友方=Hの垂れ流し ホーム

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興醒めたというのではしかしなく別の昂奮に取って代わったということで、自分の知る限り陽気だし道化て巧みに事態を好転させる術を心得ている紀子がこうも打ち拉がれているからには八木や日下が諾し得ぬ無理な要望を持ちだしたに違いないと「いつかこうなるだろうって心配はしてたんだ」とその実利一辺倒の運営方針に対する憤懣を言えば「別に実利一辺倒じゃないと思うけど」と紀子は言い、少なくとも知恵美という不定要素に振り廻されぬよう冷静且つ慎重に対処している「ように見えるけど」と擁護するが、その立場上擁護せざるを得ないのは分からぬではないが無理してとどまることはないんだから頃合い見て身を退いたほうがいいと徳雄先生が忠告すると、「ていうか」現前している問題はそれではないと否定する紀子に「何のこと?」と訊けば、「うん」と言ったきり黙り込み、黙ってちゃ分からんとアトリエ講師の口振りで徳雄先生が言うと「何から話せばいいのか」と紀子は説明に困り、視線を手許のミルクティーから徳雄先生の開けたシャツの胸元を経て店奥のほうに彷徨わせつつ「知恵美がね、知恵美がしたことなんだけど」と切りだすもののすぐ脇を店員が客が頻繁に行き来するのが気障りだし半透明の恵美の霊を擦り抜けるように通るのが不安を煽るしそれに腹を立てている半透明の恵美の霊のことも考慮すれば人の出入りの激しい『鉋屑』では込み入った話はしにくいと紀子の言うのも尤もで、「じゃその前に飯行こか」と食事を済ませるが、徳雄先生の横に陣取って物欲しげな半透明の恵美の霊を前に紀子は満足に食べられず、如何に説明するかとそれのみ考えていたのだった。狭暗い地下への階段を先に下りていく徳雄先生のあとから半身を壁にめり込ませた半透明の恵美の霊と横並びに紀子は下りていきながら「口挟まないでよ、ややこしくなるからさ」と厳重に注意すれば「分かった」と素直に半透明の恵美の霊は頷き、埋もれていた半身を壁から引きだすと紀子の先に立って音もなく階段を下りていくが、その半透明の恵美の霊が振り向いたのとさらにその先のすでに階段を下りきった徳雄先生が紀子に向き直ったのとがほぼ同時で、紀子の眼にそれは重なり合って見え、乗算で合成したレイヤーのようだと思いながら一瞬どっちに焦点を合わせればいいのか迷うが足元を気にする振りして視線を落として駆け足気味に下りていく。横に並び立った紀子の腰に腕を廻して紳士然とエスコートする徳雄先生に紀子は戸惑いながらも最前からその息の掛かるほど間近にいるにも拘らずその気配をすら感じぬらしい徳雄先生の勘の鈍さにいくらか呆れるが、八木や駒井が半透明の恵美の霊を捉え得たのはその宗教者としての特殊な能力を少なからず具備していたためで見えないのがしかし普通なのかもしれぬと思い、そうとすればこっちからわざわざ明かすことはないとも思うが何かの加減で露見しないとも限らぬし、助力協力を冀っておいて肝心な部分を秘匿するのはアンフェアだし何か騙すようで心苦しくもあり、言わねばはじまらないと腰に当てられたその掌の温みを意識しつつ決意する紀子の常のしなやかさを欠いた腰の強張りから緊張しているのは分かってもその緊張が何を意味するかまでは分からぬため徳雄先生も僅かに緊張し、いずれにしろ重要な事柄らしいから心して掛からねばと気を引き締めつつそれにしては場所を間違えたかといくらか後悔し、今更しかし変えるのも面倒だし案外こういう場所のほうがいいかもしれぬと奥のほうに席をとる。仄暗い間接照明が半透明の恵美の霊の姿を程よく隠してくれるのはいいが、反面不気味さが増したように思えなくもなく、怨めしやと現れる幽霊の相貌を一瞬見てしまったりもするが全体その姿は視認しがたいしピアノトリオの演奏が悲愴な雰囲気に陥るのを辛くも抑止してくれるため気にせず話ができ、「知恵美もそうなんだけど、半分は私の願望でもあるみたいで」としかし曖昧な表現になってしまうのは紀子にも確証がないからで、というのもそのことに自覚的だったわけではないし現れるその瞬間までまるで意識にはなかったのだからと紀子は言いながら言い訳めいたことしか口にしていないのに気づき、自分だけ埒外に置こうとするその独善を恥じて闇に紛れた半透明の恵美の霊に眼を向けられず、恵美のほうからはしかし丸見えと思えば尚更恥ずかしくて「これなんて曲?」と不意に逸らすが「さあ」と徳雄先生は知らぬげだし「で?」