それからさらに数時間が経過して日も暮れかかる頃と記憶するが、無数ある物体のうちのひとつが音もなく目の前に降りてきて、地上三〇センチほどのところで止まるとそのままの位置を維持して重力に反して浮いているからその発達した科学力の程が否応なしに理解され、それから推して異星人の手にしたおもちゃの光線銃もハッタリじゃないとようやく事の重大さに気づいたというように背筋が寒くなるが、寒風吹き荒ぶなかに半日上着なしでいたせいでは決してない。非装飾的なその物体は角がいくらか丸みを帯びた一辺が二メートルほどの艶のない立方体だが、モノリスとは似ても似つかぬ品のない濁った色合いをしていてセンスの欠片も感じられず、不用意に口にして印象を悪くしても損だと黙しているがこちらの思考はすべて筒抜けだからこの美しさが分からぬとは実に残念ですとそう異星人は思念を送って寄越す。この物体が美的か否かを議論する気は更々ないし無意味な議論で残り少ない時間を無駄にもしたくない(註─いくら主人公だからといって安易に楽観できるわけはなく、いや、むしろ主人公だからこそ楽観できないのだ)と思うから黙して受け流すが、なぜか不意にその異星人が港の扮装のような気がしてきて、端的に美的センスのなさがそのような想念を齎したのかもしれないが一旦そう思ってしまうと覆すことは難しく、首筋辺りの肉づきというか筋張った感じがどこか港を思わせもするし、人を小バカにしたようなその腰の低さにしても上司を前にした卑屈さに通底するものを感じなくもなく、あらゆる挙措の端々に港的様相を見てしまってその身長の決定的な違いを無視してほとんど港と決めつける。総力戦に敗れたからといって何もこんな人を食った座興に逃げなくてもよさそうなものではないかとそのズレた(註─ズレてるどころか余りにも度を越していて笑うに笑えない)感覚が疎ましく、人が不安になっているのを仮面のうちで嗤っているかと思うと少しく腹が立ちもし、殊更意見する気もないながらこんなところで遊んでいる暇があったらうちへ帰って奧さんに詫びのひとつも入れたらどうかと臆せずぶつけてみれば、港扮する異星人は軽くあしらうかにひとつ頷いて「お知り合いですか」と飽くまでシラを切る構えだが、その太々しいシラの切りようが如何にも港らしく思え、何ひとつ根拠はないがこれはもう断然港に違いないと確信するに至る。このまるで生気の感じられぬ(註─仮面だから生気がないのは当然だが、それにしてもよくできた仮面で作り物とは思えない)どうにも冴えない面構えの異星人が港だとすればここで調子を合わせないとあとで何言われるかしれないと内心の苛立ちを抑えて恭順の姿勢をとれば、それに輪を掛けた慇懃な物腰で港扮する異星人はその異様に細長い指で物体のほうを指し示し、振り返り見ると濁った黒っぽい灰色の表面に私の顔がぼんやりと映っているのが眼に入るが、ひどく憔悴した面持ちなのがそれでも見てとれるくらいだからよほど疲れているのだと実感されてこういうのはもうやめにしたいなあと溜息が出る。思えば何かしら書いているあいだは食事らしい食事もほとんど摂っていないようだったからずいぶんと体調も崩していて、疲労も溜まっているようだとそう思うと急に年取ったように足腰が重くなるようで立っているのもしんどくなり、そういえば歩いているときも膝関節が軋むようだったと思いだし、港扮する異星人の意に沿うつもりは全然ないがこんな状態では抵抗すべくもないとまったく弱気になり、茫然と佇んで自身の(註─人類のではない、決して)絶望的な行く末を思いなしてはひどく打ち拉がれるのだった。
材質も分からぬその物体に扉というよりは口を開けるという感じで胸元辺りの高さで穴がひとつ開き、それが四角く広がって足元のほうでステップが飛びだし瞬くうちに入口が出現するが、最新のテクノロジーの凄さに驚くというよりはそのようなテクノロジーを備えた機器を調達した港の手際良さに驚き、何かヤバいことに手を染めたとかいうことではないだろうなと要らぬ心配をしてしまうが目下懸念すべきはこの眼前にパックリ開いた四角い穴で、港扮するこの異星人が何をしようとしているのか見当もつかぬから素直には従いにくく、いや、それ以前に狭いところが苦手だから尚のことためらわれ、どうにかして回避する手立てはないものかと思案していると背後から「どうぞ中へ」と促す声が掛かり、というか頭のなかに響く。ただ単に狭いトコへ閉じ込めて苦しみもがくのを楽しもうというだけならまだしも、いやそれだって相当にひどい仕打ちでそんな理不尽窮まる仕打ちをされる謂れはないはずなのだが、あるいは萎びたキャベツの芯を食わされたことを恨んでの意趣返しかと勘ぐるも、あれは高橋の仕業だから私の与り知らぬことだしいくら港でもそのような子供染みた意趣返しなどしないだろうとそれは斥ける。