友方=Hの垂れ流し ホーム

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常に監視するように傍にいて離れずトイレにまでついてこようとする八木を紀子は疎ましく思うものの、その切迫した面持ちを見るといくらか同情せぬでもなく、とはいえ疎ましいことに変わりはないから八木への牽制のため一層徳雄先生に寄り添って離れず、トイレにまではしかし連れ込むことはできぬからひとり放尿を済ませるが、そのように絶えず八木を牽制しつつも「じゃそろそろ」と促す八木に従って信者らの待つ会議室に徳雄先生とともに向かいながらセミナーへの緊張が抑えがたく高じていくのを紀子は意識し、室内に足を踏み入れた途端それまで静まり返っていたのが明らかに紀子と知恵美を話題にしてそこここで囁きが交わされるうち徐々に音量が上がり、遂には室内騒然となって「メシア様天子様」と皆が一斉に唱えだしたのには徳雄先生はもちろん紀子も唖然とし、その理性を喪失したような狂信者めいた唱和に恐怖すら覚え、その唱和が知恵美から発したもので知恵美へと集中しているのが分かるとそれほどのカリスマが知恵美にはあったのかと紀子は自身の認識の不備を思い知るとともにどれほどラディカルでも宗教は所詮宗教でその火勢を増した信仰の凄まじさに宗教の恐ろしさを垣間見るような思いがし、この教団にとっての思想的根幹たる念願のメシア到来とあってはこの昂揚も頷けなくはないと思いつつたった三週間の不在がしかしこれほどの昂揚を齎すものだろうかと訝りもし、よほど慎重に処さねばこの途轍もない波に呑まれてしまうと紀子は喧騒のなか思い、この暴走し掛けている信者らを御し得るだけの統率力すら自分にはないのだからこれをさらにも上廻る暴走が起きれば紀子には対処の術はなく、あまりに危険極まる乗り物に乗ってしまったと紀子は後悔するものの、降りると言ったところで信者らが認めるはずはないし仮に認めたとしても自分だけが降ろされて知恵美はメシアとして天皇として教団にとどまることになるだろうから最早降りることはできないと抜き差しならぬこの状況になかば絶望するが、徳雄先生もついていてくれるし灼かな霊験を示してくれると言った知恵美がいるのだからと自身を慰め鼓舞して鳴り止まぬ「メシア様天子様」の唱和を全身で受け止めるように信者らの前に紀子が向かおうとすると前を行く八木が右腕を横にピンと伸ばして紀子の歩みを制し、同時に左腕を信者らを制するように頭上に掲げると徐々に唱和は鳴り止んで、それでも完全に止んでもとの静寂に返るまでには四、五分を要し、日下八木紀子駒井が信者らに対する正面の席に着いてもしかし常のセミナーにあるようなホームルームめいた雰囲気になることはなく、部屋の後部隅のほうにひとり離れて徳雄先生が席に着くのを何か人質にでも取られたような気がしつつ紀子はただ茫と眺めるのだった。常にない厳粛とも言い得る雰囲気の濃厚な会議室内の張り詰めた空気をゆっくりと吸い込み、その呼気とともに「これほどの事態は教団始まって以来です」といくらか困惑げに八木が言うと「嬉しい悲鳴ではありますが」と八木の奥から首を伸ばして日下が言い、「何もかも知恵美=メシア=天皇の賜です」と八木がおっ被せるが、賜とは何なのか知恵美が何をしたというのかその事態が紀子にはまるで呑み込めず、不在の間に何が起きたのか八木に説明を求めれば「知恵美=メシア=天皇が奇蹟を顕わされたんです」と言い、「奇蹟?」とさらに紀子が訊ねると「吉田さんのお孫さんの病気、ええと何でしたっけ?」