ひとり留守番することに何ら問題はないと知恵美は言うのだが、午前六時四〇分に自宅マンションを出る恵美が帰宅するのは大概午後七時以降で、つまり十二時間以上部屋に知恵美ひとり置き去りにすることになり、「母」としてそれはできないと恵美は言い、とはいえ恵美に「母」という自覚があるわけではないし知恵美にしても恵美に「母」を要求してはいないので「ホントにいいんだってば」と断るのを「そういうわけにもいかないよ」とそれまで卵を納めていた桐箱では窮屈だし呼吸もしにくかろうと一廻り大きな桐箱に買い換えて錐でいくつか穴を開け、専用の小さなポシェット様のものを手ずから拵(こしら)えて同伴で出社することにしたのだが、歩行に伴う振動その他移動手段の乗り物による振動がやはり気に掛かり、逐一知恵美に確認して問題なしとの解答を得てようやく恵美は安堵する。子を持つ「母」とは言いがたい児戯的育児に恵美は楽しみを見出してなかば趣味のように知恵美の世話をし、その娯楽性をナルシスティックに享楽することにある種の罪悪感を感じなくはないものの楽しいんだからいいんだとの念に押されてそれは忽ち消え失せるし、いや、罪悪感があるからこそ享楽はさらにも増幅されるのだと恵美はひとり頷き、天皇であれ何であれただ知恵美との今の関係をのみ存分に享楽したいと恵美は思い、そのためには知恵美を保護し守護する万全の体制を整える必要があり、やはり『神聖卵教会』に助力を乞わねばならないと結論するに至り、もう一度紀子に相談しようと恵美は思い、知恵美の入っているバッグを優しく包み込むように胸元に引き寄せて車輛の不意の揺れに備えるのだった。
今まで一度も訊ねてきたことなどないし来たいとも言わず、その自宅マンションにおける日常生活を知ることでその神秘性が失われるのを恐れてでもいるのか妻への義理立てによる最低限自己に課した制限なのか誘ってもいろいろ理由をつけて断ってその自宅マンションを絶対不可侵領域として敬遠していた徳雄先生がなぜここにいるのか不思議で、徳雄先生も同様らしく不思議そうな顔して居心地悪げに座っているその姿が恵美には可笑しくて仕方ないが笑っちゃいけないと怺え、怺えるがしかし僅かに洩れる笑みは隠しようがないしその表情筋の僅かな変化を徳雄先生が見逃すはずもなく、不遜げな眼つきで窘めるのを「お茶、入れるね」とキッチンに避難し、お茶とお茶菓子を用意しつつここに至った顛末を恵美は辿ろうとするのだが今ひとつ不明瞭で、いつものように駅ビル二階の『鉋屑』で落ち合ってタクシーで和食レストランに行き、そのあと何軒か飲み屋を梯子してその締め括りとしてのセックスの期待とともにタクシーを拾ってタクシーを降りたところが恵美の自宅マンション前で、真っ先に驚いたのは恵美のほうだが幾度も徳雄先生と自宅マンションを指差しながら「何で?」をくり返し、徳雄先生もまた小首を傾げて困惑し苦笑い、その腕を恵美は抱え込んでグイと引き寄せ胸を宛(あてが)いなすりつけながら「折角ここまで来たんだから」と上がってもらえた嬉しさは計り知れないがどこかしかし腑に落ちないのも確かで、いつになく緊張して紅茶はすぐに飲み干されて今あるのは二杯目だが、それもあと二口ほどでなくなり、紅茶がなくなったときが即ち次の展開にシフトする好機だと恵美は思うものの、何から何まで未体験の初な中学生のようにぎこちなさばかりが目について、それがしかし変に昂揚を齎して淫猥な雰囲気を醸すようでもあるのが心地好くなくもないと上眼にチラと徳雄先生を窺えば、徳雄先生も同様淫靡な雰囲気に呑まれて些か昂奮気味に恵美を見返す。
