とにかくその白い筋というか紐というか服の袖口や首や胴に仕込んであるような細く伸縮性のある素材でできているというか素材そのものと言っていいそれは地面すれすれのところを二本平行に伸びて足首の辺りで引っ掛かっていてつまり一定の距離をおいて右と左とにひとりずつ足を拡げて立ちその四つの足首が紐に触れているというか紐を支えていてそのシルエットはどこか橋桁だけを残して朽ち果てた吊り橋めくがその橋を渡るのではなく飛び越えるべく順番の廻ってくるのを待つ間にも紐をこちらからあちらへ飛び越えあちらからこちらへ飛び越えることに余念なくそうして足首からひかがみへひかがみから腿へ腿から腰へ腰から腋へと二本の紐というか輪になった紐は少しずつ高さを変えてゆくのでありそのたびにこちらからあちらへ飛び越えあちらからこちらへ飛び越えるのだが足首は楽勝でひかがみもまあしくじることはないだろうし腿もなんとかクリアできるとしても腰から上となると熟練が必要でその高さを飛び越えるにはあらゆる技術を駆使せねばならずそのためには毎日暗くなるまでこちらからあちらへあちらからこちらへと飛び越えつづけそうすればいつかはと夢見ていたその夢は努力の甲斐あって現実のものとなったのかそれとも叶うことなく夢に終わってしまったのか曖昧な笑みのうちに読みとることは叶わずぴちゃぴちゃいう音とともに眼差しは宙を彷徨いながらぐにゃぐにゃと揺れ動く手足のほうへ向かうがいくらか俯いたせいで僅かに影が落ちると薄く刷毛で引いたような翳りに覆われて深い茶色だった瞳がほとんど黒に近い色になりそれだけ瞳孔も開いているだろうがそこまで見分けることはできずとにかくその翳りの中で眼差しは何かを捉えようと彷徨うらしく乳白色というか黄白色というか水滴に覆われた壁面を自らの重みに耐え切れず落ちてゆくその水滴によって刻まれた線が縦に並ぶその線を捉えるとそれを辿って下がってゆきつまり徐々に目を伏せる恰好になり次いで浴槽の縁へ至るとさらにその水平面から少しずつ傾斜してほぼ垂直に落ち込んでいる浴槽の側面へ至りそこからさらに降りていって小さな波の打ち寄せる湯面へ至るがその界隈を行ったり来たり彷徨うらしくいや行ったり来たりはしても彷徨っているわけではなくその道のりの果てしなさと言ったらそれはもう気が遠くなるほどだが彷徨っているわけでは決してなく丁字路というか逆ト字路というか過ぎた辺りからいくらかペースが落ちたことは否めないにせよ当の建物はまだ影も見えないにせよたしかにそこへ向かっているのだから刻々そこへ近づいているのだからつまりこの一歩で一歩分の距離だけ近づき次の一歩でさらに一歩分の距離だけ近づくのでありそうして緩いというか少しくきつくなった勾配の坂道を墓標めくオレンジの丸と線との脇を掠めながら辛気臭い面持ちに見下ろされながら闇に沈んだその先を見据えながら歩いてゆくのは甘利に違いないが長々と湯船に浸かりながらふやけて皺の寄った指を弾いて水飛沫というか湯飛沫というかそのぴちゃぴちゃいう音が反響するのを今も尚耳にしているというか今まさに耳にしているというかそれでいてどこからそれが聞こえてくるのか誰がそれを聞いているのかそのどんな小さな呟きも吐息も聞き漏らすまいと耳をすましているのはもちろん智慧第一の舎利弗というかシャーリプトラというかサーリプッタでありその舎利弗というかシャーリプトラというかサーリプッタを筆頭に居並ぶ多くの弟子たち参会者たちにほかならず須達多長者の寄進になる広大な敷地は人で溢れ返って噎せ返るような熱気に包まれていたのに違いなく期待に満ちた眼差しが一心に見つめているのはオレンジの布というか衣を纏ったゴータマというかシッダルタというかシャーキヤムニというか釈迦その人にほかならないがいったいそこで何が語られたのか粉飾に満ちた教典から窺い知ることはできずなぜといって空中を飛んだり眉間から光を放って遍く無量の世界を照らしたりというようなとても人間業とは思えない姿がそこには描かれているからでそんなふうに神格化された神々しい姿から当の神々しさを薄皮を除くように剥ぎ取って生身の等身大の人間臭いと言ってもいいそうした姿を見出すことはできそうになくとはいえそうした姿をこそつまり生身の等身大の人間臭い姿をこそ求めているのだが長いのも短いのも大きなのも中くらいのも微細なのも粗大なのも目に見えるのも目に見えないのもすでに生まれたのもこれから生まれるのも一切の生きとし生けるものは幸福であれとそう言っていたのだろうかそれを信じるに足る物的証拠はあるのだろうか、もちろん艶やかに血色もよくぴちゃぴちゃと濡れそぼつというか仄かに赤みの差した耳元から首筋に掛けての曲線というか曲面というかそこを通って流れ落ちた汗だろうか水滴だろうか鎖骨の窪みに僅かに溜まっているそれはぴちゃぴちゃいう音とともに今まさに現前しているのでありそうして少しく重力から開放されて身軽になったその身は再び重力の中に置かれると骨と筋肉によって支えられながら湯を滴らせ湯気を立ち上らせて分身と対峙する恰好で腰掛けるがその表面は目に見えないほどのごく小さな水の粒に覆われていて光が拡散するため正しい像を結ぶことができずつまりぼんやりとしか捉えることができずだから湯を流し掛けて表面を覆う水の粒を流さなければならずそうすることで正しい像が結ばれてこちらを見つめる分身と対面してふたりしてまったく同じ動作をするというか同じ動作しかできないというかいったいどちらがどちらを模倣しているのかもちろんそれは弁えているつもりだがどうかすると主客が顛倒してしまったような混乱にほんの一瞬にすぎないにせよ陥ってぴちゃぴちゃいう音の中でそれは白い泡に包まれて一日の汚れや汗や臭いやを洗い流すのだがぴちゃぴちゃいう音の中でそれはまた汗を噴きだし匂いを振り撒いて声にならない声が滲むというか漂うというかぴちゃぴちゃいう音に応じるように強まったり弱まったりしながら膨れあがりいつかぴちゃぴちゃいう音よりも大きくなって一室を満たしその分ぴちゃぴちゃいう音は遠離ってゆくがそれでも尚耳はぴちゃぴちゃいう音を捉えてどこか庭を流れるせせらぎめくその音に聴き惚れるというか止め処なく溢れ出てくるそのすべてを飲み尽すことはできないにせよいくらかは飲み干してそうして汗と体液を吸って重くなった蒲団は晴れた日に干されて水分の蒸発とともにいくらか軽くなったら取り込まれるがそれはまたすぐに汗と体液を吸って重くなりいやそうすぐにというわけにはいかないというのはこちらにはこちらのあちらにはあちらの都合があるからだがそれでも互いの都合を照らし合わせて調整することに吝かではないしすぐにもそうなることを期待しているというか期待を込めた眼差しを一点へ向けて放つというか放ち合うというかぴちゃぴちゃいう音の中でそれは絡まり縺れて甘いような酸っぱいような匂いを一段と強く振り撒いてそうして上になったり下になったりというかもはや上も下もなく彼我の境界を越えて結ぼれるというかすべてがひとつになったような合一感とでも言えばいいのか忙しなく出たり入ったりして刺戟し合いながらどこまでも深く沈潜してゆくその深さは底知れないのでありつまり何々さんが訊ねたとあるそのあとに問いが提示されそれに対して師は答えたとあるそのあとに何々よ何々である何々と私は説くというように問いとその答えとが一組みになった韻文形式のものにその人間らしい姿を窺い知ることができ、もちろん上は上であり下は下であるからしてそれらは画然と分かたれていると言ってよくつまりざらざらする質感の細かい石粒のようなものに覆われているほうが上でそれより滑らかな質感の石垣を模したような作りになっているほうが下でその反対では決してなく堅牢な城砦には