と首を巡らしてすぐ前の席の吉田に訊き、「はい何とかいうむつかしい病気で遺伝らしいんですけどお医者様も手の施しようがないって仰有ってたんです」と一気に捲し立てる吉田がさらにも語を継ぐ勢いなのを八木は制し、その医者も見放した病気が奇跡的に快方に向かったとのことで、「訊けば知恵美=メシア=天皇のお言葉があったというじゃないですか」と八木は語気を強め、そこでまた信者らが波立つのを八木は「まあまあ」と制し、そんなの偶然に決まってると内心紀子は思うものの信じて疑わない信者らに水を差すことなどできないし下手に否定すれば自分が攻撃の対象にされるとの怖れもあって寡黙に事態を見守っているより他なく、調子に乗ってあることないこと知恵美が喋りだすことのないよう牽制することはしかし忘れず、その異様な雰囲気に呑まれまいと説明を求めるように紀子のほうに視線を向けつつ泡立つ不安を鎮めようと徳雄先生は焦り、内心の怯えが見てとれるその視線を受けて共鳴するように紀子までが不安に感染し、知恵美の奇蹟を偶然と否定し去ったその傍からまだ蓋の取られていない卓上の桐箱を両手に抱え込んで何か祈るような思いで「知恵美知恵美」と声には出さず呼び掛けていることを紀子自身まるで意識していないのだった。

日下の指示を受けた八木の合図で桐箱の蓋が開けられ、その発する光が放たれて淡い光に満ちた知恵美の顔が覗けたときにはだから信者ら同様に、いや、それ以上に紀子は歓喜に震え、ただひとり徳雄先生だけが不安を解消しきれぬまま嫌な汗を流すが一応破綻なくセミナーは終了し、そのあともしかし気は抜けないと八木の護衛がつき、徳雄先生がいるからと紀子が護衛を断ると「日下さんに叱られます」と困惑顔で言って「じゃせめて駅まででも」と執拗に食い下がる八木に「折角だから」と徳雄先生の取り成しもあって仕方なく八木の車に乗るが、「先生と同伴のときは送迎は不要ですって日下さんにも言っといてください」と釘刺すことは忘れず、それきりしかし一語も発せず内心の昂揚を悟られぬよう埃に汚れたガラス越しに外を眺める恰好で身構えていたため一層車内は重苦しくなり、駅近くの路肩に止まった途端酸欠から逃れようとでもするように飛びだしてあとをも見ずに早足で駅に向かい、その背中を見失いそうになりながら追う徳雄先生の呼び声に紀子は振り向き立ち止まる。一旦は知恵美に慰撫された不安がそこでまたぶり返してくるのを紀子は意識し、徳雄先生の不安にそれは共鳴にしてのことに違いなく、「やっぱりさ、危ないよ」と徳雄先生はその危惧を告げるが、皆知恵美をメシアとも天皇とも仰いで頼みにしているしその中心たる知恵美の存在なくしてはあり得ないと言えば「そのメシアとか天皇ってのがさ、なんかこう」と言って口籠り、その危険を紀子も同様怖れていることを頷くと「知恵美を残して紀子だけでも」と言うのにそれだけは絶対にできないと首を振り、「恵美のこともあるけど、私にとっても大切だから」と言い、自分に知恵美が必要なように現に知恵美を必要としている信者らから知恵美を奪うことは自分にはできないし小市民の典型ともいえる穏健な日下や八木に何ができると紀子は言う。それに組み伏せられたのではないがそれ以上の反論を徳雄先生がしないのはホテル街に差し掛かったからで、同様紀子も徳雄先生とのセックスが最初からの目的で已むことのないアドレナリン放出もそのせいだというようにその腕に絡みつき肩に寄り掛かり、道化ねば負けるとの危惧から殊更猥りがわしく紀子は振るまい、不安を払拭するためか不安に鼓舞されてか紀子の猥りがわしさに答える意味でか技巧の限りを尽しその総てを披露するとでもいうように果てもない愛撫を続ける徳雄先生のあらゆる猥らな要求に進んで紀子が応えているのはその卓越した技巧に因るところもあるがその不安を徳雄先生と共有してもいるからだと紀子は思い、元はと言えばその不安は紀子だけのもので、不用意に徳雄先生を道連れにしてしまったと自責するもののその不安の共有が齎す一体感が紀子をして徳雄先生の導くまま体を開かせるのであって贖罪の意味では決してないと紀子は思い、思惟をそこで終わらせてセックスに専念しようとするが不安の共有のみで性器の弄り合いにまで至るということが自分として考えにくく、どこか腑に落ちないのも確かで、不安は単なるとば口に過ぎずその根本の動因はもっと奥深くにあるはずといよいよペニスを差し入れようと体勢を整えている徳雄先生の息づかいを耳元で感じながらも紀子はさらに思惟を巡らせ、妻帯者ということよりも恵美という存在が最大の障壁となって自ら抑圧してしまったそれは愛に他ならないと紀子は認め、そう紀子が認めた途端脊椎を刺し貫くような衝撃が走り、弓なりに仰け反ってきつく締めつけるその力にすぐにも行きそうになるのを徳雄先生は怺えてゆっくりと少しずつ抜き差ししはじめるのに紀子は呼吸を合わせて腰を振る。

「お休み」と別れる最後まで落ち着きなく、自宅マンション五〇五号室に帰り着いてもまだ昂揚が持続していてセックスのものとも不安からくるものともつかないその異常な精神の高ぶりを紀子は御し得かね、呑まずにいられるかと買い置きの缶ビールを二缶出して一缶は冷蔵庫に入れて冷やしておいていま一缶をぬるいまま呑むがなぜか酔いは廻らず、呑み過ぎても明日の仕事に差し支えると二缶で止して長々と湯に浸かりベッドに潜り込んでいつでも寝られる体勢を整えるが高ぶった神経は治まることなく睡眠を摂ろうとする紀子を覚醒へと引き戻し、さらには知恵美の淡い光の明滅も眼に沁みて覚醒を助長するようで、行き届いた徳雄先生の愛撫を反芻しながらその軌跡をなぞるように幾度も幾度も自慰を繰り返すことでようやく疲れから浅い眠りに落ち込むが、その精神的疲労と肉体的疲労とはふたつながら翌日まで持ち越されて知恵美にというのではなくその灼かな霊験に見放されたような気がし、いや、そうではなくてそのこと自体が不信心の現れなのではとの懸念が浮かび、確かに紀子は信者らのように知恵美をメシア=天皇と頭から鵜呑みにしてはいないが、それは八木も日下も同様だから一概に不信心とは言えないとも紀子は思い、時間的にも空間的にもしかし知恵美の最も近くにその身を置いているのだから影響も最大のはずなのにそこから最も遠く隔たっているように思え、中心だからこそ波立つことがなく周縁へと遠離るほど波立ち騒ぐということをそれは意味するのかもしれないが、そうではないと実証しようとするように紀子は神棚から桐箱を降ろしてそっと卓に置き、まだ眠りから醒めない知恵美の発する淡い光が時折消え入りそうになったり不意に強く輝いたりするのを夢でも見ているのかと眩しげに眺め、朝の光と知恵美の淡い光に照らされたその顔はしかし薄く翳りの差す徳雄先生も垣間見た憂い顔で、爽やかな朝日とは裏腹に紀子の思いは沈んでいく。不身持ちな自分にはその灼かな霊験に与る資格すらないのだとすれば不倫が罪ということになるし恵美の死もその故ということになり、死を以て贖わねばならぬほどのそれは罪なのかと身も蓋もない考えに嵌り込んでいくのを自覚しつつやめることもできず、それではしかしメシア到来のためのありとあるセックスを奨励する教団の教義と違うしメシア到来以後は一転禁欲主義を掲げるということなど聞いてもいないと悲憤の昂じた紀子は何か自分ばかり損をしていると欲得で言うのではなく腑に落ちないのだと捩じ込むつもりで知恵美の目醒めるのを待ち構えていたのだが、いざ目醒めた知恵美と視線を交わし「お早う」を交わしてしまうとさっきまでの憤りが消し飛んでしまっていることに気づき、「どうしたの?」と訝る知恵美に言うべき言葉を失って「なんでこうなっちゃうんだろ」と溜め息混じりに紀子はぼやき、これが灼かな霊験なのかと声には出さず知恵美に言う。