不愛想だが謹直げな運転手に自宅マンションの住所を告げたのは恵美に違いないがまるで記憶にないし車内にいる間も自宅方面に向かっていることに気づかず、いや、タクシーは間違いなくホテル街への道を走っていたしその附近の交差点手前にあるコンビニ前の路肩に停車したのも確かで、降りた瞬間にしかし暗転してガラリと景色が変わったように恵美には思え、これはだからあり得ない現実で夢の延長に違いなく、ではどこからが夢なのかと遡及するが行けども行けども夢のようでその境界には至り着けず、知恵美の誕生から夢ではないかとも思うがそれでは身も蓋もないし恵美自身認めがたく、このこと自体はしかし恵美には僥倖だから堪能しなきゃ損とばかりに武者振りつけば徳雄先生もそれに激しく応酬し、つるりと皮でも剥くように衣服を脱がされ丸裸にされると忽ち恵美はその卓越した技巧に翻弄されて事ここに至る顛末などそっくり吹っ飛んでしまう。激しい怒声の意味をだから恵美はしばらく了解できず、徳雄先生の腰の動きが止まったのも焦らしていると思っただけで、それにしては永いこと焦らすこれ以上焦らされると気が変になると下から突き上げ締めつけても徳雄先生の反応はなく、そこで初めて不審を感じて「どうしたの?」と首を擡げてそこに功次の姿があるのに愕然とし、これはしかし夢ではなかったか、夢だとすればあの三つ巴の受精の再現ではないかそうに違いないと恵美は思い、思うがしかし不安は残り、功次の表情を窺い見ればその怒声に反して穏やかな笑みをたたえていて、その矛盾する様相に夢の確証を得たと恵美はなかば安堵し、その長大なペニスを功次は恵美の眼前に差しだしてペニスで恵美の顔を撫で、それを恵美が口に含むとさらにもペニスは膨らんで、ゆっくりと抜き差しする功次に合わせて恵美は舌を転がし、その恵美の動きに合わせて徳雄先生はゆっくりと腰を動かす。徳雄先生仕込みの技巧により忽ち絶頂に達した功次は大量の精液を恵美の口内に注ぐが、それを飲み干してもなお口に含んだままで萎縮する間を恵美は与えず、二人の白濁した液をたっぷりと浴びて至福に浸った恵美はそのまま眠り込んでしまい、小一時間ほどして目醒めるとひとりベッドに全裸で横たわっていて功次も徳雄先生もいないしその痕跡すらなく、やはり夢かと独り言ちるが口中に微かに残る味を感じて舌で歯裏を探ってその確かな痕跡を認めるに及び且つ顔面の強張りが傍証となって夢ではないとの確信に至り、再度安眠する。
翌朝目醒めると二人がベッド脇に並んで座って恵美の裸身を眺めているのを認めるが、二人とも妙に冷静で落ち着き払っているのが気味悪いくらいで不在時のことを訊くのも躊躇われ、ゆっくりと起きあがりながら「お早う」とやっとの思いで口にすると、「お早う」と返ってはくるもののそれ以上に展開しないのは根底に漂う不協和を認めずにはいられないからで、その不協和の元凶はといえば二人が鉢合わせになったことではなく起きあがった恵美からちょうど二人の肩越しに見える神棚の内に鎮座している知恵美の存在に他ならず、悪びれた様子もなくひとり寛いで事態の成り行きを静観しているその存在を二人が諒解してしまったからに他ならないからで、徳雄先生にその存在を知らしめたのは功次に違いなく、このひどく現実離れした状況には驚く他ないし自分がその内にいることにさらにも驚きは増すものの、この非現実性をしかし諒解せねば対応も困難だと徳雄先生は腹を括って恵美の前に坐ったのだが、酸欠の金魚みたいに口をパクパク動かすだけで発すべき言葉は何ひとつ浮かんでこず、嫌な沈黙がさらにも続いて二人とも知恵美を直視する勇気はなく一貫して無視し続けるが、却ってそれが知恵美の存在を濃密にしていることを二人も承知してはいるものの、直視することはやはり躊躇われて恵美の眼前にこぢんまりと縮こまっている功次と徳雄先生を叱られて正座させられている子供みたいだと恵美は滑稽に思い、僅かだが頬が弛んで全体の妙な緊張をそれが解すことになり、その一瞬の隙を縫うようにして「寄りによってこんなオッサンと」と功次は言うが冗談めかした物言いでまるで険がないし「寄りによってこんな若造と」と返す徳雄先生の物言いも同様険がなく、その険のなさに恵美は困惑するものの修羅場になりそうもないある種の馴れ合いを感じもして恐慌に陥ることは辛うじて免れていた。