梧桐(あおぎり)の緑を綴る間から西に傾く日が斑らにというのではないが、鈍い光沢を放ちながら厚ぼったい葉が幾重にも重なって緑濃く、その切れ目から零れる日が継ぎ接ぎみたいな模様を描きながら揺らぐ、少しく傾斜した北西の角辺り、そこにほんの僅かな隙間が、窪みというか凹みというか、さっきまでそんなものなかったのにそこだけ刈り込んだように葉もなく枝もなく、それはある時間にある場所に位置し、ある方向から射す日のもとである方向へある高さから視線を向けることではじめて見えてくる体のものだろう、とにかく凹みというか窪みというかちょうど腕が入るくらいの幅の空間が、そういえばそこでよく猫を見掛けるから、名前は知らないが、というか名前などないかもしれないが、あるいはいくつも名前を持っているかもしれないが、あるときは甲あるときは乙またあるときは丙べつのあるときは丁、而してその実態はもちろん不明だが、黒くて白いそれとも白くて黒い飼い猫のような野良猫のような雄とも雌とも知れないその猫の通り道になっているのだろう、あるいはそこで用を足しているのかもしれず、だからそこだけ枯れていて草も生えないのか、そうとすればそんなところに穴を掘るのはちょっと嫌だがそうも言ってられないそこよりほかにないとそこへしゃがみ込み、そうして穴を掘って埋めるのだが、というか埋めたのだが、馴れない手つきでぎこちなく、ほら、あなたがやったんでしょう、とでも言いたげな口振りで前屈みになって覗き込んでいるのをなかば無視して、右手に握り締めたそれを振り上げ振り下ろしながら、肩で押してくるのを背で押し返しながら、それとも肘で突いてくるのを肩で牽制しながら、首筋に掛かる吐息の、気疎く、それでいてどこか面映ゆい熱を感じながら、掘ることそれ自体が目的でもあるかのように懸命に、そうして次第に熱中して汗を拭うのも忘れるほど集中しているからには掘ることそれ自体が目的と化しているとそう言ってよく、とはいえ思いのほか土は硬く石も多くて手間取り、道具が頼りないこともあって、というのは掬う面積が掌ほどの大きさというか小ささというか、先端もそれほど鋭利ではないし柄も短いから柔らかい土や砂を掘るにはいいのだろうが硬い土には歯が立たないらしく、だから余計に力が要り、十センチくらいの深さだろうか、掘り返すのにいったいどれほど要したことか、もう日が暮れ掛かっていたと思しく、それとも日が暮れてから取り掛かったのだろうか、その頃になってようやく思いだしたとでもいうように重い腰を上げたのだったか、それとも見咎められるのを恐れて、というのは厳粛且つ神聖なそれは儀式なのだから揃いの黒い衣裳に身を包んだ人たちの坐る背のさらに向こうに一際目立つ後頭部が朝日のごとく揺らめいているのを誰も笑わないのであり、とにかく密やかにしめやかに執り行わねばならないというような認識があって日盛りを避けたのだったか、場所の選定が思った以上に難航したのだったか、いずれにせよそうしてできた大して深くもない穴の底へ納めると搔きだした土を被せて覆い隠し、さらに上から押さえつけて平らに均し、次いでひんやりと冷たい小石の混じる少しくざらついた感触が今も微かに残る手を尻の辺りで拭ってから割箸だかアイスの棒だかをまだいくらか柔らかさの残る土の上に突き刺して、先端であり尻でもある、というのはあるときは先端にべつのあるときは尻にというようにどちらにもなるからだが、通常平行だろう線が平行ではなく、一方の端へゆくにつれ少しずつ狭まっているから長方形ではなく台形の、黒い油性のものだろう一方の端が細でもう一方が極細という二種類の太さというか細さというか、その太いほうで、というのは細のほうだが、なぜといって極細は細すぎるため木肌に引っ掛かってうまく書けないからで、そうしてその割箸だかアイスの棒だかに何と書いたのだか、もちろん盛り土に突き刺す前にだが、つまり何某か書いたあとに突き刺したのだが、掘る前に書いたのか掘ったあとで書いたのか埋めてから書いたのか、とにかく何と書いたのだったか、そのアイスの