友方=Hの垂れ流し ホーム

5 小セミナーという名の一大乱交パーティー

01

旺盛に食べる知恵美の生野菜を囓る咀嚼音を心地好く聞きながら粒マスタードを塗りレタスとスライスハム一枚を乗せたトーストを二つ折りにして食べていると「成長は止まったの?」と不意に問われて「みたいだけど」と紀子が答えると「日記は?」とさらに訊くので「つけてるよちゃんと」と手に着いたパン屑を叩(はた)いて立ち上がると恵美の遺品の大学ノートを紀子は持ってきて卓に広げ見せ、「ほら」とパラパラと頁を捲れば、どの頁の記述もほとんど違いのないことからその危機を脱したと言えると説明する紀子に半透明の恵美の霊は頷き、「安心した?」と訊けば「安心した、けど」と留保的で、「けど?」と紀子が訊くと「私って一体何なのかなと思って」とまたしてもその存在の非関与性の件を蒸し返し、殊に徳雄先生功次と恵美にとって最も親しかるべき人らとコミュニケートできぬことを半透明の恵美の霊は嘆くのだが、それまでの切迫した深刻さはないにしろスッパリと切り捨ててしまうこともできぬらしく、それを紀子も分からぬではないが如何なる説明も恵美を満足させることはできないから何とも答え得ず、ただ聞くことより他できぬのが情けなく、得体の知れぬヒトではないものと霊的存在との二存在を前に自分が最も不可解な存在のように思えて仕方ないが、朝から鬱いでたってしょうがないと陰気臭い空気を入れ換えるかに窓を全開すると急き立てるように忙しなげに仕度して「行ってきます」と無人の部屋に告げ、恐らく駒井の注進に違いないが紀子と面識のあることを聞きつけた八木は本部事務所に来ると書類整理に追われている功次の肩に手を置いて「きみも隅に置けないね、いや、どんどんやってくれよ」と下卑た笑みを浮かべ、「何もメシアはひとりと決まったわけじゃないんだから」とさらにも好色な相貌を作り、「未来は君らの男振り如何に掛かってるんだから」と言う。八木のそれら一連の言葉を功次がしかし気にも掛けなかったのはまだ恵美のことを引き摺っていたからで、抑もここに来る端緒を開いたのもそれゆえで、蛇女だの宇宙人だのという稚拙極まる空疎な妄想による、恐らく四十男に寝取られたという妬みやら悲憤やら不甲斐なさやらに原因するそれらからの等しく無責任な逃避が結果恵美の死を招いたとの思いに捕らわれた功次は自責に苦しみ、自分ひとりで抱え込んでいてもいずれ破裂するのが落ちで聞くだけでも聞いてもらわねばと知人を挙げるが真面に聞いてくれそうな人物のひとりもいないことに功次は愕然とし、過去に遡り記憶を穿り返してやっとのことそれに相応しい人物がただひとりいたのを探り当て、それだけでもう何もかもが解決したような安堵を功次は感じて胸の透くような思いがし、その中学以来の友人の吉岡より他頼るところはないと「最近どう?」とまずは電話を入れ、以前に変わらぬ親しみのある答えに接してこいつになら話せるとの手応えを掴み、呑みに誘ってその席で告白せんとするが緊張からタイミングを掴めずモタついていると逆に吉岡のほうから「なあ聞いてくれよお」と切りだしてきたので「おう」と応じると、「うちの工場潰れちまった」と吉岡は言い、「えっ」と一瞬理解できずに訊き返すと「閉鎖だよ工場閉鎖」と吉岡は言ってビールを一口不味そうに嘗めるが、その口調が事実内容にはそぐわず妙に明るいのが内心の悲痛をより功次に感じさせ、自分のことなど消し飛んで「呑め呑め」とビールを注いで追加を注文し、しこたま呑んで前後不覚で帰宅したその夜は酔いに紛らせて寝てしまうが一夜明けてアルコールが抜ければ元通りの鬱屈が待ち構えている。何をしても気が乗らないしつまらないところでしくじるしどこか投げ遣りで茫と放心していることが頻繁になって同僚から「変だぞ」と言われ、言われないでも分かっているが分かってはいてもどうする術もなく、二、三日は心配され気遣われもするが長引けば訝られ煙たがれて出社から退社まで気拙い空気で、やはり吐き出さねばと退社後電話を入れて快諾を得たのち部屋を訪ねると「おう、上がれ上がれ」と吉岡は迎え入れ、「仕事見つかった?」