そうかと言って何もかも全部が徒労に帰すというものでもなかろうし、ほとんど徒労に終わるのだとしてもいくらかは、ほんの少しくらいは、微々たるものにもせよ成果というか効果というか、あるいは余波でも残響でも構わないが何かそんなふうなものがある、あるに違いない、いやあらねばならないと少しく濁った眼差しをどこへ向けるともなく向けながら腰を浮かし、また下ろし、その際僅かに位置を横へずらして元あったのと少しだけ違うところへ移動させ、そうやって逃がすことで凌ごうとするもすぐに熱は籠もるし、何かが見えているとしても何も見てはいないので茫とした像は茫としたままで、尤も薄闇のなかで確かな像が結ばれることはないと言っていいのだが、形のない不確かなものがあると言えば言えないこともなく、それでも同定不可能なほど歪んでいるわけではないからそれなりに名指すことはできるだろうが、それなりにであって十全にではなく、もちろん如何なるものにせよ十全など望むべくもないし望んでもいないのだが、いずれにせよそうした曖昧さに満ちているのを当の曖昧さのなかで曖昧に辿りながら浮かしては下ろし、弓のように反り返らせてできた僅かな隙間を尻の辺りから太腿の裏側に掛けて、さらにはひかがみから脹ら脛に至るまで冷気が掠めてゆくのを、それでも疼(うず)くというか痺れるというか、あるかなきかの揺らぎに耳を澄ますようにして擡げたのを軽く宛って指の腹でそろそろと探ってゆくと、指の腹の触れる感覚それ自体が当の痺れというか疼きというかを曖昧にぼかしてしまうのでもあろうか、どうしても探り当てることができないからいつまでも彷徨いつづけるほかになく、いつかそれはざらざらした面の上というか下というかを行きつ戻りつしていて、その擦れる響きに傾けながら、まあ傾けると言ってそれ自体を傾けることはできないのだから少しも傾いてなどいないのだが、それでも傾けているのだが、擦るものが発するのか擦られるものが発するのかといったようなことの周辺を、中心でも核心でもない一定の距離をおいたその周りとでも言うよりほかにない領域を、それでいて拡がりでも延長でもないある種の持続のうちに巡っていたようにも思われるが定かではない。というのも荒れ狂うというほどではないにせよそれなりに波立ち騒いでいるからだが、それが少しずつ収まって凪いだ状態になるまでに要する時間がどれくらいなのか、長いようで短く短いようで長いその時間をどうやり過ごすのか、やり過ごしてきたのだったか、そうして差し伸ばしたその先にあるものを摑み、手繰り寄せる、そんなことができるだろうか、なぜといって何にも触れることがないからで、それでも何もないわけではなく、たとえ触れ得ないとしてもそこにそれはあるのであり、現れたり消えたりしながらそこに、掠れたり滲んだりしながらそこに。黄ばんだ白というかむらのある灰色というか、ところによっては褐色の、あるいはほとんど黒と言ってもいい、板材なり布材なり、さらには紙材もあれば樹脂材もあって、凡そありとあらゆるものが使用されているそれは機能によって異なる様々な建材の集合体ということになるのだろう、見えるところはもとより見えないところに於いても、それらがどのように組み合わされ貼り合わされているのか分からないがこれ以上ないほどの簡素な作りで、尤もそれは表面の簡素さであって内部に於けるそれではなく、如何なる透明性によっても明らかになることがないだろうそれは絶対的な不透明さのうちにあり、いずれにせよ四囲を閉ざされているからには外からの侵入を防ぐことはもとより内からの侵出を妨げることにもなるのだが、音までは防ぎ切れないらしく、あるいは防ぐつもりなどないのかもしれないが、防がないことによって防ぐというか、ある種の開放性のうちにあることで何かが担保されているのだろう、その何かが何なのかは分からないが、いや分からなくもないが突き詰めると分からなくなるのであり、とにかく近づいてくるのもあれば遠離るのもあるが絶えず物音や足音や人声が届いて、それでもさしあたり安全が確保されていることは確かで、決して安眠とは言えないまでもささやかな眠りを、細切れの断片的なものではあれ、つまりその質を問わないかぎりでだが、眠ることができるというかできているのだから、そう思い込まされているのでないかぎり、いや恐らくそう思い込まされているのだが、そう思い込まされていると思い込まされているだけなのかもしれない。
いずれにせよ微睡みのうちに、眠りと眠りとの間に覚醒が、それをしも覚醒と言ってよければだが挟まるということで、少しも寝た気がしないのであるからして起きているのか眠っているのか、かといって不眠というのでもないらしく、上質の眠りが如何なるものか、質の悪いそれがそうであるようには思い描くことの難しい当の眠りを眠りながら絶えず移動を、彷徨と言ってもいい、つづけること、というのは一箇所に留まっていると腐敗が始まるからで、それとも発酵するのだろうか、同じ現象の異なる側面を如何にして弁別するのかといったことに尚捕われている間も絶えざる移動の彷徨のうちにあってひとときも同じところにはいないのだが、恐らく原理的に不可能なのだろう、それでいて景色が変わることもないのだが、白の灰色の褐色の黒のそれにひどく圧迫されることもあれば抜けるような開放感に浸されることもあって、それがいつも同じ場所を示しているのではなく、大きくなったり小さくなったりしているからだろう、その距離感を摑むことは難しく、抑も距離というものがあるのかどうかさえ分からず、なぜといって距離の距離性、空間の空間性、延いては時間の時間性、そういったものさえ確固たるものではないからで、もちろん距離はあるのだろうが