連絡のため一旦席を外した駒井が戻ってきて席に着き、「ええ、八木さんが所用で不在ですので代わって私(わたくし)駒井が進行を努めます」と艶のある声で滑舌もよく喋りだすと、すぐ前の沖と吉岡は口元を手で覆って笑みを怺えようとする身振りを示すが態とらしさが目について不愉快で、挑発には乗らぬと日下は超然としているが常にないその教祖らしさはどこか不自然に思えたから紀子の不安が減退することはなく、セミナーが始まるとしかし特に問題もなく予定通りに展開して何人かの信者らが代わる代わる講話する間、沖も吉岡も殊勝に話を聞いているのみで妨害の挙に出ることもないが、却ってそれが不気味で二人が大人しくしていればいるほど途轍もない策略がこのあと露わになるとの疑念が深まるばかりだし、テレビの観過ぎと自省しつつも犯行声明で意表を突いて知恵美を楯に日下を追い落としたのち教祖乗っ取り教団の掌握と畳み掛けるように展開するのではと妄想が果てなく肥大し、時折沖が吉岡に凭れ掛かるようにして何か耳打ちしたりコソコソ話しなどしているのもそれを助長させ、セミナー全体の雰囲気が常の和やかさを湛えているだけに余計その何気ない身振りに紀子の意識は向けられ、それ自体この場の雰囲気に調和してはいても背後に隠された邪悪さが透けて見えるような気がして仕方なく、冷静に考えても一悶着なしには済みそうにないし何らか目論見がなければのこのこ出てきたりなどしないはずだから必ず何か起きるに違いないと遂には確信するに至り、それが何かが分からぬだけに一層募る不安が耐えがたいと紀子が訴えるような眼で見つめても吉岡は知らぬげで視線さえ合わそうともせず、昨夜のセックスをまで消し去ったようなその無表情には怒りさえ覚え、ただいいように利用されただけなのだと紀子は愕然となり、それからはセミナーの進行状況などまるで見えなくなって無気力に項垂れているだけの紀子を見兼ねた駒井はその膝に手を置いて軽く揺さぶるが、その膝に置かれた駒井の手の温かさを紀子は僅かに意識するだけでそれに応えようとする気にはならぬし、常のような軽快さを欠く日下の説法というよりは演説のような、より的確に示せば下っ手糞な漫談のような話も断片的な単語を捉えるのみでその内容までは耳に入らないのだった。
いよいよ最後の段となって本来なら知恵美=メシア=天皇のお出ましとなるはずで、皆の期待もそこに集約して僅かに緊迫した空気になるが、沖吉岡に動きがあるならここをおいて他にないと日下は注意を向けつつ「ええここで皆さんにお知らせがあります」と吉報のように明るく駒井は言って立ち上がり、沖吉岡を牽制するかに一瞥してから「このあとの予定は些か変更になりまして」と告げ知らせると一瞬ざわめくが駒井の緊張を読み取ってか皆押し黙り、気息を整えた駒井が次の言葉を発せんとするとその隙を突くように「ええじゃあメシア様はあ?」と裏声めいた頓狂な声がすぐ近くで聞こえるが紛れもなくそれは沖で、信者らを嗾けるような大仰なその身振りにそこまでするかと紀子はちょっと引くが、これから奴偉いことが起きるとの確信から全身強張るのを強く意識し、刺し違える覚悟まではないにしろ何が起きても踏みとどまって知恵美の所在なりと訊ければと紀子は意を決しつつ静観し、再度ざわめきだした信者らに乗じるように「メシア=天皇はおられないんですか?」と別な声が沖のあとを続けると、その直截の問いに駒井は「いやあの」と詰まり、その僅かな澱みが皆の不満を一挙に高めて慈愛の光恩寵の光に浴するためにこそ出席したのに肝心の知恵美がおらぬでは話にならないと責められて駒井が答えに窮すると、その機を逃さず「そりゃないよ日下さん、いるんでしょメシア様」と皮肉に沖が笑いつつ「出し惜しみは良くないね」と背後の信者らを煽動するように声をオクターブ高くするが駒井に先を続けるよう促すのみで日下はそれには一切答えず、それでも怯まず「いるんでしょ、いないの?」と執拗に沖が訊くから釣られて信者らも騒ぎだし、陽動にそれは違いないが事実は事実なので否定もできず、その不在を丁重に詫びるとともに「本日は見えられません」と駒井は言い、すぐに続けて「それより皆さんにお目に掛けたい方がいらっしゃいます」と半透明の恵美の霊のいる席に視線を向けて起立を促し、気配を察してか視覚で捉えてか信者らへの示威か分からぬが立ち上がった半透明の恵美の霊に応えるように駒井は頷くと「恵美=マリア=皇太后です」と紹介する。
