友方=Hの垂れ流し ホーム

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人のことを構っているほど暇じゃないということなのか総力戦がよほど過酷なのか端的に座興に飽きてしまったのかそれっきり港も高橋も現れることはなく、誰にも邪魔されず書くことに專念できるのは端的に喜ばしいことだが医科診療プレイの一環か知らないが斯かる放置プレイの憂き目に遭うことは好ましくなく、構ってくれとはいわぬまでも連絡くらいは欲しいもので、それが向こうの狙いかと思うとしかしこちらから連絡を乞うのはためらわれた。それとも何もかもを私ひとりにおっ被せて遁走してしまったのだろうか、彼らの苦渋を引き継いだ覚えはないからそうとすれば甚だ迷惑だが私がグズグズしているうちにすべてが決せられてしまったのかもしれず、侵略もすでに完了済みで軍事政権も解体されて進駐軍による統治がはじまっているのかもしれず、もう手遅れなのかもしれないと思うと不安だが強ちそうとも言い切れないのは依然爆撃の止む気配がないからで、それがあるうちは安泰だと短絡的に思いなすとまたノートに向かい、見も知らぬ女と差し向いの《糸杉》をちまちまと描写することに密かな楽しみを見出している私はあるいは作家先生なのかもしれないとふと思い、もう書く必然性などどこにもないようなものなのに漫然とながらペンを離すことなく書きつづけているのも私が作家先生にほかならないからではないのか。とはいえ最初っから書く必然性など私にはなかったはずだから一体誰のために書いているのか自身よく分からぬながら黙々と書いているそのこと自体が不可解なのだが、とにかくこれから書くだろう真偽も定かならぬ履歴が一編の鍵を握ることになるとそう直感され、愚直に信じているわけではないものの斯かる直感に牽引されて緩慢ながらも書き継いでいる(註─書いているのではなく書かされているのだということに一向気づかないのは愚かだが※16、愚かな主人公ほど愛着も一層深いということか)その間は少なくとも蟠りが軽減されるから、安易なほうへと流される主人公《糸杉》には似合いの展開と言えるが手放しに歓迎できないのもたしかだ。高橋のあるいは港の信じて已まぬ戦争というものをいかにして覆し得るかというのがその初期の目論見だったらしいが書くほどにその不可能に気づくほかなく、人類の存亡を賭けた戦いを戦い抜くことこそが、たとえそれが空しい戦いであっても避けて通ることのできぬ道なのらしく(註─ヤマトの帰りを待っているのはひとり私だけかもしれない)、いや、そのような進み行きになってしまうほかないのはむしろ私自身が戦争を望んでいるということなのかもしれず、断じてそんなことはないと否認しながらもその想念は打ち消しがたく残存して私を苦しめるのだった。

ここまで書いても核心へは少しも至れないから闇雲に書き綴っていてもダメなのらしく、なかばそれを諒解しながらも書かねばとの衝迫に突き動かされて書くことをやめられないのはこの身に何かが憑依したというのではもちろんなく、ほかにすることとてない囚われの身としては差し当たりその意に従うほかないからだが、書くほどに虚実も定かならぬ不可解な文言が増していくのはむしろそのせいではないのか※17、斯かる消極的な構えがすべてにおいて負に作用しているということなのではないかとそんなふうに思えてきて、そうかといって積極果敢に事に当たろうというような主人公足るに相応しい気概の湧いてくることもないから流されるままだらだらと書き綴るほかに術はない。そうして書き綴る私をどこからか覗き見る者があって恐らく小窓からだろうこちらを覗くその視線には気づいているし気づかぬわけがないが、港のものでも高橋のものでもそれはないらしく、視線それ自体はさして疎ましく感じないから不思議だがそれとなくこちらを監視していることに変わりはないし不意に現れたり消えたりするから少しく癪に障りもし、隙を窺い睨めつけてもそのときにはもう気配もないし小窓さえなくなってしまっているのだった。たしか軽い食事のあと横になって低い天井を漫然と眺めていたときと記憶するが不意にひとつの想念が浮かびあがり、矩形から覗く視線と対をなすようにして女の悲哀を訴える演歌が遥か遠くのほうから聞こえるような気がすることからそれはタクシー運転手の視線ではないかということで、そうとすれば事件の首謀者は高橋でもなく港でもなくあのタクシー運転手ということになり、未払いの料金を私から徴集すべく企まれた拉致監禁なのだと想像は膨らむが、そのいかにも強引な結びつけは説得力に欠けるしあまりにも陳腐すぎてすぐに斥ける。いや、むしろその陳腐さをこそ要求されているのかもしれず、そうとすればその線を押すことは尚さらためらわれるしこれこそ巧妙に仕掛けられた地雷にほかならないと断固たる決意で排斥するが、易きに流されやすい主人公《糸杉》としてはなかなかそうも行かないらしく、いずれにしても不可解窮まる視線には違いないからどうにかせねばと思案し、向きになったりすれば却って向こうに利するだろうとそれを牽制する意味でも今しばらく踏みとどまることにするが、それはそれで相応な労力を要するからどうかすると挫けそうになるのだった。