、距離なるものとの距離が、それとも親密さだろうか、それが問題なのであって、どこか余所余所しいというか素っ気ないというか、要するに見通しが悪いのだが、それでも少しは見通せるらしく、据えるというか凝らすというかすることで何某か浮かび上がってくるのを、そうしてほんの一瞬焦点が合うその一瞬を逃さずに、とはいえ点であるからして一点でしか結び合わないのであり、そのため垂直な面つまり壁と水平な面つまり天井とが交わるところ、異なるふたつの地平が衝突する当の部分が曖昧で、本来あるはずのそこに線がなく、もちろんそれは至るところにあるというかすべてはそれで構成されているというか、それによって構成してしまうのであるからしてそれを見出せないということはなく、そこにもそれはあるに違いないのだが、それなのにそれはないのであり、要するにあちこち綻びているのだろう、綻び方の違いで見え方も違ってくるということか。あるいはそれは保険に入っていないせいかもしれないが、人を陥れようとする輩と断ずるつもりはないが、なぜといってそうしたことを可能にする如何なる権利も資格も持ち合わせていないし、かかる権利や資格を取得するための試験なるものも、国家的なものであれそうでないのであれ、ついぞ耳にしたことがないからだが、あるいはそれ以前に一切の権利という権利や一切の資格という資格さえないということも、かつてそれがあったことがあるだろうか、仮にあったとしてどこにどれだけあったのか、多いのか少ないのか、つまりあり触れているのか稀少なのか、そうしてその分け前に与るなどということができるのか、とにかくほとんどそれに近いのではと構えてしまうのはこちらに考える余地を与えないほど捲し立てるからだろうし、早口の、何を言っているのか半分くらい聞き取れない、抑揚の乏しい語の連なりでもあるからだろう、向こうの勧めてくるものはどれも胡散臭くて鵜呑みにはできず、そうとすればどのような保険がかかる事例に該当するのか、数ある商品のなかから適当なものを選びだすことはできるだろうか、尤もそんな商品があるとしての話だが、もちろんどんな商品だって存在する、存在しないものなどないのだから。それともすでに何某かの保険に加入済みなのだろうか、淀みないその弁舌によってすでに丸め込まれていて、毎月決まった金額が口座から引き落とされているのだろうか、尤も引き落とせるだけの額が当の口座にあるのかどうかも怪しいが、それでも一応確認しておこうと振り返りながら車の往来を避けるように狭い路地のほうへ、その走行音に脅かされたのではないにせよ、頻繁に往来があるのでもないにせよ、もちろん時間帯によって異なるが、さらには近道になるというのでもないにせよ、尤も近さ遠さといってもどこに基準を据えるかによって如何様にも変わり得るが、つまり始点と終点はその都度変わるのだから、とにかく向かって右側が生垣で左側がブロック塀の、その生垣とブロック塀との間を、密に茂る葉が複雑な陰影を成す深く濃い緑色の面と凹凸の少ない比較的均一な淡いクリーム色というか青褪めた肌色というか、そんなふうな色をした面との間を、尤もそれはこの季節この天候この時間帯にかぎってのことだろう、べつの季節べつの天候べつの時間帯であればまたべつの色合いを示すに違いないが、通りに対してほぼ九十度の角度で伸びるそこは左手前から右奥へ掛けて斜めの線で区切られていて、といって定規で引いたようなそれではない、つまり通行止めや一時停止やを示したり横断するための指標だったりといったものではない、だから少しも白くはない、抑も面積を持たないそれに色はない、路面の起伏や凹凸に沿って波打つようにうねる線だが、その線の手前は黄色っぽく輝き、線の向こうは青っぽい灰色に沈んで、その間には無限の階調が横たわっているのだがそれを捉える術はなく、そうして時間とともに角度を変えながらそれは生垣のほうへ、とはいえあまりにゆっくりとした動きでとても動いているようには見えず、その手前にも帯状の太い線が奥のそれと同じ角度で斜めに横切っているが、やはり時間とともに角度を変えながら生垣のほうへ、その線というか境というかを踏み越えるといくらか空気はひんやりして、何かが潜んでいるような気配がほんの一瞬掠めるが、実際に何かが潜んでいることは一度もないに違いない。場所によって盛り上がっている箇所があるが窪んでいるところもあって、上っているのか下っているのか俄には分からない路地は少し先で右に屈曲していてその先が見えないが、すぐにまた左へ屈曲して、それからしばらく真っ直ぐに、そうして少しずつ狭まってゆくが、それにつれ両側の垣や塀が高さを増してゆき、筵(むしろ)囲いの廂合(ひあわい)の路地へ入ったように狭くるしく薄暗いというのではないが、押し潰されそうな予感にいくらか息を詰まらせ、吹き寄せられた落ち葉が溜まっていたり草が生えたりしているからだろう、ふたつの地平のぶつかる部分はやはり曖昧で、白くて見分けはつきもせずというようにどこか安定を欠く、いつ崩れ去ってもおかしくない微妙な均衡で揺らいでいる、量子的な揺らぎと言ってもいい、その道を、砂や砂利が溜まっているのか一際足音の立つのを気にするふうもなく、いや少しは気にしているだろう、気にしていないふうを装っているだけで、監視の目は胡麻化せないのだから、例えば右へ向かうと見せ掛けて左へ曲がったり急に駆けだしたりしても出し抜いたことにはならないのであり、それはほんの一瞬のズレにしかすぎず、すぐに補正されてしまうことに、つまりズレてなどいないということに、まあよくできた仕組みではあるが腑に落ちないと言えば腑に落ちない、それとも監視の耳だろうか、いやそれを言うなら監聴の耳か。