あまりの奇矯さに田尻が口を閉じてもペットボトルから注ぎ足した炭酸飲料を一息に飲み干す間も誰も何も発し得ず、その沈黙に「すいません、なんかつまんないことベラベラ喋って」と田尻が弁解すると「いいえそんなことは」ない大変為になったとフォローする紀子に皆追随するかに頷くが、何もかもそれで得心したというように「そゆことだったんだ、急にほらしゃぶってとか言って」半立ちのペニスを顔に押しつけてきたりするから前からおかしいとは思っていたが「なんか利用されたって感じ」と真希が言い、譴責するふうではないものの状況を把握しての発言ではなく不意に口をついて出たというふうで、何も今それを問わなくてもとの緊迫した空気になったことでその不用意を知って真希は怯むが、取り繕う言葉もすぐには出て来ず誰もが気拙い思いのなか「ゴメン」と田尻は素直に詫び、それには真希も面喰らったかして「別に謝んなくたって」こっちも好きだからするんだし人がいようと誰が見てようとお構いなしのそのゲリラ的な戦法がいつか病みつきになって二十四時間受け入れ態勢でいつ来るかいつ来るか「って期待してたとこもあったから」と照れたように笑うと、だからこそ自分には真希が必要なのだとその手を取って握り締めつつ田尻は告白めいたことを言う。その芝居染みた科白と身振りに一瞬座は白けるが奇矯な話の余韻がまだ濃厚なだけにそれは妙に場を和ませもし、それに勢いを得てか「そうそうそういやいつか電車でさ」と真希が語を継いで電車内での田尻にすれば切実な行為のはずのものをただの猥談として露骨な描写ではじめたから話が脇に逸れていくのを危惧して「それであの、田尻さんはマリアをどう捉えて」いるのか端的に聞かせてもらえれば今後の参考にもなると紀子が訊けば、腕組んで考え深げに「どうっつってもね」自分でもその辺ハッキリしないから整然とは答えられぬかもしれないがと断りを入れてから、そのハッキリせぬものを捉えようとしてか半透明の恵美の霊を見つめながら田尻が言うには、まず最初に念頭したのは回避行動としての性的昂奮がその効力をなくしたという現況からしてその命数の尽きるときがいよいよ訪れたということで、顧みて悔いのない人生だったかといえば全然そうではなく、それこそ霊に始まり霊に終わると端的に言い得るこの二十数年間というものはただそれからの逃避にのみ終始したというもので「我ながら情けないです」といくらか田尻は視線を落とし、そのような不安の未だ続くなか「この方は」と半透明の恵美の霊を示して邪気のない笑みを自分に向けていて必然これは何なのかと思わざるを得ず、「何ですか?」との友梨の端的な問いに「天使と思いました」と田尻は答え、「天使じゃなくてマリアだよ」と真希がその誤謬を指摘するとそれは端から諒解しているがそうと知りつつ「そう思っちゃったんだから」仕方がないと如何にも済まなそうな眼差しで見つめられて「天使だなんて、そんなとんでもない」と照れ笑うのを田尻は眩しげに眺めながらこのような天使に迎えられその胸に抱かれて死ぬのも悪くはないか、いやむしろそれこそ本懐ではないかと思ったと言う。仮にもマリアと言うからにはしかし人の命を奪うということはないはずで、そうとすればこれは天啓とも言える現象で救いの兆しと思えなくもなく、いやむしろそう見做すべきで、知恵美=メシア=天皇の灼かな霊験の顕れとしての恵美=マリアを人に徒為す霊の類いと同列の輩と短絡し、さらには死神のようにも見做していたことをまず田尻は詫び、信仰の対象としてそれを掲げることはしかし自分として正直まだいくらか抵抗を感じるが、それに値する神格を具えていることは認めてもいいような気がすると言い、改めてさっきははしたないところをお見せしたと詫びれば「やだ、なんか恥ずかしいな」と照れたように半透明の恵美の霊は笑い、同じような照れ笑いを浮かべつつ田尻は何もかもを吐露し尽して若者らしい壮健を取り戻したかに見え、狭い1DKの室内に満ちていた妙な緊迫も徐々に和やかな状態へと収束していくようで、誰もが安堵し一息ついてほとんど同時に皆の手がコップに伸びる。
