とにかくいくらか長めに吸い込んだ息を少しく肺に留めてから一気に吐きだす勢いで、といって叫ぶでもなく喘ぐでもなく、怒気を含んでいるというよりは困惑の体で、いけません、とそう言ったのかどうか、もちろん言ったに違いないが、すでに跡形もなく消え果ててしまったそのあとで、絶対的な不在の確定されたそのあとになって当の言葉を探したところで耳にはもう、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いての彼方に霞んでしまって、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてに覆い尽されてもう、それでも一瞬の空白とそれにつづく空気の震えを耳は、一瞬の間隙とそれにつづく空気の揺らぎは耳を、一瞬の静止とそれにつづく空気の振動に耳は、一瞬の停滞とそれにつづく空気の波立ちで耳が、だから疑う余地はなく、というか端から疑ってはいないが、出端を挫かれたような、すべてに於いて主導権を握られてしまったような、いやそれはないが、でもあるかもしれず、とにかく動きを征す先手を打たれて当の動きは征せられ、少なくともいくらかは制限されて、さて次の一手をどう打つか、いや打つべき手など何もなく、ただ耳に届く音を幽(かそけ)き空気の揺らぎを篩い分けてゆくだけのことで、届けばの話だが、そうして何か夾雑的な不協和的な連続するものが背後であるいは手前でそれとも中間で、もしくはそのすべてに於いて、つまり箱のなかをそれは飛び交い行き交って、それなのに篩からはよく零れ落ち、それでも時折不意に顔を覗かせたりもして、こちらのどんな企みも見通しているとでもいうように、もちろんどんな企みも懐いてはいないのだが、ひやりとして息を潜めてしまい、そうすると箱が一廻りも二廻りも拡がるような気がして、というか一廻りも二廻りも拡がって、ついには世界の全体と等しいほどにも、さらにはそれを超え出てゆくほどにも、いやそれはないが、でもあるかもしれず、手を伸ばしてもその手が何かに触れるということは最早ないし何もかもが遠退き遠離る気配に非常な孤絶感を、いや吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてが辛うじて、だから吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてに縋りつき、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてを手繰り寄せ、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてが慰安を、まあ慰安といってもささやかなものでせいぜい一日の凝りを解(ほぐ)す程度のものにしかすぎないだろうが、とはいえそれで充分でそれ以外の何が必要だというのだろう、求めすぎることも獲得しすぎることも得てして喪失と裏腹なのだし、だから今はただこの吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてに身を委ねてそれが齎すところの慰安に、ささやかな慰安に浸ってまた微睡みのほうへ、それともベンチのほうへ、いやそれはないが、でもあるかもしれず、そんなわけで建造物やら樹木やら何かそうした類いの聳え立つものの影はここまでは届かないので、というのはそれだけの空間が拡がっているからで、いや違う、届く範囲にそれは、手を伸ばせば届く距離にそれが、集中することでさらに間近に感じられるだろうし重なり合ってひとつにさえなれるだろう、まあそれは言いすぎとしてもこれ以上ないほどの密着感を、体温を鼓動を感じ取れるほどの密着感を、もちろん布地に隔てられてはいない素肌と素肌とが直接触れ合う、襞を掻き分けて擦れ合うそれは密着感で、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてなどには比ぶべくもなく、といって吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてには吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いての、つまり吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてにしかない心地よさがあるもので、それはそれで格別なものだしそれを貶(おとし)めるつもりもないが、なぜといって今まさにその吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてを、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてに慰安を、そのリズムの心地よさを、重なりそうで重ならないその危うい均衡を、包み込み包み込まれる襞の温もりを、ゆっくりと湾曲してゆく時間とともに仄青く、そうしてまた微睡みのほうへ、そのうち目覚ましが鳴るだろう、鳴らないかもしれないが、いずれにせよ波打ち翻る様子に目を奪われ、というのは布地が、柔らかい布地が仄青く、いくつもの襞に覆われて仄青く、といったイメージが鮮明に、目をあければそれと寸分違(たが)わぬ光景が展開されていることは確実で、だから目をあけるまでもないのだが、それにも拘らず目をあけたくなってしまうのは誰の差し金か、というか見るという機能を失っていない以上、年々衰えているにせよまだまだ機能を果していて目をあければ見える状態にある以上、闇でなければだが、聴覚よりも視覚が優先されてしまうのは仕方のないことで、でもしばらくは、目覚ましが鳴るまでは耳を前面に押し立てて音の世界をたゆたっていたい、とそう思ううちにも目覚ましが、ハッとして伸ばした腕の先にあるのはしかし目覚ましではないらしく、もっと丸みを帯びた角張ったところの少しもない柔らかいものが掌を押し返してきて、その弾力に否応なしに引き込まれてゆきながらも抗うように閉じられたままで、というのは瞼がだが、さして広くもない箱の内でその感触が,それだけが際立ってそれ以外のものが霞んでしまうのは必然なのかそれとも、仄青く染まってゆく時間とともに揺れているだろう柔らかな襞を掻き分けたその奥へさらにその奥へと沈み込んでゆきながら何を聞いているのか何が聞こえるのか、もちろん何かのモーターの音にほかならないが、その何かが何なのか改めて考えてみてもおおよその見当はつくものの、というのはおおよその方向とおおよその距離と、それでもたしかなことは何ひとつ、鍛えられていない耳では精度が低すぎて核心にまでは至れないらしく、だから適当なところで胡麻化して濁すほかないがたしかなことは何ひとつ、いやひとつだけたしかなことが、襞の温もりにそれはほかならず、そこにこそ他なるもののたしかな存在を、というのは女だが、感知せずにはいられないし、迸る熱情の奔流に流され飲み込まれて息も継げず、というようなことはないにせよ熱情の渦を越えて漂い流れてゆくイメージが、波間に浮かぶ流木か何かのように漂い流れてゆくイメージが、といってそれ程硬くはないが、もう若くはないのだ、とにかくさして広くもない、というかむしろ狭いと言っていい箱が海原と化してゆくようなそんなイメージが、狭いのに果てしない有限なのに無限という相反するものを含意するイメージが、それをしも虚妄と言うならしかし何を以て認識の拠り所とすればいいのか、というか目を閉じているからありもしないイメージが次々と湧きだしてくるのではないか、外からの情報が遮断されているためにそれを補填するようにして内からの奔流が抑えようもなく沸き返り噴きあがるのではないか、どうもそうらしい、違うかもしれないが、まあ違うにせよ違わないにせよそうしたものに翻弄されることは、憂鬱な毎日を嘆き暮らすことに倦み疲れている身にしてみたら、といって殊更憂鬱な毎日を嘆き暮らしているわけではなく、どちらかと言えばそちらに、憂鬱な毎日を嘆き暮らしているほうに属すだろうということで、だから倦み疲れているといっても多分に他の要素も含まれているわけだが、他の要素については今措くとして、というのは煩雑を避けるためにだが、とにかくたまにはそうしたものに浸りきってみるのも一興かもしれないが、さしあたり今そんな気分ではないのでそれは本意ではなく、尤も何が本意で何が本意でないのかなどということは容易に弁別できようはずもないが、それでも本意ではないのだから本意ではないわけで、とくり返したところで詮ないが、それでもくり返さないわけには行かないのでくり返すほかないがそれは本意、ではないのだ、と溢れだす奔流に抗いながら狭い箱が簡素な箱が海原と化してゆくのを回避しようとし、回避し得るとしてだが、それにはやはり閉じているのを再び、ぴったりと合わさっているのを今一度、そうして神経を賦活せしめる光を再び、その膨大な情報が一挙に流れ込めばありもしないイメージは悉く、意識の奥底へ無意識の闇のほうへ悉く、とそう目論んではいるものの閉じた瞼を再び開くということが、たったそれだけのことが、ほんのついさっきまで意のままだったのが強張り引き攣って術後のリハビリでもあるかのように思うに任せず、というのは筋肉が、瞼を開け閉めする筋肉が、それともその司令塔たる中枢のほうに何か支障が、あるいは中枢と末梢とを繋いでいる経路のどこかに問題が発生したということも、いずれにせよ無理に従わせることもないのでしばらくは、これ以上海原化しないことを願いつつしばらくは、といってそれを押し留めることは困難なのだが、押し寄せる波は着実にこちらのほうへ迫り来るのだが。