友方=Hの垂れ流し ホーム

1 2 3

戻る  

01 02 03 04 05 06 07 08 09

06

これは飽くまで噂なのだがと断ってからその爆心地は皇居なのらしいと女は言い、これも噂にすぎないがとさらに念押しして皇居周辺は瓦礫の山でとても生存者があるとは思えぬ惨状なのらしいが、今も地下深くに生きているとの噂も聞かれ、そんなことはしかし万あり得ないから一部の右寄りの人が流したデマだろうというのが大方の見解で、核の可能性も拭えぬというその最初の且つ最大の爆撃でテレビもラジオもインターネットもかなりのダメージを喫したらしくて情報はほとんど得られないと都合のいい筋書きを女は描き、さらにはそれにつづく爆撃や毒ガスの撒布が情報通信網の復旧を著しく困難にしているのだというが、真面に聞いていることさえバカらしい一昔前の近未来SFの紛い物めいたその内容に糸杉は明らさまな嫌悪こそ示さぬが相槌をうつ気さえなくし、それでも女の饒舌にブレーキが掛かるということはなく、澱みなく語は継がれて荒唐無稽な戦争描写の果てに極めつきのように語るには、最初の攻撃の前だかあとだか知らないがクーデターがあって軍事政権が樹立されたということで、そこまで事態が展開するに及んで糸杉はもう怺えきれず吹きだしてしまう。テレビを隠してしまうのも頷けるがそのあまりに非現実的な内容の連続には誰だって耐えられないに違いないという眼差しでそれでもいくらか控えめに存分笑ってから糸杉は笑みを治め、女の即興に少しく関心を示すかにまるで映画みたいな話だと揶揄ではなく正直な感想を洩らせば、いかにも不謹慎だと女は糸杉を睨み据え、立てつづけの咳払いで制して尚も先をつづけるから焚きつけすぎたかとちょっと後悔し、これがただの座興の与太話ならどうということはなく、あるいはこれこそが医科診療プレイの醍醐味なのかと思わぬでもないがその可能性はもうかなり低く(註─そう書きながらすべてはプレイかもしれぬとの思いも拭いがたくあり、ただそれを失念しているだけだと誰かの囁く声が聞こえるようだ、いや、たしかにそれは)、一見皮肉混じりに話す女の挙措にはその類いのいい加減さというか余裕があまり認められないから本当に痛い人なのかもしれず、やはり相当に注意して掛からないとヤバいかもしれないと糸杉は気を引き締める。

軍事政権といえば大概そうだろうが締めつけが厳しいから困ると女は嘆き、尤もその政府にしてもまだほとんど機能していないらしいからこんな生活を余儀なくされているのだがと一室を一瞥して示し、こんなことを公言してそれが官憲に露見したりすれば酷い目を見るだろうから他言は弁えてくれと念押しするが、女よりほかにいない密室で他言無用とはおかしなことを言うと疑念が擡げ、ここはしかし逆らわずに頷いておく。戦争はたしかにあったがどこか外国の話だし日本が戦時下になってなどいないのは周知のとおり(註─糸杉の知るかぎり現実はそのようになっているはずだった)で、女の妄想を鵜呑みにするほど間抜けではないが剥きになって反駁するのも立場上ためらわれたから適当に聞き流していたのだが、そういうところには聡いのか女はすぐにそれと勘づいて真面目に聞けと言わぬげな視線を投げて寄越し、いったい何が起きたのかと訊くのもバカらしいが何が発端なのか全体誰が仕掛けたのかと問うてみれば、「北朝鮮とか中国とかならそれなりに信憑性があるし、とりあえずそう答えればあなたも納得するとは思うんだけど」現実はそうではないのだと女は肩を竦め、地球外から何者かが襲来したということが噂されていて、尤も報道管制が布かれているためその詳細は分からないのだが目撃情報も多数報告されているらしいと女は言う。皆が皆一様にバカになってしまったのも記憶を撹乱する電磁波か何かを発信しているのに違いないとそれは女の当て推量だろうが、そうだとしても女だけがそれから免れていることが解せないというかご都合主義も甚だしく、その妄想の詰めの甘さを指摘して自身の優位を認めさせるような愚を糸杉は犯さないがどうかすると笑いそうになるので必死に怺えていて、頬の筋肉の不自然な痙攣はしかし隠し果すことも困難で気取られまいとの努力も空しく笑っていられるのも今だけだと女に指摘される。散発的な戦闘がここいら辺でもたまにあると女は少しく怯えたように低い天井を見上げるとどのみち破滅はすぐそこで足掻いても仕方がなく、粛々と最期の日の来るのを待つよりないと悲観的な意見を述べて「生きてるだけマシね」とひどく涸れた笑いを笑う。

