友方=Hの垂れ流し ホーム

07

濃密な淡い光の満ちるなか歓喜と危惧とを交々抱えながら神経はむしろ鎮静に向かっているのが不思議で、リラックスというのでもないが危惧と歓喜が巧い具合に中和されてニュートラルな状態に近く、これなら何とかお終いまで持ちそうと紀子は思うが、そう思ううちにも神経は必要以上に研ぎ澄まされていくようで、皮膚の境界面が曖昧に伸び拡がっていくようなそれは感覚で、いや、ようなではなく実際に伸び拡がっていて身体から食みだした神経で空間それ自体を感覚でき、さらに神経繊維はこの室全体に拡がって、いや、そうではなくこの室のほうが自身へと食い込んできている、いや、そうではなくてやはり自身が拡散していくのかと徐々に曖昧になって捉えようとしても捉える端からそれは反転してきりがなく、真面な思惟では捉えられぬ性質のものなのか思惟それ自体が変質したのか定かじゃないがどっちにしろ壊れたと紀子は判断し、それがしかし少しも苦ではないから困ると苦笑すると、開かれた神経のため一室全体にそれは伝播して皆に苦笑を返されたから「いやあの、そうじゃなくて」そんなつもりじゃ全然なかったんです「ご免なさい、なんかその」折角の和を乱してしまってと紀子が外側から詫びれば「そんなことないですよ」と内側から鞍村が返し、「そうですそうです」と皆が頷き、非常な安堵を紀子は感じて「好かったあ」と机に両肘ついて吐息を吐くとすぐ目の前に知恵美がいて、半身擡げた恰好で酔ったように揺れているが危険な徴候ではなさそうで、皆の歓喜が知恵美のほうへもフィードバックされるらしく、見れば確かに信者らと同期して揺れているから心配するほどのことでもなかったと紀子は少し上体を起こし、次いでゆっくりと深呼吸すると淡い光それ自体に浄化作用でもあるのか籠もり澱んだ室内のそれとも思えぬほど空気が清浄なのに気づく。その無事な帰還を祝して最後に皆で長々と祈り、それで散会となるはずがこの一回で終わらせるのは惜しいから定期的に集まるようにしてはどうかとの提案があり、田尻が受けて皆に問うたところひとりの反対もなく即決され、紀子のほうにいくらか身を乗りだす恰好で「ということですけど、どうでしょう?」と訊かれて紀子はあまり気は進まなかったがその期待には応えたいと「ええまあ」いいんじゃないかと頷き返し、それだけならよかったのだがいっそ新たな教団を発足してはと鞍村が言い出して「別に今すぐってことじゃなくてもね」自分らの信仰を確固たるものにするという意味でもそれは必要なのではと提案したから驚き、急にそんなこと言われても困ると紀子が難色を示せばそこまで見越していたものらしく「そうですね」とすぐ引き下がり、ただ譲歩した分これだけは認めてくれとでもいうように今の教団を離れて正式に発足するかどうかは「追々ね、共議していくにしても」定例集会となればそれなりに呼び名が「何か必要じゃありません?」と呼び掛け、それをも否とは言えぬから案はないかと呼び掛ければ透かさず「中セミナーってのはどうです?」と挙手と同時に田尻が言い、確かにそれは自分らに馴染みのものだし「日下さん好みですけど、何だかちょっと」味気ないと鞍村は首傾げ、他に何かあるだろうと促すと後方で控えめな挙手があり、どうぞと田尻が促せば「あの私思うんですけど、やっぱりその、私たちってメシア=天皇を、知恵美=メシア=天皇をですね、あの追い求めてるっていうか、それがあの、一番じゃないですか。だからその、メシア=天皇がこう前にいて光ってて、私たちが祈りますよね、それであの、ひとつになるっていうか、なりたいっていうか、アレ、何言ってんだろ、ご免なさい」と真っ赤になって朋子は顔を俯ける。