友方=Hの垂れ流し ホーム

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そんなわけで薄青いカーテンが翻ると風が吹いて、というか風が入ってきたから翻るわけだが、それがなかの空気を少しく掻き廻し、掻き廻された空気は外へ、少しずつ外へ掃きだされ、そうして絶えず入れ替わっているわけだから箱のなかの空気は常に同じではないのだが、それにも拘らず黴臭さは一向に消えることがなく、たとえそれがほんの僅かな時間にもせよ衣服や身体に染みついてしまわないかと危惧されもして、肩口から袖、胸から腰、と埃でも払うように叩(はた)きながら狭い通路をコの字に、髪を梳くように掻きあげながらコの字に、そうして曲がった先にそれはあるのだが、というのは扉だが、目当ての扉だが、それはどれも同じ扉なのにどれも違う扉でもあり、脇のほうへ視線を流すとそこに刻されているのが果して女のものか否か、もちろん女のものに違いないが、あまり見つめすぎても意味が零れ落ちてしまうのですぐ逸らし、それでもその一瞬の眺めやりだけで脳裡には像が、朧げな残像ながら壁の色よりほんの少し明るく浮き上がっている四角い枠組みといくつもの矩形の組み合わされたなかに黒々した線が縦横斜めと複雑に絡み合い一塊になって或る意味を、とはいえそれで充分で記憶との照合に何ら問題はなく、それがそれであることを、今捉えたばかりの朧げな黒い残像と記憶のうちにあるいくつもの像とそれらに付帯するさらにいくつもの記憶とそしてそれらが意味するところのものと、そうしたあれやこれやが悉く符合することを瞬時にして、そうしてボタンのほうへ手を、今一度掻き合わせて閉じようと右と左から手を、でもうまく行かず、諦めてボタンのほうへ、壁に埋め込まれたボタンのほうへ、つまり扉の前に立ってそれが開かれるのを、右足から左足へ左足から右足へまた右足から左足へさらに左足から右足へ重心を移動させながら、何かのモーターの音が低く唸っているのを訝りながら、静けさの一層際立つなか薄青いカーテンが翻り、それによって空気の流れをいくらでも、いやいくらでもというのは言いすぎか、というのは痕跡がだが、じっくり眺めてみても痕跡らしい痕跡は見出せないのだから、巧みに消し去られていて容易には、だからそれ以上の詮索は諦めて翻るカーテンを、というか元より詮索するつもりはなく、詮索するつもりのないことを示す意味でも翻るカーテンへ視線を、時折大きく捲(まく)れあがって白いレース地が覗く薄青いカーテンを、とはいえそれは風もないのに翻り、いや風は起きているのだが自然の風ではなく、つまり換気扇が廻っているらしく、いや換気扇が廻っているのではなく換気扇を廻しているのだが、いや換気扇を廻しているわけではなく換気扇を動かしているのだが、いや換気扇を動かしているのではなく換気扇を作動させているのだが、というのは電気でだが、要するになかの空気を無理やり外へ吐きだす代わりに外の空気が必然なかへ、なるほどそれでカーテンがと腑に落ち、そんなわけで不規則なリズムで一定しない間隔で膨らんだり凹んだりしているそのどこか生き物めく動きに魅せられて、というか動くものを目は追ってしまうらしく、視線を送った先にそれが、カーテンが、翻るカーテンが、薄青いカーテンが、時折白いレース地も、ところがいつか風は止み、カーテンも死んだように動かなくなってまた微睡みのほうへ、いつまでも鳴り止まぬモーターの響きを聴きながら、いや聴くというか勝手に流れ込んでくるというか、といってそれは換気扇ではなくべつの、どこかべつのところから、それを特定することはできないし特定しようとも思わないが何となく気には掛けながらそのうち死んだように動かなくなって、つまり停止して、ということは扉が、ついに扉が二重になった扉がプログラム通りに扉が、再び閉じられる前にそこから通路へ、長く延びる通路へ一歩二歩三歩と繰りだして、というのは足を、扉が閉まるのを背で受けながら四歩五歩六歩とさらに繰りだして、もちろん足を、そんなわけで狭苦しさからの息苦しさからの黴臭さからの解放そしてそれが齎す一種清々しいほどの昂揚感に気も逸り、まあそれは言いすぎとしてもいくらか前のめりになって、というのは膝がもう、それでも七歩