と挨拶代わりに訊くと「いやまだ」と答える吉岡に屈託はなく、僅かに違和を感じるもののその吉岡に便乗せんと功次は殊更明るく振る舞って勢いづけ、出された座蒲団に尻を置くとしかし塞がれた尻の穴に同調してか口もなかば閉ざされて声にならず、そこを無理にも絞りだすようにして「実はね、この前言えなくてさ」とやっとのこと切り出し、ここまで来ればもう後には退けないとズルズルと引き摺りだして総てを功次はぶちまけたのだった。

それを受ける形で吉岡から「お前だから言うんだけど」と何とかいう宗教の信者だと明かされ、その突然の信仰告白に功次は若干戸惑うものの落ち込んでいる者につけ入る宗教の阿漕(あこぎ)を僅かに警戒したのみで「そうなんだ、そら知らなかった」ととくに驚くこともなく、「て言うかね、失業とは関係ないんだ、その前からだから」と聞いていくらか安堵はするものの自分とは縁遠い違う世界のこととしか思えなかったので軽く聞き流していると、思いもよらぬほうからそれは功次の間近に迫り来て、ひとり鬱いでいてもはじまらないし腐るだけだし腐れば尚鬱ぎは進向してそのうち悪循環に陥り、ひと度悪循環の閉鎖ループが形成されてしまうとそれを打破するのは容易ではないし結果無理することになって体にも悪いと一気に吉岡は捲し立て、「見たとこまだ閉鎖ループには落ち込んでないみたいだから」気分転換のつもりで「一遍来いよ」とその教団のセミナーに功次を誘うのだった。入る入らないは別として気晴らしくらいにはなると思うと吉岡はさらに言い、そのセミナーには大セミナーと小セミナーとの二種類あり、文字通り大セミナーが比較的大人数の参加するもので少人数で行われるのが小セミナーだと大雑把に吉岡は説明し、「ま、大っつっても五〇人もいないけど」とその規模の小ささを自嘲気味に言い、「小だとだから四、五人なんだ」と言うと「別に恐いことないって」と尚も誘いを掛ける吉岡に否定する理由を見出せぬまま功次が黙しているのを肯定と解したのか日時を告げて待ち合わせ場所も指定し兼ねぬ勢いに功次は戸惑い、待ったを掛けるように「でもさ、そういうのって金とか結構すんだろ? 何万とか何十万とか。そんな金おれないし」と言えば「まさか」と吉岡は大仰に首を振り、参加費は大セミナーで大人が一二〇〇円子供が六〇〇円、小セミナーでは大人が九〇〇円子供が四五〇円、小学生以下は無料と「映画よか余っ程安い」と言うが、比較にならぬと思いつつ「そう」と曖昧に受け流して尚も功次が決し兼ねていると他に何か売りつけられるということもないし「一遍来りゃ分かる」から自分の眼で確かめろと執念く誘うそのしつこさに見知っていた吉岡ならぬものを見たような気がし、それが功次のまだ知らぬ吉岡の一側面なのか教団によって植えつけられた布教精神の端的な現れなのかが今ひとつ不分明ながらもどことなく危惧を感じて「やめとく」とそのときは断ったのだった。その後も吉岡とはちょくちょく会って酒を呑むがセミナーへの誘いはパッタリと止み、誘われないのは有り難いもののどうかすると吉岡が被膜に覆われ霞んで見えるし妙に手応えもなく、呑めばしかし被膜も溶けるだろうとさして気にもとめず杯を重ねるが呂律が廻らぬほどに酔ってもそれは拭い得ず、座が白けるというのではないもののその手応えのなさがどうにも気に掛かって功次のほうから「セミナーとか行ってる?」と訊くが「ああ」の一言で吉岡は済ましてそれ以上口にしないので余計気になってさらにも訊かずにはいられず、具体的な内容をまで訊いてしまっているのにふと気づいた功次はそれをしも罠というのではないにしろ何か嵌められたような気がしないでもなく、聞けばしかし布施を強要されるでもなく高額な布施はむしろ突っ返されるし厳格な戒律に縛られるでもなくフリーセックスを教えの第一に掲げる教団とのことで、それ自体異様を感じなくはないものの吉岡への信頼がその異様さをかなりの部分緩和させ、暗い陥穽から逃れたいとの焦りとも相俟って普段なら躊躇う一歩を功次に踏み出させ、日の下へと通ずる出口ともさらなる深淵へと顛落する入口ともつかぬ穴に踏み入れさせたのだった。