そうとすればほかに何か裏があるに違いないからその裏を見極めようとするがのっぺりしたその相貌からは何の変化も認められず、知らぬ間柄でもないのだからちょっとくらい加減してくれないものかと目配せしてもみるが、こういうときにかぎって役柄に忠実で慇懃な物腰よりほかに反応らしい反応もなく、どうにもその真意を量りかねて「狭いトコダメなの知ってるじゃないですか」と少しく抗議してみても低姿勢を崩さず頭を下げるのみだった。これではただの質悪い嫌がらせではないかと尚しばらくごねていると徐ろにガチャガチャと腰のおもちゃを弄(いじ)くる気配で、まさか本気じゃあるまいが港ならやりかねぬとステップへ足を乗せてこれで文句はなかろうと横目に窺えば、恐縮したように頷きながらももう一方の足を踏みだせというかに地に下ろした足のほうを見やる。
いよいよ時間稼ぎも困難になったからなかば観念してそれへ乗り込むと、予想外に中は広く六畳ほどもあって入れ物よりも広いその構造の不可解に戸惑い、どのような仕組みなのかはまるで分からぬが狭くないことで少なからず安堵し、充分な広さがあるならあると先に教えてくれたら良かったのにと振り返るともう口は閉じられていて、何もない平らな壁面が現出して外部との連絡を断ってしまっている。残る三方も等しく何もない壁面でほんの小さな窓さえなく、しかも内部にはそれらしい照明器具さえないのにどこからか明るく照らされているから妙で、地に足がつかぬというのとも違うが何かそんなような心許ない感じでどこか落ち着かない。しばらくして壁面全体が茫と発光しているということに気づき、つまりそれ自体が照明らしいと理解するが心許ない感じを拭うに至らないのはこの飾りけのなさが獄舎のそれだとふと思ったからで、それを端緒にしてさらにも嫌な想念が擡げてきそうになったため慌てて払い退けると隅にひとつ置いてある腰掛けに坐り、低い背凭れに軽く寄り掛かって両足を前方へ投げだし両手をダラリと垂らして顎を胸元に埋(うず)めるように目一杯頭を前傾させ、考えるのは後回しと眼を閉じるが、両脇に垂らした腕が右と左とで荷重が異なるようで、左腕が右腕に較べて若干重いのを訝り、再度眼を開けて垂らした腕を腹の上に持ってくるとずっと握り締めていたその掌にはクルクルと丸められたノートが挟まっている。手にした覚えはないのだが持ってきてしまったらしく(註─途中で気づかぬのは絶対におかしく、どこかで持たされたのに違いない。してみるとこれは主人公に必須の小道具と思しい)、とはいえこれはもう私には必要のないものだと無造作に放り投げると、床に落ちたそれは丸められて湾曲した面でしばらく揺り籠のように反復運動をくり返しているが、そのうち動かなくなる。こちらも同様動かずにじっと次の展開を待つ構えだが囚われの身(註─あるいは囚われの身といういかにも主人公に相応しい役柄。とはいえそこからの解放が必須要件として前提されているかぎりにおいてだが)としてはそれよりほかに為す術もなく、そうして眼を閉じ耳を澄ましているとすぐ耳傍で聞き覚えのある声が「何だよシケたツラして、ヤなことでもあったか」とそれをつまみに一杯引っ掛けようとでもいうような下司根性を丸だしにして言い、無視していると執念く問いを重ねて絡んでくるところからして酔っているのらしく、間近にあるだろうそのうらなり顔の重圧とともに酒臭い息をたしかに感じるが眼を開けるとそこに港の姿はなく、記憶として残存するだろう声だけが空しく脳内に反響する。疎ましい声を拭い去ろうとしていると今度は後頭部辺りで艶のある声がして「教えたげる、本当に本当のこと」と囁くように告げるのを聞くが、振り向いたそこに高橋の姿はやはりなく、気配だけが常に背後にあるようで前を向いたり後ろを向いたりを幾度かくり返すもその姿を視野に納めることはできず、亡霊めいた声と気配が一室に瀰漫(びまん)するようで気味が悪く、あるいは呪殺しようとしているのかとの疑念が不意に過るが、歴史上に呪殺など存在するはずはないのだから何か勘違いをしている処刑としてそれは妥当ではないと非難がましく訴えるも、死霊か生き霊か定かならぬ気配は消えやらず漂いつづけて時折何ごとか呟くのだった。それだけでもうかなり凹んでしまって抵抗する気力も萎え、椅子から崩れ落ちそうになるのをどうにか怺えつつこんなことはやはり書くべきではなく、ひとり私の胸のうちに秘しておくべきだと抗うが、意思とは関係なくペンは勝手に先走ってあることないこと綴ってしまい、その暴走をとめることもできずにただの執筆機械に化したというか堕したというか、私という主体はもはや私のものではなくここに綴られたテキストこそがそれに相応しいとでもいうように、それもしかしテキストが主張するもので決して私がそう思うのではなく、だがしかしいつまでもどこまでも綴りつづけて已まないのだった。