友方=Hの垂れ流し ホーム

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次第に熱を帯び、汗ばんでゆくにつれ滑りやすくなるからだろう、ほら、とすぐ近くで、遥か彼方から、花の香とともにひたひたと打ち寄せるのを、一挙にそれは押し寄せてくる、地響きさえ聞こえてくるようで、もちろんそうなる前に備えるというか先手を打つというか、といって遣るのでもなく退(の)けるのでもなく返すのでもない、ただ軽く押す程度のことで、つまりそれだけで充分なのであり、過剰な、息が乱れるほどの力は必要なく、最小限の弱さというか小ささというか、それだけ負担も少ないから経済的でもある、残り少ない、限りある資源なのだから余力は少しでも温存しておかなければならないのであり、そんなわけで触れていた手を放してみる、しばらく様子を見て大丈夫そうなら踏みだしてみる、そうでなければすぐに引っ込める、そうして脚を前へ送りながら一歩ずつ慎重に、右と左を交互に、右の次は左、左が出たらまた右、右を置いたらまた左、左と来ればやはり右というように、床に擦りつけるようにして前へ、その膝で、というかこの膝で、馴れないうちはぎこちないが馴れてくれば案外滑らかに動くもので、かといって調子に乗ると引っ掛かって、何がどこにかは分からないが、バランスを崩すから慎重に、しばらくは調子よく進むことが、それでもあるところまで来ると動きは鈍って、というのはこちらが壁から離れたのだが壁のほうが遠離ってゆくような、音もなく流れ去ってゆくような、磁力によって引き寄せ合っていた当の磁力が失われて狭い空間が一挙に拡がってゆくのを、すぐそこにあるはずの壁が最早すぐそこにはないのを、だから手を伸ばしても触れるものはなく、何の支えもないことに改めて思い至って踏みだす脚に迷いが生じ、危うい均衡でバランスを取りながら辛うじて立ってはいるが風もなく花の香も途絶えてしまえばそれ以上先へ進むことはもう、それでも前へ、一歩を前へ、と奮い立たせてはみても出ないものは出ないので頽れるように膝をつき、しばらくその場に踞(うずくま)って凝らすというか研ぎ澄ますというか耳を目を、僅かな震えも煌めきも逃さないように、闇に閉ざされて上も下も分からないのに、それでも右と左はまだ分かる、少なくとも分かっているつもりだが、ぼんやりと浮かび上がるそれに阻まれてその向こうへは行けないというか、渦を巻きながら物凄い勢いで全部を、つまり全部が、それはいつのことか、もちろん今このときにほかならないが、足がつかないから踏み締めることもできないうねりのなかを行ったり来たりしながら差し伸ばす手は差し伸ばされる手を、それだけを求めて行ったり来たり、今膝の上にあったそれが次の瞬間には腿のほうへ移動していて、さらに音もなく浮き上がって胸の辺りでひらひらと漂っているが、それでいて膝の上で微動もしないのであり、そうして靡かせながら開いたり閉じたりするのを、声と連動していることもあれば少しも連動していないこともあるが、ほら、と誘って已まないのを、こっち、と進むべき方向を示しながら差し伸べるのを、例えばそれは一面に散り敷かれた枯れ葉の踏み拉かれる音であり風に吹かれて舞い上がる音でもあるが、頁を繰りながら澄ましているからだろう、繰るたびに変化していくつか零れ落ちてゆくのを、だから隙間だらけなのだが、それでも充分にぎっしり詰まっている黒い染みの連なりを追うというか滑らせるというかしながら今まさに握る手が握られる手を、それは湿っていて温かく、カサカサと擦れ合う音が絶えず耳を刺戟しながら目まぐるしく変化するのを、仄白く翻り波打つのを、尤もどこも湿っているというか至るところ水浸しというか、波打ちながら飛沫を上げながら何度も何度でも、だから一呼吸置いてよく見定める、そうしたからといって全的な眺望を得