そのような匂いの一切感じられない住宅街の一角に建つマンションということが尚一層功次を淫猥な妄想に誘い込み、来る前に食欲を満たしたことが肉慾の昂揚を端的に齎すことにもなり、別段スタミナつけようとかいざというとき立たなかったら困るとか思ったわけではなく結果そうなっただけで他意はないと自分に言い訳するがいくらか期待しているのも確かで、アダルトビデオにあり勝ちな設定の安直な禁忌行為を想像して乱パでも始まるのかと功次は内心動揺しつつそのようなことがこれから展開するとは素振りにも見せぬ吉岡のあとについてそのセミナーの開かれるというマンションの一室のドア前に至り、チャイムを押す吉岡の後ろに立って肩越しに覗き込むと『津田』と表札にはあり、団体名ではないことにいくらか功次は安堵するものの個人宅に偽装しているのかもしれず、そうとすれば秘匿する理由は自ずと知れると妄想は果てなく淫らに拡がり、緊張から立たなかったらなどと変に気など廻しつつ友人宅をでも訊ねるように案内もなしに勝手に上がり込む吉岡のあとからすでにいくつか男物女物とりどりの靴が脱がれているのを三と勘定しつつ功次は靴を脱いで上がり、細く短い真っ直ぐな廊下の取っつきのドアを開けてチラと眼だけで合図を寄越して中に入る吉岡のあとから続くと、むっと噎せ返るような汗と精液の臭いに充満した薄暗い密室が展開して入り乱れ絡み合う男女の嬌態やら嬌声やらが飛び込んでくるのかと思えばでそうではなく、採光の充分な明るい室内には淫靡な官能の匂いなど微塵もなく、小ざっぱりしたごく普通のその六畳のリヴィングには和やかに談笑する五人の男女がいるのみで、気配に気づいた正面の二人が僅かに顔を上向けると後ろ向きの三人も続いて振り返り、口々に「いらっしゃい」と言うなかひとり席を立って促す女は家人の津田と思しく、吉岡を媒介に互いに紹介を終えたところで先に席を外していた津田が新たな紅茶を用意して戻ってくるが、茶飲み話に加わるような気さくさで応ずる信者らのそのあまりの普通さに功次はむしろ拍子抜け、あまりに見当外れな一人合点が可笑しくて仕方なく、「何が可笑しいの?」と真正面にいる女が言うのに「何でもないです」と否定するが意に反して頬が紅潮していくのが分かり、皆にそれを示すように指差して「赤くなってる」と真面に女に指摘されて言い逃れもできず俯けば「変なこと想像してたでしょ」と図星を指され、「違いますよ」と否定するが女の真っ直ぐな視線に捉えられて功次は眼も上げられず、この座の主たる津田の「そのくらいで友梨ちゃん、もう勘弁してあげたら」で辛くも助けられ、ケラケラと笑いつつ「延子さんに免じて勘弁したげる」と言う友梨のその笑いはしかし明るく何の屈託もないところを見ると何ら悪意はないらしいのだった。一挙に恥部を曝けだしたような恰好で萎縮してしまった功次が出された紅茶にも手をつけられずに俯いていると、考えるより先に口から出てしまうので悪気じゃないから「気ぃ悪くしないで」と割って入って「それで何人入信希望者逃したか」と嘆くように言うのは延子の夫の津田卓造で、片手拝みで首だけで辞儀して「ゴメンな梳井くんて言ったっけ?」と功次に詫びるとこんな連中だがゆっくりしてってよと気さくに言い、「いえ別に気にしてないすから」と功次が言えば「こんな連中って、卓さんに言われたくないな」と友梨が言い、布教に日々専心していることを誇示するように「吉岡さんだって私が入れたようなもんだし、田尻さんも真希もそうでしょ」と連れのふたりに頷き掛け、出された菓子盆のサブレをひとつ摘んで口に入れると右の頬に納めて咀嚼せぬまま「あと川崎の向井さんとか銚子のほら誰だっけええと、そうそう嘉山さん嘉山さん」と言えば「違うよ坂井さんだよそれ」と真希が訂正し、「アレそだっけ、じゃ嘉山さんは?」