友方=Hの垂れ流し ホーム

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不安から脱しきれぬらしい半透明の恵美の霊を放ってもおけないが疲れを知らぬ眠りとも縁遠い霊的存在の相手が延々できるはずもなく、疲労と眠気に抗するにも限界はあると「ゴメン、ほんとゴメン」とベッドに横になると「いいって気にしなくて、知恵美もいるしさ」と気遣ってくれ、知恵美にあとのことは頼んで「お休み」と寝ようとするが、このような変事に際してしかし容易に眠れるものではなく、不快な半覚醒状態のまま眠ったのか眠らぬのか判然としないうちに朝になってしまったため、やはりまた総ては夢の領域のことと短絡してしまうが虚ろに向けた視線の先には恵美の霊が確かにいるし背後の透けている半透明も昨夜のままで、その視線を感じてか俯けていた顔を紀子に向けると霊的存在らしからぬ明るさでしかしいくらか不安交じりに「お早う」と言い、昨夜紀子がひどく魘されていたことを告げて「ゴメン、私のせいで」と詫びると怨んでなどいないし呪う気も全然ないと半透明の頭を下げるのに「分ってるよそんなこと」と紀子はその額に手を当て頭を上げさせようとするが、紀子の手だけが上に上がって半透明の恵美の霊の頭は下がったままで、常の紀子なら当然それは予測できたはずだが起き抜けの廻らぬ思考力では予測し得ず、だからひどく驚いて微かに引き攣った声を上げてしまい、その声に顔を上げた半透明の恵美の霊に何でもないと胡麻化すが胡麻化しきれず、自分こそ詫びねばならぬと紀子は正座し頭を下げる。そのようにしてしばらく双方で頭を下げて詫び合っていると知恵美がそれをひどく可笑しがって無駄なことをいつまでもくり返すと指差し笑い、その無神経を紀子が注意しようとすると「笑いごとじゃないよ」とそれより一瞬早く半透明の恵美の霊が叱りつけるが「そんなふうに育てた覚えはないよ」とまるで母親の小言のようで、いや確かに母親には違いないし当の半透明の恵美の霊はそのつもりかもしれぬが紀子から見るとその関係は母子のものとは微妙に異なり、どこか児戯的なものにしか思えぬからコントでも見ているような滑稽感は拭えず、それがツボに嵌ってひどく可笑しくなるが笑うのは憚られ、笑えぬ状況がしかしさらにも可笑しさを助長してどうにも怺えきれず吹きだせば「何? 紀子まで」ととばっちりを食い、それでも半透明の恵美の霊がその霊的存在であることに嘆いたりするよりはずっといいと思うと叱られるのさえ妙に嬉しいのだった。

半透明の姿を不用意に晒すことはできないと留守番を頼むがひとりでは心細いから「一緒に行く」と言って聞かないのを仕事なんだからと言えば知恵美は連れていくのにと返され、邪魔しないと言ってもその姿では嫌でも眼につくし騒ぎになっても困るからと諄々(じゅんじゅん)説いて何とか「うん」と諒承させて「行ってきます」と出てきたはずなのだが気づけば背後に立っていて、幾分馴れたとはいえ日に曝されて陽炎みたいにユラユラ揺らぐ半透明の姿は不気味で、故人と見知りの自分でさえそうなのだから知らぬ者がこれを見たら卒倒するか、卒倒しないまでも何らか騒ぎにならぬはずはなく、いちいちそれに対応していたらキリがないし、いやそれ以前に説明不可能だし下手に説明しようとすればこっちが気違い扱いされかねぬと「ダメだって言ったじゃん」ときつく注意すると、なぜここにいるのか自分にも分からぬと半透明の顔を不安げに歪ませ、引き返そうとしてもなぜか引き返すことができないのだと半ベソ掻くがその困惑した様子から嘘とも思えず、その身体かその意識かどっちか分らないが半透明の恵美の霊にとって紀子自体がその存在の要らしく、そこを中心としてその周辺でしか存在できぬらしく、つまりただ現れたのではなくて自分に憑いているのだと紀子は思い、半透明の恵美の霊の意志でもそれをどうにもできぬというのだから紀子自身が身を隠すのでない限り半透明の恵美の霊を隠し通すことはできぬということで、見過ごすより他にだからしようがないからできる限り周囲の状況を見ぬようにして交互に繰りだす靴先を覗き込みながら紀子は歩く。