棒だか割箸だかに黒々と引かれている線というか文字というかを読もうとして顔を近づけるもののインクが滲んで隣り合う線と線が重なりひとつに溶け合って読み取れないらしく、首を捩じ曲げて少しく斜めに振り返りながらほつれたのが口元に掛かるのを気にもせず、なんて書いてあるのこれ、とでも言いたげな眼差しで、僅かに開かれたその口から出てきたのはしかし吐息だけで問いは発せられず、それなのになんて書いてあるのこれという声を聞いてしまう、たしかにそれを耳にした、あるのるがるなのだかんなのだか分かりづらい発音やこれのれを半端に引き伸ばした舌足らずを装った口調が誰の口調を模したものなのかそれは忘れてしまったが当の口調は忘れようもないと何度も何度でも、廻転する盤上の溝へ針を落とすというかその先端を溝へ宛うようにそっと置くというか乗せるというかして再生させるように何度も何度でも、もちろん今はもう跡形もないが、壊され引き抜かれ掘り返され埋め戻され均されて、或るものはべつの場所から持ってこられ或るものはべつの場所へ持ち去られて、所有する者も代わっているだろう、すっかり様子が変わってしまってもう何がどこにあったのかさえ分からないそこは見も知らぬ場所なのであり、だから本当にあったのか、それがそこに確実に存在していたと言い得るものは何もないのだし、もう跡形もないのだから、何ひとつありはしないのだから、痕跡さえ留めていないのだから、それをそれとして同定することが可能な残骸もその残骸を構成する分子も原子も悉くどこかへ消えてしまって再び見出すことはできないのだから、いや痕跡はある、ここにある、そう言ってよければだが、唯一ここに残っているこれがそれなのだと当のそれを見せることはできないが、それでもこれこそがそれにほかならないのだとそうくり返すことはでき、というかそうくり返すことしかできないのだから何度でもくり返すほかなく、これがそれなのだと何度も何度でも、といってそれは弁明ではないし釈明でもなく、ただありのままをありのままに何度も何度でも、ところがそれに異を唱えるように少しく嘲るような眼差しで刺すというか貫くというか、全部ね、あなたがやったんだから、とそう言うのだがでたらめもいいところで、いくらなんでも全部ということはないはずで、そのうちのいくつかは自身の所業と認めるに吝かではないが全部となると到底首肯し得るものではなく、しかも已むに已まれぬ事情のもとにそうせざるを得なかったのであって決して自ら率先してそうしたのではないのであり、何ひとつ残っていないからといって何もかも押しつけるのはあまりにも横暴というか無責任の謗りを免れ得ないだろう、それともそれを根拠づけるに足る、それを突きつけられたら斥けることのできない確たるものがあるとでもいうのだろうか、勝ち誇ったような笑みが何よりその証左とでもいうのだろうか、その笑みを前にして怯んで口籠ってしまうことが、それこそがすべてを物語っているとでもいうのだろうか、とはいえ何かを物語るなどということが抑もできるものなのか、できるとしてそれはどのようにして為されるのか。
いずれにせよどうしたらここにあるそれをそれとして示すことができるのか、もちろんそんなことできるはずもなく、それでもと執拗にくり返すうちに熱意が冷めてしまうというようなことになりはしないだろうか、というのはどんな熱意もいつかは冷めるだろうからで、それどころか何度もくり返すうちに磨滅し劣化して元の姿と似ても似つかないものになってしまうというかすでになってしまっているのかも、だから何の打撃も与えられず一笑に付されてしまうのか、それでもくり返すほかないからくり返すのだが空疎な空廻りに終始しているようでもあってどこに出口があるのだか、というか抑も出口はあるのか、窓はあるが扉はあるのか、窓があって扉がないということがここへ来て急に現実味を帯びてくるが確かめようと巡らせても、見開いても眇めても何も、つまりここには何ひとつ、全部が揃っているというのに何ひとつ、かかる行き詰まりから脱することの困難を