その一部始終を見るというか見せられるというか、いや正確には直視していないと言ってよく、視野の内に収められてはいるものの焦点が合っていないというかなかば意識から閉めだされていて、だからメレンゲ菓子が砕けるような音がしたのかどうかも怪しいが、いやそれはないが、たしかにそれを耳にしたし今も耳にしているしこれからも耳にしつづけるだろうし、つまりそれが響きつづけるなかくり広げられるのを、上へ持ち上げるのではなく手前に引き摺るようにして自身のほうへ引き寄せるのを、そしたらさらにも乾いた音が不快に響くのを、隙間もなく合わさった靴裏と地面との間にあるそれが苦しげに呻く声としてそれを聞き、そこに砂や小石が擦れ合うような濁りを帯びた低音も混ざっていっそう不快な呻きを呻きながら再びそれは姿を現わすと元の形が分からないほど粉々に砕けていて、それでもここは羽の部分ここは胴体の部分とそれくらいは見分けられるからだろう、余計酷たらしく汚らしく、それを見たせいで見てしまったせいで自身の足の裏に欠片が、靴も靴下も通り越して地肌に貼りつき突き刺さっているような、まるでそれが自身の罪でもあるかのような、肉に食い込んでゆく痛みとともにその罪の重さに打ち拉がれているとでもいうような、ほら、と罪の全部を投げ渡して清々しいくらい濁りのない眼差しをこちらへ向けてくるその顔を見つめ返すことができないのは罪を被ってしまったからで、それはもうあちらにではなくこちらに、否も応もなくこの身に刻まれてしまっていて、振り払うことも消し去ることも全部なかったことにすることも、つまり自己の一部と化したそれを剝ぎ取るということは糊づけされた二枚の紙片を引き剝がすのに等しく、自己の身を損うことを意味するわけで、だから日差しが眩しいとでもいうように俯き加減になり、額の汗を拭うと見せ掛けて腕を擡げると当の眼差しから逃れようとして何度も撫で上げ撫で下ろしているうちに気が済んだのか興味を失ったのか何かほかに気を惹くものを見つけたのかあるいはもっとべつの理由によるのか、切実な、已むに已まれぬ事情があるのか、ほら行くよ、と自ら砕いたそれに目を向けることなく踏みつけた当の脚を軸にして反転すると大股で、庭を横切るように一直線に、そこに見えない線が引かれているといった趣で脇目も振らず、その背の上で跳ねるように踊るのを、ほら何してんの、と少しく苛立った口吻が跳ね踊る様子と相俟って、もう鈍臭いんだから、とあらぬほうへ向けて叫ぶその叫びさえ艶やかに跳ねると見え、とにかく遅れまいと駆け足になるが意に反して脚は縺れて一歩ごと見えない線から逸れてゆき、足裏には例のものが貼りついているから一足ごとメレンゲ菓子が砕けるような音を聞きながら、その音に身を竦めながら道を外れてゆき、外れに外れていつかどことも知れないところをひとり彷徨っているらしく、いやどうもひとりではないらしいのだが、然りとてふたりというのでもなく、三人では尚さらないだろう、もちろん四人でもないはずで、それなら五人かというとそれも違うようで、やはりひとりということになるがどうも腑に落ちない、と彷徨いながら、真面に数も数えられなくなったのかと訝りながら、林というか藪というか生い茂る葉叢を搔き分けながら、というかひとりはひとりなのか、ひとりがひとりであるということがすでにして間数に合っていないということはないだろうか、とはいえひとりがひとりではないとしたらどのようなものとしてあるのか、そしてそれは誰なのか、と踏み締めながら重いのだか軽いのだか、踏み締める感覚が遠くなり、そのせいか徐々に遅れがちになるらしく、そうでなくても遅れてしまうのにこれ以上の遅れは命取りと勢いよく蹴り上げて力強く踏みつけるが手応えというか足応えというか、微かで頼りないのを、四囲に目を向けてもそれらしい影はないし風に揺れる枝葉の音に紛れて気配も届かず、だからどこを踏めばいいのだか、と噛み締めながら砕けるのを、一噛みごとに小さくなってゆくそれはいつか溶けてなくなってしまうがそれと引き替えに少しずつ戻ってくるのを、微かに届くのを、さらに傾けてゆくとメレンゲ菓子の砕ける音と聞こえたのは枯れ葉を踏み拉く音だということに、それでもメレンゲ菓子の砕ける音であり、といってやはり枯れ葉を踏み拉く音でもあってそのいずれにも決することができないのを、そこでもたついて足踏みしているうちに足音が先を越して見る間に遠離ってゆき、追いつこうと焦ると縺れて余計引き離され、風に靡くのだろう、時折襟足から覗く項の白さが足元の乾いた音から引き離して匂やかな花の香のほうへと誘いながらその剝きだしの白さで導いてはくれるもののすぐに引き戻されて、それは今肩にも届かない長さというか短さというか、あるときは長くまたあるときは短く、べつのあるときは真っ直ぐにまたべつのあるときは波打って、つまり決まった長さ決まった形というものがないらしく絶えず変化のうちにあり、長さや形だけではなく色もまた黒から茶へ茶から黒へ移ろいゆくのを、そしていずれは白へ、白さのなかへ、細く伸びるしなやかな曲線がなよやかに舞うのを、踊るのを、真っ直ぐにそれを見つめながらそれだけを見て決して逸らさず、つまりそれ以外の余計なものには目もくれず、それを辿ってゆけばいいのだとそう思っていた節があり、その白さを、どこまでもそれはつづいているからどこまでも行けるような気がするがどこまでも行けるはずはなく、というのは体力にも限界があるからだが、いや抑もそれ以前に行く理由がないからで、青黒く濁ったぬめりのうちでかそれとも雫を滴らせながら吐き気を催しながらか、とても長い道のりを経て行くというか帰るというか、それは往路と同じ道のりなのだが、それにも拘らず往路よりも遥かに長い道のりであって、一歩ごと黒々した跡を、往路にはなかった刻印を残してゆくが背後でそれはすぐに消え、どこをどう通ってきたのだか今となってはもう、そこには振り返り眼差すいくつもの顔があり、訝しげに歪んだそれら顔たちから射られる眼差しに押し潰されそうになるがどうにか押しやり押し返して搔い潜りながら黒い染みを作りながら重たげに引きずりながら今となってはもう、あるいはまだ、それでも一跨ぎなのであるからして一跨ぎで行き来するのであり、どこへでも、つまり全部に繫がる通路と言ってよく、間に拡がる闇というか深淵というかそれがどれだけ隔たっていようと軽々と飛び越えてしまうのであり、それこそ所構わずどこへなりと、特別な技術や大仰な装置や怪しげな薬や命知らずの蛮勇や巧みな編集やに頼ることなく瞬時にしてこの一歩があの一歩へ、この姿があの姿へ、この声があの声へ、この白さがあの白さへ、匂やかな風とともに、そうしてそこへ行くというか帰るというか、濡れて滴って少しく震えながら、指折り数えながら、開いたり閉じたりしながら、腰掛け横たわりながら。
それでも膝の行方は依然杳として知れないし道筋もまるで覚えていない、なぜといってその背のあとについてゆくほかないからで、つまりその背をしか見ていないからで、それなのに知らぬ間に視線が動いて何か別様のものを見ていることがあるらしく、それが何かはついぞ分からないが意識が何かを捉えてしまうらしく、そうするとそれが何であれほとんど自動的に蓄えられるのだろう、そうしたものでいっぱいに埋め尽されてもう足の踏み場もないと言ってよく、それを踏み越えてゆくというか踏み越えてきたというか、踏み迷うと言ったほうがいいか、もちろん踏み損いもするし踏み締めようとして踏み抜いたり踏み砕いたりもするだろう、さらには踏み残すこともあれば踏み飛ばすこともあるに違いなく、ともすれば踏み荒らしているだけかもしれないが、幾度踏み留まってもそれでも踏み重ねてゆけばいつか踏み整えるというか踏み結ぶというか、とにかく踏み進んでゆくほかなく、どこへかは知らないがどこかへ、もちろんどこでもいいというわけではないがそう思い通りにはならないからだろう、岐路に差し掛かるたびぐるりを見廻すことに、それで進むべき道が判然とするのでもないのだが習い性というか癖というか、そうしたものを改めることは難しく、自覚することも儘ならないほんの一瞬の微睡みのような、瞬きにも等しいものだが、その一瞬を見逃さず捉えるらしく、ほらまた余所見して、と叱声が飛ぶことになるのだが、その勘の鋭さには舌を巻き、それともよほど間の抜けた顔をしているのか、もちろん余所見した覚えはないのだが全然ないのだが、意に反して逸れてゆく眼差しが勝手に何かを見てしまうわけで、見てはいないのだが見ていないからこそ見えてくるというか、雪崩のように押し寄せてくるのを、その圧倒的な物量に抗う術はなく、その処理に費やされる労力たるやそれはもう大変なもので、ほとんどそれに追われてほかのことに手が廻らないというのではないにせよ、押し返され押し流されてもう、とにかく道筋などというものはないのであり、どこをどう捜したって見つかりっこないのであり、ここにあるのは脈絡を欠く連なりでしかないのだから断片の継ぎ接ぎというかパッチワークというか、纏まりを欠くまぜこぜのでたらめな落描きにも等しいと言ったら言いすぎか、何かそんなふうなものを拵えるのがせいぜいのところで、そこから元の脈絡を見出すことはほとんど不可能と言ってよく、それでも組み合わせは自由というかどうにでもなるというか、繋いだり外したり並べたり積み重ねたりと好き勝手にできるという利点もあるにはあって、もちろん何から何まで好き勝手というわけではなく、それぞれに収まりのいい場所というものがあるらしいからある程度はそれに従いつつ、絶対的に与することはしかしなく、そうしてでき上がったものを眺める日はいつかやって来るだろうか、今はまだ雑然として散らかり放題の異臭を放つゴミ屋敷とも見紛う様相を呈しているが、いつかその全貌を眺めやるときが、その壮大な伽藍を、そう言ってよければだが、一望するときが訪れると言っていいものだろうか、とはいえあとから作り上げたものをさも以前からあったかのように取り繕っているだけだからそんなものに信を置くことなどできるはずもなく、腰掛けながら横たわりながらもう、風に流されながら靡かせながもう、跡形もなくもう、こちらからあちらへもう、明るいのだか暗いのだかもう、刻一刻ともう、あるいはまだ、いずれにせよ迷いに迷いながら彷徨っているところへ、ほら何してんのもう、と急かすような窘めるような声が、艶やかなその音色に身を震わせてそちらのほうへ向き直ると、ほら、とまた一声響いて、そこへ連なる一筋のそれは線と見え、どうにも踏みだし兼ねていた一歩をそれが可能にするというか、それこそが可能にするのだろう、縺れながらも順次繰りだされるそれは身体を前へと押しやるが意識のほうは抗うように尚幾許か居坐るらしく、風に流され塵と消えるまで、それがそれでなくなるまで、と粘り強く待つ構えで、そのためこちらとあちらとに引き裂かれてしまうことになり、そこで二手に分かれて各個に事に当たることとなるがこちらとあちらの二系統の入力を適宜処理するには相応の集中力を要するというかかなりの体力を消耗するのだろう、況して散々歩き廻って、というか連れ廻されて疲れ切っている身には相応に堪え、彼我の体力の差を鑑みればそれも当然だが、入り乱れ混線してどちらがどちらなのだか、もちろんそんなことにはならず、というのはそうなる前にいずれか一方を選ぶからだが、つまりこの場をあとにするほうをだが、そうして先をゆく身体のほうへ意識が追いつきひとつに重なって、何してんのほら、と叱咤する声とともにその背に、大きく前後する両の腕の動きに合わせて揺れるその背を、そこに掛かりそうで掛からない、黒さの内に青さを孕む毛先の、撫でるような払うような動きにも注目しつつ膨らんでは萎み萎んでは膨らむ腰の辺りに流れ着いて、いくつもの襞がそこから四方へ拡がっているのと同様にそこから声がしているとでも言うように、もちろん全部そこから、その口から発せられるのに違いないが耳を目を、というか目が耳が、止んだのか向きが変わったのか不意に連絡が途絶えて見ることも聞くことも難しくなり、そうなると手探りというか足探りというか、底深い闇のなかを果てもなく彷徨いつづけるほかになくもう、抜けだすことはもう、というかその外、外部などというものがあるのだろうか、窓はあるが、もちろんあるに決まっている、菱形というか台形というかに歪んではいても窓が窓であることに変わりはないのだからそのことに疑念を挟む余地はないと言っていいが、その歪んだ矩形の枠の向こうに向こうはあるのか。