徳雄先生のものとも功次のものともつかぬ歯形のうっすらと残る恵美の十代の張りの乳房を一心に眺めていた徳雄先生は視線を心持ち上向けて唾液と汗と精液に塗れたその顔を真っ直ぐに見詰めるがすぐに逸らしてしまったのは見るに耐えなかったからでは決してなく、何か蛇のような冷たさを、決して温められ得ないような絶対の冷たさをそこに見てしまったからで、倫理ではなく生理にそれは反しているように思え、それを否定せんがため再度恵美に眼を向けるが一秒と直視できず、否定するどころか最前の思いを補強しただけで、不気味にさえ感じて「そろそろ潮時なのかな」とボソリと呟くと「退くのはオレです」と横から功次が言い、「いや私だよ」「いやオレが」としばらく譲り合い、二人揃って遠くを眺めるように恵美を見るがすぐに二人とも眼を伏せる。いよいよ困り果てた恵美の苦し紛れに発した「ご飯、食べてく?」との問いに対する二人の答えはいずれもノーで、とにかくこの閉塞感というか息苦しさから逃れたくて「帰るよ」と二人続けざまに立ち上がると部屋全体が手漕ぎボートのように大きく傾いだように思え、テーブルを支えにして二拍遅れて立ち上がった恵美は二人の後ろを玄関まで慎重に歩き、臆することなくドアの外に出て全裸で二人を送りだす。重厚な音を立てて「ガッチャン」とドアが閉じればそれきり音もなく、絶対の閉塞空間となり果てた自宅マンション三〇二号室に恵美は知恵美と二人きりなのだと不意に思い、いや、まだ二人の痕跡はこの体に濃密に残っていると顔面の強張りを意識しつつ恵美は思い、干涸らびた精液の跡を撫で、恵美の肉体に刻印されたその唾液汗精液を洗い流したくはないがそのままでもいられないとシャワーを浴びるとその痕跡は恵美の肉体からも自宅マンションの各部屋からも散失し、残り香さえも消え果てて恵美はひとり消費期限の過ぎたカラメルと林檎のムースとモンブランを冷蔵庫から出して食べるが、ムースを食べ終わりモンブランも残りあと二口ほどになっていよいよ最期だと観念するとともに少しずつ侘しさが込み上げてきて、歯応えのないシュクセの食感がその侘しさ情けなさを助長するようにも思え、このモンブランを食べ終わらなければ最期の時も棚上げされ延期され続けるかもしれないとあり得ないことをふと恵美は思い、「バカみたい」とその最後の二口を続けざまに口に運んだためちょっと噎せる。最後の小片を嚥下し尽すとそれで踏ん切りがついたとでもいうように恵美は忙しなく皿を洗い、別の小皿を食器棚から出して刻んだビーフジャーキーを盛りつけ、彩りに人参ピーマンを同様に刻んで添えて「お待ち遠」と運ぶとムクリと知恵美は起き直り、甲高な声で「随分ひどい人だね」とたまりかねたように譴責するのに「そんなことないよ」と擁護すると「いろいろ話もしたけどね、物分かり悪くてさ。困ったよホント」と零し、「眼前の現実を理解しなくなったらお終いだよ」と二人に対して一貫して批判的な見解を述べてから「頂きます」と食べはじめ、黙々と食べる知恵美に「美味しい?」と訊けば「美味しい」と答え、それがとても嬉しくて「好かった」と笑みを洩らし、窓から射し込む光と知恵美の発する淡い光とのいずれにも眩しげに眼を細めながら「男には理解できないものなのかもね」と感慨深げに恵美は呟き、「そうだよ多分」とひとり納得し、三人の結晶結節点だったはずが却って亀裂を生じさせる原因となったことにつきあれこれ考えたとて仕方がないし何もかもを欲するのは欲張りすぎで、二人の抜けた穴は大きく深いが「知恵美がいるから多分だいじょぶ」と呟けば「そうだよボクがいればだいじょぶさ」と応じ、「何せテンノウなんだから」と戯けてみせる。