あまりに唐突すぎて驚愕するとか動転するということがまるでなく、普段と些かも変わらない冷静な自分を省みて恵美は不思議に思い、こういうときは普通もっと大仰に驚き慌てふためくものではと自分が情動の針の錆びついた冷徹無比な人間のように思え、冷静であればこそこれは別に大したことではないのだとも一方で思うのだが、いざ冷静に考えてみれば度を超した事態に遭遇したための一切の行動の破綻と思えなくもなく、それが最も妥当な解答だと最終的に結論して再度事態の経過を辿るように記憶を手繰れば、一週間溜めた籠一杯の衣服下着タオル布巾等の汚れ物を総て一緒くたにして洗濯機に放り込んでモーターが不気味に唸りを上げたときに不意に吐気に襲われたのが三日前の日曜日のことで、そのときは微量だが摂取していた前日のアルコールが影響して洗剤柔軟剤の臭いが原因したのだろうくらいにしか思っていなかったが、それが前兆といえばいえないこともないと温(ぬく)い蒲団から出ることができぬまま恵美は朧げな記憶を辿り返すが、今ひとつ不明瞭でハッキリせず思念思考が纏まらないのは今の今目醒めたばかりで思考力も万全ではないからで、起きあがって脳への血流量を減らせば少しはマシになるだろうと覚醒直後で反応性が鈍いため重く感じる体を恵美は右回転でベッドの縁まで持っていき、右足そして左足と順次掛蒲団から出してひんやりとする床につけ、左手でゆっくりと掛蒲団を撥ね除けながら右手を支えに起きあがってベッドの縁に座る恰好になると顔からすうと血の気が引いていくのが心地好い。
極太の徳雄先生のものとも雁高の功次のものともどこか異なるその変な異物感に恵美は目を醒ましたのだが、その直前まで見ていて目醒めの直接因ともなった覚醒夢で誰とも知れぬ男と恵美はひどく淫らなセックスしており、全身が火照っているのはそのためだが、指や舌は別として何かペニス以外のものを自ら挿入したことも誰かに挿入されたこともさせたことも一度もなかったのでその異物感にはいくらか驚きはしたものの不快では決してなく、徳雄先生より奥まで届く功次の雁高のペニスの到達点よりもさらに奥にそれはある感じでむしろ心地好く、四六時中この状態が続くのはしかし困るしこの状態で仕事するのも何か淫奔猥らな感じがするし、そういう倒錯があることも知らぬではないが率先して試みる気もなく、延々これが続くとはしかし思えずいずれ収束に向かうだろうとしばらく待ってこの異物感が解消してから出勤しようと遅れる旨事務所に電話を入れて三〇分だけ猶予をもらう。電話に立った勢いを借りて恵美はキッチンまで行くとまずトースターに食パンを入れ、次いで湯を沸かして紅茶を入れるとテーブルのシンク側の椅子に掛けるが淫猥な異物感は依然去らず、茫としているうちにうっかり焦がしてしまったトーストに雪印マーガリンハーフとFAUCHIONのラズベリージャムで食べていても咀嚼の一噛み一噛みが膣内に響き渡るようでムズムズして何だかセックスしながら食べているような気がして二囓りでやめ、普段は食器を洗い桶に入れたまま出掛けるのを時間があるから丁寧に洗うがそれでも異物感の解消する気配は一向にない。出掛ける時間が刻々迫るがごく僅かの快味を伴う異物感は解消するどころか徐々にその快味を増幅させていくようで、頬が熱く紅潮してくるのを恵美は感じ、その頬の紅潮を隠すためにファンデーションは必然厚くなるが致し方なく、一通り仕度を済ませるとベッドに腰掛けてNHKを基点にして各チャンネルに随時切り替えて比較対照しつつニュースを観ながら時間ギリギリまで恵美は待ち、それでも異物感は解消することなくこれ以上は待てない時間切れだと已むなく腰を上げるとそれまでにない大きな快感がどっと押し寄せて膝から頽れそうになるのを何とか怺えて玄関に向かう。
常より三〇分遅く恵美は自宅マンションの三〇二号室を出るが、そのたった三〇分の違いで周囲の景観がひどく変容していることに驚き、歩行速度が異様に遅いのはしかしその変容した景観を楽しむためではなく足を交互に動かす度に股間が擦れて疼くし右から左左から右へと重心移動するたびにその部分が刺戟されるし固いアスファルトに着地した衝撃が膣内に響いてまた疼くしと際限なく快味が増幅していくからで、僅かな快味でも持続すれば上り詰めていくしちょっと動いただけで内粘膜を刺戟してさらに心地好くなりもして不意に喘ぎが漏れてしまって慌てて声を呑み、腰が退けて真っ直ぐに立てないし真面に歩くことすらできなくなり、これでは仕事もできそうになくいっそ休んでしまおうかと途中幾度も恵美は引き返し掛けるが、とにかく行くだけは行こうと電車に乗り、三〇分では車内の混雑具合にさほどの違いはなく、いつものように暑苦しいオヤジ臭を発散させているオヤジらにグルリ囲まれ揉まれに揉まれるが、気づかれるかもしれない、いやすでに気づいているかもしれないという思いが