とその所在を見失って友梨が訊くと知らないよねと真希は隣の田尻と頷き合い、所在の分からぬ嘉山を探すように視線を泳がせつつ友梨はサブレを咀嚼するが、ゆっくりと嚥下すると「それとほら所沢の」と嘉山を見限って先へ進んで指折り数え上げて「もう表彰もんれふお、ねえ延子さん」とサブレをもひとつ口に入れながら言うと、同意を示すように延子は頷き掛けてから卓造のほうを顧みて「あなたの負けね」とすげなく言われてふてくされたように卓造は盆のサブレを鷲掴み、豪快に口に放り込んで紅茶で流し込むと「オレだってお前地道にやってるさ、何も鍵開けるだけが能じゃねえやな」と言うがその表情には微かに敗北感が漂っている。サブレのヴァニラの甘い香りをそれは消し去るほどではないにしろジワジワと確実に浸透するのか会話はそれから停滞してしまい、その場の空気はしかし険悪というのでもなくどこか通底し合っているというか芝居めいた嘘臭さを功次は感じ、総ては新人を迎えるための諒解済みの手続きというかある種の通過儀礼のような気がし、最後まで口出しもせず傍観していた吉岡の超然とした態度が端的にそれを示しているようにも思い、宗教とか結社とかのよくやる手口だがこれはそれほど手の込んだものではなく、むしろ単純で分かりやすいが単純→無邪気→健全と短絡できぬのも確かで、装われた単純さほど質悪いものはなく疑い出せばきりがないが見たところ悪辣な思惑があるようにも思えないし出口なしのカルトめいた狂信性も窺えず、ただの茶飲み話との初期の印象に収束してしまうのは吉岡への信頼があるからで、そこを基点として捉えれば関わって即危険な輩でないことは確かなようだしつき合ってみるのも悪くはないと功次は思い、その一点さえ押さえておけば当面は大丈夫だろうとひとり納得するとティーカップを取ってゆっくりと啜り込む。いくらかそれで落ち着いてくるが功次の静かに置いたティーカップの立てる僅かな音を合図のようにして「でもさやっぱさ」と不意に友梨が口を開き、功次を前にしてのためらいからかそこで句切ってサブレをひとつ食べてから甘いヴァニラで被覆するように「変なセックス教団とかと一緒にされんのって、なんかさ」と言うと功次に真っ直ぐ向き直り、「誤解しないでね」と言うが誤解させるようなそれは口振りで、助けを求めるように吉岡に目配せするが困惑げな笑みを浮かべるだけで何も言わず、つまりはこれも手続き=通過儀礼のうちなのかと功次はなかば観念して次の展開を身を固くして待っていると「大して違やしないじゃないか」と卓造が口を挟み、お堅い禁欲主義とか卑屈な家族主義なぞよか余っ程マシとは思うがと予防線を張っておいてうちだって充分変なセックス教団で「でなきゃやれやれって嗾けるかよ」と断言すると「違いますう」と友梨は否定し、偏にそれはメシアを希求してのことで断じて快楽主義とは違うと力説すれば「それが詭弁だってのよ」と卓造は軽く受け流し、再度友梨は「違いますう」と否定するが行き掛かり上そう言っただけで真意は別にあるように功次には思えたから芝居だとの思いは益々強まり、それを裏づけるようにそう言いながら信仰にではなくセックスに最も「熱心ななあ自分じゃねえか」と男に色目使ってると卓造に揶揄されて「ひっどおおい」と友梨は大仰な身振りで隣の真希の膝元に身を投げてそんな言い方ってありますかと嘆くが、誰もそれを真に受けてはいないようだし身を投げられた真希は苦笑さえしているし「ハイハイもうそのくらいにして」との延子の取りなしで途端に場の空気がヴァニラの甘い香り一色になったところを見るとやはり総ては芝居だと功次は確信する。

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