友方=Hの垂れ流し ホーム

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たしかまだ名称の決定する前と記憶するが座机に広げたノートを前にうつらうつらしていると、徹夜で試験勉強に勤しむ浪人生を犒(ねぎら)う老いた母親か何かのように「調子はどうだ」と茶菓を手に再度港が現れ、そんなふうに媚び諂う様はいかにも滑稽で笑わずにはいられないが、どんな役どころにもそれなり意味はあるというかに演じる構えなのには少しく感心し、そうかといって煙たいことには違いないからいくらか冷徹な態度で接すれば僅かに顔を顰めはするものの書いてくれさえすれば文句はないというかに脇に控えてしばらく大人しくしているが、こちらが書き綴ることもなくただじっとノートを見据えたままなのに業を煮やしてかちょっと見してくれと横から強引にノートを引ったくり、パラパラと捲るそこにはしかしまだ何一つ文字が綴られていないから乾いた擦過音の響くなか港の顔は次第に曇り、不遜げな視線をノートと私とに交互に送りながら「何だよなんも書けてないじゃないか」これはよっぽど重症だなと嘆息し、ちゃんとした医者に診てもらったほうがいいかもしれないと独りごちる。その言葉を鵜呑みにしたらどんなヤバい治療を施されるか知れたものではないと危惧していったい私のどこが悪いというのか人を病人扱いするのは止してくれといくらか声を荒げれて牽制すれば、悪びれた樣子もなく「おつむがちょっとなあ」と港は苦笑するが一転して神妙な面持ちになって毒ガスで脳をかなりやられていると言い、聞くところによればそれを吸い込むと相当酷い幻覚に襲われるらしく、麻薬みたいなものらしいが詳細は不明とのことで、これ以上蝕まれないためにも安全な場所へ避難すべきだと勧めるのだった。私にはここよりほかの場所はないと拒否すると「分かってる」と案外に素直で、どこにいようが危険なことには変わりなくいずれ死からは逃れられないと身も蓋もないことを港は言い、とにかくお前が書かなければ何も始まらないし終わりも来ないのだから早く書けと急かすがそうスラスラと書けるものではないしいい加減なことも書けなかろうから吟味が必要なのだと返せば、そのためにどれだけの犧牲が払われているか知ったらそんなことは言えないのだがなと閉ざされたカーテンの向こうを見晴るかすように港は首を伸ばす。

その直後、耳を聾するほどの激しい爆撃音がすぐ窓の外で轟き、こちらに向き直った港は驚いたというように眼を剥き首を竦めるがこの勢いではヤマトが帰ってくる前に絶滅しちまうなあとまるで感情の籠っていない棒読みのセリフ回しで言い、その当てつけがましい言い回しについカッとなってこれから何が始まるのか知らないが何かに加担するつもりもなければ叱責されるようなヘマをした覚えもないと抗弁すれば、呆気にとられたように一瞬港は凝固するが今さらそんなこと言われてもなあとやはり棒読みで呟くように言うから期待などしていなかったのではないかとその矛盾を突けば、モノには限度ってものがあると呆れたようにノートを座机に放り投げるが勢い余って私の前をそれは通り越し、座机の端まで滑ってそのまま床へバサリと落ちる。ゆっくりと腰をあげてノートを拾うと元通りに広げて置き、まだ何も書かれていないその紙面を眺めやりつつもうさして関心はないが総力戦のほうはどうなっているのかと訊いてみるとお前のせいで酷いことになっていると嘆かわしげに港は答えてまた外の気配を窺うかに視線を送り、それを合図のようにしてまたしても禍々しい轟音が鳴り響いて総力戦の凄まじさを見せつけるから演出がすぎると避難がましい視線を返せば、不用意にヤマトとか口にするからだ「真面目に考えてくれよ」でないと収拾つかなくなるし、ここだっていつ落ちるか分からぬからいつまでも暢気に構えてはいられないと警告して「なあ糸杉」と急に間合いを詰めてきて、変に芝居掛かったポーズでこちらを見据えつつこの不条理窮まりない状況を終わらせるためにも「早いとこやってくれよ」と訴える。

