いずれにせよもう手の届かない机の右手というか背後というかに向かい合わせに背の高い、天井には届かないが見上げるほどの棚がふたつ据えられていて、いや違う右のつまり西側の壁を半分ほど塞ぐ形で一列に並んでいたのではなかったか、一方は淡い黄土色の、他方は褐色の、最初は黄土色だけで一定期間経過したのち褐色が追加されたのか、あるいはその逆か、少なくとも同時にではない、棚が埋め尽されるまでには数ヶ月あるいは数年を要するだろうから、いずれにせよ褐色のほうが黄土色より木目が際立ち、木目が際立っているほうが重々しい、そうしてそれぞれ前後にある板の奥のほうに大きいのが手前のほうに小さいのが隙間もなく詰め込まれているが詰め込みすぎると取りだせなくなるし無理に取りだそうとするとカバーや帯が損傷することにもなるので程々に、つまり上面手前の角、背の湾曲した部分に指を掛けると抵抗なく引きだせるくらい、あるいは隙間に指一本入るくらい、さらに上部の僅かな空間にも押し込まれているが縦には置けないので横に倒してやはり詰め込みすぎないように、横になった文字は読みづらいが読めないわけではない、さらに手前の隙間にも立て掛けているからその奥に並ぶ文字が隠れてしまうが已むを得ない、それを一センチにも満たない四つの金属製の突起で支えている、側面の板に穴があってそこに突起を差し込んであるが、穴はいくつもあるから突起をべつの穴に移せば棚の位置を変えられる、何度か位置を変えたことがあるのではなかったか、そのためにはそこに並ぶものを移動させねばならないがその煩わしい作業を行なったというのは本当だろうか、とはいえ金属が腐蝕して取り外せないため位置を変えることはできないもう、いずれにせよ板は撓って今にも崩れ落ちそうだし全体に前のほうに傾いているから危険極まりない、それでも全部は入り切らないから箱に入れて山積みになっているのではなかったか、床には薄灰色のいくらか青み掛かった毛足の短い敷きものが敷かれているが毛は押し潰されてぺしゃんこになっていて、それでも滑って転ぶことはないし足裏の衝撃を和らげてくれる、とにかくそこを埋め尽す勢いで増えつづけるそれらを再び手にすることはあるだろうか、つまりその感触を足裏に感じながら椅子に浅く腰掛けて背凭れをぎしぎし軋ませながら何を手にしているのか、机上を照らす白っぽい明かりの下でざらざらした紙が指の腹を滑る感触が心地良いのは確かだがそれが文字を追う視線の動きにも影響しているのかどうか、ゆっくりと纏わりつくように上から下へ右から左へ辿りながら焦点を合わせるのだが、時折列を離れるというか踏み外すというか、余白を滑り縁を伝って頁を押さえ拡げている筋張った、青白い、折れそうなくらいに細い手のほうへ、さらに袖口からシャツの皺を辿って机の縁に至り、丸みを帯びた角の部分、表面を覆うフィルムというかシートというかが削れて木肌が露わになっているそこに指を這わせ、縁ぎりぎりに置かれた緑の缶を取るというか摑むというか、口径が広いため抓むというかわけにはいかないから全部の指を使うのだが、持ち上げて手元に引き寄せると側面に太字で白く大文字のアルファベット三文字が記されていて、アルファベットの周囲だけ濃い緑色というか深い緑色でより白が際立ち、さらに金色で縁取りされていてよりいっそう際立ち、それでいて当の文字を読むことはなく、だからそれが何を意味しているのか何の略なのかも知らず、知ろうともせず、ただ視野のうちを白が掠めてゆくのを何となく留めているにすぎず、時折視界を外れることもあるが外れたことにも気づかずに波打ちながらつづいているそのすぐ脇を右足左足交互に前へ、頑なに前へ、路面の傾斜に抗うように右をそれから左を、葉叢が乾いた音を響かせているのは風が吹いているのだろう、それは時折強まったり弱まったりしながら陰影を生ぜしめ、それにより奥行きが拡がったり狭まったりするのだろう、それを聴くともなしに聴きながらいくらか前屈みになり、最初は鮮やかだったに違いない濁った黄色というかくすんだ黄色というか、上面に柔らかいプラスティックの蓋が塡めてあるのは湿気ないようにだが、毎日開けたり閉めたりしているのでゆるくなっているし縁の辺りに何ヶ所か罅が入っていてその僅かな隙間から空気が出たり入ったり、乾燥した空気が外へ湿った空気が中へ、だから効果のほどは分からない、それを外すと中には黒いというか、濃い茶色の粉が、砂糖や塩の粒子と同じくらいかそれより僅かに大きいくらいか、熱帯地域の原産になるそれは発酵させた果実の種子を焙煎したものだが、青山だか白山だか花山だかは高いので、といって標高ではない、もっと安価なものだが、それでも即席のものより値は張るだろう、それを匙で掬って濾紙に入れ、扇形の、拡げるとロート状になるそれを容器に乗せ、本体には水を入れ、1から4まで目盛りが振られている2の上部の湾曲しているその頂点辺りまで、スイッチを入れると水が温められ、というのは電気でだが、つまり本体下部から黒いコードが伸びているというかとぐろを巻いているというか、鎌首を擡げるようにコンセントへ首を突っ込んでいるが、それは遙か発電所まで繫がっていてそれもまた巨大な湯沸かし器なのだがそこから送られてくる、そうして温められた湯が細い管を通って上のほうへ、そこから滴り落ちながら濾紙を通って下にある容器に溜まるのだが、粉の成分が溶けだして濃い茶色になる、色だけではなく味や香りが溶けだすのだが、全部の湯が落ちるにはそれなりの時間を要し、その間手持ち無沙汰なのだろう、空中を彷徨うというか漂うというかしながら四角い枠の向こうへ、そこには道路を挟んで向かいの家の黒っぽい屋根が、その手前に屋根を分断するように電線が二本斜めに横切り、水平に近いがいくらか右下がりの、あるいは左上がりの緩やかな放物線を描いているが、右のそれと左のそれとを繋ぐというか分かつというか、白くて丸いヨーヨーみたいなものが宙に浮いている、誰かが放り投げたものが絡まりぶら下がっているのではない、仮に誰かが放り投げたものがぶら下がっているのだとしてもいつまでもぶら下がったままではないだろう、通りすがりの誰かが、近隣住民の誰かが連絡してすぐに撤去されるだろうから、すぐにではないとしてもいずれは撤去されるだろうから、とにかくそれは右からも左からも引っ張られているが力は均衡しているからいつまでもそこに留まっていて、右側より左側のほうがより白いというか黄色っぽい、なぜといってそちらから光が当たっているからだが、微かに震えているのは風が吹いているのかそれともまだ揺れているのか、いやもう揺れてはいないはず、揺れが収まると緊張がほぐれて強張っていた筋肉が弛緩し、脱力し、いくらか饒舌になって取り戻そうとするが巧く取り戻せたためしはなく、抑も何を取り戻せばいいのかが分からないからすぐに口を噤んでしまう、その沈黙が笑いを誘うらしいが長くはつづかず、すぐに収束する、いずれにせよ湯が全部落ちたら中身をカップに移し入れるのだが早まって湯が落ち切っていないことがある、何度も何度でも、だから必ず蓋を開けて確認する、次いで濾紙を捨てて容器を洗うのだがスポンジを持つ手が荒れるからゴム手袋が欠かせない、スポンジを持たないほうの手は荒れることがないから片方しか使用しない、破れたら捨てることになるのだが片方は未使用のままだから捨てるに捨てられず、捨てるタイミングを逸した片方だけのゴム手袋が大量に残ることに、いずれは捨てることになるだろうが今はまだ、そうして濡れた手を布で拭うと水気は悉く布のほうへ、それからカップを手に取るのだがそれを持ってどこへゆくのか、もちろん前へ、いつでも前へ、右足左足交互に、白く波打つ線の上というか下というか、微かに軋みを上げる面の上というか下というか、波打たないようにこぼさないように水平を保ちながら、とはいえ縁ぎりぎりまで注ぎ入れられた液面は縁を越えることもあり、そしたら側面を伝い流れて底面角に至り、そこで踏み留まることもあれば踏み留まらないこともあり、踏み留まることができなければ雫が滴り落ちて点々と床に跡がつき、それに気づかず乾いて何日も経ってしまうこともあるが気づけばすぐに拭きとって、そうしていくつもの段差というか障害というかを乗り越えて机に至ると端のほうにカップを置き、不用意にぶつけないくらいの遠さというか手を伸ばせば届くくらいの近さというか、次いで紙片を挟んであるところでひらくとそこからはじめるあるいは再開する、一行空いているところか一字下がっているところから、あるいはその少し手前から、一度通った道を何度も何度でも、通学というか通勤というか通院というか、よく知っている、それでいて見も知らぬ道を飽きもせず、飽きても尚右足左足交互に前へ、闇雲に前へ、落ち着きなく視線を彷徨わせながら、殊更そうする必要もないのに持ち直したり坐りのいい場所を探したりしながら。