見えないにせよ敷地のぐるりを隙間なく囲んでいて外からは覗けないその囲いというか塀というか通りに面しているところに穿たれたふたつあるうちの一方の穴を潜り抜けて表へ出て左へ向かうと中央を流れる川へもう埋められてしまったが埋められたといっても中は空洞なので上から蓋をしただけということになるが暗渠なのではなくつまりそこに水は流れていないのであり代わりに軌道が敷設されてその上を電車が走っているのでありとにかくそのときはまだあった川へと至るから左ではなく右へ向かいすぐにひとつめの辻へ出るが横断歩道を渡った右手角の煙草屋の前を右に曲がるのかそれとも横断歩道は渡らずに手前を右へ向かうのかそのいずれかであるいは長方形のその区画を対角線上に進めば最短距離になるが分離帯の植込みが邪魔をしてそれはできないから迂回というか道なりに歩道を進むほかなくなぜといって大胆に車道を横切る勇気はないからでそうして次の辻へ至るとそこを左に曲がった通りの何軒目だろうか右手にそれはありもちろん今はもうないがそのときはそこにあったのであり屋根というか庇というか手前に張りだしているそこに布かビニールかそれは分からないが覆いがしてあり雨が降って乾いたあとに残る塵や埃に汚れて縦にいくつも筋が走るそこには日差しに色褪せて境界が曖昧になって翳んでいるのに加えて下から見上げるから余計見えにくいが右からや次いで真ん中がかそして左がなと大きく記されていてそれがどんな意味なのか知る由もないがそれがどんな意味であれ四囲の中で一際目立っているのを捉えた途端駆けださずにはいられないほど胸躍らせてくださいなとどこか符牒めく挨拶もそこそこに硝子張りの蓋をされた木箱が並ぶその前に屯している先客たちを押し退けはしないにせよ搔き分けながらひとつずつ中を物色してゆく眼差しは硝子をも溶かすほどでいやそれはないがその真剣さに於いて他の誰にも負けないというような勢いというか熱というか帯びているのはたしかでそうした熱い視線を浴びて輝くのかそれともそれ自身の内から放つ輝きなのかそれは分らないが眩しさに目を細めながら透明な硝子のその向こう側を覗き見ると隙間なく詰め込まれた品々は屈折によって歪んでいるもののどれもこれも手を伸ばしたくなるほどに煌めいて目移りしてしまいどれほどの時間をそうして眺めていたのか分からないがその中にあるもの全部と交換できるだけの貨幣があればそれほどにも悩みに悩むことはなくもちろんそれが望むべくもないことは分かっていて山と積まれた目映い宝石の中からせいぜいひとつかふたつを選びださなければならないのだからそれはもう至難というか苦渋というかそれでも選ばないわけにはいかないから選ぶのだがひとつかふたつを選ぶのだがいくつか候補に挙がったその中から絞り込んでゆき最終選考を勝ち抜いてその手に握られるのはいったいどれなのか熟慮の末にというかなかば自棄糞にというか手に取ったひとつを持ってゆく間も心は揺れて混み合う中順番を待つ間も今引き返せばまだ間に合うとぎりぎりまで迷いつづけて貨幣と交換しても尚迷いつづけいやそれはないがごく薄い半透明のトレイの上に区切られた枡の中にひとつずつ納まっているそれは一辺が一センチほどだろうか淡い緑や淡いピンクに染まってたった今雪の中から掘りだされたばかりというように斑に白く粉を吹いている姿は愛らしく柔肌のような透明感にいつまでも見入ってしまうほどだが四角い錠剤というかとても柔らかくて甘い錠剤というかいくつでも服用できる錠剤というかそれをひとつずつ突き刺して味わってゆくかふたつ三つ串刺しにして豪快に頬張るかまずはひとつ次にふたつその次が三つと段階的に増やしてゆくかその楽しみ方は無尽蔵と言ってよく帰る道すがら思案するうちに我慢できずに封を切り気づけばトレイは空になって中身は跡形もなく消え失せているとそう言っていたのだろうか。