友方=Hの垂れ流し ホーム

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実体を持たないため疲れを知らぬ半透明の恵美の霊は生前と変らぬ喋りを喋り続けるが、その声を聞き取られるかもしれないとの懸念は拭えず、不用意に話し掛けることはしかしできないから人眼を憚って眼で厳しく注意すると「ゴメンつい」と半透明の恵美の霊は詫び、そのあまりの無警戒にゴメンじゃないだろと叱責しそうになるのをそれだけはお互い厳守だからと紀子は怺えて無視して歩き続け、喋りたそうにしかし紀子を見つめている半透明の恵美の霊の視線を感じるたび非情な自分への嫌悪が募り、誰より不安なのは半透明の恵美の霊ではないかと紀子は思い、彼岸へ至ったかどうかも分からぬうちに此岸へと召還されてしかもその世界への関与性を極限まで制限されている半透明の恵美の霊こそ最も不安に戦いているに違いなく、その半透明の恵美の霊の唯一の拠り所が自分より他ないとすれば自分だけは常に恵美の側に立っていなければならぬと紀子は思い、思うがしかしそれに徹することが困難なのも確かで、今まで器用に立ち廻ってこられたのが不思議に思えるほど現在自分の置かれた状況が把握できず、しっかりバミってあったはずの自身の立ち位置を見失ったような気がして不意に紀子は立ち竦み、訝しげに覗き込む半透明の恵美の霊をなかば無視しなかば気に掛けつつバッグの中を弄って携帯を取りだすと、非常手段として電話する振りをしながら半透明の恵美の霊に喋り掛けるが、どこか聴聞僧に告解を求めでもするような切迫した感があるのを紀子自身気づいてはいない。一ヶ所にとどまらず絶えず移動しながら話すことを心掛けてはいても半透明の恵美の霊の声が周囲に聞こえぬという保証はなく、長々喋るのはだから危険なのだが興に乗るというより沈黙からくる不安から脱しようとしてかダラダラときりがなく、「もう切るよ」と幾度も言うのだが「え待って待って」と悲痛に訴えるから切るに切れず、マリアなんだからも少し毅然としてなきゃと注意しても「そんなの関係ないし」と喋りやめぬのを「ほら前の人こっち見てる、さっきから」と示してようやく「じゃあねバイバイ」と携帯をバッグに仕舞うが「気にしすぎ」と半透明の恵美の霊は言い、気になるものは気になるのだから仕方ないし教団内部に不穏な動きのあることを併せ考えると尚更周囲への警戒は厳しくならざるを得ず、傍目にも明らかな常とは異なるその雰囲気に異変を感じるもののそれには触れさせぬ気迫で「何か?」と先手を打たれては「いえ何でも」と引っ込まざるを得ず、そうかと言って気になって仕方ないから打ち合せも進展しないし幾度か席を外しても妙な違和は解消されず、僅かに気配は感じているようだが確とは見えぬらしく「あれ、なんか、いや、変だな」と呟いて居心地悪げに幾度も坐り直したり「駒井君空調おかしくないか?」と訊きもするが「こないだ直したばかりじゃないですか」との即答に本源はやはり紀子より他考えられぬと八木は思う。一瞬紀子の左横に朧に人の姿が浮かび上がるのを眼にし、しかも見覚えのある人物だと八木は思うが像が曖昧だったのとすぐ見えなくなったのとで誰なのか見極められず、見知った者ならしかしもう一度確認できれば誰だか分かるはずと再度現れるのを待つがそれきり姿を見せず、見たのかどうかさえ曖昧になるが「見えました?」との紀子の言葉が傍証となって確信を得た八木は小さく頷き、引いた顎を元に戻す間に見えたと訊くからには紀子にも当然見えていると気づいて「えっ、じゃあなたにも」と驚き、「ええまあ」と曖昧に答えてちょうど像の浮かび出た辺りを横目で窺う紀子に「何でまた?」