友方=Hの垂れ流し ホーム

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港の言葉でその女の姓を高橋と知るが、なぜか以前から知っていたような気もし、そんなはずはないからこれを書いている時点でのそれはデジャヴュ※11にほかならず、そう断言できる自信も確証もないがそう書かねば整合性を保証できないのだからそう書くほかはなく、こちらの懸念に頓着しない港はお前どう思うと問い、訊かれてその問いの真意を量りかねてかデジャヴュに翻弄されてか精神科医ではないからそれについて何かを言う立場に自分はないと回答を避ければそんなことは訊いていないと憮然と港は言い放ち、酔眼で見据えてどうなんだとさらに問う。どう答えれば納得するのかと思案するものの「え、でも、ウソでしょう」とそれ以外に言い得なかったのは嘘臭いという次元ではすでになかったからだが、ここがすでに他者の領域だとすれば(註─そう認めてしまった時点でそれはそうなってしまうほかないのかもしれず、そうとすればここは断固否定すべきなのかもしれない)そんなところに彷徨い込んでしまった不運を嘆いてもはじまらないし絶対的に自由を奪われてしまっているとも思うからで、あとはもう成り行きに任せるほかないのかと少しく落胆して肩身の狭い思いで狩られる獲物めいた視線を配る。当の高橋は意味ありげな微笑を浮かべながらも割り込むつもりはないらしく、顔の前にグラスを翳して泡立つ液体越しにこちらを眺めているがこれもまた記憶を撹乱するかに奇妙な既視感で迫りくるから再度港へ視線を転じれば、嘘といえば嘘だが本当といえば本当だ、そうでなければなぜこんな狭っ苦しい穴蔵なんかにオレはいるんだと何かそれが私のせいとでもいうかに港は食って掛かり、なぜこんなことになってしまったのかと嘆息してテーブル上に視線を這わせると「つまみくらいないのかよ」と誰にともなく不平を洩らす。

またしてもセリフを忘れた役者めいた間の悪いタイミングで「あらご免なさい」と高橋がグラスを置き、次いで立とうとするのを港は制して自分でやると脇のキッチンでゴソゴソやって戻ってくるが「もっとマシなもんないのかよ」昭和の貧乏学生じゃあるまいしいくら何でも萎びたキャベツの芯はないだろうと腹立たしげにキャベツの芯をテーブルに置けば、もう闇でしか手に入らないのだから酒が飲めるだけマシなほうでそれだって無理言って譲ってもらっているのだと高橋は皿から零れ落ちたキャベツの芯を拾い戻し、たしかプリンがひとつ残っていたと思うけれどとキッチンのほうへ首を巡らせるとそんなものつまみになるかと港は一蹴する。抑も酒を控えれば済むことだと高橋が港を一瞥すると、酒はやめられないと決然と港は言い、酒があるのにつまみがないなどあり得ないと尚ブツブツと愚痴りながらも観念したのかキャベツの芯に塩を振り、そのひとつを二本の指で摘みあげて鼻先へ持っていくと臭いを嗅ぎ、恐る恐る口に入れ、カリカリと小気味よい音を反響させて咀嚼するが「不味いよ」と泣きそうな声で訴える。豊かな生活に馴れてしまうとこういうとき損だと高橋は淡々と述べて港の泣き言を斥けると、この人って根っから政治に向かない質なのねと問うような視線で私に投げかけるが、私の答えを封じるかに「当たり前だ」誰が好き好んでこんなことするか、已むに已まれずしていることだと不遜げに港が呟き、尚も語を継ごうとするのを高橋は制してだからといって好き勝手できるわけではないと静かに言い、誰もが切り詰めてやりくりしているこの非常時に際して贅沢など言ってられず、来たる総力戦を前に備蓄はいくらあっても充分ということはないのだと尤もらしいことを述べると、ちょっと待てと訝しげに港は遮ってなかなか飲み込めないらしいキャベツの芯を黒ラベルで無理やり流し込み、総力戦に賛成した覚えはないぞと異を唱える。