他人にはしかし案外見えぬものらしく、見えても関わらぬほうが良いと判断するのか気のせいにして胡麻化してしまうのかまるで騒ぎにならず、都市の利便性を改めて紀子は実感するがその異変をあからさまに名指す者がいつ現れないとも限らないし半透明の恵美の霊を注視する視線を感じないということもだからなく、その九割方気のせいだろうとは思いつつ楽観もできず、つい過剰に警戒してしまうのも残りの一割が気になるからで、たとえそれが一分であれ一厘であれ可能性がゼロでない限り安心などできぬから割り切ったつもりでも懸念はあり、それでも雑踏に紛れてしまえばいくらか胡麻化しは利くかもしれぬが用心するに超したことはないと半透明の恵美の霊にも言い含め、気合いを入れて満員の電車に乗り込めば常になく周りの視線が集中するように思え、遠くから聞こえる囁きとか忍び笑いとか咳払いとか僅かな身振りとかに過剰に反応してしまうし「見たか」とか「知ってる」とか「アレ」とかいう言葉にさえビクついて却って挙動が不審になり、必死に知恵美に祈念しているのを自身まるで意識していないのだった。途中幾度か電車を降りたのはその重圧に耐えられなかったからで、その都度半透明の恵美の霊と並んでベンチに腰掛け休むが、腰掛けるなり溜め息吐いて項垂れる紀子に「無理して行くよか」万全の態勢を整えてから出直したほうがいいと半透明の恵美の霊が言い、この条理に反した現象に万全を期すことなどできるはずもないと返せば自分のせいで苦しむ紀子の姿は見てられぬし「これじゃ呪ってんのと変わんない」と呪う気など少しもないのに結果疲弊させていることを済まないと詫び、自己嫌悪に沈んだような半透明の恵美の霊を元気づけようと「だいじょぶ知恵美もいるからさ」と紀子は膝元のバッグを軽く撫で、電車が来たと立ち上がると気合いを入れ直すように深く息を吸い込み、開いたドアの全面に開るように立つ乗客の僅かな隙間に割り込んでいき、そのあとに半透明の恵美の霊が力無く続くが、乗降口付近の乗客の体を通過する際にその乗客らが瞬間不快げにあるいは怪訝そうに顔を歪めるのを紀子は見逃さず、気づかないでくれと身を強張らせ神経尖らせ続けているから着くころには疲労も限界に近いが危惧した割にほとんど問題もなく、気配は感じても視認するには至らぬらしくそれこそ巫女や何かの優れた霊媒気質の者でもなければそうは見えぬものなのらしいと分かり、いくらか常態に復すことができた紀子は知恵美も馬鹿じゃないからその辺考慮しているのかもしれぬと思い、最低限の警戒は怠らぬにしろこっちが毅然としていれば周囲も騒ぎ立てることはないのではと実践すれば、何を怖れていたのかと思うほど半透明の恵美の霊に気づく者はないのだった。

遅れるとは連絡済みだが乗っては降り乗っては降りのくり返しで偉い遅刻になり、真っ先に河井課長の許に行って詫びるといい御身分で羨ましいとまず一言浴びせられ、「何されたって文句言えねえよなあ」と尻を鷲掴まれるし皆見て見ぬ振りだしとそれがひどく堪えるが通勤で神経使い果しているから道化て交すこともできず、邪魔するように雑用を宛ったり用もないのに紀子のデスクに来ては肩越しに覗き込んであちこち触っていくその執拗な攻撃に遭って半透明の恵美の霊の忠告を聞いていればよかったかと後悔するが仕事さえこなせば文句はないはずと怒りを総てそこへぶち込み、密かに半透明の恵美の霊とも共同できたから能率は上がって残業しないでも済み、憂さ晴らしに「飲み行こ」との澤さんの誘いに紀子は「はい」と応じ、応じてから半透明の恵美の霊に気づいて慌てると「え、なんか予定あんの?」と訊かれ、河井課長のセクハラの件では幾度か相談にも乗ってもらっているし断る尤もな理由もないしと澤さんの背後に立つ半透明の恵美の霊に視線を泳がせつつ「いやあのう」と逡巡しているとその澤さんの顔の前に半透明の手を翳してヒラヒラ揺らしながら「ね、ほら気づきゃしないんだから」大丈夫だと半透明の恵美の霊は言い、その手にまるで気づかぬ澤さんは「予定あんならいんだけど、ひとりで落ち込んでてもほら、よくないと思って」と言う。