友方=Hの垂れ流し ホーム

1 2 3

戻る  

10 11 12 13 14 15 16 17 18

14

早速書かねばと言いたいところだが自室に落ち着いたら暗示が解けたようにそんな気は忽ち失せてしまって車中ずっと握り締めていたノートを座机に放り投げると汗ばんだ掌をシャツの裾で拭い、明るいのだか暗いのだかハッキリしない窓の外を嫌悪するかに警戒的な視線を走らせてからカーテンを閉ざし、何もかも忘れ去って埃臭い蒲団にその身を滑り込ませると夢のない眠りのなかへ落ちていく。その夜を境に総力戦へと一気に雪崩れ込んでいったのらしく苦渋に喘ぐ港の姿が眼に浮かぶが、ここまで局面が悪化してしまっては回避も不可能だし、それこそ最後の一兵卒の果てるまで闘い抜く覚悟で臨まねばその存続さえ危ぶまれているのだから已むを得ない、とそう港なら言うだろう。とはいえ港らの直面している戦争に私は一切関わりないのだから私は私の失われた日常を取り戻すべく努めるほかなく、そのために為すべきことが書くことだという高橋の言葉も(註─自ら紡ぐよりほかないということでこうして今まさに紡いでいるわけだが、疑念がないわけではない。その必要があるのなら各個に紡げばいいようなものなのに、私が代表して書かねばならないその根拠が示されていないからだ。いや、常に誰かが耳許で何か囁くようだが、それはしかし糸杉の、いや私の)強ち分からぬではないものの素直に従いにくいのも事実で、朝の気怠いしじまのなか遠く微かに響き渡る総力戦を余所に目覚ましにと濃いめに入れたコーヒーを片手にとにかく何を為すべきか腰を据えてじっくり考えようとしていた。折よくというか折悪しくというかその直後ケータイが鳴り、見るとそれは港からで、直接かけてくるなど珍しいことだから何か緊急の用件かと出れば通勤途中なのか騒音がひどく、いや騒音というよりは爆撃なのだろう凄まじい轟音とともにその振動が回線を通じても伝わってくるようで、「何だかそっちは凄いことになってるみたいですね」と努めて平静を装えば、お前のせいだとあからさまには言わないが言外に透けて見えるいくらか苛立った早口で何ごとか港は言い、爆撃のせいでしかしよく聞きとれないから通話口に耳を押しつけるようにして何度か訊き返すと爆音に埋もれそうな罅割れた音声は出社しなくて良い旨告げているらしく、実際爆撃でそれどころではないのだろう詳細は追って連絡すると言い、それからちょっと間をおいてお前にはほかにすることがあるだろうと不機嫌そうに港は喚くがそこで唐突に通話が途切れる。

端的に電波状態の悪化したことをそれは意味しているが(註─ミノフスキー粒子※15が撒布されているのに違いなく、そうでなければこれは説明がつかない)、不通になったケータイの液晶画面をしばらく眺めやりつつ今の港の言動をどう位置づけるかでひどく手間取ってしまうのは、監視目的のような気がしたからで、根拠はないが総力戦への警戒心も手伝って払拭することは難しく、手の込んだ仕掛けには感心するがそうまでして急き立てるその意図がやはり不可解だし、これから何を為すべきか考えようとしていた矢先のことだからそのような持って回った演出などされると却って鼻白んでしまうということを弁えていないのだろうかと尚さら異和を齎し、事態を睨み据えようとの意気込みも忽ち萎えてしまうが、港の直面している戦争が人類の延いては世界の破滅に至る底のものとしても、ひとり港の抱え込んだ時代錯誤な終末感の齎すそれは一大スペクタクルにすぎないのだから港ひとりが奮闘すれば済むことで、いったいそれが私に何の関係があるというのか、それでも尚私の世界は健在だと嘯(うそぶ)くが、不通になったケータイはそれを港の許へと転送することなくそっくりこちらへ返して寄越し、分かってはいるもののどうにもそれが不愉快で仕方ない。港によってか高橋によってか無気味なまでに変容させられてしまった私の日常(註─最早それを現実と見做すことはできない)を元通り復元することはもう不可能なのだろうかと悲嘆に暮れ(註─不可能なのだ、絶対的に不可能なのだ。ヤマトの帰還が辛うじてそれを可能にすると言えなくもないが、確証はない)、高橋の示唆した方途でしか突破し得ないとすればそれに従うよりほかないが、死を前にして自らの半生を手記に残すというような愚にもつかぬ方法で果たして本当にそれが適うものなのか否か、相当数の疑問符が脳内に渦巻いてシナプスの受容突起を塞いでしまうのかそこから先へ思惟を展開させることが困難になり、そうして何の進展もないまま半日を悶々と座机の前でやり過ごし、その間幾度かテレビを点けるが管制の許に封じられているのか戦争を報じる番組の放送されることはなく、それなのに、いや、それゆえにというべきか事実の不在が却ってそれを浮き彫りにしてその事実性を疑わしめる一切を斥けてしまうのだった。

