友方=Hの垂れ流し ホーム

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ここまで書き進めてきたにもかかわらず(註─というよりたったこれだけしか書いていないというべきで、書き漏らされたことは多々あるに違いなく、むしろその書き漏らされたことにこそ決定的に重大な何かが秘められてあるのに違いなく、そこにこそ眼を向けるべきなのだ。書かれたものにはだから何の価値も認められず、書かれた途端に無価値となってしまうのだ)結局初期の目論見の通りというか目論見から大きく逸脱してというか、その落としどころを見出せぬまま筆を置く羽目になったことについては自身への已みがたい怒りを抑えきれないし書き逃げの謗りも免れがたいものの、今となってはもう何を言ってもはじまらないし、これが小説とはなり得なかったのも偏に自身の才のなさ(註─つまり作家先生ではなかったということで、姉のほうか妹のほうかは定かじゃないが恐らくそれは高橋の妄想に違いない)に起因するのだが、抑も最初からその目論見は挫折せざるを得なかったのかもしれず、それを言ったら身も蓋もないが、いや、そんなことはもうどうでもよくてたとえ外が死の灰の降る荒廃した世界だとしてもここから出ていくことが私に残された唯一の道なのだと主人公たる《糸杉》なら言うに違いなく、もうすぐここへ高橋と名乗る女がやってくるだろうからその前に行かねばならない。いや、もう来ないかもしれないが私にはこの狂気じみた一切を記すことに同意などできないということが明らかとなった以上一刻の猶予もないのだからとそんなふうに自身を奮い立たせてずっとへばりついていた座机から立ち上がると、長いこと坐りっ放しだったせいか立ち眩み、よろめいた弾みに座机の角に強か脛をぶつけてしまい、踞ってしばらく痛みを怺えつつこんなことで飜意などするものかと誰にともなく吐き捨てて振り返ることなく玄関へ向かう。勢い込んでドアノブに手を掛けるが不意に恐怖が兆し、それでももうあとには退けぬ死の灰の降る荒廃した世界へこそ行くのだと意を決して(註─意など決してはいない、ただ息苦しい部屋から出たかっただけだ)扉を開けるとそこは狭暗い観音彫りの通路で、左手に真っ直ぐ伸びているその先は闇に閉ざされて何も見えず、玄関扉を閉めてしまえばほとんど真の闇だから手探りで進むほかなく、しばらくして明かりの下へ出られたから一息つくがその分発見される可能性も高まるわけで、それでも厳重な警備体勢にあるわけでもないらしく監視カメラの存在も確認できないが、できないだけで見えぬところに設置されていることも充分考えられるから(註─当然すべては見られている。見られることが主人公を主人公たらしめているのだから、主人公でありつづけるかぎりそれから逃れる術はない)慎重には慎重を期して、といって気配に気を配るくらいしかできぬが、そのようにして地下深くの秘密な悪の研究所というにはあまりに見窄らしいゲリラのアジトめいた狭暗い通路を闇雲に歩く。

通路はすぐに突き当たって左へ折れ、しばらく行くとまた左へ折れ、そうして幾度か左へ折れて突き当ったところに階段があると予感するが、その通りに階段があるから少しく驚き(註─驚くには当たらない、それが物語的仮構の常套なのだから主人公のいかなる場当たり的行動もそれにより規制されている)、カコンカコンと一足ごとに嫌な響きを撒き散らすその階段を上りきったところに古めかしい鉄扉がひとつあり、錆びつき朽ち掛けたそれはいかにも開かずの扉めいているからここまでかと諦め掛けるがノブに手を掛け廻すと苦もなく動き、ゆっくりと押し開けたその向こうは目映いばかりに陽光煌めく蒼穹の下いくらか埃臭いものの室内の澱んだそれとはおよそ異なる肺に清々しい微風のそよぐ真昼の屋外ということならどんなに良かったかしれないが、そう巧い具合に物事は運ばぬらしく(註─何せ危地へと赴かざるを得ぬ主人公なのだから)、さっきと変わらぬそこは簡素な部屋で、湿気でところどころ浮きあがった色褪せくすんだ壁紙の見窄らしさに吐息を洩らしていると、私の淡い夢想を破るかに「遅いじゃないか」と苛立たしげに叱責する声が響き、聴き覚えのある声だと見ると港がソファの前の床に胡座をかいていて、その鄰には高橋姉が退屈そうに頬杖ついているし、ふたりの向かいには高橋妹が取り澄ました面持ちで横坐りしているからちょっと面喰らう。こちらが席を外している隙に漆黒の座机に酒とつまみを並べて万端整えて待っていたのらしいが何せ不知案内のところだから遅れても仕方なく、なかば口籠りながらもそう弁解すればキャベツの芯を食わされたことがよほど癇に障ったのか言い訳するなと港は痰の絡んだような不快な声で喚くが、姉妹の非難がましい視線に気兼ねしてかいくらかトーンを下げて「まあ坐れ」と手招きする。嫌だとは言いだしにくい雰囲気で、先に始めていても良かったのにと怖ず怖ずと座に着くと主賓をおいては何ごとも始まらぬと厳かなふうを装って港が言い、それに同意を示すかに姉妹も頷く樣子だが、主賓にしては扱いがぞんざいだと皮肉な笑みで見返すと主人公たるもの須らく酷い目を見るものだと港は残酷な流し目をくれ、姉妹も妙な笑みとともに頷くから寄って集(たか)って人をコケにしようって腹かと少しく腹が立つ。総力戦を余所に暢気に酒など飲んでいていいのかと訝れば「いいさ、好きにやらせとくさ」それがお前のシナリオなんだからそれには誰も逆らえぬと脇でゴソゴソやりながら港は鼻で笑い、これで文句はないだろうというような憮然とした面持ちでキリンラガーを差しだすから思わず受けとってしまうが、この物不足の折によくこれほどの嗜好品が入手できたものだと尚拭い切れぬ疑念に三人を順繰りに眺め廻していると虫でも払うかに手を振って港は遮り、自分にと用意したアサヒ黒ラベルを掲げて乾杯を促す。

