ただ感情に任せて逆上するだけの女は軽蔑するがどこまでもクールというのもちょっと嫌味な感じで煙たがられるし、何も好き好んでそんな女を演じているわけではないから煙たがられても困るのだが実際そんなふうに見られがちなのは承知していて、とはいえこせこせと好感度アップに努めるというのも柄じゃないからなかば諦めているが、今の場合そういうわけにもいかないからできるかぎり太々しく映らぬよう煙草も消していくらか控えめに見やれば、そこにある糸杉の姿は情けないというより滑稽で目も当てられず、こんな場に立ち至ればどんな男だって滑稽だろうがそれに輪を掛けた滑稽さと言っていいから尚さらで、尤もそれが糸杉の魅力でもあるのだが今にかぎってはちっとも魅力的に見えない。抑もなぜ自分はこうも出来の悪そうな頼りない男にばかり惹かれてしまうのかと考えても詮ないことながらつい思惟は横道へ逸れ、母性なんて胸クソ悪い言葉は切り刻んで棄ててしまいたいし況してそんなのと一緒にされては困るが、傍目にそんなふうに見えるだろうこともたしかだから厄介で、今改めて自身の性向を思い見るに弱い者を苛めたいとか支配したいとかいうのとも違うのだが、Sかと言われればそうかもしれないという程度にはS入ってると思うからこの糸杉の困惑しきった様子にある種の感興を懐くとともに今しばらくそれを眺めていたいと思い、そんな思いを懐く自分に内心苦笑しつつ頼りなさから言えば港のほうが余程頼りないと苦笑はさらにも拡がり、うっかりすると面に現れてしまうと自制する。いつの間にか内省モードに入っていて、慌てて眼前にある見馴れた人物の見馴れぬ表情を浮かべた顔を順繰りに捉えれば、相応に事態の切迫を露わにした面持ちで誰かが口火を切るのを待つ構えだが、こういうとき最初に何かを言う役は常に私と決まっていてふたりとも私が何か言うのを当てにしているらしく、そんな眼で見つめているからどうにも困ってしまうし何を言う気もなくなるが、黙っているとみるみる空気は重くなっていくしふたりはバカみたいにそれを見て見ぬ振りだから仕方なく「3Pってのも興味あるけど、この面子じゃあちょっと」白けるわねえ、港のほうが何倍も盛りあげてくれそうだと冗談めかして言ってみれば、困惑と苛立ちをさらにも募らせるかにむっつりと黙り込んだまま何とも返ってこないから凍りつく。こんな場面は私だってはじめてだから間違えもするとそう言いかけるがここは我慢とぐっと抑えて「冗談だってば」と取り繕えば、そんなことで胡麻化そうたってダメよと冗談めかした口調ながら青褪めた顔色に殺気は露わで、こうなるともう何を言っても聞く耳持たぬからどう収拾つけたらいいのか分からなくてこちらも切羽詰まってしまい、掩護を求めて糸杉に目配せするが惚けたように虚空を見据えているばかりでまるで頼みにならず、本当に何もかも冗談にしてしまいたいとそんなことを思いつつそのあと何を喋ったのかあまりよく覚えていないが、冗談にしてはしかし度がすぎるから話を途中で遮ってそれは本当のことかと口にしようとし、直前でしかし思いとどまったのはひとつの情景が浮上してきたからで、不鮮明な映像と音声の断片的記録とでもいうほかないそれは記憶というにはあまりにあやふやな手応えしかないからいまいち信憑性に欠けるが高橋の話と符合する要素がないでもなく、それでもデジャヴュとの可能性も否定できないからもっとよく吟味してみるべきと考えているとその思念を察したというように「嘘よ」と高橋は嘲るような視線を寄越す。思考の糸を断ち切るかの一言に戸惑い、その真意を計りかねて何が嘘なのかと問い返せば、答えるのも邪魔臭いというようにあらぬほうを窺いながら「何がって、今の話」嘘に決まってるじゃない間に受けないでよねと悪戯っぽく高橋は笑い、どいつもこいつも人を担ごうとしてばかりいると思うと腹立たしいがあるいはそれも毒ガスのせいで、そうして不和を齎し自滅させるという手なのかもしれず、いや恐らくそうに違いなく、本当に皆バカになってしまって真面な者はもうどこにもいないのだろうかと何だかちょっと怖くなり、いや、そうやって惑わそうとしているだけだと自身に言い聞かせつつ高橋の様子を窺えば、どこか焦点の定まらぬ不確かな眼差しをしているからやはり何かにやられているとしか思えず、私にはしかしどうすることもできない。
