一部の若者には受け入れられるが信者の約三分の二を占める高齢者らには思いの外不評で、「何だかね威厳がないよ」とか「何の宣伝かてんで分かんないし」とか「眼がチカチカして気分悪くなる」とボロ糞で、「そんなことないですよ」と八木も日下も取りなしてはくれるが天子様ともメシア様とも言える知恵美とはこれでは釣り合いがとれないと大仰に嘆き、求められている宗教画めいた荘厳さがしかし欠落しているのは端から念頭になかったからだし日下や八木ともそれは充分討議のうえなのだから紀子に非はないのだが、セミナーの進行を阻害するかにブツブツと私語して非難は止むことなく、遂には作り直すことを要求されるがそれだけの予算はないと八木が言えば直接メシア=天皇に伺ってはどうかとの提案があり、メシアがOKなら文句はないだろうと知恵美に訊けば「ボクはコレいいと思う」と賛意を示し、「知恵美=メシア=天皇もこう言っておられますし」との日下のフォローもあってどうにか納まりはしたものの納まらぬのは紀子のほうで、信者らとも共議のうえ納得いくものを一から作り直したいと八木に提言してみるものの「さっきも言ったように予算がですね」と否定されてはどうすることもできず、八木や日下のリサーチの甘さには失望せざるを得ないが今回は眼を瞑る他なく、次で挽回すると密かに紀子は思うのだった。後日信者数が増加している旨八木から聞かされてその営業戦略が図に当たったとでもいうような喜びように紀子は苦笑しながらも、次いでより詳細な数値データを参照してのその推移の説明を駒井から受けるという二重の言説に搦められて宣伝の効果と短絡するわけではないしすぐ横で燥ぐ半透明の恵美の霊に釣られてというのでもないがやはり嬉しく、以後紀子主導の下に教団のイメージ戦略に関聯する主にポスターパンフレット等のデザインの仕事が徐々に増えていき、信者らの意見も少しずつ採り入れて皆の納得いくようにはできぬながらも大方の賛意を得るものを仕上げることができるようにはなり、その成果を踏まえたうえでのことなのだろうが「うちのサイトなんですけど、リニューアルしようかと思いまして」と持ち掛けられたときにはしかし「ウェブですか? そういうのはちょっと」守備範囲ではないから巧いことできるか分からないと渋り、とはいえデザインの統一性を維持する意味でもそれは必要と言われれば断れず、不案内の領域に戸惑いながらもどうにか期日までに間に合わせるが精神的にというより肉体的に非常な疲労を覚え、それはそれでやり甲斐のある仕事なのだがバイトと言うにも僅かな小遣い銭にもならぬ賃金しか出ないし一方の本業たるフリーランスの仕事の依頼が絶無に近いことを併せ考えると紀子の危惧は増大する一方で、その危惧とも相俟って何か深みにでも嵌っていくような漠たるしかし着実に拡大している不安を感じぬではないものの、最早不即不離の間柄と言っていい知恵美の齎すその灼かな霊験が退けてしまうのか意識に上る傍からそれは跡形なく蒸散してしまうのだった。この不安の霧消と再燃という奇なる円還が果てもなく続くかと思うと紀子はさらにも不安を覚え恐怖すら感じるのだが、その恐怖もしかしすぐどこかに消し飛んでしまい、遂には何もかもに疲れ果てて風呂にも入らず顔だけはしかし洗って寝るというのが紀子のこのところの悪しき習慣となり掛けていて、入らねばと非情な決意で湯を張って何日か振りで入浴が果たされるとそこらのエステなぞより心地好く隅々まで軽くしなやかになって五歳も若返ったような気になり、風呂に入ったくらいで何を浮かれている何よりそれは老いた証拠だとしかしすぐに自省し、このまま仕事がなければいずれ経済が破綻すると思えば楽観もできぬのだが河井課長からの逃走が齎した心的余裕が予想外に大きく、根拠もなく楽観してしまうのを知恵美の仕業かと紀子は訝るがそれも一瞬のことでしかなく、一方でしかし負の要因も確実に働いていて半透明の恵美の霊を前にしてその悲痛な面持ちを横目にやはり徳雄先生とはセックスしにくいということが事実としてあるにしろ、それでも河井課長の悪しき残影が色濃く滲出してくるせいでその不信は免れず、慾望を全開することができないため得られる快楽も半減し、いや半減どころか僅かに嫌悪すら覚えて行為にまで至ることがなく、徳雄先生に咎めるべき非がないため「ゴメン」と謝り通しの紀子に「謝ることない」と徳雄先生は言うが怒張したペニスの納めどころに困じているのが分かり、常なら我からしゃぶりついて一滴余さず搾りとるのだがそんな気にもならず、快楽主義から禁欲主義へと転じたわけではないものの当面真面に向き合うことはできぬとその真相は秘したまま詫びれば「また謝る」といくらか語気強く徳雄先生は叱り、そのいくらか児戯めいた響きの叱責を紀子は心地好く受け止める。