事態を呑み込めず沈黙する信者らを代表するというようにしかし机に肘を着いたまま掌の僅かな動きのみの控えめな挙手で沖が発言を求め、折角収まったこの静けさがまた爆発すると思えばこのまま黙らせておきたいが他に挙手する者もいないため無視するわけにもいかないと「はい、沖さん何でしょう」と駒井が促すと、「何マリアだって?」とまず訊き、「恵美=マリア様です」と答えると「何だよマリア様って、誰もいないじゃないですか」と当然の反応を示すが非難するふうでもなくごく普通の口振りで、内に秘められた意図が見えぬだけにそれはしかし余計不気味に思え、これから始まる攻撃の前哨なのだと胃が蠕動するのを僅かに意識しつつ「私にもよくは見えませんが」おられるのは確かで「何て言いますか気配でこう、分かるんです、そちらに」と駒井が指し示すと「日下さんこりゃ何の真似です?」と日下に詰め寄り、わけが分からぬと同意を求めるように吉岡に頷き掛けてから再度日下に向き直って「ちょっとこりゃやり過ぎだよ」と呆れたように首を振り、「いや、マリアそれ自体を卑下するとか、そういうつもりじゃ全然ないよ、だけどさ」とチラとまた半透明の恵美の霊のいる辺りに視線を走らせてから「いるんだかいないんだか」分からぬようなマリアなど提示されてもどうすることもできないと嘆き、それとも「あれですか? 偶像崇拝は禁止ってことになったんですか?」と言い、それを敷衍すればしかし知恵美=メシア=天皇も不要ということになるはずで、「そうかだからメシア=天皇はお見えに」ならぬのかと徐々に核心へと迫り、激しているわけではないものの妙な凄味を感じて一瞬怯んだ駒井に代わって「別にそういうことじゃないよ」と日下が答えるが「そういうことでしょう」と尚も食い下がる。町内会の寄合いめいた常の和やかな雰囲気が一掃されてヤバい展開にシフトし掛けているのを紀子は感じるが知恵美を失った自分にできることは何もなく、せめてもう少し確かな手応えがあればと今も隣で不安げに事態を静観している半透明の恵美の霊のその存在の不確かさを嘆き、そのように不確かなものとして召還させてしまった原因の一端を担う自分を責め、どうにも遣り切れぬ思いがして半透明の恵美の霊から逸らした視線を吉岡→沖→日下→駒井と順繰りに移していくがどこへ眼を向けてもさして違いはなく、どれも心底を露わにせぬ閉ざされた表情のように思えて仕方なく、それでいて皆声ひとつ荒げることもなく表面穏やかな口調で会話しているのだから尚更紀子は不気味に思い、どこか甘えたような物言いで「違うんですか? ねえ日下さん」と迫る沖の言葉もそれに準ずるものにしか思えず、いつその箍が外れてもおかしくはない緊迫に信者らとともに紀子は息を詰めて耐えつつ臨界の近いことも意識して巧いこと収められるのかと沖を見据える駒井越しに再度日下を窺えば、窮地に追い詰められた教祖の焦燥という形容に即した面貌が露わでこりゃ駄目だと見限るように紀子は内心呟いて日下の失脚をなかば確信する。その教理に偶像崇拝を禁止する条項は特にないがと断ってからそれよりメシアを偶像呼ばわりするほうがどうかしていると日下はその誤りを指摘して最後に一矢報いたかに思えたが、それならなぜお目見得にならぬのかと切り返されてその問いを持ち出すための誤謬だったかと思うと自沈したようで情けないが日下らしいと言えば日下らしくも思え、そのどこまでも非カリスマでサラリーマン気質から脱し得ぬ日下に紀子はいくらか同情するが、「みんな待ってんだからさあ」焦らすのはこれくらいにして「そろそろ頼むよ」寺の庫裏奥に仕舞われた仏像じゃないんだからと皮肉に言う沖にそれは重々承知しているがこっちにも事情があるしそのために恵美=マリア=皇太后にお出まし願った次第だと答える日下はどこまでも歯切れが悪く、そのあまりの歯切れの悪さに遂に痺れを切らしてか「事情事情ってそれを言ってくんなきゃ」納得できぬと沖は言い、拉されたことを明かせとそれは示唆しているようで吉岡への目配せも端的にそれを示すかに思えたのだが「ま、皆さんそれで構わないと仰有るんなら私はとやかく言いませんけど」と言うと駒井の指示した空間を不審げに眺めるだけでそれきり追及することもなく、身振りで先を続けろと示して着席する沖に皆戸惑って不意にパスされたボールを持て余すかに沈黙してしまい、それが端から予定していたことなのか単なる気紛れか分からないがそれでも何か裏があるかもしれぬと気を緩めず「そうですね、ええと」と探り探り語を継ぐ駒井に誰もが同情的な視線を送り、その一言一言に耳傾けて聞き入るのだった。