友方=Hの垂れ流し ホーム

目次 6へ 7 新機軸 8へ

戻る  

01 02 03 04 05 06 07 08

08

夜を徹しての張り込みを終えて昼勤の者と交代して戻ってきた捜索隊の面々が休憩ののち帰っていった頃合いを見計らい、駒井より他誰もいない本部事務所に来た紀子の最初に耳にした言葉は駒井らしくもない軽薄な口振りの「やあ待ってました」で、最初に眼にしたのはだから駒井ではなく八木の営業スマイルで、そのように微妙に距離を置く八木に迎えられて戸惑いながらも紀子はその後ろに控える駒井のどこか確信的な面持ちにいくらか鼓舞される形でそこで立ち竦んでしまっていた入口からゆっくりと進み、妙な薄笑いを尚も浮かべている八木に不安を掻き立てられつつ促されるままソファに着き、端的に渇きを覚えたからだが出された紅茶で咽喉を潤しつつ八木の出方を窺えば、その内面を秘すかの営業スマイルを崩さぬままあらぬ噂がいろいろ流れているが「それはそれとして」とりあえずおいて「実はですね、折り入って相談がありまして」と切りだす八木に当然話はそのことより他あり得ぬと思っていたからその先の展開が読めず、湿したばかりの口腔が忽ち乾燥していくのを意識しつつ二口目に手を出せぬまま白紙の状態で紀子は次の言葉を待ち、営業スマイルに被覆された八木の年齢の割に皺のないその顔はしかしどこか仮面のようで取っつきにくいからその言葉も表面的にしか捉えられぬような気がし、聞く前から徒労に終わるように思えてならないが聞く姿勢だけは崩さず保っていると、詰めるだけこっちで詰めてはいますが最終的に共議せねばということで捜索には向かわずに「待ってたわけでして」と八木は言い、筋肉の動きがいくらかその膠着したような笑みを崩したからか危惧していたよりその内容は届いたしとくに不快でもなく、安堵しつつ紀子は耳傾ける。紀子のそのネガティブからニュートラルな状態への変化をニュートラルからポジティブへの変化と受けとってかいくらかためらい勝ちにではあるが一気に八木は喋りだし、「駒井君からもねいろいろ聞いていますが、何ですか、紀子さんのメンタルな部分で問題もあるんじゃないかってことで、それがま、ちょっと気掛かりといえば気掛かりでして」と言い、そこで一旦句切って反応を窺うように紅茶を啜り込んでからそのメンタルな部分の問題にしてもこのことで一挙に解決するというのは短絡かもしれないがいくらか「期待もあるわけです」と続け、次いで的確にそのほうに顔を振り向けて「恵美さんもここにおられると思いますが」恵美さんはそういう面では「どうなんでしょう、情緒的に不安定だとかって」ことはないかと訊かれて気丈で芯のあるしっかりした方で今では紀子の支えになっているくらいだとの説明をしたのは駒井で、紀子に口を挟ませぬ二人の連携に茫然となりながらもその性急さに僅かに紀子は違和を感じるが、それを表明する暇もなく間違いないかと八木に念押されて「ええ、まあ」と紀子は答えるものの、それが狙いなのかただ切りだしにくいだけなのか一向本題に入らぬから話がまるで見えず、脈絡を無視して苛立ちも露わに「で相談ていうのは何ですか?」と端的に訊けば、そう焦らずに聞いて下さい話には「順序ってものがありますから」と窘められて紀子は憮然とするが、営業スマイルでそれを軽く去なしてから八木は様子を窺うかに音立てて紅茶を啜る。そのようにひとり独走する八木を引き止めることができぬというように愛想笑いを浮かべる駒井を白々しいと思いつつも同様の愛想笑いを紀子が返すと、それを合図のようにして八木はティーカップを置いて「で紀子さんから見てどうです恵美=マリア様は?」と訊かれて「どうって言われても恵美は恵美だし」と口籠ると「感銘とか受けますか?」とのさらなる問いに「ええ、まあ、それは、ないこともないですけど」と曖昧に紀子は答え、「そうでしょうそうでしょう」と納得したように八木はひとり頷くと隅に置いてある段ボール箱を指差し示して「アレ何だと思います?」