いや、もうすでに終わっているのではなかったか、終わりに終わって完全に終わり切っていると言っていいのではなかったか、もちろん全部を、何もかもを無に、全き無に帰するなどということはできないとしてもそれなりに終わらせるというか、ある種の終わりを生ぜしめることくらいはできそうなものだが、物事はそう簡単にできていないということだろう、それはもうあまりにも複雑で、その複雑な絡み合いを解きほぐすことの可能性というか不可能性というか、全部を見通すことができない以上どこかに必ず不備があるわけで、不備といって語弊があるなら謎としてもいいが、そう名指すことにいくらかためらいがあるのも確かで、とにかく、というかだからこそと言うべきか、まだ終わってはいないらしく、つまり事前に想定していたような終わりとしての終わりを終わってはいないということで、単に想定が甘かっただけと言ってしまえばそれまでだし、どんな想定をしたところで想定通りにはならないと考えている節もあるが、終わってない以上つづけなければならないわけで、あるいは終わることなく、何ひとつ終わらせることなく全部を放りだしてなかったことにするか、そうすることが、投げだすことが即ち終わらせることであるならそれでも構わないが、抑も終わりにしたいのか終わらせたくないのか、それさえ定かではないというか決め兼ねているというか、尤も決定権が、決定的に絶対的なものとしてそれを行使する権限が掌中にあると言ってよければだが、いずれにせよこの暗さのなかで、まったく何も見えない手探りのそれとも足探りか、の状態で次の一手というか一歩というかを繰りだすには、緩慢にであれ性急にであれ、さしあたり何が必要なのか、何かが必要なのだとして。とはいえ手駒という手駒は使い果たしてしまったのではなかったか、そうとすれば無策と言っていいが、策らしい策があったことなど一度もないのだから何も考えずに踏みだせば案外すんなりと歩きだすことができるのではないか、それはもう何の抵抗もなく、境目というか境界というかを越えたことにも気づかない、そんなふうにしてこちらからあちらへ、だから何も考えることなく腰周りの強張りをほぐしながら少しずつ可動範囲を拡げるようにして探るともなく探ってゆくうちに空間というか隙間というか、ある種の領域が生じるのだろう、内的にも外的にも、それらがどのように関係しているかは分からないにせよ内は外へ外は内へ互いに嵌入してどちらがどちらなのか、いずれにせよいくらかなりと動作が楽になり、それだけでもうやるべきことはやったような、それこそが必要且つ充分な所作なのだというような気がしてそれ以上何をする気にもなれないというわけではないにせよ、それまでの焦りが少しく減じて、あるいは減じたような気がして四囲へ巡らせる視線も穏やかになるのか、もちろん因果関係は分からないから総じて気分的なものにすぎないし、それまでの視線が険しかったわけでは必ずしもないのだが、暗い稜線が徐々に明るさを増してくっきりではないにせよぼんやりと形が浮かび上がってくるのを、とはいえいまいち解像度が低いせいか像は歪んで焦点も合わず、それでも眼筋を引き絞るように凝らしてみると、つまりそうすることができる程度には明晰なわけだが、二重にも三重にも重なり合って蠢いていた不確かな像は少しずつ輪郭を露わにしながら不定形のぶよぶよした印象が稀薄になってゆき、そうして一定以上の明瞭さに達して捉えたと思った瞬間不意に搔き消える、全部が闇のなかへと遠離る、全部は言いすぎとしてもほんの僅かな残滓が明滅する程度にすぎない。
まあよくあることでそれ以上掘り返すことはしないというかしたくないというか、いつだって目の前のことを処理するのに手一杯だからまずは目の前のことを、それでも暗さに馴れるまでいくらか時間を要し、ほんの数秒と思われるがもう少し長いかもしれない、下手をすると無限に引き延ばされるだろう幾秒かが経過する間、手元というか足元というか不安定に揺らいで倒れそうになるのを辛うじて持ちこたえ、バランスを取りながら踏みだすというか蹴りだすというか、重心を前方へ移すように傾けるとその分だけ後方へ流れてゆくが、消え去ると言ってもいい、それをしも歩くと言っていいのかどうか、なぜといって巧く踏みだすことができないからで、ついさっきまでできていたことが、本当にできていたのかどうか突き詰めると怪しくなるがそれは措くとして、つまり一方へ重心を移動させながら他方を浮かせるということが、要するにその都度必要な筋肉を必要なだけ収縮あるいは弛緩させるということが、その手順も分からなくなったような、もちろん手順など知らないのだが、かといって平衡感覚を失ったわけではないだろう、一応直立しているし天地が逆転しているわけでもないのだから、少なくともそのように認識しているかぎりに於いてだが、それでもどこか水中を歩行するのにも似た危なっかしく覚束ない、混乱ではないにせよ戸惑いがあって、尤も急いでいるのではないのだから、どこへ行くのか行こうとしているのか今ひとつはっきりしないからだろう、それとも急いでいるのだろうか、何か急な用事ができて準備も支度も調わないまま出てきたのだろうか、あるいは退っ引きならぬ事態によって、例えば緊急避難要請とか何とか、果たしてそんなことがあり得るのだろうか、もちろん何百年何千年に一度の大災害を考慮に入れるなら話はべつだが、抑も出るとは何が出るのか、出るというからには入ることもあるのか、でもどうやって。いずれにせよそこに留まっていたいわけではないからさらに傾けて、それ以上傾いたら倒れるという際になってようやく動くというか前へ出るというか、そんなふうにして傾斜に沿って順次繰りだしてゆくうちに足裏の捉える路面の硬さに、これ以上ないほどの磐石さに、そう確信してしまうことのお目出度さにいくらか首を傾げながらも勢いづいて、それでも調子に乗ると転びそうになるから慎重に重い空気を、雨の気配はないものの湿気を含んでいるせいかねっとりと纏わりつくようなそれを搔き分け進めばいつか傾斜は緩やかになって、それに伴い勢いは失われてそのうちぴたりと動かなくなってしまうということはないにせよためらいがちな足どりにはなり、行く手を遮るものは何もないのだが、何かに阻まれているような、何かが立ち開っているような、引き返すことを促すような、そうした気配が漂っているような気がするのは坂を下ったその先を右だったか左だったか分からないからだろう、いや分かってはいるのだがその確信が揺らぐというかその確信を見失うというか、咄嗟に出てこないから立ち尽してしまうことに、尤も立ち尽すと言ってもほんの一瞬にすぎないし、右でも左でも大差はないのだから、果たして本当にそうなのかといったような疑念が擡げそうになるのを斥けながら軽く腰を捻って傾けられた上体がどちらへ向かうのか、右か左か、意志による決定とも違う、綿密な計画に基くものではない、それこそ行き当たりばったりの、如何なる受動性よりも受動的なと言ったら言いすぎか、とはいえそれこそがいつも通りの振る舞いとでもいうように、そうしたことを日々にくり返してきたとでもいうように、もちろんそうしたことを日々にくり返してきたと言っても過言ではないのだが、その詳細を示すことはほとんど不可能だからそれを正当化することはできないし正当化するつもりもなく、なぜといって如何なる正当性とも無縁だからだが、そこを過ぎてしまえばしばらく道なりに進むだけと反射なのか路面との対照なのかいくらか浮き上がって見える線の左側を、そこは歩道だろうか、少なくとも車道ではないだろう側溝の傾斜している面を、水平を保つのが難しいというのではないが右に傾き左に傾きしながら、そのほとんどが褐変している吹き溜まりの、それがそこにあっただろう枝から離れて落下してきた当の枝を確定することはできないだろうがついぐるりを見廻してしまいもする、それを避けるでもなく蹴散らすでもなく踏み拉きながら、軽い、乾いた響きを聴くともなく聴きながら、そのさらに左の縁石の向こう、いくつものブロックが積み重ねられた背の高い、鑿か何かで削ったのだろうか、職人の手仕事か専用の工作機械によるのか素人目には判別し兼ねるが、表面が波紋のような筋で覆われている凸凹した面に手を添えて支えにすることなく、そうした支えによって格段に安定性が増すにも拘わらず、ざらざらしているだろうその感触が苦手なのか単に汚れることを気にしているだけなのか、あるいはただの汚れではなく微細な菌類の付着することを、ほんの僅か、数ミリにも満たないだろう切り裂かれた皮膚から内部に侵入したそれが爆発的に増殖することを恐れているのか、命に関わることはないにせよ嫌悪感を懐くには充分だろうほどに、六四いや七三で感触が苦手なのだと肩が触れるか触れないくらいを保ちつつ、うようよと蠢き廻る半透明の細胞が視界を覆い尽すのを振り払いつつ、尤も振り払って振り払えるものではないが。