られるわけではもちろんないしどこかしら欠けているのだが、抑も欠けているとは見えないからやり過ごしてしまうことになり、その欠けているところを、巨大な穴を、それでも僅かに影が揺らぐのを認めて踏み留まり、右か左かを思案しながらその際を境をさらによく見定めようと凝らすと揺らいでいたのが凪いでゆき、枝葉の重なりもいつか鳴りを潜めて僅かな軋みもなく、静寂に包まれるその一瞬を狙って素早く、とはいかないが力を込めて揺らぐ半身と引き締まる半身とを軸がぶれないように中心で御しながら、波打っていない、つまり硬い、踏んでも沈まないその部分を、僅かな狂いも許されないというのではないにせよ、狙いを定めて一息に。

及び腰ながらゆっくりと立ち上がり踏み締める、というのは呼ばれたからで、もちろん名を、馴染みのある音列が馴染みのある声によって示されることでそれが名指している当のものが何であるのかを過たず聞き取ることが、今も尚耳に残るその声に、幾重にも折れ曲がった真っ直ぐな通路で岐路に差し掛かるたびその声が、その声だけが届いて、今の今届いて、過たず告げるのを、無数に分岐した枝のうちどの枝を選べばいいのかを、その声にさえ従っていれば間違いはないとさらに傾けて、それこそが間違いではないのかと疑いもせず、あるいは同じ名が同じであることを、何度も間違えて何度もやり直しているから今度こそはと左へ、その角を、それとも右へ、影が揺らぐにつれ波立つにつれ鈍るというかためらうというか、竦み上がって動けないというのではないがいくらか警戒が強まって尚も踏み留まっているのを見過ごせない質なのだろう、ほら、と促すのを、こっち、と指し示すのを、それが示すほうへ向き直ると垂直に伸びるいくつかの線と何重にもなった円というか楕円というか、上のほうに三日月めく黒い形が刻まれているその部分へ、差し伸ばすとそこだけ少し窪んでいるから指を引っ掛けることができ、滑らせると音もなく動いて隙間から風が微かに寄せて翻り靡かせるのを、舞い上がり攪拌されて混ざり合うのを、泥のように濁ってゆくのを、そうして舞い上がったのがゆっくりと舞い落ち、それから静まるのを待って踏みだすが、踏みだした途端にまた舞い上がって視界を覆い尽すから何も見えず、それでも少しは見えていて、例えば斜めに枝が伸びているのや幾重にもそれが折り重なっているのや向こうが透けて見えたり隠れたりというようなことが、さらには何かが軋むような、例えば椅子を軋ませるような引き摺るような不快な音も聞こえていて、そうした諸々に紛れてはいても質的に異なるからだろう、聞き分けることができ、もちろん何も聞こえない、聞こえるはずはないのだが、それでもやはり聞こえる、たしかに聞こえている、ほら、ほら、ほら、と、何してんの、と、一跨ぎ一跨ぎ、と今の今、まさに今、もっと今、この今、今という今、それはもう今でいないのだが、手にした瞬間に零れ落ちてしまうのだから、それでも今でしかないのであって、それを越えてその向こうへ、つまり差し伸ばされる手に差し伸ばす手を、ゆっくりと上下しながらうねりのなかをそれはこちらのほうへ、そうして鞴(ふいご)のように膨らんだり萎んだりをくり返しているのを飽かず眺めているからにはもう済んだと見えるが、つまり薄いヴェールに包まれている艶やかな、くすみのないその膝が、というかその膝を、こちらのほうへ突きだし、力なく垂れ下がらせて死んだように動かないそこから滴っているのを、透明な、つまり無色の、何にも染まっていない、だから通り抜けてくるのだが、晒されながら、境を越えて奥のほうまでそれは射し込んでいる、というのはさらに西に傾いているからだろう、かなり低い位置にあって、そのうち裏側というか反対側というか、こちらからあちらへ廻り込んで見えなくなるが今はまだそこに、というかここに、とにかく低い位置から射るように注がれて斜めの線が