友方=Hの垂れ流し ホーム

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静寂に包まれた箱の内には音もなく、それこそ越していったあとのような静けさで、ほんの僅かな衣擦れも大音声で響き渡るから身動ぎも儘ならないが、それだけに微かな音も漏らすことなく耳に届いて、というのは何かのモーターの音が、というか高速で回転するファンの空気を切り裂く音が、次第にそれはこちらのほうへ、といって回転するファンがではなく切り刻まれた空気の断末魔の叫びがゆっくりと、いや音速の速さでゆっくりとこちらのほうへ、近づくにつれて徐々にそれは明瞭に、切れ切れの音節がひとつに繋がって意味を成す語として、さらに語と語がひと続きに連なって文として、それでも何を言っているのか言わんとしているのか分かるような分からないような、高速で回転するファンの空気を切り裂く音は所詮高速で回転するファンの空気を切り裂く音でしかなく、つまり何ら意味を成すものではなく、たったひとつの語も、たったひとつの文も、それは形成することができないのだ、とそうした認識が、それでも現に語として文として届いてしまった以上それは語であり文であり、そこには意味が、そしてたしかにそれを聞き届けもしたのだが、聞き届けたはずの意味はどこへ、手にしているはずなのに手にはなく、微かに痕跡だけが残響しているがそれはもう高速で回転するファンの空気を切り裂く音でしかなく、それはもう語でもなく文でもなく、だからそこには意味が、本当にどこで零れ落ちてしまったのか、まだどこかその辺に落ちていて喘ぎ喘ぎ意味を紡いでいるということはないか、探せば見つかるのではないか、と四囲に視線を巡らせて息を潜めるがそれはもう、何かのモーターの音が遠くから聞こえてくるだけでそれよりほかにはもう、本当にそれはどこで零れ落ちてしまったのか、どこか狭い隙間に入り込んで息も絶え絶えに苦しみ藻掻いているということはないか、だから隙間という隙間を襞という襞を残らず押し開き押し拡げるが静寂に包まれた箱の内に音はもう、まったくの無音ではないにせよそこかしこで密めき蠢いてはいるにせよ音らしい音はもう、それこそ越していったあとのような静けさでもう、いずれにせよ静寂に包まれたこの簡素な箱の内で何が見えるのか何を見ているのか、もちろん女をだが、というか日々を暮らしたその痕跡を、濃密であれ稀薄であれそこから立ちのぼる匂いを息づかいを、というかそれらを通してやはり女を、その艶(なまめ)く姿態を、つまり目の前に開っているのを、開って何か口にしているのを、というか口にしようとしているのを、あらゆる形に拡がったり窄まったりする艶めいたひとつの亀裂から歯列の仄白さとともに声が、たったひとつの声が、いやいくつもの声がそこから、とはいえ外気に触れた途端それは外気に溶け込み外気に染まって見分けもつかなくなり、それを掻き寄せ掻き集めて聞き取ろうとしても声はもう、だから目の前に開っているのを、開って何か口にするのを、今にもそれが降り注がれるのを慈雨のように待ち望んでいるのだが、待ちくたびれて眠ってしまうことも、いやそれはないが、でもあるかもしれず、だから一瞬たりとも油断はできないと一瞬たりとも油断せず、ほんの僅かな揺らぎも見逃すわけには行かないと神経を研ぎ澄ませるが、僅かな揺らぎも今はもう、それでも目の前に開っているのを、開って降り注いでくれるのを、熱く迸るその迸りを零すまいと待ち構えているところへ勢いよく、つまりそうした夜をいくつもの夜を、いや夜にかぎったことではなく、なぜといってそのいくらかは朝だしそのいくらかは昼でもあって、一概に一括りにしてしまうことはそうしたいくつかの事例を排除することにしかならないし、そうすることでそれらが最初からなかったことになってしまうとすればその欠落は埋めることができないだろう、一概に一括りにしてしまうことにだから懸念がないでもないが、それでも夜のほうが相応しかろうしやはり大概は夜だろうから、何もかもが仄青く染められるそうした夜を、いくつもの夜を、ほんの僅かな揺らぎの内に、そうしてここに、ずっとここに、傍に控えてすべてを見ているのに違いなく、いや見ているのはむしろこちらのほうか、どちらがどちらを見ているのかどちらがどちらに見られているのか、いずれにせよこの狭い箱の内で事態は、というかこの狭い箱の内でしか事態は、それがすべてではないにせよ、見ているのであれ見られているのであれ事態を、というのはどこからか声が、ひそひそと囁く声が聞こえてくるのはなぜかと眉を顰(ひそ)めてそれとなく視線を走らせてみても声を発するものの姿はなく、それなのに声が、いけません、と咎める声が艶のある声が静かに一室に谺してあちらからこちらへこちらからあちらへ、というようなことを、つまり期待通りの声が期待通りの響きで期待通りの音節を、図らずもそうしたものを渇望していることを、いずれにせよ聞こえているかぎり畏まって聞くほかなく、いつまでも耳に残るその響きを、耳に残って惑わすその響きを、惑わして狂わせるその響きを、狂わせて舞わせるその響きを、いや舞いはしないが、それでも舞っている心地にはなって、夢見心地とまでは言わないが跳ねるような弾けるような脈動を、澱んでいた空気も一気に沸き返るようで、いやそれはないが、でもあるかもしれず、とにかくリズミカルに脈打つ拍動に耳を傾けながら非常な渇きに喘ぎ、そうして渇きを癒してくれる声を艶のある声を、そんなわけで声が、まるでもう死んでいるみたいな言い草ね、という声が、たしかに耳許で、というか襖一枚隔てたような籠った響きで、声にならない声が匂やかに仄青く、というかもちろん死んでいるのだが、ずっと死んでいるのだがいくらかは生きてもいるのだろう、だからこうして足繁く通い詰めもしているわけで、いくつもの辻を越えてきたわけで、その数たるや数え切れないほどだが、というのは数えていないからだが、それとも数えているのだろうか、数えているにせよ数えていないにせよその都度見出されたものは堆く、背後に堆く積み重ねられてゆき、それらが腰を尻を膝を仄青く、匂やかに仄青く声にならない声が、それをしも声と言ってよければだが、この一室に瀰漫して、時間を掛けて少しずつ染み入り溶け込んで、それがまた少しずつ溶けだし染みだして、声となり匂いとなって一室を満たしてゆく、いやそれはないが、でもあるかもしれず、とにかく上から滴り落ちてくるのを下で受けとめて零れないように零さないように、一滴たりとも無駄にはできないと気負い込んで待ち構えるが膝に尻に腰に阻まれて思うようには、いずれにせよそうしたものが呼び水となっているのでもあろうか、潮の香りが、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてから潮の香りが、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてに潮の香りが、吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてが潮の香りを、とにかく潮の香りが拡がって、そうして海原と化してゆくイメージが、というかすでに海原と化していて、穏やかな波と爽やかな風が匂やかに仄青くどこまでも、そうして狭隘な箱が果てもない海原へと変じてしまったことについては今措くとして、というのは煩雑を避けるためにだが、その果てもない海原を縦に細長いいくつもの影があちらからこちらへこちらからあちらへ、それを掻き分けて奥まで、もちろん女のほうへ、襞の奥から立ち上る、襞の奥からしか立ち上らない微香に酔い痴れながらどこまでも、もちろん女のほうへ、六十一六十二六十三と過たず、もちろん女のほうへ、六十三六十四六十五と掻き分けながら、もちろん女のほうへ、六十六六十七六十八と二本の足で二本しかない足で、もちろん女のほうへ、六十九七十七十一と何かに急き立てられるように、もちろん女のほうへ、いや急き立てられるというか吸い寄せられるというか、七十二七十三七十四とたしかな求心力で、もちろん女のほうへ、七十五七十六七十七とひとつの中心へ向けて、七十八七十九八十と膝がもう、いやまだ大丈夫か、八十一八十二八十三とよろめきながら、もちろん女のほうへ、八十四八十五八十六とくり出して、二本の足を二本しかない足を、八十七八十八八十九と一歩ずつ、もちろん女のほうへ。

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