そこで一区切りついたからここらが潮時かと帰る切っ掛けを紀子が窺っていると、せっかく鎮まった波をまた混ぜっ返すように何がはしたないのか「セックスが汚らわしいみたいに」言うのはおかしいセックスこそがこの教団の要ではないのか今までやってきたセックスをそれでは否定することになると真希が言うのも尤もで、二人の妙な親密さを嗅ぎとってのものとはいえその指摘には抗い得ず、「別にそういう意味じゃ」ないと弁解しつつ「マリア様とはでもセックスできないじゃん」と言われて「そりゃそうかもしんないけど」なんか腑に落ちないのだと真希はその心情を告げ、恵美=マリアの存在それ自体が教義に抵触する可能性のあることを示唆するその発言に紀子はいくらか動揺するが、その辺を日下らがどのように解決しているのか教義に暗い紀子には分からぬから不用意な発言は避けてマリアを視認できる人は数少ないのだから「むしろ選ばれた人なんだと思います」と田尻に言い、そう悲観的になることはだからないと言うと「あたしにだって見えるよ」と真希が言うのに「ウソばっかり」と友梨が突っ込めば「見えるもん」と言い張り、「ホントに?」とそれならどんな服装か髪型はどんなふうかつぶさに答えてみろとさらに問い詰めれば「ええと」としばらく眺めるふうをみせるが「ウソ、見えない」と項垂れる。いくらか勝ち誇ったように「私は見えるよ恵美=マリア様」と友梨は半透明の恵美の霊に言い、「どこよ?」と訊く真希に「ほらそこ」と的確に友梨は示すが真希には見えぬらしく田尻に確認して間違いないと言われ、ひとり奈落に落ちたかのように「ええ私だけ」と嘆くのを信心が足りないからだと叱られて「じゃどうしたら見えるようになんの?」と訊く真希にいくら教団で奨励しているからといって「ただセックスばっかしててもダメなんだから」と友梨は言って「ね」と同意を求められて紀子は「ええまあ」と曖昧に答え、それに強い反発を真希は示して快楽こそがメシアの源泉ではないのかその陶酔境へと限りなく上り詰めた者のみが晴れてメシアを身籠もることができるのではないのか、今までそうとばかり思っていたと言い、自分もメシアがほしいからそのためにはセックスあるのみとそれへの邁進を宣言したのだと訴えれば「っていうかそうじゃなくて」と友梨はその論点の食い違いを指摘すると、真希のその宣言を根幹から顛倒せしめるかに「でもさ、真希生でしてるじゃん」と言い、さらに「中出しでしょ」と念押せば「だってそのほうが」気持ちいいしメシアもできぬと答える真希に「そうじゃなくて」とその誤りを友梨は指摘するが、いまいち理解していない様子の真希に「それじゃ訊くけど」メシアではなく普通に子供ができたらどうするとの問いに堕胎すると事も無げに真希は答え、そのあまりの顛倒に驚きながらも不意に紀子の脳裡に過ったのはそのようにして堕胎された幾人もの胎児が群れ集まって恵美の体内で結晶したのが知恵美だということで、その華奢な体つきから端的にそれは連想されたのだろうがただの思いつきにしては妙に生々しくリアルに感じられたから、あるいはそれが真実なのではないかとまで思ったほどで、すぐにそんなことあるはずがなく抑も未来の堕胎が過去の身体に結晶するなど時系列的にも矛盾していると否定するものの、拭いがたくそれは残留してその基底部で紀子を揺さ振り続け、過去現在未来に為されたあるいは為されるだろう堕胎の総てがひとり知恵美に結晶しているとするならばそれこそメシアとも言い得るかもしれぬとの思いにまで遂には発展してしまう。その意識の片隅で紀子がわけの分からぬ妄想に囚われている間も問答は続いているが教理に精通していない紀子にその問答はもひとつ理解できず、理解できないから肥大する妄想を抑え込むことができずに逆に意識を向ける結果となってさらなる肥大化を許してしまったのだが、恵美の見出した三つ巴の受精よりもそれは遙かに荒唐無稽で自身笑ってしまうほどなのになぜか捨てがたく、遍く総ての堕胎胎児の再結晶としての知恵美という着想は子宮に着床する受精卵のごとく紀子の意識に深く刻みつけられ、この教団にそれが受け入れられるものかどうかが分からぬから公言こそせぬものの以後も紀子はその認識を懐き続け更新し続けていくのだが、この時点で紀子がそれを知るはずもなく徐々に意識の後景へと退いていく妄想から眼を逸らして眼前に展開する光景へと眼を向ければ、その伝道師の役目を引き継ぎでもしたかに諄々と友梨が語り継いでいて、ちょうど話は知恵美の誕生のくだりに差し掛かっているらしく真希田尻とともに紀子もその聴衆に加わって信者らがどのようにそれを受容しているのかその実態を探ろうとするかに友梨の話に聞き入れば、抑もその顛末を知ってるのか「冊子とかもらったじゃん」との友梨の問いに知らぬと真希は首を振り、そういう杜撰がせっかくの信仰を無化してしまうのだと嘆きつつ今のメシア=天皇にしても避妊は万全だったんだから、「ねえマリア様そうですよね」と訊かれて半透明の恵美の霊は「ええ」と頷き、真希にはそれが見えないのに「ほらね」と友梨は示しつつむしろ避妊の万全なセックスにこそメシアは宿ると説き、即ち精子を遮断してメシアをのみ通過せしめるためにこそ避妊は必須なのだとの結論にそういうことになっていたのかと紀子は内心思いつつ表には出さず、それを代言するかに「そうなんだそら知らなかった」と田尻が言う。