垂直面を上下に区切っていて、上のほうは黒っぽく、下のほうは白っぽく、強いコントラストでよく見えない影の影たちの蠢きの手前にありながらそのなかへ埋もれてしまいそうなほどにも薄い、線の細い、華奢と言っていい、よほど疲れているのか項垂れて一廻り小さくなったようで、それとも遠離っているのか、なぜといって少しでも手を休めると見る間に隔たりが拡がってゆくからで、つまり搔き寄せ手繰り寄せつづけることで辛うじて一定の隔たりに留まっているわけで、少しでもその隔たりを縮めようとのめり込むというか、乗りだすように前のめりになって落ちそうになるのを差し伸ばして支えながら眼差す眼差しに捉えられるのは、二の腕辺りから脇腹に掛けての同じような斜めの線で、いくらか歪んでいるのは布地が波打っているからだが当の布地が包んでいる、幾枚か質の異なる布地を纏っているもの自体が凹凸に富んでもいるからで、その凹凸に沿いながら襞を寄せ、撓(たわ)んで、そうして同じように上下に区切られているその境界ははっきりしないから滲んだようにぼやけているが上のほうは黒っぽく、下のほうは白っぽく、下からの照り返しがいくらか上のほうの黒っぽさを緩和させているが細部まで明るみに出すほどではないのだろう、全体にのっぺりとして膜の上に映しだされた映像のようでもあり、翻りながら波打ちながら徐々に浮かび上がってくるそれは顔になるが、すぐに消え去ってべつの顔が浮かび上がり、それもまたすぐに搔き消えてべつのがやって来る、そうして絶えず変化しつづけていて、それでいてどれも同じなのであり、それでも少しずつ違っているのであるからして常に照らし合わせなければならないが、何と照らし合わせるのか、それがそれであることを保証する確たるものなど何もないのに、それなのに照らし合わせているのを、さらに前のめりになって凝らすと薄い膜の内に厖大な厚みが隠されてあるらしく、それが一瞬ごとに溢れて溢れ返ってもう、無数の、それぞれに異なる顔の連なりがもう、そうして開いたり閉じたりしながら口にするのだが、こっち、と、ほら、と、その先にある道はこちらのよりいくらか幅も狭く、さらにはよりいっそう生い茂る葉叢に遮られて雨後の泥濘みがいつまでも泥濘んだままだから跳ね上がる黒い飛沫に裾は汚れるし微かに腐敗したような臭いは掠めるし、それなのに前をゆく背は飛沫で裾を汚すこともなく、臑も脹ら脛も踝も艶やかに仄白く、もちろんゴム製だからだろう、それは全部こちらのほうへ、一歩踏むたびに濡れ、汚れ、黒ずんで、洗っても拭っても落ちない染みというかくすみというか、奥まで染み込んでもう区別もつかないが、いずれにせよ握られる手は握る手に引かれるというか引き立てられるというか、理由もなしに、あるとしても一切知らされることはないし知る必要はないとばかりに冷やかな笑みを浮かべながら視線を逸らすのを、艶やかに靡くその向こうへ隠れてしまうのを、ほつれたのが幾筋か煌めいているのを、それを搔き分け押し拡げながら奥へ、狭くて暗い底なしの穴というか洞というか、いずれにせよ暮れてゆくのか明けてゆくのか俄には見定めがたいそこで開いたり閉じたり、次の頁を、それとも前の頁だろうか、行ったり来たりしているうちに差し伸べる手が差し伸べられる手を、強く握り締めるとそれ以上に強く握り返してくるこの手はあの手であり、その同じ手がこちらのほうへ伸びてくる、ほら、と、こっち、と、そしたら開いていたのを閉じて、それとも閉じていたのを開いてそちらのほうへ、よく見えるように、少しずつ傾きながらもうだいぶ沈み掛けているから全部が没するのも時間の問題で、そうなれば見えるものも見えなくなるからその前に、そうなる前によく見定めておくことが、膨らみも、窪みも、襞も、穴も。

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