友方=Hの垂れ流し ホーム

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尤もそれはほんの一瞬のことにすぎず、踏み締める面のその先のさらに向こうを見据えながら一跨ぎに踏み越える、こちらとあちらとを分かつその間を、想像を絶するその隔たりを、そしたらさっきまであちらだったのが今やこちらになっていて、こちらは最早あちらではなくこちらなのであり、つまりあちらはどこかへ行ってしまった、というかこちらがあちらなのであり、それでいてあちらではなくこちらなのであり、やはりあちらはどこかへ行ってしまったわけで、そうとすればあちらへは絶対に至れないということに、それなのにあちらへ至っているのであり、あるいはこちらでもなくあちらでもないどこかべつの世界なのかもしれない、さっきまでいた世界と同じようでいて、というかまったく同じなのだが、だから何ひとつ区別できないのだが、それでも決して同じではない、とそう思っていた節があり、いずれにせよ震える指先に触れるものは何もない、風が掠めてゆくほかには、かつても今もこの先も、もちろんそれは覆り得るだろう、というかいつでも易々と反転するし常に反転しつづけていると言ってもいいが、それはもう当たり前すぎて今さら取り沙汰することでもないように、いや当たり前は当たり前ではなく、それが当たり前であることこそが驚異というか驚嘆すべきことなのであって、とにかくめまぐるしく反転しつづけているから容易には捉えがたいのだがそれを捉えようとして細めるというか眇めるというか、そうすることでこちらのほうへ、それを引き寄せ手繰り寄せて逃がさないように囲い込み、覆い被さり押さえ込む、それでも全部は捕まえられず、そのほとんどはどこへか消え果ててもう、だからひとつでも手にできればそれでいいとそれを、というかそこを、駆け上がってゆくのか駆け下りてゆくのか青々と茂る草を踏み拉く音だけがなだらかな斜面に谺して、静けさに包まれて尚いっそう耳に残るのを、風がそれを運んでくるのだろうか、もちろん風がそれを運んでくるのだが、匂いとともに鮮やかな色彩を伴って、それでいてそれ自身がそれ自身によってそれ自身を運んでくるようにも見え、つまり何の媒介もなしに目の前にあるとでもいうように、そこに丈の高い草を搔き分け踏み拉いてゆく姿を再び、というか今の今はじめて見出すとそのあとにつき従う姿をもまた見出して、ふたつでひとつのそれはいずれが欠けても成立しないものらしく、一方を見出すと必ず他方も見出され、相前後して斜面を滑るように、一方は滞りなく他方は覚束なく、見え隠れしながらどこへゆくのか、鋭利な枝や葉で肌を傷つけないようにだろう、動きは緩慢ですぐにも追いつけそうなのだがちっとも追いつけないのはこちらの二歩があちらの一歩でつまりあちらの半歩がこちらの一歩だからで、それでも必死についてゆくが見る間に離されてそれこそちょっと目を離すだけで見失いそうになるくらいの隔たりが、とそう思ううちにも草に覆われ木々に遮られ、足元が悪いから幾度となく転びそうになるがそちらへ意識を向ける余裕はなく、なぜといって今にも草間に沈む姿を捉えようと凝らしたときにはほとんど消え掛かっていたからで、それでも搔き分ける音踏み拉く音によって辛うじてあとを追うことはできるものの距離を縮めることはできないのを、いずれにせよそこは、というかここは右側が高く左側が低く、つまりいくらか左のほうへ傾斜していて真っ直ぐ進んでいるつもりでも少しずつ左へ流されてゆき、その地面の向こうは落ち窪んでいるらしく、そちらへ転倒したらと考えるだけで足は竦むし目は眩むし腰は引けるし呼吸は乱れるし、それでも遅れるわけにはいかないし、なぜといってこれ以上遅れたらはぐれてしまうしはぐれたらひとりでは帰れないしそんなことになったらそれはもう大変なことで、事故というか事件というか世間を騒がすことになって大規模な捜索隊の出動とともに大仰な救出劇がくり広げられ、テレビや新聞やの取材陣に取り囲まれてレンズを向けられマイクを突きつけられ根掘り葉掘り聞かれた挙げ句にあることないこと書き立てられるに違いなく、そしたら連日茶の間の話題に上り近所の噂になって笑いものになって白い目で見られ石を投げられて外も歩けなくなるだろうから仮面を被り人目を忍んで生きてゆかねばならなくなる、そんな恥曝しなことは断じてあってはならないそれはもう絶対にあってはならない絶対の絶対の絶対にだ、とそう決意するとともに猛然と駆けだすが、搔き分けても踏み拉いてもその背は遠く、青臭い匂いが染みつくばかりで全然距離は縮まらない、縮まるわけがない、なぜといって無限の隔たりによって引き裂かれているのだから、つまりどうすることもできないということで、それでもどうにかしなければと逸るが気ばかり急いて身体がついてこないからさらにも距離は拡がって、一歩が三歩に一歩が四歩に、と焦れば焦るほど窪みがこちらのほうへ、いやこちらが窪みのほうへ、絡まるというか縺れるというかうまくくり出すことができずに背後へ残したまま引き裂かれるようにして、青黒く靡くそれはどこに、仄白く翻るそれはどこに、と一瞬見失って泳ぐ視線の先に再び現れるのを捉えるというか捉え損ねるというかしている間に一気に距離を縮めてきて、いよいよそれが間近に迫ってくると幾重にも折り重なる枝葉の隙間からその向こうが透けて見え、眼に入(い)るものは青い麦畠と青い大根畠と常磐木の中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった、いやそうではなくそこには何も見えず、というのは何もないからで、尤も何かはあるだろうがその何かが何なのか分からないから何もないのと同断で、何もないそこへ倒れ込むように向かってゆきながら、もちろん向かいたくて向かっているわけではなく勝手にそちらのほうへ、一歩を踏みだせば留まることができるのにその一歩が踏みだせないためにそちらのほうへもう、幾重にも折り重なる枝葉の間隔が徐々に拡がって通り抜けられそうなくらいにもう、その枝葉に頬が触れるか触れないかというところまでもう、ざらざらしたその肌触りが、鋭利な部分が肌を傷つけてゆく痛みというか痒みというかが今も尚残っていて、そうとすれば触れていることになるが、つまり葉叢のなかへそしてその向こうへということになるが、果してそうだろうか。

なぜといって頂点というか臨界というか焦りと不安がこれ以上ないほどに膨れ上がったころ、ほら何してんのもう、と声がしたからで、そしたらあんなにも遠く霞んでいた姿が、今にも木々に紛れて消えてしまいそうだったそれがすぐ目の前に、窪みのほうは少しく斥いて、その手前で枝葉が幾重にも折り重なってとても通り抜けられないくらい密になり、つまり自在に空間を操る術を心得ているというわけで、驚きと安堵と草いきれと葉叢の擦れ合う響きと生温い風とが交錯するなか差し伸ばされる手に縋りつき、その一点にのみ意識を集めてもう二度と、絶対に、この握り握られる関係というものは不変且つ普遍であって揺るぎなく強固に結ぼれているから決して離れることはないのだとしっかりと、それなのに握る手は握られる手を、握られる手から握る手が、見上げるとその眼差しはこちらへ向けられているがすぐに黒々と靡く束の向こう側へ隠れ、艶やかなそれを踊らせながら再び丈高い草のなかへ、頬を掠め首筋を撫でる葉叢の青臭さのせいだろうかその意は探り得ず、今もそれは謎のままでいったい何を考えているのか、訊ねたところで適当にはぐらかされるのが落ちだから訊ねはしないが何を、もちろん揺れる背に読み取ることはできず、況して照り映えるひかがみに刻されているはずもなく、かといって道端に落ちているはずもないから当てもなく彷徨うほかになく、それの痕跡というか痕跡の痕跡というか、あるのだかないのだか分からないものを探し求めて、いやもちろんあるのだが、あるに違いないのだが、広大無辺の拡がりの内を隈なく探し尽すとなるととても時間が足りないし、たとえこの有り余る時間を全部使ってもそれを成し遂げることはできそうにないから程ほどのところで切り上げて葉叢の向こうに見え隠れしながら快活に跳ねてゆく後ろ姿を、それは時に仄白く時に仄青く、ほら、と木々の緑の間で艶やかに踊りながら先へ先へと切り拓きまだ誰も踏み入ったことのない領域へ、その姿を目の前にしながらその姿は最早なく、どこにもなく、それでもここにあり、今も尚それは艶やかに、踊ってはいないにせよ艶やかに、いやいくらかは踊っているだろう、屈んだり擡げたり傾げたり振り向いたり頷いたりするたびに微かに揺らめいているのを、白さのなかに青さが滲むのを目にしているはずなのだから、たとえその目が閉じられているとしても、尤も