と続きを求めるから続けねばならず、半透明の恵美の霊の反応が分からぬのがしかし逆に気になって巧いこと口が廻らず、約束通り大人しく脇に控えてはいるが徳雄先生を前にしていつ口を挟むかしれぬと思った矢先、最前紀子を震撼させた半透明の恵美の霊と徳雄先生とが重なり合った心霊写真のような像が現前し、仄暗い間接照明がその不気味を助長するようで真面に顔を向けられなくなり、伏し目がちに視線を逸らす紀子の落ち着きのなさに事態の切迫を感じた徳雄先生は廻り諄い説明など抜きに「ハッキリ言いなさい」とアトリエ講師の口調で迫り、その迫力に押し切られる形で「恵美がいるの、ここに」と紀子は言うが、やはり説明抜きには理解しがたく「恵美?」と奇矯な声を上げる徳雄先生に「そう恵美」と冷静に紀子は答えたつもりがいくらか引き摺られて上擦り気味になり、呼吸を整えて「だから知恵美がね」と説明をくり返す。

「先生霊感ゼロだから」と半透明の恵美の霊が嘆くのを一方で聞きながら「信じられないな、恵美、いるのか恵美」と小声に呼び掛ける徳雄先生に「ほらそこ、肩んところ」と紀子が指差し教えると、息でも吹き掛けられたかにビクと反応するが「見えない」と言う徳雄先生に「何で? ここにいるじゃん」と訴える半透明の恵美の霊は涙声で、「泣かないの」と叱りつつ何もできぬ自身の不甲斐なさに紀子はその無力を痛感し、自身を律していた不文律がすでに崩壊し去っているのを知って力無く項垂れる紀子の肩に徳雄先生は掌を置いてゆっくりと摩り、肩から首筋、頭と順繰りに撫でていくが、その徳雄先生の掌の温みを押しやりつつ手のつけられていないカクテルを一息に空けると「トイレ」と席を立つ。とはいえ崩壊し去った不文律を再構築し得ぬままの紀子の足取りは覚束なく、ともすると徳雄先生の肩に撓垂れ掛かっているし脇を抱えられてその支えなしでは歩行もできない泥酔に自身嫌悪するのは道化に裏打ちされていない意図せざるもので混乱動揺を不様に露呈してもいるからで、路面の敷石の一センチとはない溝に蹴躓いて倒れるまでの時間が妙に間延びしているのさえ腹立たしく、酔いに敏捷性を欠いているから腕を突きだして緩衝させる暇もなく路面は間近で、辛うじて首を横向けて顔面での衝突を避けるが側頭部の当たる鈍いゴンという音を聞くことはなく、柔らかなベッドの上にフワリと沈み込んでいるのを奇異に思って眼を凝らして天井の鏡に映る自身の姿を眼にしてラブホテルの一室と得心し、次いで気配に脇を窺えばすぐ横に半透明の恵美の霊が同じく横たわって紀子のほうに体を向けて物言いたげに見つめているが、事態の読めぬ紀子のほうが不安が勝って半透明の恵美の霊が言うより早く「転んだ?」と訊けば「うん、間一髪」と半透明の恵美の霊の報告で事の顛末を紀子は知り、済し崩しの出来すぎた展開にこれも知恵美の仕業かと一瞬思うが悪い癖だとすぐに斥け、薄目に茫と天井を眺めつつその鏡像がどこか妙なのを紀子は訝り、凸面でも凹面でもなく平淡な鏡の歪みのない像のどこが妙なのかと眺めてそこに半透明の恵美の霊が映っていないことに気づき、像がだから変なのではないのだが妙な違和をそこから拭うことはできないし見るほどに変なのは鏡のほうだとしか思えず、確認するように「変だよあの鏡」と呟くと「別に」変じゃないと半透明の恵美の霊は言い、「だって恵美映ってないし」と言えば「そりゃ、だって」と口籠ってしまったため、それきり鏡を無視して室内に紀子は眼を向けるが徳雄先生の姿が見えぬのを訝ると「シャワー浴びてる」と半透明の恵美の霊は答え、「やっぱりまだ見えてない?」と訊けば「全然」とふてくされたように言う。

動悸が酒だけのせいではないのはこの事態を冷静に受け止めている反面ひどく動揺していることからも分かり、倫理に悖るとかそういうことではしかしなく、恐らく参加できぬ半透明の恵美の霊の立場を鑑みてのことだしその半透明の恵美の霊に見られつつセックスすることの羞恥とも愉楽ともつかぬものに幻惑されてのことに違いないが、恵美の霊をもセックスの具に自己の快楽の具にしようとしている徳雄先生の目論見が読めず、ただ好色なだけなのかもしれないがそうすることでこのいびつな三角形を巧いこと丸めることができるならそれに超したことはなく、そう簡単に丸まるとはしかし紀子には思えず、むしろ一層混濁してしまうような気さえするが、それに代わる案を提示する暇もなく浴室から出てくる徳雄先生と入れ替わりに紀子は半透明の恵美の霊とともにシャワーを浴びつつ新趣向への不安と期待に昂揚し、反面シャワーの飛沫をさえ透過させる半透明の恵美の霊はその予想される展開に浮かぬげで、実体を伴う三つ巴のセックスなら率先して参加もしようが一人を視線のみの機能にとどめ置いて残る二人の昂奮を煽る具にしようとするその意図に興醒め、何より半透明の恵美の霊の望まぬことはできないと紀子はシャワーを止めると「帰ろう」と言ってバスタオルを手に脱衣場へ行き掛けるが「いいよ無理しなくて」と半透明の恵美の霊は強がり、そう言っているときこそしかし内心そうではないのを紀子は知悉しているため構わず上がり、見えもしないし気配すら感じぬらしい徳雄先生はいいが浮かぬげな恵美を横目に快楽など貪れないと紀子は思い、「やっぱ帰る」とよく拭いもせずに脱いだ衣服を再度身に着けて浴室を出る。一旦は砕けたセックスへの昂揚が徳雄先生のうちに再燃したのはやはり霊化した恵美という紀子の嘘とも真ともつかぬ言葉とそれを裏づけるような一連の身振りにあるが、八木や日下は「何だか頼りなくて」と絶えず知恵美を拉される不安に戦く紀子を見ているだけに教団絡みの相談ではないことに安堵したからでもあり、だからこそじっくり堪能せんとしたのだしそれで紀子の不安が一挙に解消すると短絡しているわけではないがいくらかでも気散じになればと思ったからで、それがしかし中年の発想で気を悪くしたとすれば非は自分にあると徳雄先生は恐縮し、とはいえ急に帰ると言われてもすでに臨戦態勢のペニスの始末に困り、無理強いすることはしかしできぬから已むなく徳雄先生は紀子に順って鬱積した思いとともに衣服を着込むとフロントに帰る旨告げ、左側に紀子を右側に見えない恵美の霊を従えて「じゃ行きますか」と部屋を出る。何とはなしに後味悪くて何を話しても興に乗らず、気詰まりというのではないが僅かに隔たりを感じ、その総ては半透明の恵美の霊を徳雄先生が捉えられぬことに起因しているとはいえそれを責めることはできないし、責めを負うべきはむしろ恵美の霊的顕現をなかば無意識にしろ望んだ自分だとひどく恐縮している徳雄先生に紀子がさらに輪を掛けた恭順を示せば、「そりゃ違う」と声を荒げた徳雄先生を思い返すたび紀子は忍び笑いを洩らし、在るかなきかの僅かな隔たりをそれが忘れさせたことは確かだが負うべき責めが払拭されたわけではなく、自宅マンション五〇五号室に帰り着いて知恵美を出して食卓に乗せ、「お腹減ったでしょ陛下、すぐできるから」と人参を粗微塵にしながらもそれが念頭から離れず、気づけば小鉢に天こ盛りになっていて半分ほどをラップして冷蔵庫に仕舞い、残り半分と生米を小鉢に盛りつけてさきイカと干しエビも添えて白ワインとともに「召し上がれ」と出せば、小さな体のどこに入るのかと呆れるほど残さず綺麗に平らげ、その旺盛な食べっぷりに「知恵美は変わんないね、ちっとも」と半透明の恵美の霊は言う。その干涸らびたミイラのような華細い腕と対照に淡桃色の艶やかな腹を晒して知恵美は横になるとすぐ寝入ってしまうが、それを眺める半透明の恵美の霊は淡い光に照らされて同期するかに淡く輝き、知恵美を慈しむように眺める眼差しとも相俟って一層マリアめいて見え、美的に様になっているその淡い光景を紀子は不意に写し取りたくなって画用紙とパステルを用意すると早速描きはじめ、気づいた半透明の恵美の霊は「やだやめてよ恥ずかしい」と言いつつ逃げようとはせずそのままポーズを維持し、この絵が何らか償いになるとは思えぬながら紀子にできることといえばそれしかなく、この先何枚でも描くし描き続けると密かに紀子は決意しつつパステルを巧みに動かしてその実体のない存在を画用紙に写し取っていくが、二分と経たぬのに「できた?」と訊く半透明の恵美の霊に「そんなすぐには」と紀子は答え、それでも「見せて見せて」と立ち掛けるのを「まだだってば」と坐るよう指示するとそれきり押し黙って画用紙を擦過するパステルの音のみ響くがむしろそれが心地好く、これを媒介に半透明の恵美の霊との確かな距離も掴めそうな気がし、さらにはかつての恵美との関係を取り戻すこともできるかもしれないと紀子は思い、そう思うとパステルの乗りも格段に良くなったような気がするから不思議で、いいものができそうな淡い期待とともに知恵美とそれを眺める半透明の恵美の霊を、ほぼ淡い光で構成されるそれら不確かな存在を紀子は丹念に写し取っていく。

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