友方=Hの垂れ流し ホーム

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そうして左右左右左と白い背が微かに揺れると細かい皺が縦に寄りながら山谷山谷山と幾筋も連なって今にも軋みを上げそうなほどだがそれが軋むことはなく、軋みはべつのところからもっと下のほうから生じているらしいが、白いだけに僅かな染みや汚れもよく目立つその背は軋みなど知らぬげに画面を凝視しながら手元の盤上に並ぶ小さな枡を叩くのに余念なく、一見でたらめのようだがでたらめに叩いているのではもちろんなく、といって鍵盤楽器を操るような、左でコードを右でメロディをというようにそれぞれべつの生き物でもあるかのように奏でる巧みな指使いとは言えない、少し叩いては止まり、画面に視線を走らせ、また少し叩いては止まり、画面に視線を走らせるという不規則な動きで、それでも扱いに不馴れというのではなさそうで、考え考え叩いているのだろう、全体をバラバラに解(ほぐ)した断片のひとつひとつに対応する枡を十指で、その打撃に連動して画面のなかというか表面というか、薄く透明な膜の向こう、そこに区切られた白く照り映えるまたべつの画面に黒い染みが左から右へと順次現れるのだが、すぐにべつの染みへと変わりながら一連なりにつづいて端まで達するとその下へつづき、といって折り返して右から左へ戻るのではなく、また左から右へと連なるのであり、そうして数を増しながら白い領域を黒く塗り潰して直線の多い角張ったのと曲線の多い丸っこいのとで一面は埋め尽されるが、それらは概ね左のほうに固まっていて右端までは届かないからだろう、いくらか隙間ができている右のほうは白さを失わず、尤も全部がそれらで埋まっても白さが保たれるほどには充分に隙間があって、巧みに計算された隙間と言っていい、いずれにせよ白く照り映えているそれを前に白い背は少しく右に傾き、つまり左肩に較べて右肩が下がっているのが見て取れるが、肘は机上から食みだしてなかば宙に浮いた恰好で、そのため手首に近い辺りを支えとしているからだろう、不安定に揺らいでいる、それで枡を叩くのに支障はないのか、長らく癖になっていて変えようもないということか、いずれにせよ叩くのをやめても尚しばらく画面に見入っているその白い背は不意にこちらへ向き直ると肩越しに脇のベッドを、簡素な、一時凌ぎの、眠るためではない、なぜといってちょっと寝返りを打つだけで転げ落ちるだろうほどに幅が狭いからだが、それを示して、横になれということだろう、言われるままそちらへ移動するがそのほんの三、四歩にひどく難儀して、というのは膝がもう、だから台の縁に差し伸べ、差し伸べたそこへ重心を移しながら残しておいた脚を引き寄せ、次いで差し伸べていたのを手前から奥へと布目に対して斜めの方向に滑らせながら腰を捻って台の上へ尻を据え、それからそこへ腰掛けると四本の金属の脚が少しく軋むのを、そのあと両の脚を、まず右の次いで左の、乗せるというように、もちろんその前に靴は脱いでいるが、右のも左のも、その間も脚は微かに軋みつづけ、そうして仰向けに横たわるとその硬さが背を押し返してくるから二度三度と腰を浮かしては下ろし、裾をたくし上げ素肌を露わにしてこれも同様に硬い枕に頭を乗せて寝心地の悪さに辟易しながら待つうちに椅子が廻転して、というか座面が廻転して、それとともにその上に乗っている白い背も廻転して、少しく開(はだ)けた裾から覗く脚を斜めに逃がしながらゆっくり上体を前後に揺らして一度伸び上がってから屈めるのだが、これまで以上に大きな軋みが不快に響いて全部が崩れ去ってゆくのを、ひとつ残らず消えてしまうのを、だからそうなる前に手繰り寄せ、手繰り寄せられるものは全部、そうして搔き集めたのを大切に、幾重にも施錠して保管しておく、しておいたはずなのだが、それは今どこに、いずれにせよ白い背の消えるとともに現れたそれはこちらのほうへ、次いで差し伸ばされる手が表面に取りつき、上から下へ下から上へあるいは手前から奥へ奥から手前へと曲面に沿って探るように滑ってゆくその動きを追いながら右左右左右と少しでも距離を縮めようと必死に駆けてゆくのを、視界を遮る葉叢が背丈を越えて揺らいでいるその向こうへ今にも隠れてしまいそうなのを、それを見失うまいと凝らすというか傾けるというかするのだが左右左右左と無数の水滴が貼りついていて一筋二筋落ち掛かるのを、そういえば空気も湿っぽくなっているようで深々と吸い込んでも粘膜に埃の付着する感覚は伴わず、厚みを増してゆく薄曇りの空が見えるような気もするし風に騒ぐ枝葉の蠢きも間近に感じるし、やはり嵩は増しているらしく刻々とそれはこちらのほうへ、今それが落ちてきたら、数え切れない粒が降り掛かってきたら、どれほど優れた動体視力を以てしても回避することはできないに違いなく、それを成し得るスペシャリストなどいるだろうか、だから右左右左右と差し伸べる手は差し伸べられる手を、それでも藻搔きながらうねりのなかを行ったり来たり、ほら、ほら、といつものように谺する憂いを帯びた声を聞きながら差し伸ばす手が差し伸ばされる手を、今度こそはと狙いを定めて左右左右左と的確に、馴れた手つきで曲げたり伸ばしたり捻ったり押したり、そんなことで何が分かるのか分からないがスペシャリストには分かるのだろう、見えないものが見えるのに違いないと診られるがまま素肌の上を滑るのを尚も注視しているとそれが独立した生き物めいて見え、少しずつ形が崩れてゆくのを、やはりゴム製だからだろうか、どんな形にでもなるらしく、関節とは違う部分で曲がるのを、伸びたり縮んだりと自在に変化するのを、壁一枚扉一枚隔てた向こうから低いざわめきがずっとしているに違いないが、いつの間にか搔き消されている異様な静けさのなかで尚幾許か刺し貫いたり切り刻んだり、その間終始穏やかな物腰で当たりも柔らかいが、その口振りとは裏腹にどこか虚ろな眼差しでつけ入る隙がなく、それがスペシャリストのスペシャリストたる所以なのかどうか、このスペシャリストとあのスペシャリストとで違いがあるのかどうか、あるとしてそれは決定的な差異なのかそれとも無視できる程度の偏差にすぎないのか、さらには凡百のスペシャリストとスペシャリストのなかのスペシャリストとではどうなのか、といつまでも煮え切らないからだろう、艶やかな声が甲高く、ほら何してんの、と急き立てるのを、そうかといって急かされると十中八九しくじるだろうから乱されないよう慎重に軸足に体重を移しながら全部の力をそこへ注ぎ込み、勢いよく蹴りだすその瞬間を逃さず一跨ぎに、そしたら悉く背後へ流れ去って新たな地平が拓けるというか押し寄せるというか、どこかべつの、見たこともない、目もあやな光景がそこに、というかここに。

右左右左右と仄白く照り映えながらごく薄い膜の上で明滅して已まないそれは、ほんの僅かな風でも揺らぎ乱れて原形を留めてはいないそれは、滴り流れる雫とともに深く抉られた裂け目というか切れ目というか、狂おしく悶えながら軋ませながら振り乱しながら、振り乱してはいても取り乱してはいないらしく冷めた眼差しを襖の向こうへ送っているのはそこに潜む、潜んでいるだろうものへの牽制か示威か、そこには何かが、艶(なま)めいた女の声どころか咳嗽一つ聞えなかったというのではないが息を潜めながら狂態に耳を傾けているらしい何かが、そのうち蠢くような気配が立って、呻き声だろうか、くぐもった響きで念仏か称名か唱えるのが、そうなると今度はこちらが息を潜めることになって身を寄せながら互いの息を間近に感じながら耳を、ほんの少し傾けるだけでそこから発するというかそこからしか発しない声を聞き分けることができるとでもいうように、それでいてその一点に向けて研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほどそれとの距離を測り兼ね、茫漠とした拡がりの内に消え掛かるのを、とにかくその微妙な角度で感度も違ってくると僅かに首を傾けながらある種の慎重さで近づけると、そこから発する声を聞き取ろうとするらしく、そうして聞こえるのか聞こえないのか聞こえないから聞き取れないその声を聞き取って、聞こえないのに聞き取って、尤も充分に聞き取れたかどうかは分からないが、それでも緊急の事態ではないということは察せられる険しさのない面持ちですっと身を引くとまたいくらか軋ませながら所定の位置へ戻り、肘を乗せるというか宛うというかすると白い袖口から覗く腕先を白い枡のほうへ、それから白さの内に染め抜かれた黒さの上をなぞるように再度画面を、それが画面のどの地点を捉えているのか俄には分からないが左右左右左としばらくその上を彷徨い、それから不意に指先が動きだし、枡の上で舞いながら連打する音がこちらのほうへ、それに伴って黒い染みの連なりがさらに黒々と画面を覆ってゆくのを肩越しに眺めていたからだろう、靴を履くのにちょっと手間取り、つまり隙間に指を、内踝の辺りから土踏まずへ掛けて滑り込ませたのを踵へ向けて滑らせながら押し込んで、それから屈めていた背を起こす一連の、視覚を伴わない触覚のみの動作だが、もたついて、それでも型通り事は進んで半分は画面に半分はこちらにというように斜めに構えながら眼差しだけこちらへ向けて、そのときにはもうベッドから元の位置へとやはり同じように手間取りながらも移動しているが、どうしましたと最初に問われたその場所でこのあとどこへ向かえばいいのかを、そんなわけで指示された場所へ図面を頼りに赴くことに、手にしたそれを拡げると、まあ拡げるというほど巨大ではないが持ち方によっては垂れ下がってしまう大きさというか小ささというか、その端のほうを抓むように持ってそこに示されている図形を見ると、各階ごとの見取り図が並び、出発地点つまり現在位置から到着地点つまり赴く先まで太い線が引かれてあって、もちろん最初から引かれているのではなく、即ち当該図形を作成した者によってつけられたものではなくあとからつけ足したものだが、印刷された線とは明らかに異なるそれはまず左へ伸び、直角に折れ曲がって下降し再び上昇し、また直角に折れ曲がって右へ伸び、また折れ曲がり、というようにその線を辿ってゆけば過たず目的の、二重の丸によって囲われているのがそれだろう、場所へ至ると幾度も辿り返しながら順路を刻み込み、そうして一歩を踏みだすと見えない線を辿ってゆくがすぐにも壁に突き当たり、べつの階へ移動するのだろう、昇降機の前へ、それがやって来てちょうどそこで停止する扉の前へ至り、まず横倒しにした台形として現れたそれは少しずつ形を変えながらこちらのほうへ、つまり右というか奥というかに位置する上底部分が伸び拡がって左というか手前というかに位置する下底部分に近づいてゆき、両辺というか両低というかがほとんど同じ長さになると縦に長い長方形に、そしたらその内側にも一廻り小さな長方形があって、というのは壁の面よりいくらか奥に引っ込んでいるからだが、その内側というか奥というかの長方形には当の長方形を縦に二分する線が刻まれていて、いずれにせよそれはもう台形ではないのだが、それがそれであることに変わりはなく、とはいえただ待っていても向こうからやって来ることはなく、たとえやって来ても通りすぎてしまうから待っていることを知らしめる合図が必要で、つまりシステムに即して動作している当のシステムに介入するのだが、その手順について図面は何も教えてくれず、それは事前に知っていることが前提されているからだが、そして教えられるまでもなく当の手順について知っているのだが、要するに脇のボタンを押せば降りてくるか昇ってくるかして停止するのを、他の多くの同様な装置がそのような作りになっているのを何度も何度でも、尤もその原理も仕組みもまるで理解していないのだが、分かるのは動力源が電気ということくらいだが、原理も仕組みも理解している必要はないらしく、だから脇のボタンを押して昇ってくるか降りてくるかするのを、その間に再度図面を、発色のいい赤というかピンクというかで引かれた、光の加減だろうかいくらか紫掛かってもいる一筋の線を、鉤状に折れ曲がりながら伸びてゆくその先を、行きつ戻りつ二度三度、いや四度だろうか、あるいは五度目に掛かっていたかもしれないが何か動く気配がして、図面から離して心持ち顎を上げると黒っぽい筋が目の前を浮遊しているのを、眼球の動きに合わせて上下に左右に揺らぐそれは残像だろう、その向こうに焦点を合わせるとさっきまであった縦の線が消えていて、というのは壁のなかへ引っ込んでいて、つまり扉が開いていて、というかすでに閉じ掛けていて、慌ててそのなかへ、背後で閉じる扉のほうへ向き直るが動いている様子はなく、いや加速に伴って上から押さえつけられるような負荷が僅かに掛かるから上昇しているのはたしかだが、牢屋に似た箱の上り詰めた頂点は、小さい石山の天辺であったというのではもちろんなく、降り立ったそこはさっきと同じ場所に見え、それでもそこがさっきまでいたのとはべつの、目的の階だということは壁面の数字が示しているから、そう信じてよければだが、尤もその前に箱のなかで電光の数字が示していたし当該数字のボタンを自ら押しもしたのだから疑う余地はなさそうで、そうして図面に従ってやはり見えない線の上を辿ってゆくが大通りから小道というか枝道というかへ入ると途端に方向が位置が定かではなくなって、それだけが頼りの図面に当たるもそれがどの地点なのか鮮やかに伸びる線のどの部分なのかまるで分からず、決して入り組んだ迷路ではなく単純極まりない直線の組み合わせでしかないのだが見えない線を見ることができないからにはそれを辿ることもできず、だからそれが導いている指定の場所へ至ることもできないわけで、同じところを行ったり来たり、大通りから横道へ脇道から大通りへ行ったり来たり、隈なく何度も何度でも、だからどうやってそこへ至ったのだか、尤も全部の通路を虱潰しに巡り尽せば目当ての場所へもいずれ至り着くのは道理だが、そこまでする時間も余裕もなく、尤もそこまでする時間と余裕があるとしてもそうすると断言はできないが、いずれにせよ為す術なく扉の前に扉を背にして佇みながら手にした縦長の、横にすれば横長の図面を、財宝の在り処を示す地図か何かのように、例えば水に浸すとか火で炙(あぶ)るとかいうような、それを解読する特殊な方法があるとでもいうように、いやもちろんあるに違いなく、そういえばそれを手渡されたときにその方法を教えられはしなかったか、二言三言口にしていたのではなかったか、つまり口移しにされたのではなかったか、そうとすれば上の空で応じていて勢いよく放出されるのを巧く受け止められずに零してしまったということになるが、あるいは耳馴れない声が、耳馴れない口調が、さらには耳馴れない抑揚が、その意を汲み取ることを阻んだのでもあろうか。

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