眼前のシブスト・オ・ポムを表面のカラメルを豪快に突き崩して下のフォンセと林檎のソテー入りのアパレイユを絡めながら食べつつ一時の顛末を蕩々と語る恵美に「卵は卵だよ」とその眼前のミルクレープにほとんど手を着けていない紀子は一笑に付して恵美の言う卵の霊験なる神懸かり的現象の一切を認めないが、卵の霊力は絶大だとの恵美の思いが揺らぐことはなく、「紀子も産めば分かるよ卵」と紀子のような脳天気な声音で言い、その程度のことで浮かれていると足元掬われると紀子は窘(たしな)めるように言ってようやくミルクレープを一掬い口に入れるが、聞いているのかいないのか恵美は返事も寄越さず、たまりかねた紀子が「聞いてんの?」と念押ししても「んん」と空返事をするばかりで一向聞いている様子はなく、余計な助言を与えてしまったのではと紀子のほうが不安に駆られ、追い打ち掛けるように「貸したげようか? 卵」と不意に恵美が言いだすのに驚いた紀子は「いいよいいってば」と本気で断ると、「自分のじゃないと効き目ないか」と笑って「そうかもね」と独り言ち、まだ半分近く残っているアップルティーを一気に飲み干すと「止しなよもう」と窘める紀子を他所にウェイトレスを手招いて紅茶のお代わりとケーキを追加注文するが、紀子が危惧するのは恵美の超過摂取カロリーではなくその卵への異常なほどの親近性で、母性愛といえばそれまでだがどこか常軌を逸しているように紀子には思えたので現時点で宗教とのコミットは得策ではないと判断し、予定していた打ち合わせはせずに「日曜だしさ、どっか遊びに」でも行こうと誘うと「そだね」と上の空で恵美は答える。
「悪いねつき合わせちゃって」と片手拝みをする恵美のその手を「何言ってんの」と紀子は軽く払い除け、「安いのでいんだから」と三九八で税込み四一七九円の簡素なやつをひとつ購入して紀子とともに自宅マンション三〇二号室へと帰り、どこに置こうかとあれこれ思案の末に「ベッドの枕元がいい」と言う恵美の意見を言下に退けた紀子の提案を入れて化粧台横の小物類の山を片づけて据え置いたのだが、そこに卵を据え置くと内から発する得も言えぬ慈愛の光がまた一段と増したように恵美には思え、「ねっほら」と紀子にも見てみろと促すが「そうお、あんま変わんないみたいだけど」とテーブルの向こうから訝しげに眺めるだけなので、もっと近づいて見ろと手招くが「変わんないよ」とテーブルに張りついて動こうともせず、そのようにひとり舞い上がっている恵美に却って紀子は興醒めてしまうが、その恵美の舞い上がりがどこか狂的に思えて『神聖卵教会』との接触を中止して正解だったと思い、恵美のその昂揚をいかに鎮めるかと考えていると不意に恵美がテーブル下の平積みの雑誌類をまさぐって一冊のノートを取りだして率直な意見を聞かせてと紀子の前に広げ、細かい文字で埋められたそのノートは日付毎に記入されていて「観察日記?」との紀子の問いに「まあそんなもん」と恵美は答え、では何のとの自問にすぐに答えを見出した紀子が「卵の?」と訊くとうんと頷き、見てみろと顎で促す。
そのときふと紀子の脳裡を小学五年生の夏休みに恵美と二人共同で朝顔の観察日記をつけた記憶が掠め、その絵の緻密さを褒められたのを思い出し、そこから昔話がズルズルと展開するかと思えばそうはならず、急いたように恵美は日記の説明をしはじめ、卵の状態確認は朝と夜との計二回行い、変化があればすぐに分かるよう綿密とまでは行かないが記録を取りもしているが、その際何より気をつけて観察しているのはその発光量の増減と色合いの変化の二点で、気温湿度等の条件の違いによる変化も洩らさず記録するようにしているしその日一日の天候の変化もできるかぎり記入し、最後に卵へのメッセージで締め括るのだがこれは付け足りに過ぎず、あまり意味はないと恵美は気恥ずかしげに言うが、その時どきの恵美の感情と卵の発光の加減とに何の関連性もないとは言い切れないとまだ朝顔の残像を残しつつ紀子は思い、発光量だの色合いだのといっても精密な測定機器などないので主観に頼らざるを得ず、普遍性がないということが欠点だが何もしないよりはマシだし仕事柄色彩感覚には自信のある恵美は自身の感覚器官を研ぎ澄まして卵を観察し、同業の紀子なら分かるはずだし恵美よりも格段にセンスのいい紀子ならその情報から何かを見出すことも可能なのではと意見を求めたのだが、各日末尾の「はやく孵ってね」とか「このごろすごく充実してる それもみんなあなたのおかげ」とか「これって愛? だよね」とかに散見される限りにおいて、今のところ宗教への傾斜は軽度だと紀子は思うものの神棚の購入は意想外で尋常とも思えないし「形だけだから」とはいえやはり気掛かりで、その卵への並々ならぬ思い入れが母性によるものか信仰によるものか知的好奇心によるものか恵美自身にもよくは分からないが、とにかく無事に孵ってくれることを何より願っているということは確かで、何が孵るかによってそれへとさらに近接するか、あるいは脆くも霧消するかが決まってくるが「それが運命の分かれ道」と戯れ言を言う恵美にはぐらかされて紀子はその真意を掴めない。