前の閣議で決まったらしいが知らなかったのかとわずかに眉間に皺を寄せて高橋は思案するふうだがそのこと自体は大した問題でもないと軽くいなせば、そのちょっと高飛車な対応が癇に障るのか知っていたらこう暢気に構えてキャベツの芯など食ってはいないと港は憤然と立ち上がり、どこへ行くのかと高橋が誰何すると酔いにいくらか足をとられながら「どこって、話つけてくる」と港は息巻くが、今から行っても無駄だと窘められ、たしか先週末あたりに資料は届いているはずだけどと一室を見渡す高橋に知らぬと港が首振ると、おかしいわねと眉を顰めてちゃんと眼を通していないのかと高橋は叱責する。どうせそんなことだろうと思っていた、オレなんか相手にもされてないんだと不貞腐れて寝転がる港に「ウソよ、ちゃんと届いてるはずなんだから」よく探してみろと高橋が促すと、面倒臭そうに起き直ってお座なりな一瞥を一室にくれてからないものはないと不機嫌に喚いて残りわずかの黒ラベルを惜しむかにちょっとだけ口につけ、その流れでキャベツの芯へ手が伸びるが急に思いだしたように舌打ちしてまた寝転がる。酒のせいとばかりは言えぬ幼児性丸だしの港にさして困惑したふうではないものの、資料の存在そのものが疑われていることを気にしてか「私ちょっと見てきます」と高橋は言うとつと立って部屋を出ていき、それを見送るでもなく不貞寝している港は足をテーブルに投げだして低い天井を見据えつつ資料なんかないさ、そんなもの最初からあるはずがないと独りごちる。高橋と港の関係がいまひとつ理解できないが、この戦時中とも見紛うちょっと常軌を逸した寸劇(註─ほかにいったいどんな表現があり得るだろうか、私の偏った常識に照らしてみてもこれを現実と断言することはできない)には衝撃を受け、それでもこれがただのふざけた小芝居ならどうということはなかろうが一概にそう割り切れぬ迫真性が高橋にも港にもそれなりに窺えるから始末に負えず、それを戦争の一語で表象してしまうことには断然異議があるものの何某か異常な事態に遭遇していることはたしからしいから(註─とはいえその異常事態がいったい誰の身に降り掛かっているのかが問題なのだ)、いったい何がどうなってしまったのか分かるように説明してくれないかと尚も天井を見据えている港に乞えば、むっくりと起きあがった港は見ての通りさとそれ以上の説明を拒むかにキャベツの芯を睨めつけているからそこに答えが隠されてあるのかとしばらく一緒になって茹でたキャベツの芯を眺めていたが、そんなところに答えの見出せるはずもなく、焦らすだけ焦らして何も明かさぬつもりかと苛立ちが募り、知っているのなら少しくらい教えてくれたって良さそうなものではないかと詰ると、面倒臭そうに溜息を吐いてからそらお前よりは知っているがそれでもほんの一部に過ぎないと港は言う。事の全容はもう誰にも分からないのだ、そこまで世界は解体してしまったのだ、再統合の不可能なまでに断片化してしまったのだ、無数の断片がそれぞれ独立して互いに連絡もなく纏まりを欠いているというのが現状なのだと次いで港は説明するが、それは飽くまで港にとっての世界がそうなっているということで私のいる世界が港のいる世界とそっくり同じだという保証はどこにもないと留保を示し、そう言ってからこれじゃあ何の説明にもなってないなと自嘲的に笑う。つまり説明は不可能なのらしい、というか、端から説明する気もないらしい。

高橋はやはり何かを隠していると私は考え、あるいは港に訊けば何か分かるかもしれないと思いつつ端的にそう問うたとして果たして真面な答えが返ってくるかどうかは分からないが(註─ここでそう思うのは本当だろうか。そう思わせようとする作為があるような気がして仕方がない)全体高橋という女は何者なのかと率直に訊けば、医者だよ主治医だオレのと港が即答したから思わず洩らした笑みを隠し得ず、というのも港がこの恐ろしくもバカげた茶番の首謀者などではなく、私と同じく高橋に釣られて罠に填まった口だということを諒解したからで、不遜げな港の視線を余所に笑いの余韻は尚幾許か尾を引いた。お前の言わんとすることは分かると港は制して酔眼を泳がせつつ「じゃあ聞くけどな」と勿体つけるようにグラスを呷ってからそれが何か決定打でもあるかのような不適な笑みとともにお前は誰だと訊くのだったが、酒が入ると回り諄くなる港につき合う気はなく、そうかといって答えないと機嫌を損ねるから「誰って、糸杉ですよ」とそれよりほかにしかし答えようはなく、つまりこの時点で私はまだそれを疑ってはいないらしく、心做しかそう告げることの気恥ずかしさに視線を少し逸らすとまるで私がそう答えることを予期していたように港は小さく頷くが、でも違うんだなと妙に芝居じみた素振りで得意げに首を振るから私自身も知らぬ私に関する何か決定的な情報でも掴んでいるのだろうかと訝り、諄くどと遠回しな説明を回避しようとでは誰なのかと先廻りして訊けば、そんなことオレに訊くなよそら反則てもんだと港は答えず、代わりにキャベツ臭い噫をゲフと吐く。

※11

なぜ彼はそれをデジャヴュだなどと記すのだろうか。本当に何もかも、彼は忘れてしまったのだろうか。その可能性を否定するわけではない。しかし、これもやはりアリバイ工作のひとつといえるだろう。

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