友方=Hの垂れ流し ホーム

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時代は中世代三畳紀から古生代ペルム紀の辺りらしい。2億年〜3億年前だ。ヒロノムス、バラノサウルスなどというのが生存していたらしい。獣歯類から獣弓類、単弓類というように変化していくにつれて、いつの間にか毛がなくなり脚の付け根が体の横の方に移動していき体高が低くなり、一層爬虫類らしく背筋も凍るおぞましい姿になっていった。

爬虫類の次は両生類だった。陸に進出していった他の両生類を尻目に水生に戻ってしまったエンボロメリ類とかいうのが、その後爬虫類に進化したらしい。石炭紀中期、3億4000万年ほど前だ。これは爬虫類よりも質が悪く、ヌメヌメした粘液質の肌を持ち全体にのっぺりしていて薄気味の悪い奴がヌラヌラと地を這い廻るのだった。それから陸に上がった両生類の祖先型のイクチオステガとかいうのになっていった。間の抜けた顔をしていた。クネクネと身をくねらせながら歩くんだった。動きは鈍かった。虫酸が走った。

しかしすぐに足指が癒合しひとつになって鰭になり、鱗ができ、鰓穴が開き、ふわりと宙に浮き上がった。総鰭類というらしく、筋肉でできた鰭を持つ肉鰭類というのに属していて肺魚などもこれに当たる。総鰭類は更に管椎類と扇鰭類とに分かれていて、管椎類には生きた化石のシーラカンスがいる。扇鰭類にはユーステノプテロンというのがいて、見るとそれに近かった。体長は60センチくらいあったが、体を持て余しているという感じで蜿くように鰭を動かして殆ど這うように地面すれすれのところをのろのろと泳いでいた。それは間違いなく魚だった。シーラカンスを細くスマートにしたような魚だった。地べたを這いずり廻る粘膜質の不気味な皮膚を持った両生類は次々と姿を消し、遂には一匹も見られなくなった。その後御先祖は小さくなっていき、すぐに泳ぎの達者なのが現れだし、歯と顎が分化し刺のような鰭を持った棘魚類とかいう10センチくらいの小魚が現れ、ぷかぷかと私の周りを漂い泳ぎ廻りその数も次第に増していった。眼の前が魚で覆われてしまうと、宛ら水族館にでもいるような気分だった。時代はシルル紀後期、4億1000万年前くらいだろう。この辺りが現生の魚類との別れ目らしい。

総ての御先祖のうちで魚類だけは文句なしに受け入れられる存在だったが、空中を浮遊するだけに視界は瞬く間に失われていった。私の挙動不審や独り言は募る一方で周囲の人々を遠ざけているようだった。交友範囲も狭まり、会社での立場も極端に悪くなり、連れ立って飲みに行くこともなくなった。そのため帰宅時間は早くなったものの毎日時間通りに帰ってくる私を妻は煙たがり、「随分早く帰ってくるのね」と厭味まで言われ、家庭でも私の居場所はないと言ってよく、肩身の狭い思いを強いられた。帰宅時間を少しでも遅くしようと意味もなく街をブラついたり書店で立ち読みしたりしたが、ふと我に返り空しくなるのだった。妻は私がリストラの対象になってるんじゃないかと疑っているようだった。このままいけばそれは現実になり兼ねなかった。御先祖との対話が増えた。対話といってもこっちから投げ掛けるだけで全くの一方通行だったので観察といった方がよく、次第にそれにのめり込んでいった。事態が好転する見込みはなかった。


日曜日、家では落ち着いて観察できないので適当な観察の場を求め、大勢の御先祖を連れてあちこち歩き廻った。都市化し損ねた郊外だからいくらでも場所を提供してくれるだろうと思ったのは浅はかで、広場や原っぱなどの目ぼしいところはすでに子供たちに占領されているし、ちょっとしたスペースを見つけてもどこからともなく人が現れ通りすがりを装いながらチラチラ窺う様子だったりし、誰にも邪魔されずに観察できる場所などどこにもなかった。人眼のつかない開けた場所などなかった。散々歩き廻ったが適当な場所は遂に見つからず、疲労困憊し精魂尽き果て、そのため倍増した御先祖の猛襲を受け、肉体的疲労に精神的疲労という二重の疲労に苛まれて、仕方なく家に足を向けた。視界は不明瞭で足元も覚束ず、何度も溝川に落ちそうになりながら歩いていた。ゆっくり慎重に足を運んでいた。正面に何かの影が見え、それが近づいてきた。足音で人だということは分かった。名も知らぬ古代魚をぞろぞろと引き連れて歩いているのがその人に見えたらどうなるだろうと、擦れ違いながらふと思い、驚き慌てふためき腰を抜かし泡を吹き血相変えて逃げ惑う姿が眼に見えるような気がし、急に可笑しさが込み上げてきて笑った。人と擦れ違う度に私は笑いを怺えるのに必死だった。こんな状況にいて笑っている自分に更に笑いが募った。