変化があればすぐ連絡するよう言い置いて紀子がタクシーで帰宅しても最早ひとり不安に駆られることもなく、卵の絶大な慈愛に包まれて恵美は眠りに就き、翌朝の確認のときも就寝前の確認のときにも卵には何の変化もなく総ては順調に進行しているかに見えたが、その次の朝の確認のとき、ガーゼを一枚一枚剥いでいくうち妙に膨らみがなく全体に薄っぺらなのに気づいて割れてしまったのではと焦り、ガーゼを総て剥いで卵を剥きだしにすると確かに割れていて殻の破片が無惨に散乱しているのを目の当たりにして恵美は声も出ず、これからがその真の威力霊力の発揮されるときで、その真の威力霊力が顕現する前に脆くも崩壊したのは偏に自身の力不足に他ならないと恵美はなかば絶望するが、よく見ると割れた殻に埋もれた丸っこい物体が見え隠れに息づいていることが確認できるし何より発光していることが生きている証拠で、割れたのではなく孵ったのだと恵美はそこで初めて状況を把握して不安が一挙に解消し、一旦落ち込んだ分歓びは大きく、その自宅マンション三〇二号室の隅々に恵美の笑い声がしばらく響き渡る。
指折り数えてみると卵が孵化したのは十月十日ではなくたったの十三日で、これほど早いとは予想もしていなかっただけに恵美は驚き、次いで喜びが湧出してきてその驚きを凌駕し駆逐するがその喜びとほぼ同時に不安も喚起されて底部を這いずり廻っているのが分かり、その元を辿れば卵=爬虫類という短絡的思考だしホラー映画などにあり勝ちなグロテスクな奇形的生物とか宇宙生物とかを想像してしまってちょっと手で払い除ければ簡単に確認できるにも拘らず手を出した途端にガブリと食いつかれでもしそうに思え、そんなときは大概手首ごと持っていかれて勢いよく血が吹き出るというのが定石なので尚更殻の破片を取り除けることができず、引き延ばせばしかし不安を増大させるだけだし見ないわけにもいかず、第一これは映画じゃないと恵美は破片を人差し指で弾き飛ばすと素早く手を引っ込め、何が出るか何が孵ったのかと首竦ませて眇になって差し覗けば爬虫類的外貌では全然ないしグロテスクでも奇形的でも況して宇宙生物でもない正しくヒトの胎児の姿で、おぎゃあと産まれる赤んぼと同じだということに恵美は安堵し可愛いとさえ思う。ただ全長が十センチほどしかないし卵生のため臍がないので解剖学的にヒトと言えるかどうか分からないがヒトの形をしているのだからヒトの胎児と言って差し支えないだろうし私の産んだ子には違いないのだからこの子は私の子なのだと恵美は思うのだが今ひとつ実感はなく、それはつまりお腹を痛めてないからだと納得させようとしても納得できそうになく、紀子にならその辺りをうまく解決できるようにも思えたので早速報告を兼ねて電話を入れると「すぐ行く」と言うので「仕事は?」と訊くと「そっちのほうが大事」とキッパリと答え、やはりきっかり三〇分でやって来た紀子はそれを見て一瞬怯んだように総ての動きが停止してしまい、言うべき言葉を確かに用意していたはずなのに失念してしまい、それから視線を逸らしてベッドに背凭れている恵美を窺うと窓からの光で逆光になっているためよく見えないが紀子の言葉を待っているようで、何か言わねばと紀子は言葉を探し、とりあえず無難にと「おめでとう、だね」と言うのに「おめでとう、かな?」と少しく不安げに恵美が言うのは紀子の発語の瞬間に一瞬の戸惑いを見てとったからで、その紀子の揺らぎ動揺を敏感に感じた恵美の言葉に焦り、改めて確信込めて「おめでとう、だよ」と紀子は言うが、「でも」と恵美は言い淀み、掌にスッポリ納まってしまう淡桃色の肌をした淡い光を発する赤んぼを見つめながら「でも、やっぱ変だよこれ」と言う。すかさず紀子は「変なことないよ」と返すが「そうかなあ、だって」と恵美が言うのを遮るように「ちっとも変なことないって」と被せるが、どこがどうとは言えないが何だか白々しく思えて「何でこんな小っちゃいの? 何で卵なの? 光ってるし」と核心的なしかし避けては通れない疑問を矢継ぎ早に恵美は発し、紀子がそれに答えられないのは分かっているが言わずにはいられず、生真面目な紀子がそれに答えようと腕組み首を捻って困苦しているのを見て「ゴメン、そんな意味じゃ」と恵美は取り乱したことを恥じ且つ詫びる。
受精数週間という胎児が未熟児のまま生まれてきたように思えなくもないその赤んぼを再度紀子とともに丹念に眺め入ると、丸くポッテリとした腹部には確かに臍がなく間違いなく卵生だということをそれは証しており、妖精とか何かそのような類いのものに思えなくもないがそれにしては「ちょっとグロ入ってるよね」とどこか鳥類の雛的な印象がなくもないと恵美が洩らすと幾分遠慮勝ちに紀子も頷き、「でも可愛いじゃん結構」と嘘ではないその印象を述べ、さしたる表情の変化もなく一見グロテスクな印象の赤んぼなのだがよくよく見ると確かに可愛げがあると次第に声高にしかし脳天気な声音で紀子は言い、出産直後の人の胎児にしても羊膜に包まれ羊水に濡れて赤紫色でと充分グロテスクだしある種の嫌悪を感じるし、少なくとも手放しで可愛いと言えるほど可愛くはないはずで、グロ云々については紀子も同意見なのだがそのことのみではだから排斥の理由にはならないし即断するのは危険だと注意を促す。