フリーセックスを教義の根幹に据えている教団に属しながらセックスを忌避しているという矛盾は滑稽だが、信者らにしてもそのような倫理的に乱れた印象は少しもないし皆が皆セックスで繋がって淫靡な円還を構成しているというわけでもなく、奨励はしても実際にするしないは各人の自由裁量だからせずとも何ら問題はないし非難されることもないと思えば気は楽で、それでも恵美と違ってこの関係に倫理的に抵抗があるのではと徳雄先生が率直に訊けば「そう言うわけじゃ」ないと紀子は言い、ではどういうわけかと突っ込まれて答えに窮した紀子の煮え切らぬ物言いに不審を懐き、事態を重く見た徳雄先生は紀子に付帯している恵美の霊がその総ての混乱の根源と踏んでそれを除くより他手はないと除霊なり何なりして祓うことを勧めるが、たとえそれが諸悪の根源だろうと半透明の恵美の霊は紀子にとってなくてはならぬものだから祓うなど考えられぬし「できるわけ」ないと言下に否定されてそれ以上何も言えず、見えない恵美に戸惑うというより眼前の紀子に如何に対処すべきかで徳雄先生は困じてしまい、捨ておくこともしかしできぬから呑み明かそうと場所を変え、朝方に帰宅したから起きたのは昼過ぎで、いくらか頭痛があるものの気になるほどでもないから常と変わることなく神棚に向かって「お早う」と紀子は拝み、その淡い光とともに甲高で快活な「お早う」が返ってくるのを半透明の恵美の霊ともども全身で浴びると嘘のように僅かな頭痛も消し飛ぶのだった。教団関係の原稿等を必要なものだけ抜きだすと他は脇へ押しやり、それら必要書類を手許に掻き寄せるとともに意識は徐々に仕事モードにシフトしていくが、徐々にだが紀子に対して信者らが理解を示す傾向にあるのも知恵美=メシア=天皇の灼かな霊験なのかもしれないとふと引き戻され、仮にそうとしても有りもしない力を授かるのではなく秘められた力を解放しているのだと言い聞かせて紀子がその淡い光に被覆されるように知恵美とともに自宅マンションを出たのは三時頃で、電話一本寄越してくれれば迎えを出すのにとその危険を譴責する八木にメシア=天皇の力に護られているのだからと紀子は軽く交わし、ラフ原稿の束を取りだしてテーブル全面に広げると打ち合せの準備を整えるが意識は最前の八木の言葉に絡めとられて停滞し、紀子自身信憑しているかどうかは別として少なくとも信者らにはその超越的力が真実のものとして顕現しているメシア=天皇としての知恵美が今やその絶大な力を以て教団を律しているのは確かで、その偉大さ崇高さに較べると自己のあまりの卑小を紀子は思わざるを得ず、そのように卑小な自分が知恵美をひとり独占するかの現況は傲慢といえ、そのような傲慢が許されるかと問えば許されるわけないと紀子は思う。そうとすれば知恵美はやはり手放すべきなのかとさらに問うがそれはできぬ絶対にできないと紀子は思い、思うがしかし他の信者らと自分と何が違うのか同じではないかと思えばメシアとして天皇として遙拝することしかできないしそれ以外の関係性を見出せず、それでもその独占的な位置にとどまり続けねばならないと頑陋なのは代理母養母である限りは庇護し保護する責任が自分にはあると思うからだし現前する半透明の恵美の霊に申し訳が立たぬと思うからで、それこそが他の信者らとの決定的な差異ではないかと思うことでいくらか紀子は救われたような気がし、軽い吐息とともにソファの背凭れに半身を預けるとその視野のうちに半透明の恵美の霊が現れ、上から差し覗くような恰好で見つめる半透明の恵美の霊の靄掛かったようなその半透明を茫と紀子が見上げれば、その思惟の何もかもを見透かしたようなそれは眼差しで、茫とした虚ろな視線では太刀打ちできぬというように脇へ顔を背ければそれを追うように反対側に廻り込んで差し覗き、物問いたげに尚も見つめるその眼差しに紀子が観念して向き直ると打ち合せの疾っくに終了したことを告げられ、予期せぬ言葉に間延びした声で「え」と視線を巡らせばそこには誰もおらず、広げられた原稿もいつの間にか一所に纏め置かれていて空調の音のみ静かに響いていて、その妙な気拙さに紀子は額の汗を拭う仕草で胡麻化すが汗など一滴も流れてはいないからそれ自体嘘臭く、却ってその動揺が露呈したようで羞恥にいくらか赤面しつつ鈍くさと原稿を仕舞うと「行こか」と紀子は腰を上げる。