飲んだからとて疑念の晴れるわけもないが飲まずにはいられず、飲めば疑念の大半は意識の片隅に押しやられてそのうちどこかに仕舞い込まれ、ある時点を境にほとんどどうでもよくなってしまうが皆やけに愛想の良いところがいくらか引っ掛かっていて、何か良からぬことを企んでいるのに違いないと警戒を強めるものの知らぬ仲ではないのだしあんまり疑っても悪いと思うからか徐々に警戒は薄れ、三人の笑ましげな挙措から察するに接待されているのらしいと気づくが上司に接待されるというのも妙で、よほど期待されているのかもしれないがそれに答え得るだけの労を払う気はすでにこちらにはないしこんな接待くらいでそれが覆ることも恐らくないだろうし、抑もそれに見合うような仕事でもないと思うから受けるべきではない接待だといくらか気が引けるが、今までさんざん振り回されてきたのだからこれはむしろその代償として受けて当然の接待なのだと割りきって促されるまま杯を重ねていき、自制してはいたものの盛り上がってくると自然気分も昂揚するし飲め飲めと三方から勧められて悪い気はしないから常よりピッチも上がってくるしでそのうち四壁が蠢きだし、そうして程よく酔いが廻ってしばらくうとうとと微睡んでいたが、ふと気づくと港と高橋姉とが妙な具合にグネグネと体を絡ませている。何もこんなところでしないでも良さそうなものだが、酔いが好色な気分を増幅させるためにそれから視線を遠ざけることは困難で、盗み見るというよりはもうあからさまに見つめてしまい、とはいえこちらの期待とは裏腹に淫らな雰囲気というのでもなく、どこか儀式めいた厳かな感じが漂うようで好色な気分も途中で萎えしぼみ、セックスとは斯くもつまらないものだったのかと妙な感慨に浸されつつも尚しばらくふたりの組んず解れつする様を鑑賞していた。当然予想されるべき展開なのだが酔いに濁った思惟にはまったく意想外の展開で、気づいたときには己が下半身が剥きだしにされていてそれが高橋妹のこれも剥きだしの下半身と妙な具合に絡まり合っているのだったが、腰から上のほうは至って生真面目な物腰で書類など手にして熱心に読み耽る様子だからどちらに応じるべきなのかで迷い、差し当たって上のほうが無難だとそのほうへ焦点を絞りつつ何が書いてあるのか訊いてみれば「ちょっと気になることがあってね」と笑って答えず、ときどきこちらのほうへ視線を向けて愛想笑いを浮かべることから私に関することが書かれているのに違いなく、書類と私とを往復するその視線に誘導されるように手許を覗き込もうと半身を乗りだすが巧く紙面を捕らえることができない。

港と高橋姉とはもう判別しがたいほどひとつに溶け合ってしまっているがセックスというよりは何か合体とか融合とかいうようなものを思わせ、それほどにもふたりは渾然一体と言ってよく、熱したチーズのようにとろけた肉体がグニョグニョと蠢くグロテスクとしか言いようのないその光景に殊更気分を害するというのではないものの何か違うだろうというような異和を懐き、懐く傍からしかし摘みとられてしまうようで、頻りに「違う違う」と呟いて抗ってみても実感の伴わない上っ面な言葉としか聞こえず、一服盛られてしまったらしいとようやく気づいて手足を振り回すが思うように動かすこともできないから焦り、さらに違う違うと叫ぶも声というよりはもうただの擦過音にしかすぎないからどこにも届くことはなく、とはいえそのうちそんなものかと気にもならなくなってしまうのは高橋妹との融合が進んでいるからなのらしく、自身の意識のうちに高橋妹のものと思しき意識が混入してきて宥めるでもなく諭すでもなく至極穏やかな心持ちで包み込むようなのだった。進んでそれを受け入れる気もないのだが抗う術もなく高橋妹のものか私のものかもう定かではない穏やかな心持ちが確実に意識を占拠していき、茫漠とした視界には何か蠢くものが漂うようだが靄でも掛かったように見定めがたいし見定めようとする気持ちも萎えてくるしで何もかもが曖昧になり、そう思ううちにもすべてを受け入れ肯定するやさしさに自身うっとりとなって徐々に意識も遠退いて遂には事切れるようにして眠りに落ち、夢のない眠りを昏々と眠って一昼夜だか二昼夜だかして目覚めると知らぬ場所にいるから少しく慌てるが、よくよく見れば自宅マンションのリビングなのに気づいて安堵し、とはいえどことなく知らぬ家の雰囲気だからやはり懸念は拭えず、それでも自分ちには違いないからとやり過ごして洗面へ立って戻れば粗方懸念は去っているが、どうやって帰ってきたのだかさっぱり記憶していないからそれだけがいくらか引っ掛かるものの過去にはそういうことも幾度かあるからさして気にもとめなかった。

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