とさらに訊く八木に「知恵美です多分」と神妙に答え、その灼かな霊験が恵美を召還してしまったのだと紀子が言えば「まさか、嘘でしょう?」と大仰な驚きようで「ホントなんですか?」と言う。信者らの熱狂には概して冷静だった八木だがこれにはいくらか動揺し、知恵美の出現にそれは次ぐものと言ってよく、紀子の言葉に明らかなように知恵美の霊験のそれが灼かな顕現とするなら正にメシア=天皇に他ならぬ確かな証ということだが、その確証を得るにはまだ情報が足りないと出現の詳細を乞えば「急だったもんですから」と紀子にもその経緯はよく分からぬらしく、既存の幽霊話より遥かに劣るその内容に八木はいくらか落胆するが、「大事なことですからね、ま、すぐにとは言いませんけど」思い出すよう念を押し、「話したりできますか?」と訊けば「ええまあ」と応答は可能とのことなのでいずれ本人に直接訊けばいいと「まあそれはそれとして」と切り上げると、恵美の霊=聖母マリアの線で知恵美=メシア=天皇に関連づければ信仰強化に使えるし、さらなる発展を齎すかもしれぬこの機を逃さぬよう深刻な紀子を前に事務屋の態度を維持しつつ「そのことについて知恵美さんはあれですか? 何か言ってます?」と訊けば、「気にもしてないみたいで」と溜め息交じりに言い、その辺りの連携が巧いこといくかどうかが鍵だと思案しつつ再度恵美の霊を探すように八木は視線を泳がせるが、僅かな気配すら感じることもできないのだった。

不安げな視線を向けるその顔がいくらか強張っているのを自身意識してかハンカチで丁寧に額を拭うと「それはそれとしてですね」とまた区切りをつけて「このところえらい盛況で」と話頭を転じた八木は「それもこれも知恵美さん、いやメシア様天子様のお陰です」と僅かに笑みを零し、入会申し込みの事務手続きに忙しいらしく時間を気にして頻繁に袖口を覗き込み、「これからまだ二、三廻らなきゃならないんで、あとは駒井君に言ってありますから」と席を立ってしまったため紀子はひとり残され、その落ち着いたような落ち着かぬような妙な間を持て余していると、それまで口を挟まず傍観していた半透明の恵美の霊が八木の退出でようやく息がつけるとでもいうように「ホント忙しない人だよね」と笑い、この取り留めのない間の妙な居心地悪さがその笑いでいくらか緩和されたような気がして同じ笑いを紀子が返すと、次いで「何で私にはお茶出ないの?」といくらか憤慨しつつ紀子の紅茶を飲もうと手を伸ばすが予想通りその手はカップを素通りし、「何なのもうっ」と子供のようにふてくされる半透明の恵美の霊に「止しなって、自分が惨めになるだけなんだから」と何度目かの注意を紀子はするが「だって」と尚もカップと格闘し、カップの中の紅茶はしかし波立ちもせず現実への非関与性を無情に示すのみで、その波立たぬ紅茶に苛立ち嘆く半透明のその姿は真剣なだけに痛々しく、このような形で出現せしめた原因の一端を自身担っているということに紀子は思い至ると改めてその罪深さを思わぬわけにはいかないのだった。贖罪ということも含めて自分に何ができるかを紀子が模索するに、まず何より知恵美の養育が挙げられるが徳雄先生の助力を考慮してもその安全確保に関して懸念は残るからどれだけその死に報いることができるかは疑問だが、知恵美にしろ恵美にしろ未だその距離を掴めぬながら自分から積極的に関与していくより他ないと紀子は思い、如何なる関与かといえば教団にさらにも深くコミットしていくことにそれは他ならず、それがしかし何にも増して紀子の危惧するところで、知恵美にしろ恵美にしろそのことにまるで無防備なのも気掛かりで、教団にとどまらざるを得ぬ以上信者らの熱狂が全体どこへ行くのか、その信仰が狂的なものにならぬよう導かねばならないが八木や日下にはそれを期待できぬし、かといって紀子にそれができるとも思えないから慎重にも慎重を期さねばならぬところへきてのさっきの八木の話で、物凄い勢いで事態の展開していることを実感した紀子は茫然とソファに座り込んでいる自分の廻りだけひどくゆっくりとしか時間が進んでいかないように思え、その落差はひとり孤島に流刑されたような隔絶感で、悪寒に身震いしてまだ充分に温かい紅茶を一息に飲み干すと食道から胃に掛けての一過性の温かみに瞬間浸るがすぐ元の悪寒が全身を覆い尽し、紀子のカップの向こうにある手つかずの八木のカップから立ち上る湯気と香りに手を出し掛けるがそれはやめ、「行こ」と恵美の霊に小さく囁いて何かに急き立てられるように立ち上がって足を踏みだし掛けるとその脇にいつの間にか駒井が立って紀子を見ている。不意のことに戸惑いつつも八木の紅茶に手を出さなくてよかったと内心思い、呼吸を整えて一拍置いてから「何か?」と意識的に脳天気な口振りで訊くと、「えっ、ああ藤崎さん」と街でバッタリ出食わしたような反応で、駒井の見ていたのが紀子ではなくその背後に立つ半透明の恵美の霊なのだと知り、「駒井さんもですか」と言うと「も、ってあなたも?」と八木と同じことを言い、伊達に宗教をやっているわけではないといくらか感心しつつも不用意なことは言えぬしできないと紀子は観念し、「で何か?」と再度訊けば運営面についての説明をするよう八木から言づかっていると駒井は事務的に言いながら八木よりもよく見えるのか紀子の背後を気に掛け、「そんな見ないで下さい」という半透明の恵美の霊の言葉まではしかし届かぬらしく、再度腰掛けたソファで一通りの説明を受けたあと、人手が足りず信者らから公募してアルバイトとしてだが事務員を増員することになったと計三人を紹介される。専業主婦の津田延子三一歳、勤務していたメッキ工場が潰れたため失職中の吉岡泰晴二五歳、その吉岡と懇意だという印刷会社勤務の梳井功次同じく二五歳だが、顔を合わせた途端絶句して挨拶も交わさない紀子と功次を訝って目まぐるしく視線を走らせながら事態を諒解しようと懸命な駒井に元彼ということは伏せて、というのも駒井の態度から功次がそのことを話していないのは明らかだが功次が話していない以上何らか事情があるはずで、ないとしても紀子が明かすことはないしあるなら尚更暴露するようなことはできないししたくないと恵美との繋がりで面識があるとだけ紀子は告げると、納得したようなしないようないずれとも取れる面持ちで「そうですかお知り合い」と軽く頷きながら駒井は見透かそうとするようにじっと功次に視線を注ぐ。驚いたのはしかし紀子だけではなく紀子の背後に控える半透明の恵美の霊も同様驚いたらしく、「何で何で?」を連発して功次に詰め寄るが、功次のほうはまるで気づかぬらしく「驚いた」と一言呟いて半透明の恵美の霊の体を突き抜けて紀子のほうへ歩み寄り、紀子を功次を譴責するというよりは自身のその中途半端な不在性非関与性に苛立ったように「何なのもうっ」と半透明の恵美の霊は声を荒げるが、駒井がその波立ちを僅かに感知して恵美のほうに視線を向けた他は誰も気づかず、慰めのひとつも掛けるのが自分の務めと紀子は思いつつ皆の手前無視するより他なく、通り一遍の挨拶で胡麻化して長居も気詰まりと「失礼します」と行こうとする紀子を「あ、ちょっと」と呼び止めつつ背後の書類束を掻き回して薄い冊子を一部抜きだした駒井はそれをヒラヒラ振りながら「次回セミナーの予定表、変更になったので」と手渡された薄冊子を紀子は手に持ったまま「それじゃ」と本部事務所を出ると、渡された薄冊子をクルクルと丸めて無造作にバッグに仕舞うのを紀子の前に廻り込んで後ろ歩きでぼんやりと眺めている半透明の恵美の霊に気づき、「何?」と訊けば「私さ、ホントに死んでんの?」