いやそれほど迷っているわけではなくて、というのも所詮誘惑には勝てないと分かっているからで、つまりそれは時間の問題で、というのは振り返るのが、だから振り返ったのだが、というか振り返ろうとしたのだが、こちらが振り返る前に、いけません、と咎める声が、そんなもの知ったことかといつになく強硬になったのはやはり誘惑には抗えないからだろう、だから振り返ったのだが、というか振り返ろうとしたのだが、振り返るより先に再び、いけません、と響きは同じと聞こえたが威圧感が弥増さり、そんなこと知ったことではないとさらにも強硬な姿勢になるのはやはり誘惑には敵すべくもないからなのだが、だから振り返ったのだが、というか振り返ろうとしたのだが、振り返るより早くまたしても、いけません、とさらなる威圧感で、目に見えぬそれは障壁となってこちらの動きを封じに掛かるが、拒絶と見えて実は誘惑ということも、だが逆もまた然りで、実際のところそれが拒絶なのか誘惑なのか、字義通りに解すべきなのかそうではないのかコンスタティブかパフォーマティブか、を推し量ることは難しく、人の顔色を見ることには、この場合声色だが、そこに折り畳まれている感情の襞を押し広げてその奥深く潜む色を見分けることには、まあ人並みにはできるつもりだが、いやそれも怪しいが、というのは長年できると思っていたことがただの思い込みにすぎず、その実何もできてはいなかったということは誰しも経験することだろうからで、とにかくそうしたことには長けていないので、このとき振り返ったのか振り返らなかったのか、またさらにいくつもの辻を背後へと送りながら迷いに迷った挙げ句振り返ったのか振り返らなかったのか、そんなことは実はどうでもいいことだが、それなのにそんなどうでもいいことに拘泥してしまうのは誰の差し金か、いやむしろそれは逆で、拘泥するということはつまり看過できない事柄がそこに、そんなどうでもいいことの内に含まれているということにほかならず、というのはそれが本当にどうでもいいことならこれほどにも拘泥することはないだろうからで、だからそれはどうでもいいことではないのだ、違うかもしれないが、というのは看過できない事柄というものがいったいどういった性質の事柄なのかまるで考えも及ばないからで、ということはやはり看過できない事柄などではまったくないのかもしれず、そんなわけで何ら確実さを備えた見解に達することはなく、つまりあらゆる未来が不確定ということにそれはほかならないが、あるいはこちらのスペックの問題か、誇れるほど高スペックではないことはたしかだし、それでも低スペックは低スペックなりに考えてはいるわけで、それをしも考えていると言ってよければだが、というか未来が不確定だとするなら過去にしても同様に不確定ではないか、さらにはその間に挟まれた現在も、ボーアがそう言ったかどうかは知らないが、とにかく何かを確定させるとか何かが確定するとかいうことはほとんど不可能に思え、では何が可能なのかと言えば、何が可能なのだろう、と首を傾げつつさらにいくつもの辻を、そうしていくつもの辻が背を、いずれにせよ足取りは重く、平坦な道ならそれほどでもないが上り下りと傾斜になると、それが大した傾斜ではなくても、恐らく一度とか二度とか三度とかその程度のものだろう、見た目にそれと分からないくらいだから、殊に下りは上りに較べて膝への負担も相当なもので、重い槌の打撃を受けているような、まあそれは言いすぎとしても着地の衝撃は歩みを遅らせるのに充分な破壊力で、あるいは休憩が足りなかったのか、もう少し休んでいれば跳ねるように、とは行かないまでも生気の感じられる、生者の歩みとでも言おうか、そうした足取りになっていただろうか、これではまるで死者の歩みではないか、死者の歩みがどんなものかは知らないが、ゾンビ映画なら観たことはあるがあれは死者の歩みを再現したものではないだろうし、重々しく苦しげに、といったようなことは想像されるにせよ、とにかくビデオのスロー再生にも似た鈍重な動きで、余ほど疲れているのに違いない、というのも社へ戻るところか仕事を終えて帰宅するところか、俄には思いだせないからで、それでも徐々には思いだしてくるはずだから気にせず先を急ぎ、いや急がないが、というか急げないが、そうして次々追い抜かれながらその後ろ姿を、背を眺め、いや眺めるというか引き込まれるというか、それぞれに何かを負っているだろう背という背が、自身のそれに較べて広かったり狭かったり厚かったり薄かったり伸びていたり曲がっていたり傾いでいたり汗ばんでいたり強張っていたり弛緩していたりとそれこそそれぞれだが、それら背という背が何かを、一様に何ごとかを、訊いてもいないのに、それがしかし気になるらしく、もっとよく見定めようとしてか前へ前へと身を乗りだすが足は遅れがちになってそれでなぜ転ばないのか不思議だが、一旦獲得した歩行技術はそう易々と失われることがないのだろう、体型の変化筋肉の増減等々にも惑わされることなく機能しつづけ、歩行それ自体に不安を懐くことはだからなく、それでもどこか浮き足立っているような妙なぎこちなさを意識せずにいられないのは他に要因があるからで、というのは女だが、どこへ行ったのか、もう気配もなく、残り香のような微かな残滓は気のせいか、執念く纏わりつかれても剣呑だが不在となるとそれはそれで気に掛かるもので、探すつもりはないながら視線は泳いで定まらず、似たような姿を目にすると、背格好なりシルエットなり挙措なり雰囲気なり少しでも共通項を見出すと無意識に追ってしまうらしく、本来取るべきルートを外れて迂回に迂回を重ね、無駄に時間を浪費し、そうしてひとり帰宅したあとも何かが引っ掛かっているような、というか余計なものまで背負い込んでしまったような、軽い気鬱に浸されて、もちろん相応の疲れもあるが、シャワーで洗い流せるほどそれは柔なものではないらしく、寝れば忘れるといった体のものでもないらしく、翌日まで持ち越して、あるいは翌々日までも、そんなわけで今も尚、以前に較べたらそれでもずいぶん軽微になってはいるがどこか病のようでもあり、もちろん病ではないのだが、そう断言はできないにせよ、というのは医師ではないのだから、それでもどこか病んでいる日々に蝕まれている、とそう思い做され、こうして陽差しの下にいても、というのはベンチにだが、そこに腰掛けて微睡んでいても、実際微睡みの内にあるのか微睡みの外にいるのかは措くとして、というのは煩雑を避けるためにだが、固いというか険しいというか、休んでいるつもりでもだからまったく休めていないということも、そしてそうした固さや険しさがいつまでも、もう若くはないのだ、といって若さを実感したことなどないのだが、過ぎたあとになってそれもかなりあとになってからたしかにそれはあったと思うだけなのだが、つまりは事後的に見出されたものにしかすぎないわけで本当にあったのか否かはついに判然とせず、というのは若さがだが、でもきっとあったのだろう少なくともあったと思うかぎりに於いては、とそう思うことでやり過ごし、尻が悲鳴を上げる前にとそこを離れると最寄りの駅へ足早に、でもないが引きずるほど疲弊してもいない、つまり相応の疲れは露わながら気が急いている、そうした足取りで、ホームへの階段もさほど苦もなく、それでも息は切れてしまうが、気息を整えつつホームの中ほどにある売店のさらに向こうまでゆっくりと、アナウンスにも耳を傾けながら掲示板にも視線を注ぎながら、ほどなく入ってきた車輌に乗り込み、走行し停車し吐きだし呑み込み発車し走行し停車し吐きだし発車し走行し停車し吐きだし発車し走行し停車し呑み込み発車し走行し停車しやり過ごし発車し走行し停車し吐きだし呑み込み発車し、を何度かくり返して目的の駅で下車すると通い馴れた道筋を十分から十五分、殊によると二十分、平均して十三、四分くらいか、目指す建物へ向かいながら何を思うのか、もちろん女のことだが、その姿を脳裡に描きながらいくつもの辻を背後へ送り、そしてその分だけ濃密になってゆくのだが、目指す建物が近づきつつあるという認識とともにより一層濃密に、その物腰からその息遣いから手に取るようにくっきりと、視界を遮って已まない影よりも尚くっきりと、まあそれは言いすぎだとしてもいずれひとつに重なり合うその前に、隙間もなくぴったりと合わさって区別もつかなくなるその前に、まだまだ区別がつく今のうちに、そうしなければならない理由はないが、何ひとつ見出せないが、いや丹念に探せばひとつくらい見つかるかもしれないが、そこまでする理由はないし、それでもそうしなければならない気がして、だからそうするのだが、敢えてそうするのだが、といってほんの座興にすぎないのだが、とにかくひとつに重なり合うその前に、いけません、と一声に、というのは脳裡でだが、何度も耳にしたその口振りで、いくらか妖艶さを加味した挙措とともに、こちらの行動を促す何かの合図でもあるかのように、そうしてそれを響かせながらさらにいくつもの辻を背後へ、もうそれは目の前だがまだいくつかの辻が、そのいくつかも背後へ送りやるといよいよ視野の内だが、見上げるこちらの視線をそれは軽く弾き返し、というかそんな気がしただけだが、臆したように俯き歩いてゆっくりと足早に、膝がもう、いやまだ大丈夫か、無理に力を入れずに倒れ込むエネルギーを利用して前へ前へ。