たしか部屋の明かりを灯してすぐのことだから夜にはまだいくらか早い刻限と記憶するがふと背後に人の気配が立ち、息遣いからそれが港だということはなんとなく分かるが、もうあまり相手にはしたくないから黙然とノートを見つめていれば「やっとやる気になったか」と満足げに頷く様子でお前のやらねばならない唯一課せられた仕事だもんなと港は言い、そのまま腰を据えるのかと思えばじゃあなといつになくあっさりした引き際を演出するから珍しいこともあるものだと首を巡らしてドアへと向かうその背にどこへ行くのかと訊けば「見てたらやりにくいだろ」と振り向かず答え、気の利く上司を演じているつもりかしれないが港がやるとどこか恩着せがましく聞こえるから苦笑せざるを得ず、それでも消えてくれたほうがいいことはたしかだからありがたいと安堵の吐息を洩らせば、振り返りざま期待しちゃいねえから気楽にやってくれと揶揄的ないかにも港らしい一言を乾いた笑いとともに残して去る。ひとり部屋に残された私はなかば自失の態できつく丸めすぎて弓なりに反り返っているノートを眺め、手を伸ばしページを開いたそこにはしかし真っ直ぐな罫が等間隔に並べられているだけでそれよりほかに何もなく、その罫に沿っていったいいかなる文字が刻まれることになるのかと想像するがまったく想像がつかないから深い溜息を吐くと空気が抜けたように倒れ込んで横になり、低い天井を睨み据えながら与えられた仕事の概要を一頻り考えてみる。何かを書き綴ることらしいということは諒解されるものの何を綴ればいいかとなるとまるで見当もつかず、ただ紙とペンを渡されただけで何を書けとの指示も受けていないのだから何を書いてもいいのだとは思うものの、医者と患者という高橋のそして港の言を併せ鑑みるに一種のこれは治療行為なのかもしれないと推測され、とはいえ真っ当なものでもなさそうだからまたしても医科診療プレイとの想念が拭いがたく首を擡げてきて、そうとすればそんなのにつき合わされるのは厄介だし気も進まないが少しくらいならつき合ってやってもいいかとさしたる気負いもなくペンを手にしたのだった(註─まんまと罠に填まったというのが本当だろうが、否応なしに危地へ赴かざるを得ぬ主人公としてそれは免れがたく、あとはいかに華麗にそこから脱するかが見せどころなのだ。とはいえ前にも記したようにこれは娯楽読み物ではない以上、華麗さなどは一顧だにしないし脱することさえ保証のかぎりではない、いや、むしろ脱すべきではないのだ)。

経過報告なり事実確認なりを求めているというわけでもないだろうから(註─そんなものは糞の役にも立ちはしないし私の任でもない)と彼らの裏を掻く意味も込めてひとつ小説でも書いてやれと思い、虚構には虚構で抗するのが手っ取り早いのではないかとなかば投げやりにではあるもののひとつの方向性を見出し得たことでいくらか重荷が軽くなったような気がし(註─それほど容易く荷を下ろすことができるとはとても思えぬのだが切迫した状況のなかそのような錯覚から免れることはやはり困難なのだ)、まだ何も書かぬ先から一仕事終えたような達成感さえどこからか湧きでてきたからその日はそこで切り上げ、翌日から着手することになる。まず自らの出自を創出することから始めねばならないが、差し当たって何でもいいと仮のものを充てておいて(註─何でもよくはないのだ、ここにこそ周到且つ綿密な計画性が必須で、それなしに試みたための事態の混迷とその挙げ句の挫折とが、すでにこの時点で決定づけられてしまっているのかもしれず、無計画性の勝利などというものはあり得ないのかもしれない)あとからの変更も容易だろうとの短絡から採用されたのが《糸杉》という名称なのだったが、斯かる名称の決定が筆を軽くするのかツルツルと文字が浮かび出てきて比較的容易にページが埋められていくのを自身の才と少しく自惚れ、あるいはこれが起死回生の一編になるかもとのあり得ない妄想を懐く

※15

彼がなぜミノフスキー粒子の存在を知り得たのか、それが非常に不可解だ。なぜならそれは、ごく最近の調査で判明したことなのだから。彼の所在を知るうえで、これは重要な手掛かりになるかもしれない。

10 11 12 13 14 15 16 17 18

戻る 上へ  

1 2 3


コピーライト