半欠けの小山を後ろに控えた我が家がぼんやりと見えてくると、私の顔から笑みは消え、歩調は乱れ足も縺れだし、殆ど千鳥足で敷地に入っていった。我が家を前にして立ち止まってふと見上げると、その背後には子供の頃から毎日眺め暮らしてきた山がある。なかば削り取られ痛々しく地肌が剥き出しになった半死の山が微かに透けて見えた。その更に後ろには澄んだ空があった。その空の殆どを覆い尽くして古代魚の群れが泳いでいた。一瞬自分が水の中にいるように錯覚し、息苦しさを覚えた。ゆっくり深々と深呼吸した。水を呼吸している、と思った。思いついて私は家の裏に廻ってその山に登る。切り立った崖というほどでもないがそこから登るにはちょっと急で眼を瞑って登るのも同然なため一瞬逡巡したものの、子供の頃には毎日のように登っていてどこに手を掛けどこに足を置けばいいのか総て分かっているのでわけはないと思って足を踏み出した。土は硬くしっかりしていて崩れることもなく私の体重を支えてくれた。すぐに天辺に達した。御先祖のせいで視界は悪いがその晴れ間を注意して覗き見ると、山の上は伐り開かれ明るく日が射し見晴らしは前より良くなっているらしかった。風が吹き抜け、伐られずに生き残った木々や草々を揺らしている音が絶えず聞こえていた。伐り倒された木の切り株がいくつもあり、比較的大きめの腰掛けるのに丁度いいのを探してそこに腰掛ける。午後の日を受けながら心置きなく私は御先祖を観察する。少しの変化も見逃すまいと一匹一匹をじっくり丁寧に観察する。群れを成して泳ぐ回遊魚のように御先祖は泳いでいた。鱗や尖った鰭が日に反射してキラキラと輝いていた。4億数千万年前にも、この棘魚類らしい魚たちの空を飛翔する姿があったんじゃないかとふと思った。思った途端にそれはリアリティーを増し、私の中でいつの間にか真実になっていた。絶滅した空飛ぶ魚を私は見ていた。飽きることなく観察を続け、すぐに日は暮れた。夕日に赤く魚は染まった。太陽が完全に西に落ちてから私は山を下りた。

疲れ切って横になった私に、「珍しいね、休みって言うといっつもゴロゴロ寝てばっかりなのに」と言いながら妻が来て私の頭の先に坐り、「どういう風の吹き廻し?」と言った。視線の端にズボンの膝が見えた。

「たまには歩くのもいいもんだよ。それとも家にいた方がいい?」私が言うと、妻は「そりゃいない方が断然楽」と真面目に答えた。

「もっと歩いたらお腹引っ込むかな」冗談めかして言ってみたが、これにも妻は「そうね」と真面目に答えた。

魚が、泳いでいた。妻に群がっていた。妻を覆い隠した。妻が、見えなくなった。

「あなた、変わったわ」そのすぐあと、夕飯を食っているとき唐突に妻は言いだし、「女でもできたのかと思ってたけど、よくよく見るとそうじゃないってのは分かった。でも、なんか変なのよね。違うのよ、まるで別人」とゆっくりと腫れ物にでも触るみたいに慎重に私の顔を窺いながら言った。あまりの豹変に飯が喉に詰まり噎せた。御先祖がどっと増え、視界を覆った。子供たちはとっくに食い終わってドカドカと二階に上がって行き、今も何やら騒いでいた。その音を聞いていた。

「ねえ、何があったの?」妻は箸を置き詰め寄る。

そう切り出した妻には余程注意しなければならなかった。かつて一度もそんなふうに訊いてきたことはなく、妻にしても余程のことなのだろうと分かったから。確かに集中力はかなり減退したようだし、仕事の能率も下がり終始落ち着きがなく常にイライラしてはいた。しかしこのような事態に陥って変わらない方がおかしいと思わず言いそうになり、ギリギリでその言葉を呑み込んだ。代わりに別の言葉を口にした。

「何にもないよ」そう言わざるを得ず、他に言いようもなかった。何を言っても嘘っぽくなりそうだった。

「ないわけない」と妻は決めつける。「何にもないのにそんなに変わるわけない」

「おれはおれだよ」子供たちの笑う声が聞こえた。御先祖が泳いでいた。

「嘘、全然違う」殆ど確信しているというように妻は言うのだった。「会社で何かあったの?」それから少し間を置いて、私の眼をじっと見つめて、「心配なのよ」と言う。一瞬、心配なのは私ではなく、私が馘首されることじゃないのかと言いそうになり、慌てて口を噤む。それを言ったらおしまいだった。また子供たちが笑った。眼の前にいる御先祖が一斉に反転した。

「何にもないよ」辛うじてそれだけ言う。

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