と訊かれて「さあ」と紀子にそれが分かるはずもなく、昨日までそこにはなかった段ボール箱に不審を感じつつそれは何かと端的に問えば、小セミナーに恵美=マリアをという嘆願が「山のように来ましてね、それがアレです」と妙に嬉しげにその嘆願書とやらの一部だと八木は言い、これだけ来たら無視するわけにもいかないと「紀子さんさえ良ければですけど」出張してはもらえまいか「もちろん恵美さんともご相談したうえでですね」結論を出してもらいたいと言うのだが、不意の申し出に今ひとつ把握しきれず「えっそれはどういう」と詳細な説明を紀子が乞えば、「つまりですね」布教の一環として恵美=マリア=皇太后を小セミナーで披露して廻る「とまあ、そういうわけです」と言い、「別にこれは強制じゃないですから」と穏やかに言いもするが、その穏やかな物言いに却って強制的なニュアンスが含意されているのは明らかで、少なくとも教団の陥っている現況からあるいは紀子の置かれている立場上それが断わりにくいということを見越してのことなのは確実だった。そうなるよう意図的に仕向けたかどうかは別として、その説明から何かドサ回りの営業みたいな印象を端的に紀子は受けて不快というのではないが僅かにためらいを感じ、「それって何だか下世話っていうか」布教としては崇高さに欠けるような気がしないでもないと言えばそんなことはないと八木は「そうだろ駒井君」と問い掛け、それを受ける形で恵美=マリアの顕現を信者らひとりひとりに示すことが下世話ということはないし向こうからやって来るのを待つだけでは駄目だしそれこそ不遜な考えではないかと駒井は言い、確かにそれはそうかもしれぬと紀子はなかば説得されながら、この一ヶ月間事務を勤めていてそのような嘆願書の存在すら知らなかった自分にというよりそれを巧みに隠し果せた駒井に驚き、何か裏切られたような思いがしてなぜそれを先に言わぬのかと譴責するかに駒井を見れば、あらぬ噂もあったことでその鬱屈を把握してもいたからまずその方面をいくらかなりとクリアにせねばということで様子を見ていたのらしく、必然この件については秘匿せざるを得なかったのだと駒井は詫び、本当にそれだけかと紀子は尚も疑うがそれ以上の追及はせず、追及の無意味を悟ったからではしかしなくて単にするだけの気力が尽きていたからで、急に関心をなくしたように首を巡らして総てを託すかに半透明の恵美の霊に訊けば「私はどっちでもいい、紀子の判断に任せる」との答えで、八木も駒井も等しく耳にしたその言葉に勢いを得てか紀子への不信が募るなか汚名返上の「絶好の機会を逃すべきじゃ」ないと八木は説き、信者らの歓喜する姿が眼に浮かぶと笑みつつ「忙しくなりますよ」とすでに決定したかの口振りに紀子は僅かに抵抗を感じて何か嵌められたような気がするのだった。とはいえ誰にでも見えるというのではない半透明の恵美の霊なら確かに拉される危険はないし、拝まれることが満更でもないらしい半透明の恵美の霊を思えば断る理由は紀子にはなく、知恵美の不在が惹起させる不安やら捜索隊の面々との確執やらをいくらかでも緩和できるならと概ね紀子は同意を示しながら「考えておきます」としかし留保したのは、自己の優位性を確保したいということもあるし徳雄先生にも一応相談すべきと思ったのも確かだが端的に八木日下への不信に他ならず、実質としてではなく符牒としてのメシアなりマリアなりをあるいはその超越的力を彼らは必要としているだけで知恵美それ自体は言うほど重視していないとも思えるからで、知恵美を軽んじられたような気がして憤りさえ覚え、さらには自分までも踏み躙られたように紀子は感じてあからさまに反発し敵対するつもりはないにしろいくらか距離を置きたかったため「三日下さい」と猶予を乞うたのだが、何分状況が状況なだけに時間的余裕もないから今すぐにも答えを聞きたいと性急な八木はひどく困惑したように「三日ですか、三日」とひとり唸って考え込み、悩みに悩んだ末「分かりました」と応じるとしかし切り替えは早く、スタスタ自席に戻って忙しげに書類に眼を通す八木は宗教者的な被膜が剥がれ落ちてただの小商人に戻ったように紀子には思えるのだった。

01 02 03 04 05 06 07 08

戻る 上へ  

目次 6へ 7 新機軸 8へ


コピーライト