そのフォローに廻って「分かります分かります、日下さんみたいに記号化することに」疑問を感じているのは自分も同じだと強い頷きとともに田尻が補足すると、疑問というほどハッキリしたものでは全然なくて「なんかその、しっくりこないんです」と朋子は言い、漠然とした認識ながら「私もそう、しっくりこないんだよね」とそれには紀子も同意を示し、何となくそれで皆の意は通じたような雰囲気になり、その機を逃さず乗りだした鞍村は知恵美=メシア=天皇を中心に据えるというか、実質的に日下に切り棄てられ放逐されたことを憂えているとの共通認識を掲げて畳み掛けるように『知恵美=メシア=天皇を憂える会』とその名称も決せられるが、そこに紀子は空虚な響きをしか感じられず、いやそれ以上に日下らへの叛意を強く感じとって沖より以上に強硬な派閥になりそうな気がし、成りゆきでそこまで行ってしまったがその信仰の深さを知るだけに否定もできず、何より知恵美の賛成を得てはどうにもできず、沖らのような最悪の結末にだけは至らぬようにと願うのみで最後の最後まで違和を拭いきれず、散会後もその余韻があとを引いているのか浮かぬげで、皆の晴らした鬱屈をひとり抱え込まされたとでもいうかの重たげな足取りを訝るように「何か問題でも」あるのか、メシアのお披露目は巧いこといったじゃないかと田尻に訊かれて問題も何もそんなつもりで呼び集めたのではないのに結果的にその分裂を促進するような展開になってしまった早計に紀子は嘆息し、求心力に乏しい組織のそれは必然の展開だろうとの田尻の指摘も分かるがこれではただのアジテーターではないか、日下らがどうなろうと知ったことじゃないが「なんかね、違うと思うんだ、思わない?」と訊かれて田尻はそれには答えず「ま、でも、いいじゃないですか」日下らに求め得ぬものを他に求めることがいけないことはないだろうしそれ自体切実なのも分かっているのだからと会の余韻かひどく楽観的で、「そうそ、みんな喜んでんだから」それでいいじゃないかと半透明の恵美の霊もそれに倣う。紀子にしてもそれを否定するつもりは全然ないが「ただ、日下さんてさ、何考えてんだかちょっと分かんないとこあるでしょ?」それが唯一気掛かりで、小心なだけに余計何をするか分からないから怖いのだと洩らすと「なんも考えてないよあの人」と半透明の恵美の霊は言い、その断言するかの口振りにそんな単純でもないだろうと今日の集会のことはすでに知れているだろうから日下らがどう出るかが気になるところで、弾圧に掛かることもないとはいえぬから派手に宣伝などしたらヤバいんじゃないか「またさら攫われたりしたら」敵わないしと紀子が危惧すれば、権力奪取の意図のない弱体な集まりにすぎぬということが正しく伝わればいいが「沖のことがありますからね」向こうも相当警戒しているだろうし下手に騒げば強圧的に締めつけに掛かる可能性もないとはいえぬとそれには田尻も同意を示し、日下らの出方次第とその身に迫る質悪い死霊ほどにはしかし警戒するふうでもなく、向こうの出方を待っていては遅いのだ、今までそれで決定的に出遅れたし蹴躓いたのではなかったかと紀子は思い、必勝など全然期待できないし引き分けるのも危ういと悲観的だが先手を打たねばと模索して無駄に策を弄するよりか正面から攻めたほうが早いかとそうすることに決め、そうと決するとしかしいくらか気持ちは鎮まってメシアにしろマリアにしろ駒は総てこっちの手中にあるしその灼かな霊験を以てすれば成せぬことなどあるはずもないのだから楽勝楽勝と自身に暗示を掛け、街路灯の下を通過する際その光の中に茫と浮かびあがる半透明の恵美の霊の青み掛かった後ろ姿を眼にするたび紀子は大丈夫と自身に言いもし、自宅マンション五〇五号室に帰るとシャワーだけ浴びてすぐ寝ようと速攻で入るが半透明の恵美の霊の言うように気にしすぎなのか非常な疲れを感じ、生乾きの毛先から垂れる雫を首筋辺りに感じながら拭いもせず溜まりに溜まって最早解消し得ぬほどにも肥大したそれを紀子は酒で紛らす。

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