えばいいのか、どうせ大したことではないのだろうが、それでも何かひとつのことについて思考しているということは間違いなく、確信はないがおそらくそうだろう、そうして何かひとつのことについて思考しつづけるということはたとえそれがどんな事柄を巡ってであれなかなかできることではなく、つまりそれなりに努力が必要だということで、どんな努力かは知らないが、とにかくそのせいで何か重要な事柄について考えてでもいるかのような感覚に陥ってしまうのでもあろうか、とそんなふうに考え、何を考えていたかなどということを考えるのはだからもう止めにして、どうせ思いだすことなどできはしないのだから、ポケットのなかで手を蠢かすことはしかし尚もつづけながら、というのもさらさらした化繊の肌触りに少しく魅了されていたからで、いや魅了されているというより指先に何かが触れていることで気持ちが安らぐということなのかもしれず、実際意味のない思考を果てもなく巡らせるよりはそうした皮膚感覚に浸っているほうが余ほど健全ではないか、たゆたうような微睡みのなかで為される無為な行いとしても適っているのではないか、とそんなことを昨日からずっと、あるいはもっと前から考えているのかもしれない、違うかもしれないが。

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