この戦争(註─敵の所在もその目的も一切が不明の戦争)、いつになったら終わるのかとふと兆した疑問を何気なく口にすればそうねえと退屈そうに呟きつつクルリとこちらに向き直った高橋はひどく狡猾な笑みを浮かべて「みんな死んだら終わるわね」とそう言い放ち、とはいえそれも時間の問題だからとてもヤマトの帰還まで持ちこたえられそうにないわねとまるでそうなることを期待してでもいるかのように言い、だからこそあなたの出番なのだとあからさまには言わないもののこちらを横目見る妖しい瞳はそう告げているようで、とはいえその『だからこそ』の尤もな理由がこちらには不明なので答えようもないし、答える必要もないとそんなふうに考えてその要求の一切を斥けようとしていると、脇に退けたノートがいつの間にか手許に引き寄せられていてページも開かれてあり、自ら綴った文字の連なりが上下の罫の間にきちんと収まっているのが眼に飛び込んでくる。行儀よく整然と並ぶ文字群に驚き入るが先手を打たれた恰好で出掛かっていた言葉は引っ込んでしまい、ノートの左上端には絶妙の間でそれを為した高橋の指が軽く添えられているが、それが妙に白く浮びあがって見えるのは座机の漆黒との対照で、その指がスウとノートの端から離れると周りすべてを漆黒に包まれてますます白い指はその白さを増し、動くその白を眼で追うと漆黒の上をそれはゆっくりと移動し、端まで達するとフッと掻き消えるように座机の下へ潜り込む。行き場を失った視線をその先へ向ければ威儀を正して坐る高橋の姿があり、物言いたげにこちらを見ているその視線とぶつかるが、笑ましげなその眼差しに咎め立てするような雰囲気は少しもないのに一秒と合わせていられず、それがしかし却って相手の気分を満足させたのかしていくらか晴れやかな面持ちでずいぶんと長いこと邪魔してしまったと高橋は暇を告げると腰をあげる。あんまり無理してはダメよと忠言めいたセリフとともに高橋は玄関の扉を開けるが、その途端に物凄い轟音が響き渡り、その爆撃の凄まじさに怖れをなして後退るとそれを嘲るように「じゃあね」と明るく手を振りなどして高橋は行こうとするからしばらく様子を見て収まるまで待ったほうがよかないかと引き留めると「平気平気」痴漢のほうがよっぽど怖いと軽くいなして見送りも要らぬと断わり、爆撃のなかを物ともせずに颯爽と歩いていくその姿は勇壮だった(註─ということにしておく)。高橋が帰ってしまってから添削してもらっていないことに気がついた。
爆撃は相変わらずというか性懲りもなくつづいているが、もう少々のことでは驚かされなくなっているのもその虚構性※20(註─上記高橋の言動及び行動にも端的に窺えるが、何よりそれは私を囲い込む目的以外の何物でもない)に気づいてしまうほかないからで、虚構といってしかし侮れないのはそれがいつ現実に取って代わるか分からないからだが今のところは表向き常と変わらぬ日常があるらしく、いや、そんなことは実はどうでもよく、目下最大の関心事はその虚構性の自身への波及ということで、すでにかなりの部分が侵蝕されていると改めて実感している私はやはり《糸杉》であるほかなく、つまり私は私であって私ではないということで、その私でありながら私ではない《糸杉》は広げられたノートに向かいただひたすら何ごとかを書き綴るだけ(註─それが仕事だと思うようになってしまっている、というかそれが仕事なのだった)の時間を過ごしてほかに何をすることもなく、座机に突っ伏したまま寝てしまうことも一度や二度ではないが、というか書きながら寝ているし寝ながら書いているというような具合で書いた覚えもない文字が幾行にも渉って綴られているのを発見して驚くこともしばしばなのだった。それなのに、というかそれだからなのかもしれぬが《糸杉》なる存在への不審がこれ以上ないほどにも膨れあがり、制御不能なシステムを使いつづけることにはやはり無理があるし相応に負担も掛かるからいずれ破綻するだろうことは眼に見えていて、そうとすれば早めに見切りをつけてしまったほうがよくはないか、抑も便宜上の設定にすぎないのだから取り替えは可能なはずだし何の不都合もないはずとそう思うのだが、いざ変更しようとしてもなかなか思うように筆が進まず、結局ズルズルと《糸杉》を掲げたままここまで来てしまい、もうそれさえ不可能なくらい主人公として定着してしまっているらしいのだ。そのせいで書き進めることが困難になったというのも頷けるが、高橋の、いや港だったかもう忘れたが、その説明によると当初からそれは予想されていたことだからそれほど気に病むことはないらしく、そうかといって実際問題として不安を呼び覚まさずにはいられないから修復改善の策を講じなければならず、とはいえ最早その穴を埋めることは困難なようにも思うのだ。
※20
彼は、徹底してそれを否認するつもりらしい。しかし、それはやはり挫折を余儀なくされている。いくらここが彼の築いた世界だとしても、何から何までその思いどおりというわけにはいかないだろうから。彼とて全能ではないのだ。彼を絶対者か何かのように思いなし、その全能性を疑わない者も、多くはないがいるということは知っている。しかし、多分にそれは刹那的な厭世感の齎す一過性のものにすぎない。それとも彼は、全能なのだろうか。