、しかも自力で抜けだすことの困難を思うにつけ差し伸べられる手があれば縋りたくもなるだろう、況して一刻の猶予もないとなれば尚さらで、とはいえ誰が差し伸べているのか、その手はいったい誰の手か、まったく覚えがないし差し伸べられる謂われもないが、そうかといって拒否できる状況ではないこともたしかで、というのはうねりのなかで行ったり来たり、こちらからあちらへあちらからこちらへ行ったり来たり、いつ消え果ててもおかしくない、それはもう呆気なく向こう側へ、準備も覚悟も決意も、何の心構えもなしに、それこそ一跨ぎで際を境を越えてしまう当の際に境にいるのだから、いたのだから、要するに何も見えず何も聞こえず、闇よりも深い闇に閉ざされていると言ったら言いすぎか、それでも凝らしつづけているうちにはそれなりに見えてくるに違いなく、何かが、ほんの少しでも光が注げば明るく照らされるというのではないにせよ何かが、何かは分からないが何かが、そうとすれば風を通すことが、そのためには窓を開けることが、そうして万遍なく攪拌することが、そしたら風に乗ってゆっくりと、軽やかに舞いながら差し伸べられるその手をこの手に、引き寄せ手繰り寄せて少しのズレもなくぴたりと重ね合わせることが、そんなことできるのだろうか、いやできるかどうかではなくやらねばならないのであり、もちろんそうするよりほかにないのだからそうするのであって、そこに踏み留まるというかそこから踏みだすというか、懸命に藻搔いているのを知ってか知らずか、もちろん知っているに違いないが、白を切るというか白さを示すというか、私じゃないよ私じゃないからね、と頑なに否定するとともに仄白い姿が、いや一瞬遅れて、まず声が次いで姿がというように浮かび上がり、髪が踊るほどに打ち振るからだろう、折角整っていたのが少しく乱れて幾筋か頬に掛かり、まあそれはそれで趣があるがいくらか所帯染みているというか、窶れたような疲れたような、そんなふうにも見え、尤もつけ入る隙のない完璧な、いや完璧などというものはあり得ないからそれに準じるとでも言おうか、そうした装いよりもそのほうがよほど親しみを覚えると言っていいが、横様に払いながら撫でつける仕草とともに尚しばらく揺らめいているのを、次いで僅かに風が起こってこちらのほうへ、花の香とともにこちらのほうへ、匂やかなそれを嗅ぎながらそれが逆に怪しい、その頑なな否定こそが事の在りようを示している、とそう指摘することはしかし差し控えて今一度差し伸べられる手を、届きそうで届かないその手をこの手で、それともその手がこの手を、全体どの手がどの手を、つまりどの手にどの手が、いくつもある手が入り乱れ交錯して何が何やら、もちろんどれでもいいわけではなくそのうちのどれかひとつを、間違えたら大変なことになる、握るべきはひとつだけなのだからと慎重に、といってじっくり考えている余裕はないから差し伸ばして最初に触れるものをそれが何であれ摑むよりほかにないのだが、いずれにせよ何か必要な手順があるならそれに従うが当の手順なるものの一切が不明とすればどうすることもできず、ただ闇雲に動き廻っても詮ないがただ闇雲に動き廻ることしかできないのもたしかで、だからただ闇雲に動き廻っているのだがそれにも限界があり、というのはすぐそこまで迫っているらしいからで、まだいくらかの隔たりはあるにせよ刻々とそれはこちらのほうへ、布を隔てたその向こうから音もなくそれは寄せてくるらしく、ひたひたと気配だけがこちらのほうへ、布越しに伝わるその重みが少しずつ浸透してくるのを押し返すというか去なすというかするものの去なしきれず真面に浴びてしまう、飛沫が掛かって濡れてしまう、まあ少しくらい濡れたからといってどうということもないが少しどころじゃないから困るわけで、なぜといってあとの始末が大変だろうからで、それでも替えの用意があるならまだしもそんなものはないから乾くまで待つしかなく、尤も待つことはできるというか待つことしかできないというか、呼ばれるまで、名を、とはいえ誰の、それは誰なのか。