朝の気怠い雰囲気に妙に馴染んでいるがその実頭の中をそっくり刳り貫かれたような自失の状態に陥っている紀子とはまるで対照的に「昨日は面白かった」と悪びれた様子もなく言ってカカと笑い入る知恵美の真意を測りかね、面白がってる場合じゃないと刳り貫かれた頭の中味を復元しつつ紀子が注意すれば「面白いものは面白い」と譲らず、危惧を感じた紀子が宗教の恐ろしさを説くと「違う」と知恵美は否定し、総てはそれを運用するヒトの狂気に因るので「怖いって言うならそれは宗教じゃなくてヒト自身なんだよ」と言われて返す言葉もないのはそっくり頭の中を刳り貫かれているからだと紀子は思い、「だから面白いんだけどね」と笑う知恵美に紀子は呆れながらも天皇なら天皇らしくしてと叱れば、現天皇をして天皇らしいと言うなら知恵美にそれを求めるのは筋違いだし「あんなふうに空っぽにはボクなれないしなりたくもない」と知恵美はキッパリと言う。


信者らを嗾け煽動して何か不穏なことを知恵美派がしでかすのではとの懸念が次第に現実味を帯び、時折八木との会話の中にも挿入されるがラディカルな信者らがそう易々と行動に出るとも思えず、日々強まる知恵美に対する熱烈な信仰を思えばしかし懸念は残り、煽り立てるようなことだけはしてくれるなと当の知恵美に約束を取りつけていくらか安堵するが、紀子の見る限りしかし信者らの口から実際にそのような不穏な言葉が出ることは一切ないし彼らは彼らの祈りを祈り続けることに専念しているようで、水面下の動きをまではしかし見通すことはできないので紀子の懸念はこの何日か続いている曇天を反映するように紀子の全身を覆い尽していつまでも晴れることなく、いや、そうではなくて紀子の思惟の曇りが空に反映しての曇天なのだと紀子は思い、そのいつ降りだしてもおかしくないなか傘も持たずに紀子が出掛けるのは決して雨を降らせてはならないとの切なる願いからだし不思議と雨にならないのはその願いが着実にどこかに届いているからで、いや、どこかではなくそれは知恵美の許に他ならず、灼かなその霊験が雨を抑止しているのに違いないと何の根拠もなく信じている自分が不思議で仕方なく、というのも知恵美をさえ信じ崇めていれば良いというような他律的な様態に自足してしまうことに常から紀子は強い抵抗を感じてもいるからで、その微温湯的な陥穽から脱せんとそれこそ道化のように馬鹿笑いして笑い飛ばそうともするのだが笑えば笑うだけその妄信のほうへと傾斜していくようなのだった。徳雄先生との密会の数が増してほぼ毎日となったのもその夫婦関係がすでに破綻していることも要因のひとつには数えられるが徳雄先生とのセックスなしには精神的にも肉体的にも自己を維持できないほどに疲弊してしまったというのが最大の要因で、それを頽廃とも堕落ともしかし思わないのは八年来恵美と徳雄先生の不倫を間近に見てきているからで、仕事への意欲がしかし削がれるわけでもなく微妙に均衡は保たれ、もとより切り替えの早い短期集中型の紀子だが何かに憑かれたような驚異的な集中力を発揮して次々仕事をこなしていくのを「物になってきた」と河井課長は褒め、それが皮肉ではないと分かるのは常の陰険な河馬の眼つきが幾分和らいで期待通りの仕上がりに満足しているときに見せる眠たげな河馬の眼差しに変じていたからで、そのことに驚いているのはしかし誰より紀子自身で、やはり灼かな霊験のお陰なのかと思わなくはないもののセックスが明日の仕事の活力となって脳の活性に一役も二役も買っているのだと断じて胡麻化してそれ以上の追及はしないのだった。

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