神経を高ぶらせてさらにも快味を増幅させ、耳まで赤くなっていくのをどうすることもできず、ちょうど恵美の目の前二〇センチのところに向き合うように立っている五〇過ぎの会社員と見られるオヤジが細長く折り畳んだ新聞の脇からひどく好色げな眼つきで自分をチラチラ覗き見ているように思え、その隣の同年輩のオヤジも恵美の右横にいる若い男も、いやこの車輛に乗り合わせている男という男が皆同様に喘ぎを怺える恵美の姿を好色に眺めているように思えてならず、いやそうなのだそうに違いないと思い、その好色な視線に曝されて身包み剥がされていくような気がしてそのあまりの羞恥に気を失いそうになるのを必死に恵美は怺え、体勢移動が不可能なため手を出されたらお終いだと気が気ではなかったが、それでも何とか降車駅まで持ちこたえて降りたホームに佇んで息を整えていると、前を通り過ぎる幾人もの男が恵美の足元から膝内腿腰胸首筋を通って上気した顔を荒い息遣いを盗み見て一瞬ほくそ笑むのをこの火照り疼きを察してのことに違いないと恵美は思い、その恥ずかしさに駆けだしたくなるのをぐっと怺えて人波をやり過ごし、次の電車が来るまでのほんの数分の間隙を狙って平静を装いながら一段一段慎重に階段を下りていくが、下の段に着地するたびその衝撃で喘ぎが漏れてしまい、すれ違う男の訝しげな視線がさらにも頬を紅潮させる。
駅から事務所まで徒歩五分ほどだが人通りが多く交通量も激しいその道のりを考えただけで気が遠くなってとても無理とタクシーを使うが、車体の振動も容赦なく襲いかかって運転手の気づかぬはずはなく、信号待ちのときに振り返りざま「気分でも悪いんですか?」と心配げに声を掛けてくるもののその眼は好色に恵美の汗ばんだ首筋辺りを眺め、近距離という負い目から愛想笑いで答えるとさらにも好色な視線が纏わりつき絡みついて離れないので気色悪く、いや、それすら快楽を昂進させ、自身の淫乱な性質を恵美は改めて思い知り、事務所前に着くと千円札を投げるように渡して釣り銭も取らずに車を降り、何とか事務所に辿り着いて自分の椅子に腰掛けるが、それだけで一日の全体力全神経を使い果してしまったように思え、「どうした? 具合悪いのか?」とか「熱でもあるんじゃないですか?」とか「顔赤いすよ」などと皆に言われてあそこが疼くんですとは言えないから「ええちょっと」と言葉を濁し、その歯切れの悪さに自分でも腹立つが、それがまた疼きに直結して膣内が熱く潤ってきたためトイレに逃げ込む。指を入れて探ったとして実際何かが異様な何かが気色の悪い何かがエイリアンのごとき何かが出てきたらと思うとそんなことはあり得ないと否定しつつも恐ろしくて探ることは恵美にはできず、快楽にだから浸るより他ないのだが癖になりそうで怖くもあり、それまでも幾分快楽主義的だったがそれだけに一層快楽主義に耽溺して一切の生活に無気力になってしまうのではとの怖れを恵美は感じつつ濡れたところを丁寧に拭い、生理時以外の使用に一瞬ためらうが応急にとナプキンを宛(あてが)い、公言できるような事態ではないので酷くならないうちに治まってくれるよう願う他なく、何食わぬ顔で店内を見渡せる角の壁際の席に恵美は戻ると二杯目のレモンティーのカップの縁を撫でながら壁に凭れて快楽の波が退くのを静かに待ち、威勢好く「いらっしゃいませー」と何度目かの声が響くのを耳にしてチラと眼を向けた先に視線を彷徨わせながら立ち尽す紀子を認め、カップの縁を愛撫していた右手を顔の横に持ってきて指を軽くヒラヒラさせるのに気づいてツカツカと歩み寄り、「顔赤いよ熱あるんじゃない?」とよく響き渡る声でその口振りとは逆に脳天気に言って恵美の両頬を両掌で覆い次に額に当てるのを「彼氏としてきたばっかだから」と胡麻化す恵美にそれ以上の追及を紀子は避け、仕事絡み半分無駄口半分で二、三〇分ほどを喋るが、普段なら紀子が何か一言言えば恵美はその数倍を返し、それを迎え撃つ形で紀子もさらに数倍にして返すというように壮絶なバトルを繰り広げるはずが今日に限って妙に食いつきが悪く勢いがないのを訝しんで「元気ないね」と訊けば「湿気がさ」とわけの分からない返答で、まだ波が退かないのを無理して立ち上がって促す紀子のあとをレジへ歩きだすその足取りはやはり覚束ない。三連敗の紀子がまた支払うことになり、「ジャンケンじゃ勝てないよ」とルール改正を提案していくつか候補を上げるが、疼きに上の空の恵美は足の速い紀子の後方を遅れまいとついていくのが精一杯で、振り返れば遙か後方を酔漢のようにフラついているのを見咎めて「何やってんの聞いてんの」と窘めるが「てへへ」との不自然な苦笑いにおかしいと気づいて駆け寄り腰に手を廻して支えながら「どうしたのだいじょぶ?」と声を掛けると、気弱げに「ダメ」と恵美は言い、具合悪いなら悪いで「何でもっと早く言わないの」と叱られて「ゴメン」と恵美は詫びる。