影に惑わされて何か別様のものを見ているのでなければだが、そしてそれは大いにありそうなことだから影なのか影ではないのかを見窮めることが、それでも横たわりながら腰掛けながら膜の上に映しだされているのを殊更追い掛けたりしないのはそんなふうに追い掛け廻すとあまりいい顔をしないというか、あからさまに非難めいたことは口にしないがどことなく居心地の悪そうな様子が見て取れるからで、それとも笑っているのだろうか、ほつれた髪が頬を擽るせいでもなかろうが僅かに口角が上がっているから笑んでいるように映り、尤もそう見えるからといってそうだと見做すことに根拠はないのだが、そう見える以上そう見做すよりほかにないというだけのことで、とにかく笑みの名残を留めているような口元に浮かぶそれが横切るのを追いながらそれをそれとして同定しながら、見通しをよくするために、もっと遠くを見るために、同じことだがもっと近くを見るために、凝らすというか傾けるというか、そこには壁が、こちらとあちらとを分かつ壁が、堅牢な壁が、さらには窓が、こちらからあちらへと風の通り抜ける窓が、花の香を運んでくる窓が、それ以外にも様々なものが行き来する窓が、それは開いているのか閉じているのか、あるときは開いていてべつのあるときは閉じているとさしあたり言えるとしてもその二択には留まらず、開いていても閉ざされている場合はあるし閉じていても開かれている場合だってあるのであり、そうとすれば閉ざされているのに開かれている、開かれているのに閉ざされている、とそう言ってよく、それを切り開くというか切り裂くというか、切り込みを入れるあるいは穴を穿つと言うべきか、目当てのものがそこに埋まっているというのではないにせよ穴を、さしあたりひとつでいいだろう、大きくもなく小さくもない手頃なものをひとつだけ、場所は裏庭の隅のほう、あまり目立たないところが好ましいが、そうかと言って奥まりすぎているのもよくないだろうから程ほどに日が射して程ほどに日が翳っているのが妥当かとかかる条件に見合う場所を求めて行ったり来たり、四囲を見廻しながら行ったり来たり、そうして狭い敷地内を幾度巡っただろうか、まず右廻りに二回次いで左廻りに三回再度右廻りに一回さらに左廻りに、いやまず右廻りに三回次いで左廻りに二回再度右廻りに一回さらに左廻りにだったか、それともまず左廻りに一回次いで右廻りに二回再度左廻りに三回さらに右廻りにだったか、あるいはまず左廻りに三回次いで右廻りに三回再度左廻りに三回さらに右廻りにだったか、もしかしたらまったくでたらめに右廻り左廻りをくり返していたかもしれないし、ずっと同一方向に、右廻りなら右廻りだけ、左廻りなら左廻りだけ、というようにある種の頑なさに憑かれていたかもしれないが、かくして円い輪の上をぐるぐる廻って歩いたというのではないが幾巡りか巡ってさらにもう一廻りしようとしてちょっとためらい、それでもすぐに振り払い、範囲を敷地の外にまで拡げれば条件に適う場所はすぐにも見つかるだろうが、例えば隣家の裏庭に面して程よく陰になったあれは躑躅だろうか、すっきりと刈り込まれた植込みが適していそうだが、勝手に余所の庭に穴は掘れないし、それ以前に余所の庭に入ることができないし、もちろん入ることはできるだろうが断わりもなく侵入するとなると気が引けるし、顔見知りとはいえそれほど懇意にしているわけでもないし、かといって道はどこも舗装されているから穴を掘るのは無理だろうし、川はあっても河原はないし土手もないし、尤も公園まで足を伸ばせば霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて從(そび)えているというのではないが掘り返すことのできる土も豊富にあるだろうから条件に適う場所の選定にも困らないだろうが、あまり遠く離れてしまうと捨てるみたいだし、そんなわけで敷地内に限定するほかないのだが、そうなるとそれに相応しい場所の選定は困難を窮め、というかほとんど不可能ではないかと諦め掛けるが入念に調べたからだろう、右廻り左廻り右廻り左廻りとくり返し巡りつづけたその甲斐はあったらしく、充分ではないにせよそこよりほかにないと言っていい場所を探し当てたというか巡り逢えたというか。

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