その半透明の手越しの澤を見つめながら行く旨紀子が告げたのは現況を踏まえたうえでこれまでの経緯から推しても心配ないと踏んだからだが、いくらか気掛かりなのは紀子自身で、溜め込んじゃ体にも悪いよと紀子に一声掛けると「源さん行く人お」と呼ばわる澤に答えたのは佃田と五代のふたりで、その三人の背中を紀子は茫と眺めつつ酔ってあらぬ事口走るかもしれぬのを懸念して半透明の恵美の霊に直接話し掛けるのだけはせぬようにと思い、加減してビールをちょっとずつ嘗めているとひとりテンションの低いのを注意されて「ていうかカバ井がさ」と濁すと常の紀子らしくない飲めと注がれ、欲しくなかったが仕方なく飲めば「訴えちゃえ、勝つに決まってるから」と向かいの佃田が「ホントむかつく」と吐き、それを受けて隣の五代が右手を肩の辺まで差し上げて宣誓のポーズを取り、嘘偽りなく証言することを誓うと言えば同座の皆がそれに倣い、その妙に真剣な眼差しに怯んだ紀子が金も時間も掛かるしあれこれ訊かれるだろうしめんど臭いし「いいよそんなの」と渋れば泣き寝入りは駄目だと皆に言われ、知り合いの弁護士紹介すると五代に言われて今それどころじゃないと紀子は「ホントいんだってば」と真剣に断ると、いっそのことここにいる皆の連座で訴える「てのはどう?」と言いだして「それいいかも」と澤も乗り気らしく、皆河井課長には被害を受けているからまずは被害者の会を「作ろうよ」と澤が提案すると皆賛成で、反対する理由もないと紀子も同意したのは酒の席のことだから具体的に進展するとも思えぬと高を括っていたからで、事実その怒りや鬱積が高じたのか「カバ井め天誅だ」と佃田が串カツの串を鶏の唐揚げに突き刺すと、それを機に紀子を置き去りにして一座は河井課長の罵倒に興じて一盛り上がりし、脇に控える半透明の恵美の霊とともに紀子が大人しくしてやり過ごすとそれきり告訴の件も被害者の会の件も再燃せず、しくじることなく散会に至り帰途につく。駅から自宅マンションに歩きながら人気のないのを確認しつつ「悪いねつき合わせちゃって」と詫びれば「そんなことない」結構面白かったと半透明の恵美の霊は言い、その霊的存在であること自体を苦にしているかどうかは別として少なくとも現状に殊更不満なわけではないらしく、その言葉に嘘のないのは顔つきを見れば分かるから紀子はいくらか安堵するが今まで周囲の眼を気にして真面に視線を交していなかったことに気づき、改めてその半透明の姿を間近に見ると月明かりを受けて反射しているその姿がそれ自身淡く輝いているように見え、特にその輪郭部分が強調されたように薄明かりに鮮明に浮かび上がるのが後光のように見えるからかマリアのような神々しさで、知恵美のように光るのではないが何かそれに似た趣で光るのを眩しげに紀子は眺め、世にある霊一般と半透明の恵美の霊とは抑もその本質からして違うのだと不意に思い、この世に未練があるとか怨念を懐いているとかいうようなネガティヴな存在ではなくてそれ自身全くポジティヴに存在しているように思え、取り憑かれたというような感じもだからまるでないしそれが半透明なのも霊ということの表徴ではなくて人の持つ負の要素が総て削ぎ落とされた結果のように思え、そうとすればそれは全き善ということに他ならないからそれが自分に顕現したということはその善が総て自分に向けられているということなのだと紀子は短絡し、そうではないにしてもいくらかそれに与れる資格はあるに違いないと「そういうことってあんのかな?」と半透明の恵美の霊に訊くと「別に善人でもないしさ、分かんない」と答え、それはしかし生前のことで今はどうなのか変化はないのかとさらに訊けばしばらく黙考してから「おんなじだよ」と半透明の恵美の霊は言う。それでもその神々しさは見るほどに増していくように思え、半透明の恵美の霊が真実マリアとして転生したとすればその恵美=マリアに自分は守護し保護されているのかもしれぬと紀子は思い、その思いは徐々に強化されて自宅マンション五〇五号室に着くころには完全にその思いに捕われていて拭いがたく沈殿してしまっていることに紀子は気づき、そうなってしまったのも紀子がそう願ったということだし知恵美がそれを端的に実現したということに過ぎぬのだろうが、知恵美に護られ半透明の恵美の霊に護られているという根拠のない思い込みは紀子をいくらか不安にさせ、それはやはりそれら超越的な力に値するほど自分が偉くも賢くも貴重でもないただの凡人との思いが根底にあるからで、自己の出自の凡庸さがしかしそれら崇高さを貶めることにはならず、といって自身高められるということも全然なく、ただ不当に護られているという不安のみが蓄積していくのだったが、知恵美を神棚に納めて半透明の恵美の霊とともに柏手打って拝むといくらか不安が緩和されるような気がし、全身の脱力がそれに伴って起きると眩暈(めまい)にでも襲われたように紀子はそのまま「つかれた」と後ろのベッドに倒れ込む。

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