いくら居心地がいいとはいえ日も射さぬ密室にいたら精神衛生上よくないしたまには外の空気も吸いたいと思うのが普通ではないか、それに戦争など疾うに終わっているかもしれないからちょっと出てみないかと散歩にでも誘う風情で言ってみるが、気狂いをでも見る眼で女は糸杉を眺めやり、たとえ死から免れ得ぬような過酷な状況に立ち至ったとしても最後まで生きるために尽力するのが人としてあるべき姿ではないのかと説教めかして言う。できることなら穏便に済ませたかったが女を説き伏せることの不可能を知り、女が顔を俯けた一瞬の隙をついてその隣に糸杉は席を移し、徐ろに肩に腕を回し抱き寄せるとともにその手をとって後ろ手に捻りあげると「やだ、こういうの趣味なの?」と女は身悶えるが満更でもない様子で、さらに力を加えていくと苦しげに艶かしい吐息を漏らして「痛いじゃない」と眉根を寄せるが抵抗する様子はなく、いくらか紅潮したその頬に仄かな情慾の兆しを垣間見もして数瞬見蕩れていた糸杉だが、本意はそこにはないので女を俯せにソファに押さえつけて最後の喘ぎを堪能するとゆっくりと身を離す。それなり楽しませてもらったが「帰るよ、悪いけど」そろそろ潮時だと腰をあげると「そう」と素っ気なく女は答えただけで殊更引き止めようともせず、糸杉に押しつけられた俯せの恰好のまま身じろぎもしない。どうやら帰してくれそうだと内心糸杉は狂喜するが面は飽くまで渋面を崩さず、ゆっくりとドアのほうへ歩みながらもしかしどこか釈然としない思いが燻っているのが気に掛かり、長居しすぎたせいとそれを振り払ってノブに手を掛け静かに廻すと背後で女の動く気配があり、次いでつまんないなと呟く声が届くが下らぬ遊びにいつまでもつき合ってはいられないと無視して部屋を出ていく糸杉の背に「またね」とひどく艶めいた声が絡みつき、これもしかし無視してドアを閉め、二度と来るかと内心叫びつつ狭く勾配の急な階段を一息に駆けあがる。駆けあがりながら糸杉はあまりに泰然とした女の余裕の態度がちょっと気になってあるいは同類が潜んでいるかもしれぬと息を殺すが屋内に人の気配はなく、もう何年も使用されていないだろう事務所ふうのがらんとした部屋を抜けて易々と表へ出ることができたから安堵し、妙に臆病になっている自分を少し笑いつつ女の宅をあとにするが、笑いはすぐと掻き消えてなぜか知らぬが変な胸苦しさが擡げてくる。それを払拭せんとするかにその足取りは徐々に速くなり、いつか駆けださぬ勢いで猛然と歩いているのに気づいて追われているわけでもないのに何を急いているのだろうと我ながら糸杉は可笑しくなるが、女の宅を辞してから変な浮遊感が支配していたのはたしかで、酔いの残滓ともどこか異なる神経伝達網のわずかな揺らぎとでもいうよりほかないような、自身ではどうにも制御できない浮遊感に糸杉はいくらか足を取られながら歩いていたのだった。

01 02 03 04 05 06 07 08 09

戻る 上へ  

1 2 3


コピーライト