間延びした口調だから深刻な感じはあまりないが二度に渉る爆撃の余韻がまだ尾を引いているのかして一言一言が気に掛かり、終わらせるというのは戦争のことで私に反戦の檄文でも書けということなのだろうか、とはいえ今どきそんなモノは流行らないし況して自分の任でもないと気後れしたように「傀儡なんでしょ、ヤバいのは嫌ですよ」と逃げ腰になると違うそうじゃないと言下に港は否定するが、どこか上の空で落ち着きないその様子から自身に難の及ぶことを怖れてでもいるような気がし、嫌な展開を知らぬ振りして済まそうとするのは私ではなく港だとよっぽどぶちまけてやろうかと思うが、そんなことを言えばこちらが不利になるだけだから「でもウソなんでしょう?」と問い質すと「何が?」と答える港はやはり妙にソワソワしている。そう見えるのは私の僻目かもしれないが何らか核心を得たような気がして「だから戦争ですよ」と再度問い、そうとしか思えないし少なくとも真面な神経を保持しているなら即座に否定し去る類いのそれは稚拙な言い訳にすぎないと迫れば、一瞬たじろいだふうに身を震わせるが仔細ありげにひとり頷くといくらか安堵したように「まあな」と港は肩を竦めて同意を示し、でも高橋はそう信じてるわけだし不用意に追い込んだりしてもよくないんじゃないのかと懸念を示して一挙にすべてを取り戻そうとするのは危険窮まりないからそれは自重してくれと念押すように私の眼を見る。諾う理由は恐らくないがほかならぬ上司のたっての申し出とあれば聞かぬこともないとそう答えれば「なんだよつれないなあ」仮にも自分の彼女じゃないか五年もつき合った仲ではないかと至極真面目に港は言い、こちらのほうへ膝行してきながら「結婚の話もちらほら出てるとかって聞いたぞ」と少しく声を潜めるが、あまりの不意打ちに答えようもなく「はあ」と曖昧な返答で濁しながら港の顔を食い入るように眺めるがその面持ちは真剣そのもので、尚しばらく粘ってみても破顔し笑みの零れることは遂になく、冗談は止してくれと斥けることもできずに膝元へ視線を逸らしてそんなはずはないのだがと声にならない声で密かに訴える。

こちらが怯んだ分だけ勢いを取り戻した港は「疑心暗鬼になるのも分るけどな」一方的に高橋ばかりを責めても仕方がないと尤もらしく意見するが、いまいち説得力に欠けるのは当の港がその呪縛下にあるとしか思えぬからで、こんなところにまでわざわざ出向いてきたのには訳があるに違いないが何しに来たのかと直截には訊きにくいからもどかしく、とはいえ私を撹乱せんとするその意図は明白だしその意図した通り相応にやり込められたこともたしかだから動揺は隠せない。それを見てとっていくらか優位に立ち得たことに港は満足したのか「まあ、何だ、焦ったって仕方ないからな、こっちのほうは気にせずやってくれ」と余裕の笑みを浮かべるが、こちらの動揺につけ入るかに爆撃が激しくなってくるとそれには港も不安をあわらに示して気にするなと言っても「これじゃあ気になるよな」と地震のように揺れる室内をぐるり見廻し、こんなところにいてよく平気だな怖くないのかと問うのだった。怖いに決まっているが爆撃に恐怖する一方でそれらは皆嘘に決まっているとの思いもあり、さっき自分でもそう認めたではないかと突っ込めば「それはそれ、これはこれだ」と少しく港はうろたえ、これ以上長居したらボロを出すと考えたかどうかは知らぬが一段とやかましくなる外の爆撃に怖れをなしたように「また来る」と言いおいて逃げるように港が部屋を出ていくとそれに合わせて爆撃も一挙に遠離り、不穏な気配だけがわずかに残存して漂うなかひとりノートに向かうと徐ろにペンをとり、ただとりとめないだけの駄文にすぎぬと言ったら身も蓋もないがとにかく思いつくままに真っ直ぐな罫に沿って文字を連ねていけば、創作への欲念がまだ尽きずにあるのか《糸杉》という名を頼みにしばらく勢いに任せて書きつづけたのだった。気づけば文字も判読しかねるほどに室内が暗くなっていて、閉ざされたカーテンのほうを窺うと差し込む光もほとんどないからすでに日は落ちているらしく、それとともに空腹が呼び覚まされてさっき買って冷蔵庫に入れておいた晩の分の生姜焼き弁当をレンジでチンして食べるが、食べながら何か腑に落ちない。

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