と朝から幾度も言い含めたことをまた蒸し返す。卑屈に打ち沈んだような深刻さではしかしなく、日常会話レベルの平板さで「だって冗談としか思えない」と言い、同じ説明をくり返すことにも疲れた紀子がその分かりやすいカラ元気に乗じて「アッタマ悪いよ恵美」と返せば「悪いもん」と居直って「でもいい、知恵美に良くしてもらうから」と言うが、そのような装いに却って返答に窮して黙し勝ちに行くその後に従いつつ「次はどこ?」と訊く半透明の恵美の霊に『鉋屑』とだけ紀子は答え、「あすこのスフレ・ア・ロランジュ美味しんだよね」と言う半透明の恵美の霊に「あすこって?」と紀子が訊けば「だから鉋屑」と言うが、言ってから触れることすらできぬのを悔やんでか好きなものも食べられないのならいっそ死んだほうがましと矛盾したことを言い、「ねえ、ホントに死んでんの?」とまたくり返すのに紀子は答えず、歩きながら空車を探すが幾度か乗車拒否に遭い、拒否した運転手の一様に怯えたような身振りから半透明の恵美の霊の纏う何か不穏な空気を感じてのこととすれば疫病神とまでは言わぬが庇護し保護されていると感じたことが一時の気の迷いのように思え、四台目でようやく乗せてもらえたときには行き先を告げるのも失念していた。


自身非理性に陥っているとは思えぬし思いたくない紀子に現前している半透明の恵美の霊を矛盾なく説明することはできないし何もかもを知恵美の仕業にしてしまうのも都合好すぎるとは思うものの、知恵美=メシア=天皇という転換装置に慣れてしまって信者らの影響からか総てを知恵美に関連づける癖がついてしまっていることに紀子は改めて気づき、灼かな霊験など信じてはいないはずなのだがそうだと言い切れなくなっている現状からするとニュートラルな位置を維持することの困難を思い知り、況して会の中心にいる者が信者でないのは確かに他の信者らに不審を齎すだろうしその結束を弱め兼ねないし知恵美派に付け入る隙を与えるようなものでもあり、「何とかなりませんか?」と困惑げな八木を憐れむ気持ちはないにしろその誘いをいつまでも拒み続けることはやはり無理で、いずれは入会することになるだろうと腹を括ってはいるものの可能な限り先へと延ばしたいのも事実で、注文した一杯のミルクティーに手をつけられぬまま何とはなしに「どうしよう」と真向いの半透明の恵美に訊けば「いいじゃん入っちゃえば」と気楽に言い「知恵美のためにも」それが最善だと言うのだが、そのラディカルな教義や非宗教的側面にいくら共鳴していても入るとなればまた別で、半透明の恵美の霊の言うように知恵美のことを思えば入会はプラスと言えるが信じてもいない宗教に帰依することに紀子は何より抵抗を感じるし冒涜とさえ思うのだった。その灼かな霊験と言われる現象を幾度か目の当たりにしても尚まだ「信じらんないってのが信じらんないよ」と半透明の恵美の霊に言われて紀子は信じ得ぬ自分が愚かしく思えてくるが決しようとすればするほど決断は鈍り、「どうすんの?」と性急な半透明の恵美の霊に「人事だと思って」と紀子は呟いて視線を手元のティーカップに移して把手に指を掛けるが「八木さんになんか言われた?」の声に視線を戻せばそこにいるのは徳雄先生で、不意に現れたことにまず驚くがそれ以上に半透明の恵美の霊に重なるように腰掛けているのに驚いて声を上げそうになり、それより前に半透明の恵美の霊が脇へ退いたため辛うじて押しとどめるがその凝固したまま声もない紀子に徳雄先生は「悪い、驚かすつもりじゃ」と謝り、「違うの、こっちこそ」と詫びる紀子の最前の深刻な面持ちに続くその蒼白にセックスへの甘い期待など吹っ飛んでしまう。

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