それは右手のこともあれば左手のこともあって必ずしも決まっていないのだが、カップまでの距離が近いほうを使うことになる、とにかくカップを取って一口だけ口に含み、カップを元の場所に、正確に同じ位置ではないができるだけ近い位置に戻すとまだ温かいあるいはすっかり冷めてしまった口内の液体をゆっくりと飲み下しながら味というか香りというかが拡がるそれが合図なのか、再び文字の連なりへ戻ると踏み外した当の場所がどこなのかしばらく行きつ戻りつし、それを見つけるとまた上から下へ右から左へ辿ってゆくが、その動きに合わせてどこからか意味が溢れてくるのを、特定部位からか複数箇所からかその詳細は不明だが、ひとつまたひとつとそれは芋蔓式に現れて視界を覆い尽す勢いで、それでも全部は掬い切れないからほんの一部だけを手に取り眺め、それで分かったような気がするが今ひとつ手応えを摑めないまま紙が捲られるからどこまで行っても分かることはないだろう、複雑極まる網の目を網羅することなど不可能なのだから、それともいつか分かる日が来るのだろうか、縺れていた糸がほどけて全部が見通せるそんな日が、とはいえそれに触れることはできない、もう二度と、いや一度も触れたことはないのではないか、つまり本当の意味で触れることはできないのではないか、いずれにせよ掌というか指の腹というか、見えない穴から吹きだすのか滲み出るのか、汗でふやけるのを嫌って表面がビニールで被覆されていようといまいとその都度カバーを外してべつのカバーを、ずっと同じものを使い回しているから折り目のところがほつれて薄くなっていて、その都度新しいのに替えなければと思いながら忘れてしまう、それを掛けていて、頁にも極力触れないようにしているが、それでも黒ずんでしまうのはなぜなのか、擦っても落ちない黒ずみは見窄らしく、その薄汚い色が少しずつ拡がってゆくのは見るに忍びないが捨てるに捨てられず、結果いくつもの箱に占拠されて狭くなるばかりだがそれでも手元に残しておくのは再び手にすることがあるかもしれないからか、とにかくそれは掌に収まるほどの大きさで、文字もずっと小さく見えづらいしなかなか焦点が合わないが、以前は合っていたが今はもう、二重三重に重なっているその連なりを辿ってゆくと道となる、どこへか至る、至るに違いないと前へ、辛うじて前へ、足を滑らせると甦る感触に今も尚刺戟されているのか、視野のうちに現れるそれらを搔き分けながら進んでゆくが黒々とした路面にそれは染みのように拡がってゆき、そこを踏んだら死ぬとか地獄に堕ちるとかいうのではないが、回避する策を講じる暇もなく足元に迫るそれは波を打つように一挙に押し寄せると全部を飲み込んでしまう勢いで行く手を阻み、そうなると次の一歩が踏みだせない、もちろんそんなことはないがいくらか逡巡することにはなり、たとえその場をやり過ごせたとしてもその一瞬のためらいが奥のほうで燻りつづけていてあるとき不意に溢れだすのではないか、収納するものと収納されるものとの容量が圧倒的に食い違っていることは確かでどうやりくりしても収まり切らないのだから、それはいつでも取りだせるはずなのに巧く取りだせたためしがなく、奥のほうに仕舞い込まれたものは尚さら手つかずのままで見る影もないと言ったら言いすぎか、いずれにせよ圧縮率が高いから展開しても元通りにはならないのだろう、どこか歪でどこか壊れている、それは確かだが、どこが壊れているのか定かではないから修理もできない、誰にも、だから朽ちてゆくに任せるしかないのだろう、とはいえ押入れはどこにあるのか、手の届く範囲にあるのか、もちろん手の届く範囲にあるが必要最低限のものしか持ち込めないらしく、だから厳選したものが、選びに選び抜かれたというわけではないにせよそれなりには考慮しただろうものがそこに、というかここに、それでもかなり嵩張ってしまうのはなぜなのか、いずれにせよほとんど顧みられることもなく放置されているからどこに何があるのかさえ分からないもう、積み重ねられたその重みで床が撓って歩くと軋むのを、それこそどこを踏んでも軋むのを、それでも全部が同じように軋むわけではないのを、その奥というか手前というか、半透明のごく薄い布が襞を成して大きくくり抜かれた矩形の全体を覆っているが、一方の厚めの布はそれぞれ束ねて両端に寄せられ、いくらか光沢のある布地は山折りと谷折りとが交互に幾重にも重なりながら上半分がV字に窄まり下半分がA字に拡がり、そのVとAとの接点つまりXの二本の線の交わるところ、要するに真ん中より少し下方の最も窄まった部分で輪になった帯状の布に縦の線が分断されていて風に微動もしないのを、とはいえ出入りがほとんどないから空気が澱んでいて埃が積もっているそこは、というかここは、死んだように静まり返っていて何の気配もない、それなのに何かの気配を感じてしまいそうで、あまり長居したくないのはそのせいだろうか、箱はいくつもあるが暖房も冷房もないし机も椅子もベッドもないから落ち着かないというか落ち着けないというか、何かをするのに適していないのだろう、抑も何かをするための場所ではないのだろう、何もしないための場所でもないだろうが。