広げたノートを前に幾時間を茫としていたらしく、黒々した座机にその矩形が妙に明るく浮かびあがっているのを改めて見出し、そこに視線を落とすと真っ直ぐなはずの罫が微かだが波打つように揺らぐのを捉え、それに釣られて記された文字までが何だか窮屈そうに身を捩(よじ)らせるのを目の当たりにしてどうしたものかと思案するが、不確定な罫に合わせて動的に変化する文字を綴れば良い(註─斯かる画期的アイデアを思いついたことは特筆に値する)ということに気づき、以後そのようにすることで巧くページに納まっているが、蠕動するかに蠢く罫と文字とは非常に読みにくく、書くのはいいが読むのは辛くてもう読み返すこともほとんどない。為にその全体像も次第に捉えられなくなってきていてどうにも筆が鈍ってしまい、さして切迫も感じてはいないが監視の目がやはり気になるから何らか対策を講じねばならないと低い天井を見据えつつ幾時間を寝転んでいたが、高橋の姉が添削してくれるようなことを高橋が言っていたのを思いだし、全然当てにはしていないが少しくらいは役に立つかもしれぬとノートを持って姉を訪ねた。いや、そうではなく姉のほうから訪ねてきたのらしく、どちらにしてもさしたる違いはないからここでは姉が訪ねてきたことにしておくが、たしか座机にノートを広げてそこに書き綴られた右肩上がりの細かな文字の連なりを眼で追っていたとき(註─一字一句きちんと読み返していたわけではなく、ただ漫然と字面を眺めていただけだ。何しろ常に蠢いていて一瞬たりとも止まっていることのない文字なのだから。そうとすれば私よりほかにいったい誰がこれを読むというのか)と記憶するが、不意に背後から覆い被さるようにノートを差し覗く者がいるから少しく驚き、不覚にも引き攣った声を発してしまって笑われるが不遜げに睨めつけると済まなそうに首を竦めるそれは高橋の姉で、「どう調子は?」と気さくな物言いが前に会ったときの印象とは異なって意外だが、そんな気さくな問いに見合う楽な仕事ではないと今さらながら実感されもして「何だか無理そうです」とまずは樣子を見てみると「あらずいぶんと弱気ねえ」そんなんじゃヒロインが泣くわよと自身をヒロインに準(なぞら)えるかによよと泣き崩れるような仕草をする。泣きたいのはこっちのほうで、わけの分からぬ仕事を押しつけられて非常に迷惑していると恨みがましく訴えると、これを任せられるのはあなたしかいないという話だからやってもらわないと困るのよねえと少しも困ったふうではない間伸びした口調で高橋姉は腕組みして言う。適任者はほかにいくらでもいると思うしそれなりに候補も用意してあるはずだから私にばかり集中的に負担を負わせるのはあまりに理不尽ではないかと抗弁してみても、これはあなたにしかできない仕事でその特殊な能力を以てしか為し得ぬことなのだと姉も譲らず、人類の存亡はあなたの双肩に掛かっているのだと大仰な表現で持ちあげようとするが大仰なだけに乗っかりにくいし買い被りも甚だしく、滅亡の危機に瀕した人類を救うとすればそれはヤマトであって私ではなく私の為すべきことは何もないと断言すると、違うと姉は首を振るが大きく左右に振るせいで後ろのほうで束ねた髪が少し遅れて背中で踊るのが肩口から覗け、前からそんなに長い髪だったろうかと訝り見れば色も何だか違うようで、ただ染色しただけかもしれないしつけ毛の可能性もあるから早計は避けるべきだがちょっと気に掛かり、それに気をとられていたせいで直後発した言葉を聞き逃してしまうが問い返すのも憚られたから適当に頷いていると、あなたは何も分かっていないと姉は嘆息する。

※16

もちろん、彼は誰に書かされているのでもなく、自らの意思で書いている。ここは、紛れもなく彼の築いた世界にほかならない。そうでなければわたしがこれを手にすることもなかっただろう。

※17

何らかの不可抗力が、この文章全体を被覆しているための不条理でもあるかのように彼は言う。しかし、決してそのようなことはない。これは明らかに明晰な意識の許に、意図的に書かれたものに違いないからだ。

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