八歩九歩と繰りだしながらコの字に、十歩十一歩十二歩とコの字に、いくつか扉をやり過ごしてその扉へ、ひとつ手前でもなくひとつ奥でもないその扉へ十三歩十四歩十五歩と、いや数えてはいないが、何歩で到達するのかは、日によって異なるのか判で押したように同じなのかはだから分からないが、十六歩十七歩十八歩と着実に、水捌けのためだろう片側に傾斜している通路を十九歩二十歩二十一歩と、尤も傾斜していることにはほとんど気づきもしないのだが、それとも数えているのだろうか、というのは歩数をだが、辻から辻へ、ひとつの辻からべつの辻へと至るその間に費やした足の運びを二十二歩二十三歩二十四歩と数えあげているのだろうか、もちろん声に出して唱えてはいないが二十五歩二十六歩二十七歩と無意識に、数えるつもりはまったくないのに二十八歩二十九歩三十歩と胸の内で、そうして縦長の長方形の前に、優に二メートルはあるだろう巨躯の前に、もうその距離は一メートルとなく、つまりそれは眼前に開(はだか)っているわけで、それに較べて矮小なことを悔やんでも詮ないが、それに相対してそれを見るというかそれに見られるというか、いやそれは見ないだろうがそれの向こうからそれに穿(うが)たれた小さな穴の向こう側からすべてを屈曲させながら検分されているとそう思い做され、だから身仕舞いを整えるように掻き合わせてボタンを、すべては見透かされているこちらの意図も企みもすべて、それを覆い隠すように両側から掻き合わせてボタンを、いや覆い隠すも何も見られて困るような意図も企みもありはしないのだが、無垢な天使の佇まいとは言えないにせよ底意も何もないのだから、それなのに怯んだように後退り、というか怯んだのだが、その重厚な威圧感に怯んだのだが、というか二メートルもの巨躯を前にして怯まない者などいるだろうか、そんなわけで少しく距離を置けば大丈夫だろうと一方の足を、右だか左だかどちらかの足を半歩後ろへ、紙一重で撃剣を交わす達人のように、秋山小兵衛とかなんとかたしかそんなふうな、それはともかくそのまま重心を右から左へあるいは左から右へ移しつつ脇のボタンへ手を伸べて押すと押されたボタンはめり込んで、もちろん指を離せば元に戻るが、そして押したらすぐに離すが、というのは押したらすぐに離すのが定石だからだし誰に教えられたわけでもないが誰もがそうしているので押したらすぐに離すのだが、そうすることで合図が響き、それに対して反応が返ってきたり返ってこなかったりするわけだが、要するに何某かの時間差ののちに何某かの応答があり、何某かの時間差ののちに扉が開きそして扉が閉まる、とまあそんなふうにして事は進むのだが、いつだって似たり寄ったりだが、誰もがそうしているというのは本当だろうか、ごく限られた事例にしか接していないのに誰もがそうしていると見做すその根拠はいったいどこに、と湧きあがる疑念を抑えつつ押したらすぐに離し、そしたらすぐに応答があり、金属と金属が擦れ合う音が巨躯の向こうで、次いでゆっくりと廻転し、というのは蝶番を軸にして、重厚なそれは軽々とこちらのほうへ、重厚なのに軽々とこちらのほうへ、だから今一度掻き合わせようとボタンへ手を、でも間に合わず軽く撫で下ろしただけで、つまりその辺りで布地が擦れて波打ったわけだが、というのは風が吹いたからで、布地を波打たせる風が窓から、換気のために開けた僅かな隙間から、そうしてあちらからこちらへこちらからあちらへと絶えず移動し絶えず入れ替わる空気を直接見ることは叶わないが、波打つことで翻ることで絶えず移動し絶えず入れ替わっていることが分かるし分かりたいし、いや分かりたいというか気になるというか、簡素なだけに変化に乏しく、そのためそうした僅かな変化に自ずと反応してしまうのでもあろう、箱の隅のほうで波打つそれに絶えず気は殺がれ、それしか記憶に残らない、もちろん他にも記憶しているがその頻度に於いてその濃密さに於いて比較にならず、他の記憶が薄れゆくなかそれだけが密度を増してゆくことになり、あらゆるものが仄青く染まってどこもかしこも仄青く光っている、とそんなふうに思い做されてしまうのもだから無理はない。

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